「高等学校古典B/大鏡」の版間の差分

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口語訳
口語訳
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一年(ひととせ)、入道殿の、大井川(おほいがは)に逍遥(せうえう)せさせたまひしに、作文(さくもん)の船、管弦(くわんげん)の船、和歌の船と分かたせたまひて、 その道にたへたる人々を乗せさせたまひしに、この大納言の参りたまへるを、入道殿、「かの大納言、いづれの船にか乗らるべき。」と のたまはすれば、「和歌の船に乗りはべらむ」とのたまひて、よみたまへるぞかし
 
「和歌の船に乗りはべらむ」とのたまひて、よみたまへるぞかし、
:小倉山あらしの風の寒ければ紅葉(もみぢ)の錦(にしき)着ぬ人ぞなき
 
申しけたまへるかひありてあそばしたりな。御自ら(みづから)も、のたまふなるは、「作文のにぞ乗るべかりける。さてかばかりの詩をつくりたらましかば、名の上がらむこともまさりなまし。口惜しかりけるわざかな。さても、殿の、『いづれにかと思ふ。』とのたまはせしになむ、われながら心おごりせられし。」とのたまふなる。一事(ひとこと)のすぐるるだにあるに、かくいづれの道も抜け出でたまひけむは、いにしへも侍らぬことなり。
 
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ある年、入道殿(=道長)が大井川で舟遊びをしなさったとき、(舟を三つ用意させ、)(漢詩を作る)作文(「さくもん」)の舟、管弦の舟、和歌の舟と分けなさって、それぞれの道に優れた人々を乗せなさったときに、この大納言(=藤原公任)が参上なさって、入道殿(=道長)は、「あの大納言は、どの舟に乗りなさるだろうか。」とおっしゃったところ、(大納言は)「和歌の舟に乗りましょう。」とおっしゃって、お詠みになったのですよ。
 
:小倉山やその対岸の嵐山からの吹き降ろしの風が(強くて)寒いので、(紅葉が落ちてしまい、)紅葉の錦を着ない人はいない
 
(大納言は、自分から)願い出ただけあって、上手にお詠みになるなあ。(大納言)本人がおっしゃるには、「作文の舟にこそ乗るべきだったなあ。それで、これほど(=この和歌ほど)の漢詩を作ったならば、さらに名声が上がるだろうに。残念だったかな。それにしても、入道殿の、『どれにするかと思うか。』とおっしゃられたのには、自分ながら得意気に感じてしまったよ。」とおっしゃられる。一つの事ですら優れているの(で立派なの)に、このように、いずれの道でも抜け出ていることは、昔にも無いことです。
 
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=== 二 ===
*大意
 
*本文/現代語訳
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帥殿の、南院にて、人々集めて弓あそばししに、この殿渡らせたまへれば、思ひかけずあやしと、 中の関白殿 思し驚きて、
いみじう饗応しまうさせたまうて、下臈におはしませど、前に立てたてまつりて、まづ射させたてまつらせたまひけるに、帥殿、矢数いま二つ劣りたまひぬ。中の関白殿、また御前にさぶらふ人々も、「いま二度延べさせたまへ。」と申して、延べさせたまひけるを、やすからずおぼしなりて、「さらば、延べさせたまへ。」と仰せられて、また射させたまふとて、仰せらるるやう、「道長が家より帝・后立ちたまふべきものならば、この矢あたれ。」と仰せらるるに、 同じものを中心にはあたるものかは。次に、帥殿射たまふに、いみじう臆したまひて、御手もわななく故にや、的のあたりにだに近く寄らず、無辺世界を射たまへるに、関白殿、色青くなりぬ。また入道殿射たまふとて、「摂政・関白すべきものならば、この矢あたれ。」と仰せらるるに、はじめの同じやうに、的の破るばかり、同じところに射させたまひつ。饗応し、もてはやしきこえさせたまひつる興もさめて、こと苦うなりぬ。父大臣、帥殿に、「なにか射る。な射そ、な射そ。」と制したまひて、ことさめにけり。今日に見ゆべきことならねど、人の御さまの言ひ出で給ふことのおもむきより、かたへは臆せられ給ふなんめり。
 
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*語句(重要)
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*語注
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== 弓争ひ ==
=== 一 ===
*大意
帥殿(そちどの)(=藤原伊周(これちか))の開いた弓の競射に、道長(みちなが)は招待されてないのに、勝手に道長はやってきた。とりあえず道長にも矢を射させたら、道長の射た矢が良く当たる。
いっぽう、帥殿(そちどの)の矢は、道長よりも当たった本数が二本ほど少なかった。
 
負けを嫌った伊周(これちか)たちが延長をしたところ、道長は今度は自分の家の繁栄を願った発言とともに射ると、的の真ん中に、二本の矢とも当たった。
 
伊周の父である中関白殿(=藤原道隆(みちたか))は、伊周が二本目を射ようとするとき「もう射るな。」と止めて、その場が白けてしまった。
 
*本文/現代語訳