「中学校国語 古文/平家物語」の版間の差分

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口語訳を記述中。
敦盛の結末。
80 行
熊谷は、あまりに、(若武者が)かわいそうに感じて、どこに刀を刺してよいかも分からず、涙で目もくらみ、気も動転して、(まるで)前後も分からないようなほどに思われたけど、(けっして、いつまでも、)そうばかりもしていられないので、泣く泣く首を切ってしまった。
 
(熊谷は、)「ああ、弓矢を取る(武士の)身ほど、悔やまれるものはない。武芸の家に生まれさえしなければ、なんでこのようなつらい目にあったであろうか。非情にも、おち申しあげたものだ。」と、くりかえし嘆き(「かきくどき」=繰り返し、つぶやく。)、そでを顔に押し当てて、さめざめと泣き続けた。
 
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86 行
(※ 教科書では、ここまで。このあと、以下のように続く。)
 
 
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やや久しう(シュウ)あつて(アッテ)、さてもあるべきならねば、鎧(よろい)直垂(ぼれたえ)をとつて(トッテ)、首を包まん(つつまん)としけるに、錦(にしき)の袋に入れたる笛をぞ、腰にさされたる。
 
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それよりしてこそ熊谷が発心(ほつしん、ホッシン)の思ひ(オモイ)はすすみけれ。
 
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しばらくしてから、熊谷は若武者の腰の袋の中から、一本の笛を見つける。戦場にあっても笛を手放さない優雅さに、源氏の武士たちも心を打たれる。
 
のちに、この若武者の正体は、平敦盛(たいらのあつもり)、大夫敦盛(たいふあつもり)であることが分かり、年は17歳であることが分かる。
 
このようなことから、熊谷は、出家を願う思いが強くなっていった。
 
 
== 那須与一 ==
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那須与一は、源氏のがわの兵で、弓矢の名人。
 
海上にいる平家の側の舟から、扇(おうぎ)のついた棒の立った舟が出てきたので、疑問に思った義経が「あれは何だ?」と部下に聞いたところ、「この扇を射ってみろ、という事でしょう。おそらく、弓をいろうと出てきた義経さまを、逆に射殺してやろうという策略でしょう。それでも、部下のものに、扇を射させたほうが、よろしいでしょう。」と。
 
そして、与一が選ばれる。