「中学校国語 古文/平家物語」の版間の差分
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口語訳を記述中。 |
敦盛の結末。 |
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熊谷は、あまりに、(若武者が)かわいそうに感じて、どこに刀を刺してよいかも分からず、涙で目もくらみ、気も動転して、(まるで)前後も分からないようなほどに思われたけど、(けっして、いつまでも、)そうばかりもしていられないので、泣く泣く首を切ってしまった。
(熊谷は、)「ああ、弓矢を取る(武士の)身ほど、悔やまれるものはない。武芸の家に生まれさえしなければ、なんでこのようなつらい目にあったであろうか。非情にも、お
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86 行
(※ 教科書では、ここまで。このあと、以下のように続く。)
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やや久しう(シュウ)あつて(アッテ)、さてもあるべきならねば、鎧(よろい)直垂(ぼれたえ)をとつて(トッテ)、首を包まん(つつまん)としけるに、錦(にしき)の袋に入れたる笛をぞ、腰にさされたる。
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それよりしてこそ熊谷が発心(ほつしん、ホッシン)の思ひ(オモイ)はすすみけれ。
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しばらくしてから、熊谷は若武者の腰の袋の中から、一本の笛を見つける。戦場にあっても笛を手放さない優雅さに、源氏の武士たちも心を打たれる。
のちに、この若武者の正体は、平敦盛(たいらのあつもり)、大夫敦盛(たいふあつもり)であることが分かり、年は17歳であることが分かる。
このようなことから、熊谷は、出家を願う思いが強くなっていった。
== 那須与一 ==
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那須与一は、源氏のがわの兵で、弓矢の名人。
海上にいる平家の側の
そして、与一が選ばれる。
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