「高等学校国語総合/伊勢物語」の版間の差分

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「東下り」の本文
口語訳を記述中。
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*伊勢物語とは
歌物語。作者不詳。平安時代に成立だが、くわしい成立年は不詳。主人公は、'''在原業平'''(ありわらの なりひら)らしい人物であり、伊勢物語全体として業平の一代記のような構成になっている。伊勢物語の段数は約百二十五段からなり、和歌を約二百首ふくむ。各章段が和歌を中心とした、独立した短い物語になっている。
 
『古今和歌集』の成立(905年)の以前に『伊勢物語』の原型は成立したが、『古今和歌集』以降にも追記されている。
 
在原業平は『古今和歌集』での代表的な歌人の一人になっている。
 
== 芥川(あくたがは) ==
*大意
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昔、男ありけり。その男、身を要(えうなきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方(かた)に住むべき国求めに。」とて行きけり。もとより友とする人、一人、二人して行きけり。道知れる人もなくて惑ひ(まどい)行きけり。三河(みかわ)の国八橋(やつはし)といふ所に至りぬ。そこを八橋と言ひけるは、水ゆく川の'''蜘蛛手'''(くもで)なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ八橋といひける。
 
その沢のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯(かれいい)食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。
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とよめりければ、みな人、乾飯の上に涙落としてほとびにけり。
 
行き行きて、駿河(するが)の国にいたりぬ。
 
宇津(うつ)の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗きに、蔦(つた)・楓(かえで)は茂り、もの心細く すずろなる目を見ることと思ふに修行者(すぎょうざ)会ひたり。
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富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。
 
:時知らぬ 山は富士の嶺(ね) いつとてか 鹿の子(かのこ)まだらに 雪のふるらむ
 
その山は、ここにたとへば、比叡(ひえ)の山を二十(はたち)ばかり重ね上げたらむほどして、なりは塩尻(しおじり)のやうになむありける。
 
なほ行き行きて、武蔵(むさし)の国と下総(しもつふさ)の国との中に、いと大きなる川あり。それをみだといふ。そののほとりに群れゐて 思ひやれば、限りなく遠くも来(き)にけるかなとわび合へるに、渡し守、「はや舟に乗れ。日も暮れぬ。」と言ふに、乗りて渡らむとするに、
みな人もの侘しくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さる折りしも、白き鳥の、嘴(はし)と脚と赤き、鴫(しぎ)の大きさなる、水の上に遊びつつ魚(いお)を喰ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡守に問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、
 
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昔、(ある)男がいた。その男は、わが身を役に立たないものと思い込んで、「京には、おるまい、東国のほうに住める国を探しに(行こう)。」と思って出かけた。以前から友人とする者一人二人といっしょに出かけた。(一行の中には)道を知ってる人もいなくて、迷いながら行った。
 
三河(みかわ)の国の八橋(やつはし)という所についた。そこを八橋といったのは(=「八橋」という理由は)、水の流れているのがクモの足のように八方に分かれているので、橋を八つ渡してあるので八橋といった(のである)。(一行は、)その沢のほとりの木陰に、(馬から)下りて座って、乾飯(かれいい)を食べた。
 
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*語句
 
:三河の国 - 現在の愛知県の東部。
:八橋 - 現在の愛知県の知立(ちりゅう)市、八橋。
:'''蜘蛛手'''(くもで) - クモの脚のように水流などが四方八方に分かれるさま。
:乾飯 - 携帯用の干した飯。水や湯で戻してから食べる。
[[ファイル:杜若 勧修寺.JPG|thumb|かきつばた]]
:かきつばた - アヤメ科の植物。
:武蔵(むさし)の国 - 現在の東京都・埼玉県と神奈川県の一部。
:下総(しもつふさ)の国 - 現在の千葉県北部と茨城県の南部。
:すみだ河 - 現在の東京都の東部を流れる隅田川。
:駿河の国 - 現在の静岡県の中央部。
:宇津の山 - 現在の静岡県にある宇津ノ野(うつのや)峠。
:修行者 - 仏道修行のため、諸国をめぐり歩く僧侶。
:鹿子(かのこ)まだら -
:比叡(ひえ)の山 - 現在の京都と滋賀県の境にある山。
 
=== 品詞分解 ===