「高等学校古典B/大鏡」の版間の差分

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口語訳を記述中
口語訳を記述中
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=== 二 ===
*大意
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== 山院の出家 ==
=== 一 ===
*大意
花山院(かさんいん)天皇は、十七歳で天皇に即位し、十九歳で退位し出家した。天皇としての在位は二年間。出家後、二十二年間を生存した。
 
*本文/現代語訳
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=== 二 ===
*大意
出家予定の夜、天皇は、月が明るいから目立つとして、出家をためらうが、粟田殿(=藤原道兼)は、天皇の出家をせきたてる。また、天皇が手紙を取りに戻ろうとしたので、粟田殿は、さらにうそ泣きをしてまで、天皇を出家にせかす。
 
*本文/現代語訳
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=== 三 ===
*大意
天皇が花山寺へ行く途中、陰陽師(おんみょうじ)の安倍清明(あべの せいめい)の家の前を通る。清明は、家の前を天皇が通っていることに気づいていない。陰陽師である清明は、天変によって、天皇が退位なさったことを察知する。その事を告げる清明の声が、ちょうど家の前を通っていた天皇にも聞こえ、天皇は自らの運命を感慨深く感じる。
 
清明は式神を宮中に行かせようとするが、式神からの報告で、天皇が家の前を通った事を報告される。
 
*本文/現代語訳
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=== 四 ===
*大意
花山寺に到着して、天皇が剃髪し終わっても、粟田殿(=道兼)は出家しなかった。天皇は、だまされたと知り、お泣きになる。だまされたとは、どういうことかと言うと、実は以前から、もし天皇が出家したら粟田殿も一緒に出家する、と粟田殿は約束していたのであった。
 
さて、この間、粟田殿の父である東三条殿は、粟田殿が無理やりに出家させられないようにするため、手下の者に天皇・粟田殿を見張りらせていた。護衛という名目で見張りは行われており、天皇・粟田殿の一行(いっこう)が都から寺までの移動する間と、一行が寺にいる間に、一行の見張りとして手下の者を付けさせていた。
 
*本文/現代語訳
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 花山寺におはしましつきて、御髪(みぐし)おろさせたまひて後にぞ、粟田殿は、「まかり出でて、大臣(おとど)にも、変はらぬ姿、いま一度(ひとたび)見え、かくと案内(あない)申して、必ず参りはべらむ。」と申したまひければ、「朕(われ)をば謀るなりけり。」とてこそ泣かせたまひけれ。あはれに悲しきことなりな。日ごろ、よく、「御(み)弟子にて候はむ(さぶらはむ)。」と契りて、すかしまうしたまひけむがお恐ろしさよ。東三条殿(とうさんでうどの)は、「もしさることやしたまふ。」と、危うさ(あやふさ)に、さるべくおとなしき人々、何がしかがしといふいみじき源氏(げんじ)の武士(むさ)たちをこそ、御送りに添へられたりけれ。京のほどはかくれて、堤(つつみ)の辺よりぞうち出でまゐりける。寺などにては、「もし、押して、人などやなしたてまつる。」とて、一尺ばかりの刀どもを抜きかけてぞ守りまうしける。
 
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(天皇が)花山寺にお着きになって、ご剃髪なされた後に、粟田殿は、「退出して、(父の)大臣にも、(私の出家前の)変わらない姿を、もう一度見せ、こうと事情を申し上げ、必ず(戻って)参りましょう。」と申し上げなさったので、(天皇は)「私を騙したのだな。」とおっしゃってお泣きになりました。お気の毒で悲しいことですよ。(栗田殿は)日ごろ、よく、(もし天皇が出家したら、自分も)お弟子になりましょうと約束して、だまし申し上げなさったという恐ろしさよ。東三条殿(=兼家)は、そのようなこと(=粟田殿による出家)をなさったらと心配で、しかるべき思慮分別のある人々や、誰それという優れた源氏の武者たちを、護衛として付けなさったのでした。(粟田殿が)京の(町中にいる)うちは隠れて(見張って)、堤の辺りからは姿を現して参ったのです。寺などにおいては、「万一、(誰かが)無理やり、誰かが(粟田殿が出家するように)し申し上げるのでは。」と思って、一尺ほどの刀を抜きかけてお守り申したということです。
(天皇が)花山寺にお着きになって、ご剃髪なされた後に、粟田殿は、
 
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