「高等学校古典B/大鏡」の版間の差分

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口語訳
語注を記述
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一年(ひととせ)、'''入道殿'''の、大井川(おほいがは)に逍遥(せうえう)せさせたまひしに、作文(さくもん)の船、管弦(くわんげん)の船、和歌の船と分かたせたまひて、 その道にたへたる人々を乗せさせたまひしに、この大納言の参りたまへるを、入道殿、「かの大納言、いづれの船にか乗らるべき。」と のたまはすれば、「和歌の船に乗りはべらむ」とのたまひて、よみたまへるぞかし、
 
:小倉山あらしの風の寒ければ紅葉(もみぢ)の錦(にしき)着ぬ人ぞなき
 
申し受けたまへるかひありて'''あそばし'''たりな。御自ら(みづから)も、のたまふなるは、「作文のにぞ乗るべかりける。さて'''かばかり'''の詩をつくりたらましかば、名の上がらむこともまさりなまし。'''口惜し'''かりけるわざかな。さても、殿の、『いづれにかと思ふ。』とのたまはせしになむ、われながら心おごりせられし。」とのたまふなる。一事(ひとこと)のすぐるるだにあるに、かくいづれの道も抜け出でたまひけむは、いにしへも侍らぬことなり。
 
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30 行
 
:小倉山やその対岸の嵐山からの吹き降ろしの風が(強くて)寒いので、(紅葉が落ちてしまい、)紅葉の錦を着ない人はいない
(大納言は、自分から)願い出ただけあって、上手にお詠みになるなあ。(大納言)本人がおっしゃるには、「作文の舟にこそ乗るべきだったなあ。それで、'''これほど'''(=この和歌ほど)の漢詩を作ったならば、さらに名声が上がるだろうに。残念だったかな。それにしても、入道殿の、『どれにするかと思うか。』とおっしゃられたのには、自分ながら得意気に感じてしまったよ。」とおっしゃられる。一つの事ですら優れているの(で立派なの)に、このように、いずれの道でも抜け出ていることは、昔にも無いことです。
 
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*語句(重要)
:・入道殿 - 藤原道長(ふじわらのみちなが)。一○一九年に五十四歳のとき出家したので、こう言う。ただし、本文の出来事は、出家前の出来事。「'''入道'''」とは、'''仏門に入った人'''のこと。
:・ - 。
:・逍遥(しょうよう) - 気ままにあちこちを歩き回る。
:・ - 。
:・あそばし - 動詞「す」などの尊敬語。
:・ - 。
:・かばかり - これほど、これくらい。副詞。
:・口惜し - 残念だ。
:・心おごり - 得意気になる。
:・ - 。
*語注
:・大井川 - 今でいう京都市の西部を流れる川。。
:・作文(さくもん) - 漢詩を作ること。
:・大納言殿 - 藤原公任(ふじわらのきんとう)。関白頼忠(よりただ)の子。歌人であり、『和歌朗詠集』の選者。
:・小倉山 - 大井川の北側にある山。嵐山とは、大井川を挟んで、向かい合っている。
:・あらし - 嵐山の「あらし」に、つよい風の「あらし」を掛けてる、または「荒らし」を掛けてると思われる。掛詞(かけことば)。
:・ - 。
:・ - 。
:・ - 。
:・ - 。
 
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== 弓争ひ ==
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帥殿(そちどの)の、南院(みなみのゐん)にて人々集めて弓'''あそばし'''しに、この殿わたらせたまへれば、思ひかけず'''あやし'''と、中関白殿(なかのくわんぱくどの)思し(おぼし)おどろきて、いみじう饗応(きやうよう)し申させたまうて、'''下臈(げらふ)'''におはしませど、前に立てたてまつりて、まづ射させたてまつらせたまひけるに、帥殿の矢数いま二つ劣りたまひぬ。中関白殿、また御前(をまへ)にさぶらふ人々も、「いま二度延べさせたまへ。」と申して、延べさせたまひけるを、'''やすからず'''思しなりて、「さらば延べさせたまへ。」と仰せられて、また射させたまふとて、仰せらるるやう、「道長が家より帝(みかど)・后(きさき)立ちたまふべきものならば、この矢当たれ。」と仰せられるるに、同じものを'''中心(なから)には当たるものかは'''。次に、帥殿射たまふに、いみじう臆したまひて、御手もわななく故にや、的のあたりにだに近く寄らず、無辺世界を射たまへるに、関白殿、色青くなりぬ。また、入道殿射たまふとて、「摂政・関白すべきものならば、この矢あたれ。」と仰せらるるに、初めの同じやうに、的の破るばかり、同じところに射させたまひつ。饗応し、もてはやし聞こえさせたまひつる興もさめて、こと苦う(にがう)なりぬ。父大臣(おとど)、帥殿に、「なにか射る。'''な射そ'''、な射そ。」と制したまひて、ことさめにけり。
 
入道殿、矢もどして、やがて出でさせたまひぬ。その折は左京大夫(だいぶ)とぞ申しし。弓をいみじう射させたまひしなり。また、いみじう好ませたまひしなり。
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帥殿(そちどの、=藤原伊周)が、南院で、人々を集めて、弓の競射をしてい'''なさっ'''ときに、この殿(=藤原道長)がいらっしゃったので、意外で不思議だと、中関白殿(=道隆)はお思い驚きなさって、(とりあえず、)たいそう機嫌を取って、(道長殿は、当時は)'''官位が低く'''てらっしゃったが、(競射の順番を、道長殿を)先にしなさって、まず(道長殿に)射させなさったところ、帥殿は当たった矢数が、もう二本ほど(道長よりも)負けになった。中関白殿も、また(中関白殿の)御前にお仕えする人々も、「もう二回、延長させなさいませ。」と申して延長させなさったので、(道長殿は)'''心おだやかでなく'''感じなさったが「それならば、延長しなさいませ。」とおっしゃられて、また射ようとなさって、おっしゃられることは、「道長の家から帝や后が出なさるならば、この矢よ当たれ。」とおっしゃられたところ、(当たるという点では)同じ当たるでも(今度の矢は)真ん中に当たるではありませんか。次に、帥殿が射なさるところ、たいそう気後れなさって、お手も震えなさったのだろうか、(放った矢は)的の付近にさえ近寄らず、とんでもない方向を射なさってしまったので、関白殿は顔色が青ざめた。再び、入道殿(=道長)が射なさるときに「(もし私が)摂政・関白をするはずならば、この矢よ当たれ。」とおっしゃられると、初めと同じように、的が壊れるほど、同じ所に射当てなさった。(道長殿の)機嫌を取り、もてなしていた興もさめて、気まずくなってしまった。
 
父の大臣は、帥殿に、「どうして射るのか(←反語)射るな、射るな。」と止めなさって、(場が)しらけてしまった。
 
道長殿は矢をもどして、すぐにお帰りになりました。(道長殿の呼び名は)その時は左京大夫と申した。弓をたいへん上手にお引きになさったのでした。また、たいそうお好きでいらっしゃったのでした。
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*語句(重要)
:・あそばし - 動詞「す」の尊敬語
:・あやし - 不思議だ
:・下臈(げろう) - 官位の低い者
:・臆す - 気後れする
:・'''中心(なから)には当たるものかは''' - 「かは」は反語や詠嘆の終助詞。ここでは詠嘆。
:・'''な射そ''' - 「な・・・そ」で、「・・・するな」の意味。「な」は副詞、「そ」は終助詞。
 
*語注
:・帥殿 - 藤原伊周(これちか)
:・南院(みなみのゐん) - 二条邸の一部。
:・ - 。
:・この殿 - 藤原道長
:・中の関白殿 - 藤原道隆。伊周の父。
:・饗応し - 機嫌を取り、もてなし。
:・入道殿 - 藤原道長。この弓争いの時点では、まだ道長は出家してないが、『大鏡』では、道長のことを入道と呼ぶ場合がある。
:・けにや - 「故(け)にや」で、意味は「・・・のため」「・・・のせい」。「に」は断定の助動詞、「や」は係助詞。
:・無辺世界 - 仏教語で、何も無い世界のこと。この作品では、とんでもない方向のこと。
:・ - 。
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次の帝(みかど)、花山院(くわさんいんの)天皇と申しき。(※ 中略) 
 
永観二年八月二十八日、位につかせたまふ。御年十七。寛和二年丙犬六月二十二日の夜、'''あさましく'''さぶらひしきことは、人にも知らせたまはで、'''みそかに'''花山寺におはしまして、御出家入道させたまへりこそ。御年十九。世をもたせたまふこと二年。その後二十二年おはしましき。
 
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次の帝は花山院(かさんいん)天皇と申しあげた。(※ 中略) 
 
永観二年八月二十八日に、(天皇の)位におつきになられました。御年(おんとし)は十七歳。寛和二年丙犬(の干支の年の)六月二十二日の夜、'''意外で'''驚きましたことは、人にもお知らせにならず、'''ひそかに'''花山寺においでになって、ご出家入道しなさったことです。御年は十九歳。(帝として)世をお治めになること二年。(ご出家なされてから)そののち二十二年(ご存命で)いらっしゃった。
 
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*語句(重要)
:・おはしまし - 動詞「おはします」は尊敬語であり、「行く」「来」「ある」などの意味で用いられる。
:・みそかに - こっそりと。ひそかに。
:・あさまし - 意外だ。
:・ - 。
 
:・ - 。
:・ - 。
:・ - 。
*語注
:・花山院(かさんいん) - 花山天皇。(在位: 九八四年 ~ 九八六年。)。
:・ - 。
:・ - 。
:・ - 。
:・ - 。
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あはれなることは、降り(おり)おはしましける夜(よ)は、藤壺(ふぢつぼ)の上の御局(みつぼね)の小戸(こど)より出(い)でさせたまひけるに、有明(ありあけ)の月の明かかりければ、「顕証(けしやう)にこそありけれ。いかがすべらむ。」と仰せられけるを、「さりとて、止まらせたまふべきやう侍らず(はべらず)。神璽(しんし)・宝剣渡りたまひぬるは。」と粟田(あはた)殿の騒がし申したまひけるは、まだ帝(みかど)出でさせおはしまさざりける先(さき)に、手づからとりて、春宮(とうぐう)の御方(かた)に渡したてまつりたまひてければ、帰り入(い)らせたまはむことはあるまじく思して(おぼして)、しか申させたまひけるとぞ。
 
 '''さやけき'''影を、まばゆく思し召しつるほどに、月のかほにむら雲のかかりて、少し暗がりゆきければ、「わが出家(すけ)は成就(じやうじゆ)するなりけり。」と仰せられて、歩み出でさせたまふほどに、弘徽殿(こきでん)の女御(にようご)の御文(ふみ)の、日ごろ、破り(やり)残して御身もはなごらん放たず御覧じけるを思し召し出でて、「しばし。」とて、取りに入りおはしましけるほどぞかし、粟田殿の、「いかに、かくは思し召しならせおはしますぬるぞ。ただ今過ぎば、おのづから障りも出でまうで来なむ。」と、そら泣きしたまひけるは。
 
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しみじみと心痛む思いのすることは、ご退位なさった(その日の)夜は、藤壺の上の御局(みつぼね)の小戸(こど)からお出になったところ、有明の月がたいそう明るかったので、「目立つなあ。どうしたものか。」とおっしゃられたのを、「そうだといって、ご中止なさるわけにはいきません。神璽(しんし)・宝剣は(皇太子に)お渡りになってしまいましたからには。」と、粟田殿(=藤原道兼)がせきたて申し上げるのは、(実は)まだ天皇がお出ましにならなかった前に、(粟田殿が)自ら自身の手で、(神璽と宝剣を)春宮のお方にお渡しになってしまったので、(天皇が宮中へ)お帰りなさることはあてはならないことだとお思いになって、そのように申し上げなさったということです。
 
'''明るい'''月の光を、まぶしくお思いになっていたうちに、月の表面にむら雲がかかって、少し暗くなっていったので、「私の出家は成就するのだなあ。」とおっしゃって、歩き出しなさるしだいに、弘徽殿(こきでん)の女御(にようご)のお手紙の、ふだん、破り捨てずに残して、御身から離さずにご覧になったいたのを思いだしなさって、「しばらく(待て)。」と言って、取りにお入りなさった時ですよ、粟田殿の、「どうして、このようにお思いになっしゃいますのか。ただ、今が過ぎたら、自然と差し障りも出て参るでしょう。」と言って、うそ泣きをしなさったのは。
 
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*語句(重要)
:・有明(ありあけ)の月 - 陰暦十六日以降の月。
:・ - 。
:・さやけき - 明るい
:・ - 。
:・ - 。
*語注
:・藤壺の上の御局 - 清涼殿の北側にある、后妃のための部屋。
:・ - 。
:・顕証に - あらわで、はっきりしているさま。
:・ - 。
:・神璽・宝剣 - 三種の神器のうちの、二つの、勾玉(まがたま)と天叢雲剣(あめのぬらくものつるぎ)。なお、三種の神器のもう一つは、八咫鏡(やたのかがみ)。
:・ - 。
:・粟田殿 - 藤原道兼(みちかね)。( 生没: 九六一 ~ 九九五 )。兼家の子。「粟田」とは屋敷の名前。当時、蔵人(くろうど)として花山天皇の従者だった。
:・ - 。
:・春宮(とうぐう) - 円融(えんゆう)天皇の皇子。のちの一条天皇。母は、兼家の娘の詮子(せんし)。「東宮」とも書く。
:・弘徽殿の女御 (こきでんのにょうご) - 花山天皇の女御。本文の前年の九八五年に病死。
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=== 三 ===
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さて、土御門(つちみかど)より東(ひんがし)ざまに率(ゐ)て出だしまゐらせたまふに、晴明(せいめい)が家の前をわたらせたまへば、みづからの声にて、手をおびただしく、はたはたと打ちて、「帝おりさせたまふと見ゆる天変ありつるが、すでになりにけりと見ゆるかな。まゐりて'''奏(そう)せむ'''。車に装束(せうぞく)とうせよ」といふ声聞かせたまひけむ、さりともあはれに思し召しけむかし。「かつがつ、式神(しきじん)一人内裏(だいり)にまゐれ。」と申しければ、目には見えぬものの戸を押し開けて、御後ろをや見まゐらせけむ、「ただ今これより過ぎさせおはしますめり。」といらへけりとかや。その家、土御門町口(まちぐち)なれば、御道なり。
 
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さて、土御門から東のほうにお連れ出し申し上げなさったところ、(陰陽師の安倍)清明の家の前をお通りになさり、(清明)自身の声で、手を激しくパチパチと叩いて、「天皇が退位なさると思われる天変があったが、既に成立してしまったと思われることだ。参内(さんだい)して奏上しよう。車に支度を早くせよ。」と言う声を(天皇は)お聞きになっただろう、そうだからとは言え(=天皇の覚悟の上の出家だとは言え)感慨深くお思いになっただろうよ。(清明が)「とりあえず、式神一人、宮中へ参上せよ。」と申したので、目には見えないものが(清明の家の)戸を押し開けて、(天皇の)お後ろ姿を見申し上げたのだろうか、「たった今、ここを通り過ぎたようです。」と答えたとかいう事です。その(清明の)家は、土御門町口にあるので、(天皇が花山寺へ向かう際の)お道筋なのであった。
 
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*語句(重要)
:・'''奏(そう)せむ''' - 「奏す」(そうす)は、参上する、申し上げる。天皇・上皇に申し上げる場合にのみ使う。
:・ - 。
 
:・ - 。
 
:・ - 。
*文法
:・ - 。
:率(ゐ)て出だし'''まゐら'''せ'''たまふ'''
::「まゐらす」は謙譲語であり、花山天皇に対する敬意。謙譲語は動作の受け手への敬意。この場合、連れ出された人物は花山天皇だから。
::「たまふ」は尊敬語であり、粟田殿に対する敬意。尊敬語は動作者への敬意。
 
*語注
:・土御門(つちみかど) - 土御門大路。
:・ - 。
:・式神(しきじん) - 陰陽師が操る鬼神。
:・ - 。
:・ - 。
:・ - 。
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 花山寺におはしましつきて、御髪(みぐし)おろさせたまひて後にぞ、粟田殿は、「まかり出でて、大臣(おとど)にも、変はらぬ姿、いま一度(ひとたび)見え、かくと案内(あない)申して、必ず参りはべらむ。」と申したまひければ、「朕(われ)をば謀るなりけり。」とてこそ泣かせたまひけれ。あはれに悲しきことなりな。日ごろ、よく、「御(み)弟子にて候はむ(さぶらはむ)。」と契りて、'''すかし'''まうしたまひけむがお恐ろしさよ。東三条殿(とうさんでうどの)は、「もしさることやしたまふ。」と、危うさ(あやふさ)に、さるべく'''おとなし'''き人々、何がしかがしといふいみじき源氏(げんじ)の武士(むさ)たちをこそ、御送りに添へられたりけれ。京のほどはかくれて、堤(つつみ)の辺よりぞうち出でまゐりける。寺などにては、「もし、押して、人などやなしたてまつる。」とて、一尺ばかりの刀どもを抜きかけてぞ守りまうしける。
 
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(天皇が)花山寺にお着きになって、ご剃髪なされた後に、粟田殿は、「退出して、(父の)大臣にも、(私の出家前の)変わらない姿を、もう一度見せ、こうと事情を申し上げ、必ず(戻って)参りましょう。」と申し上げなさったので、(天皇は)「私を騙したのだな。」とおっしゃってお泣きになりました。お気の毒で悲しいことですよ。(栗田殿は)日ごろ、よく、(もし天皇が出家したら、自分も)お弟子になりましょうと約束して、'''だまし'''申し上げなさったという恐ろしさよ。東三条殿(=兼家)は、そのようなこと(=粟田殿による出家)をなさったらと心配で、しかるべき'''思慮分別のあ'''る人々や、誰それという優れた源氏の武者たちを、護衛として付けなさったのでした。(粟田殿が)京の(町中にいる)うちは隠れて(見張って)、堤の辺りからは姿を現して参ったのです。寺などにおいては、「万一、(誰かが)無理やり、誰かが(粟田殿が出家するように)し申し上げるのでは。」と思って、一尺ほどの刀を抜きかけてお守り申したということです。
 
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:・ - 。
:・ - 。
:・すかし申し - 「すかす」=だます。
:・ - 。
:・おとなし - 思慮分別のある
*語注
:・花山寺 - 今でいう京都市 山科(やましな)区 北花山 にあった寺。今の元慶寺(がんぎょうじ)。
:・ - 。
:・東三条殿(とうさんじょうどの) - 藤原兼家(かねいえ)。「東三条」とは屋敷の場所から。
:・ - 。
:・一尺 - 約三十センチメートル
:・ - 。