「大学生活ガイド/理系」の版間の差分

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学習全般 2015年3月25日 (水) 05:54‎ より、参考書の使い方について。
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しかし、企業は、理論研究者の好みなんか、重視する気はありません。
企業が重視するのは、その企業自身の好みです。そもそも、就職する学生を雇ってあげて、新卒学生に給料を払ってあげるのは企業なのですから、どうして企業が金を払わない他人の好みなんかに合わせる必要があるのでしょうか?
 
== 参考書の範囲はテストに出ない場合が多い ==
=== 大学側は正しい ===
大学入学後の定期テストでは、大学指定の教科書を定期テストの試験範囲とする場合が多いので、せっかく独学の参考書用として指定外の学術書を買って読んでも、その参考書の内容が試験範囲外なので、参考書は定期テスト対策としては非効率である。
 
大学を擁護すると、小中高の文部省の教科書検定と違い、大学では教科書の基準が各社ごとにバラバラだし、高校の普通科などと違って大学は学科の種類も多いので、教科書・参考書用の本の種類も多く、いちいち自校で教科書指定してない参考書まで、内容を検証してるヒマは無い。
 
日本の大学での現代の教科書は、日本の現代の実情に適しており、合理的な教科書なのである。たとえば情報工学とかバイオテクノロジーとか、進歩の急激な学問の教科書を連想すれば、分かるだろうか。たとえばDNAが発見される前の時代の古典の生物学書を読んだとしても、大学生の生物学の勉強には合わないだろう。
 
また、教科書を書く学者や出版者たちが、世界経済の現状に対応し続けた本を出し続けるには、お金が掛かる。だから、学生も、お金を出して、教科書(大学指定の教科書)を買うしかない。
小中高の検定教科書だって、じつは税金が使われている。執筆者や出版社などが、お金を掛けて、最新の知見を取材・調査などして検定教科書に反映しているのである。
 
学校の図書館で教科書を「借りよう」という方法はマズイ。「借りよう」という方法だと、定期テスト前などは「貸出中」になっていたりして、テスト対策が勉強できなくなったりする。
 
いっぽう古典的名著などは、入手こそしやすいが、現代の社会には内容が合っていない。
 
文科系の学生への教養課程の教科書や参考書などとしては、古典の文化的影響などから古典的名著が授業中に紹介される場合もある。しかし、理系学科での場合、より現代に近い学力が要求されるので、古典的名著は知名度とは裏腹に、理系大学の教科書には、なりずらい。
 
日本国民の多くは、何だかんだで、学校でテスト範囲などとして指定されない学術書は、まず読まないのである。読んだとしても、精読しない、検証しない場合が多いだろう。たとえば近所の書店の参考書コーナーに行っても、大学入試までの本しか売ってない地域がほとんどだろうし、高校生用の本ですら入試に出ない教科の学術書は少ない。
 
あなたは、書店で、高校生用の保健体育の本とか、高校生用の美術・音楽・家庭科の本とかを、書店で見た事がありますか?
 
中学生・高校生が受験参考書を読む理由だって、しょせんは「受験の出題範囲だから」という、出題範囲かどうかという理由である。
 
そして企業が、そのような大学の卒業生を大卒待遇として高卒よりも高収入で雇い入れるのだから、結局は日本国民の学問の関心に、大学側の対応も比例してるのである。
 
わが国は民主主義国であって、よって国民の大多数は長期的には合理的だろうという主義信条であるから、そのような国民の要望に対応している企業も正しいし、そのような企業の要望に対応している大学も正しい。
 
=== 現状の解説 ===
大学入学後の定期テストでは、大学指定の教科書を定期テストの試験範囲とする場合が多いので、せっかく独学の参考書用として指定外の学術書を買って読んでも、その参考書の内容が試験範囲外なので、参考書は定期テスト対策としては非効率である。
 
ただし、教員が、授業中に紹介するなどした場合は別である。また、教科書以外の本を教員がシラバスや授業や紹介し「参考文献」「推奨文献」などとしている場合は別である。
とはいえ、たとえ教員が「参考文献」「推奨文献」などとしてシラバスなどで紹介した文献の場合であっても、授業中にその推奨文献の内容を時間を掛けて講義してない場合とか、宿題として要求してない場合、単にシラバスなどで紹介しただけであったりして、テストに出ない場合もある。
 
教員が紹介した場合ではなく、自分で選んで参考書用に買った本の場合、たとえ有名な本であっても、もし参考書が学校指定で無ければ、その参考書の内容は定期テストには出なかったりする。
 
具体的に言うと、物理学の学術書として世界的に有名な『ファインマン物理学』を勉強しても、通う大学の教科書に指定されてないかぎり、たとえファインマン物理で熱心に説明されてる物理知識でも、あまり定期テストに出ないだろう。
 
世界的な名著であっても、ファインマンの前提としてアメリカのカリキュラムが、日本の教育には合っておらず、あまり日本の理系大学ではファインマン物理は教科書に指定されない。
 
同様に、日本で大学生用の数学書として有名な『解析概論』(著:高木貞治)などを勉強しても、通う大学の教科書に指定されてないかぎり、まず定期テストに出ないだろう。
 
解析概論は明治時代ごろの数学書であり、現代の科学に関する知見は少なく、「現代の多くの学生への入門教育には適していないだろう」というような判断から、大学では教科書になりづらいのだろう。
 
それどころか、たとえ学校指定の教科書ですら、授業で習ってない範囲はテスト範囲外なので、まず出ないし、教員からしても出したくても出せない。逆に、教科書に書いてなくても、授業で紹介した問題をテストに出す。
 
たとえば1年の物理学科や工学部とかでの微分積分の前期(春~夏)のテストなら、授業で講義した範囲が偏微分までであり重積分をまだ習ってなければ、前期の期末テストに偏微分は出るだろうが、同じ教科書の後半に書いてある重積分はテストに出ないだろう。
 
つまり参考書よりも教科書がテストに出て、教科書よりも授業がテストに出るのである。
 
大学教授が「授業に頻繁に出てる学生ほど成績が良い」などと主張するのは、単に、その教員が授業で紹介した内容が、重点的に定期テストに出題されるからであろう。
 
数学科では、出席を取らないのが伝統らしいが、そんな学科は少数派である。
 
また大学では学校指定の教科書も厚いので、教科書の復習にも多くの時間を取られ、よって参考書用の本まで読み込んでいるヒマが足りない。大学の教育も、参考書などの活用までは対応してない。このように大学の各科目は試験範囲が狭いぶん、そのぶん定期テスト問題の難度が高い場合が多いので、ますます定期テスト対策として学校指定の教科書のみを利用する傾向が高まる。
 
大学カリキュラム改革などの仕事は教授などの仕事であり、学生の仕事ではない。学生は、教科書と授業での勉強に専念すればよい。
 
そもそも若いうちは仕事よりも学業に専念するべきだろう・・・少なくとも保護者は、そう考えて、子供に学費を出しているのだろう。
 
福沢諭吉だって『学問のすすめ』を書いている。学問しないと、知識が少ないから、騙されやすくて、大変なことになりますよ。