「中学校社会 歴史/世界恐慌と各国の対応」の版間の差分

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「満州国」というカッコつきの表記が、いくつかの教科書・参考書で見られる理由について解説。
中学校社会 歴史/第一次世界大戦 2014年10月27日 (月) 05:50‎ より、ドイツ革命について引用。
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[[ファイル:Adolf Hitler-1933.jpg|thumb|200px|left|ヒトラー]]
とくにドイツでは、第一次大戦による賠償金などもあり経済が苦しかった上に、世界恐慌により、ドイツの貨幣の価値が暴落した。このような状況により、ベルサイユ条約への不満が高まり、このベルサイユ条約への批判をかかげる政党である'''ナチス'''(ドイツ語:Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)ひきいる政治家の'''ヒトラー'''(Adolf Hitler アドルフ=ヒトラー)が、ドイツ国民の支持をあつめて、1932年の選挙では、ヒトラーひきいるナチスが政権を手にした。1934年にはドイツの憲法を無視して独裁体制をつくり、そして1935年にはベルサイユ条約からドイツは抜けた。ドイツの国民はヒトラーの、このような政策を支持した。ベルサイユ条約ではドイツの軍備が規制されていたが、条約をやめたのでドイツは再軍備(さいぐんび)をしていった。
 
 
:読者の中には「ところで、ドイツでは1900年代ごろまで、王室があったはずだけど、王室はどうなったの?」
と、思う読者もいるでしょう。
ヒトラーが最高権力者ということは、国王とか皇帝とかが、いなくなった、ということでもあります。いつ、ドイツから王制が消えたのでしょうか?(高校の範囲なので、覚えなくて良い。)
 
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[[File:Bundesarchiv Bild 183-B0527-0001-810, Berlin, Brandenburger Tor, Novemberrevolution.jpg|thumb|400px|ドイツ革命  革命派の兵士を乗せているトラックが、首都ベルリンの入口のブランデンブルク門を通過している。]]
じつは、第一次世界大戦の終わりごろ、ロシア革命後のヨーロッパのドイツで革命が起き、ドイツの王制が終わります。国王のヴィルヘルム2世(ドイツ語:Wilhelm II.)は「皇帝」を名乗っていたので、ドイツで帝政が終わったことになります。ドイツで皇帝は退位させられ、皇室も廃止されます。これが、'''ドイツ革命'''(ドイツかくめい、独: Novemberrevolution, 英: German Revolution of 1918–19)です。(高校の範囲なので、覚えなくて良い。)
 
きっかけは第一次世界大戦の終わりごろの1918年11月3日にドイツのキール軍港で水兵の反乱が起き、その反乱がもとに革命が広がります。そしてドイツで皇帝が退位させられて、ドイツは議会制を中心とした国になります。
 
こうしてドイツは共和国になりました。
 
 
ドイツ革命は「革命」と言っても、ロシア革命とはちがい、経済が共産主義にはなっていません。ドイツ革命は市場経済を否定していません。皇帝だったヴィルヘルム2世も処刑はされておらず、革命後のヴィルヘルム2世はオランダで人生を過ごすことになります。
 
 
ドイツで皇室が消えたことにより議会の力が強まったという背景が、政治家ヒトラーが台頭(たいとう)しやすかったという理由の一つでしょう。
 
 
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