「中学校国語 古文/平家物語」の版間の差分

敦盛の最後、本文を追加
(敦盛(あつもり)の最期(さいご))
(敦盛の最後、本文を追加)
== 敦盛(あつもり)の最期(さいご) ==
予備知識
 
一の谷の戦いで源氏が勝利をおさめ、平家は海上に逃れていった。
 
源氏の武将、熊谷(くまがや)が磯(いそ)のほうに進むと、なにやら立派な鎧の敵将が、これから海に逃れようとしている。
 
 
=== 本文 ===
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 汀に(みぎわに)うち上がらむとするところに、おし並べてむずと組んでどうど落ち、とっておさへて首をかかんと甲(かぶと)をおしあふのけて見ければ、年十六七ばかりなるが、薄化粧して、かねぐろなり。わが子の小次郎がよはひほどにて容顔まことに美麗なりければ、いづくに刀を立べしともおぼえず。
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熊谷、
 
「あれは大将軍とこそ見まいらせ候へ。まさなう(ノウ)も敵(かたき)に後ろ(うしろ)を見せさせたまふものかな。返させたまへ。」
 
と扇(あふぎ、オウギ)を上げて招き(まねき)ければ、招かれてとつて(トッテ)返す。
 
 汀に(みぎはに、ミギワに)うち上がらむとするところに、おし並べてむずと組んでどうど落ち、とっておさへて首をかかんと甲(かぶと)をおしあふのけて見ければ、年十六七ばかりなるが、薄化粧して、かねぐろなり。わが子の小次郎がよはひほどにて容顔まことに美麗なりければ、いづくに刀を立べしともおぼえず。
 
「そもそも、いかなる人にてましまし候ふ(そうろう)ぞ。名のらせたまへ、助けまいらせん。」
 
それよりしてこそ熊谷が発心(ほつしん、ホッシン)の思ひ(オモイ)はすすみけれ。
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=== 口語訳 ===
 
== 那須与一 ==
 
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ころは二月(にんぐわつ)十八日の酉(とり)の刻ばかりのことなるに、をりふし北風(ほくふう)激しくて、磯(いそ)打つ波も高かりけり。
 
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::現代語訳(げんだいご やく)
(※ 編集中)
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