「中学校社会 歴史/鎌倉時代」の版間の差分

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阿氐河荘の農民の訴えを記述。その他、鎌倉仏教の画像を追加。
画像を追加。円覚寺の舎利殿など。
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=== 源平の内乱 ===
[[ファイル:Minamoto no Yoritomo.jpg|250px|thumb|源頼朝(みなもとの よりとも)と伝えられる人物画。]]
[[ファイル:Gempei war-battles.png|thumb|500px|源平合戦の地図。]]
平安時代末期、政権をにぎっていた平氏(へいし)に対する不満が高まった。その中で、1180年に以仁王(もちひとおう)が挙兵し<ref>以仁王自身は平氏との戦いで敗死した。</ref>、諸国の武士に「平氏を討伐せよ」との命令を出した。同年、平治の乱(へいじの らん)に敗れて伊豆(いず)に流されていた'''源頼朝'''(みなもとの よりとも)、ついで木曽(きそ)の'''源義仲'''(みなもとのよしなか、'''木曽義仲''')らがこの命令に従って挙兵した。源頼朝は石橋山の戦い(いしばしやまの たたかい)で大敗したが、その後、有力な武士を味方に付け、鎌倉を中心に関東の支配を固めていった。<ref>このころ、源頼朝のもとに、奥州藤原氏(おうしゅう ふじわらし)のもとにいた弟の源義経(みなもとの よしつね)が合流している。</ref>頼朝は、自らは鎌倉にとどまり、かわりに弟の'''源義経'''(みなもとの よしつね)の兵をつかって、平氏を西へと追いつめていくことになる。そのころ、源義仲は平氏を京都から追い出すことに成功したが、朝廷の後白河上皇(ごしらかわじょうこう)側との対立を生じていた。後に、朝廷は源義仲追討の命令を出し、義仲は源頼朝の命を受けた'''源義経'''(みなもとの よしつね)らに滅ぼされた。一方、平氏も力を盛り返し、京都に攻め上ろうとする勢いを見せ始めた。しかし、源義経らが平氏を'''一の谷の戦い'''(いちのたにの たたかい)、および'''屋島の戦い'''(やしまのたたかい)で破り、1185年に'''壇ノ浦の戦い'''(だんのうらの たたかい)で平氏を滅亡させることに成功した。
 
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<references />
== 鎌倉幕府の成立 ==
[[File:Kamakura historical sites area Aerial photograph.1988.jpg|thumb|280px|'''現在の'''鎌倉の空中写真。南を相模湾(さがみわん)、東・西・北の三方を山に囲まれた地形である。1988年撮影の8枚を合成作成。]]
義経(よしつね)は頼朝(よりとも)と対立する。頼朝(よりとも)らによって、義経(よしつね)らは滅ぼされる。
義経らは東北地方である奥州にいる奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)をたよって東北に逃げていたので、かくまっていた奥州藤原氏も頼朝により滅ぼされる。
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===鎌倉仏教===
鎌倉時代には、武士や庶民にもわかりやすい新しい宗派が生まれ、信者を多く得ることになった。修行を重んじる禅宗(ぜんしゅう)は、武士の気風にあっていることもあり、武士に広まった。北条氏は、禅宗を保護し、宋から禅僧を招いたり、鎌倉には建長寺(けんちょうじ)や円覚寺(えんかくじ)などを建てたりそのほか各地に禅寺を建てた。
禅宗以外の浄土信仰などは、幕府や朝廷からは迫害(はくがい)も受けたが、民衆に広がっていった。
鎌倉時代の前からある、天台宗や真言宗などの宗派も、貴族などを中心に引き続き、信仰されていた。
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ファイル:Abbot_of_Watkungtaphao-Luang_Phor_Somchai.jpg|座禅するタイの僧侶
ファイル:Zazen au Centre Européen du Zen Rinzai.jpg|ヨーロッパ臨済禅センターの坐禅
File:Kamakura Budda Daibutsu front 1885.jpg|鎌倉の大仏。高徳院(こうとくいん)にある。高徳院は、浄土宗の寺院。
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=== 新しい文化 ===
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[[ファイル:Minamoto no Yoritomo.jpg|200px|thumb|似絵(にせえ)。源頼朝が描かれている。]]
絵画では、<big>似絵</big>(にせえ)という肖像画が描かれるようになった。
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== 鎌倉 ==
[[Image:Asahina kiridoshi -03.jpg|thumb|200px|left|鎌倉街道の趣を残す、朝比奈切通し(あさひなきりどおし)の付近。]]
鎌倉は、陸上では山に囲まれており、防御には向いていた。しかし、そのままでは孤立してしまうので、切通し(きりとおし)がつくられた。
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File:Engakuji-Gate-M9092.jpg|:円覚寺(えんかくじ) 山門(さんもん)。鎌倉。 円覚寺は、北条時宗が宋から禅僧の無学祖元(むがく そげん)を招いて、ひらいた寺である。国宝。
File:円覚寺正読院.JPG|:円覚寺 舎利殿(しゃりでん)。国宝。
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