「中学校社会 歴史/中国文明」の版間の差分

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農業により、食料が増えたことで、人口も増え、黄河や長江の流域の土地には、都市も形成されていった。
 
この時代に青銅器(せいどうき)も使われていた。
:※ 青銅(せいどう)とは、銅(どう)と すず との合金。 青銅器とは、青銅で作られた器具。
 
青銅器は貴重品なので、王族や宗教的な儀式などで使われた。
 
 
== 殷(いん)の王朝 ==
[[File:Shang dynasty inscribed tortoise plastron.jpg|200px|left|thumb|亀の甲羅に書かれた甲骨文(北京 博物館)]]
[[Image:HouMuWuDingFullView.jpg|thumb|right|殷(いん)の時代の青銅器(せいどうき)。]]
[[File:Shang-Orakelknochen excerpt adjusted for contrast.jpg|thumb|200px|left|甲骨文字の例]]
紀元前1600年ごろに、いくつもの国をまとめた <span style="font-size: large;">殷</span>(いん) という王朝(おうちょう)が成立した。殷のことを「商」(しょう)とも言う。
 
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現代では、この殷の時代の文字である、<span style="font-size: large;">甲骨文字</span>(こうこつ もじ)という文字が多く発見されている。亀の甲や牛の骨に、きざまれた文字が、甲骨文字である。この甲骨文字が、後の時代の漢字のもとになっている。まだ、この時代に漢字は出来て無い。
 
*青銅器(せいどうき)
この時代に青銅器(せいどうき)も使われていた。
:※ 青銅(せいどう)とは、銅(どう)と すず との合金。 青銅器とは、青銅で作られた器具。
 
青銅器は貴重品なので、王族や宗教的な儀式などで使われた。
 
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== 周(しゅう)の王朝 ==
[[File:Confucius Tang Dynasty.jpg|thumb|200px|孔子(こうし)]]
殷(いん)は、紀元前1100年ごろに、周(しゅう)に、ほろぼされる。
こうして、周(しゅう)という王朝が出来た。周の時代に、青銅製の貨幣が作られ、商業が発達していった。
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== 秦(しん)の時代 ==
[[画像:Xian museum.jpg|thumb|450px|left|兵馬俑(へいばよう) <br />始皇帝の墓から、東に約1.5kmほど、はなれた場所にある。陶土(とうど)でつくられ、兵士をかたどった等身大の人形が、いくつも(約7000体)ある。人形は東を向いて軍隊のように整列している。<br />世界遺産になっている。]]
[[File:Qinshihuang.jpg|thumb|200px|秦(しん)の始皇帝(しこうてい)]]
紀元前3世紀である紀元前221年に、<span style="font-size: large;">秦</span>(しん)が中国を統一した。
 
*始皇帝(しこうてい)
秦の最高権力者が、中国の歴史で、はじめて「皇帝」(こうてい)という位(くらい)を名乗った。「皇帝」という称号(しょうごう)は、この秦の時代に作られた。皇帝の位は、王よりも位が高い。
このため秦の初代の最高権力者のことを、「<span style="font-size: large;">始皇帝</span>」(しこうてい)または「秦の始皇帝」などと言う。
 
 
秦 は、北方の異民族の侵入を防ぐため、<span style="font-size: large;">万里の長城</span>(ばんり の ちょうじょう)を作らせた。
 
 
また、それまで中国の各地方によって、ちがっていた貨幣(かへい)や文字などを、1種類に統一した。
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しかし、始皇帝の死後、各地で反乱があいつぎ、秦の統一後から、わずか15年ばかりで、秦は ほろぶ。
 
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ファイル:S-106 W Han banliang, Wudi, 140-87 BC, lead, prob private mint, 22-23mm.jpg|秦の時代に同じものを使っていたと思われる、のちの漢(かん)の時代の貨幣。
ファイル:GreatWall 2004 Summer 4.jpg|万里(ばんり)の長城(ちょうじょう)。 現代の万里の長城は、のちの時代の明(みん)の時代に修復された物である。<br />世界遺産になっている。
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== 漢(かん)の時代 ==
[[ファイル:Transasia trade routes 1stC CE gr2.png|thumb|600px|西暦1世紀ごろのアジアの主な交易ルート。シルクロードと、ほぼ同じ。画面右の SINAE(中国) から、画面左上の EUROPE(ヨーロッパ) をつなぐ陸路が、シルクロード。]]
秦にかわって、<span style="font-size: large;">漢</span>(かん)という国が中国を統一したのが紀元前202年である。こうして漢という王朝ができた。
 
漢は勢力を広げ、武帝(ぶてい、皇帝の人名)の時代には朝鮮半島にも勢力を広げ、朝鮮半島に楽浪郡(らくろうぐん)を置いた。また、中央アジアにも支配を広げた。商業では、西アジアと中国の交易もさかんになった。のちの時代に、この貿易の経路が'''シルクロード'''と言われるようになる。ローマ帝国などのヨーロッパの生産物も、この'''シルクロード'''を伝って、中国に伝わっていったと考えられている。
 
漢の時代に、紙(かみ)の発明があり、歴史書なども多く書かれた。