「中学校国語 古文/平家物語」の版間の差分

「遠く異朝(いてう、イチョウ)をとぶらへば、」以降の口語訳。
(与一の節の口語訳を記述)
(「遠く異朝(いてう、イチョウ)をとぶらへば、」以降の口語訳。)
 
遠く異朝(いてう、イチョウ)をとぶらへば、秦(しん)の趙高(ちょうこう)、漢(かん)の王莽(おうまう、オウモウ)、梁(りゃう、リョウ)の朱伊(しうい、シュウイ)、唐(たう、トウ)の禄山(ろくざん)、これらは皆(みな)、旧主先皇(せんくわう、センコウ)の政(まつりごと)にも従はず(したがはず)、楽しみを極め(きはめ)、諌め(いさめ)をも思ひ(オモイ)入れず、天下の乱れむ事を悟らず(さとらず)して、民間の愁ふる(ウレウル)ところを知らざりしかば、久しからずして、亡(ぼう)じにし者どもなり。
 
近く本朝(ほんてう、ホンチョウ)をうかがふに、承平の将門(まさかど)、天慶の純友(すみとも)、康和の義親(ぎしん)、平治の信頼(のぶより)、これらはおごれる心もたけき事も、皆(みな)とりどりにこそありしかども、
間近くは(まぢかくは)、六波羅(ろくはら)の入道(にふだう、ニュウドウ)前(さきの)太政大臣平朝臣(タイラノアッソン)清盛公と申しし人のありさま、伝へ(ツタエ)承る(うけたまはる、ウケタマワル)こそ、心も詞(ことば)も及ばれね(およばれぬ)。
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::現代語訳(げんだいご やく)
遠く外国の(例を)さがせば、(盛者必衰の例としては)秦(しん、王朝の名)の趙高(ちょうこう、人名)、漢(かん)の王莽(おうもう、人名)、梁(りょう)の朱伊(しゅい、人名)、唐(とう)の禄山(ろくざん、人名)(などの者がおり)、これら(人)は皆、もとの主君や皇帝の政治に従うこともせず、栄華をつくし、(他人に)忠告されても深く考えず、(その結果、民衆の苦しみなどで)世の中の(政治が)乱れていくことも気づかず、民衆が嘆き訴えることを気づかず、(権力も)長く続かずに滅んでしまった者たちである。
(※ 編集中)
 
(いっぽう、)身近に、わが国(=日本)(の例)では、承平の将門(まさかど)、天慶の純友(すみとも)、康和の義親(ぎしん)、平治の信頼(のぶより)、これら(の者ども)は、おごった心も、勢いの盛んさも、皆それぞれに(大したものであり、)、(こまかな違いはあったので、)まったく同じではなかったが、最近(の例)では、六波羅の入道の平清盛公と申した人の有様(ありさま)は、(とても、かつての権勢はさかんであったので、)(有様を想像する)心も、(言い表す)言葉も、不十分なほどである。
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== 作品解説 ==
[[File:Biwa-hoshi.jpg|thumb|琵琶法師。]]
平家物語の作者は不明だが、琵琶法師などによって語りつがれた。
 
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