「量子力学」の版間の差分

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量子論に関わる歴史的な事柄について整理しましょう(一般の物理学や自然科学の歴史については[[w:物理学|物理学]]、[[w:自然科学|自然科学]]を参照)。
 
1843年から[[w:ジェームズ・プレスコット・ジュール|ジェームズ・プレスコット・ジュール]]らによって断続的に[[w:熱の仕事当量|熱の仕事当量]]の測定が行われ、特に1849年に発表された実験結果は信頼できる測定と見なされ、[[w:熱力学|熱力学]]における[[w:エネルギー保存の法則|エネルギー保存の法則]]の実験的な基礎が確立されました。1850年から1865年にかけて、[[w:ルドルフ・クラウジウス|ルドルフ・クラウジウス]]によって熱力学の理論体系が作られ、熱力学の第一法則および[[w:熱力学第二法則|第二法則]]が完全な形で示されました。1864年に[[w:ジェームズ・クラーク・マクスウェル|ジェームズ・クラーク・マクスウェル]]によって[[w:電磁気学|電磁気学]]が完成しました(マクスウェルの理論は[[w:マイケル・ファラデー|マイケル・ファラデー]]らが示した[[w:場|場]] (field) を定式化するものであり、'''[[w:場の古典論|場の古典論]]''' (classical field theory) の一つとして知られています)。同じ頃、[[w:ルートヴィッヒ・ボルツマン|ルートヴィッヒ・ボルツマン]]によって古典力学に基づいた[[w:統計力学|統計力学]]に関する基礎的な仕事がなされ、1872年には有名な[[w:ボルツマンの公式|ボルツマンの公式]]が示されました。1887年頃には[[w:ハインリッヒ・ヘルツ|ハインリッヒ・ヘルツ]]によってマクスウェルの理論の正当性が実験的に示され、光が電磁波の一種であることが明らかとなりました。これらの19世紀における発見によって、古典物理学の理論的基礎が完成しました。
 
19世紀においてはハインリッヒ・ヘルツによって発見された[[w:光電効果|光電効果]]や、低温の物質に対する[[w:デュロン=プティの法則|デュロン=プティの法則]]の破れについてそれらの原因は明らかではありませんでした。それでも何かしらの古典論的なメカニズムによってそれらの現象が説明できると素朴に思われていました。事情が異なりはじめたのは1900年12月のころ、[[w:マックス・プランク|マックス・プランク]]が[[w:プランクの法則|自身の導いた放射公式]]を'''量子仮説''' (quantum postulate) を導入することで再導出したことによると考えてよいでしょう。この時点で、プランク自身によっては量子仮説の考えは発展させられず、古典論的解釈をするに留められましたが、1905年に示された[[w:アルベルト・アインシュタイン|アルベルト・アインシュタイン]]の'''[[w:光子|光量子仮説]]''' (light quantum hypothesis) や、1913年に[[w:ニールス・ボーア|ニールス・ボーア]]によって示された'''[[w:ボーアの原子模型|ボーアの原子モデル]]''' (Bohr's atomic model) はその後の量子論の進展に大きく寄与しました。特に、ボーアの理論は[[w:アルノルト・ゾンマーフェルト|アルノルト・ゾンマーフェルト]]によって発展され、[[w:角運動量|角運動量]]の量子化と[[w:パウリの排他原理|パウリの排他原理]]、そして[[w:スピン角運動量|スピン角運動量]]の発見に繋がりました。
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===前期量子論の意義===
[[Image:Light-wave.png|thumb|right|250px|図1. 電磁波は波動である]]
先に述べた通り、古典的な電磁気理論はマクスウェルによって完成されました。古典電磁気学の基本方程式は[[w:マクスウェルの方程式|マクスウェル方程式]]と呼ばれる一組の方程式であり、この方程式から、電磁場の源となる電荷や電流が存在しない空間において、マクスウェル方程式は[[w:電場|電場]]と[[w:磁場|磁場]]に関する[[w:波動方程式|波動方程式]]となり、電磁場の変形が[[w:縦波と横波|横波]]として伝播していくことが導かれます。この空間を伝わる電磁場の振動は[[w:電磁波|電磁波]]と呼ばれます。ハインリヒ・ヘルツによる電磁波の発見は[[w:無線通信|無線通信]]への道を拓き、[[w:グリエルモ・マルコーニ|グリエルモ・マルコーニ]]らによって無線通信技術が確立されて行きました。
古典的な電磁気学は18世紀の終わりに、ファラデーやガウスが幾何学的な解析を行い、1864年にジェームズ・クラーク・マクスウェルが数学的形式として整理し導きました。電磁気学は、ニュートン力学よりもはるかに最近完成した学問です。マクスウェルの方程式は電磁波が波として伝播することを予想していますが、この予想に基づいて、ハインリヒ・ヘルツは有名な実験を行い、電磁波の伝送に成功しました。これが無線通信の始まりであり、後にマルコーニらによって無線通信が開拓されます。マクスウェルの方程式もやはり、工学的に成功した基礎方程式でした。量子力学以前の物理学では、このニュートンの運動方程式とマクスウェルの方程式によって世界が描かれていたのです。
 
光学現象を電磁気現象として説明することが可能となるなど、マクスウェルの電磁気理論は多くの成功を収めましたが、一方でその理論形式がニュートン力学で成り立つ[[w:ガリレイ変換|ガリレイ変換]]に対する不変性を持たないことが問題となりました。マクスウェルの理論と整合する力学理論の追求は19世紀末から[[w:ジョージ・フィッツジェラルド|ジョージ・フィッツジェラルド]]や[[w:ヘンドリック・ローレンツ|ヘンドリック・ローレンツ]]らによってなされ、最終的な物理的解釈とその基礎付けは1905年にアインシュタインによってなされ、今日この理論は[[w:特殊相対性理論|特殊相対性理論]]としてして知られています。
しかし、この二つの基礎方程式に疑問を呈する観測事実が複数発見されます。これらの発見のいくつかが、実学的な研究におけるものだったことは興味深いことです。
 
また、古典電磁気学において、電磁場は流体に喩えられるように時間的・空間的に連続に存在するものと考えられていますが、そのように考えるとうまく説明できないような現象が次第に認識されるようになってきました。最も有名なものとして、[[w:黒体|黒体放射]]と[[w:光電効果|光電効果]]が挙げられます。これらの現象は、電磁場を量子化する、つまり離散的な対象として捉え直すことで説明されます。電磁場を量子化するという最初のアイデアは1905年にアインシュタインによって得られました。アインシュタインは同時に、光電効果が量子化された電磁場を導入することによって説明できることを示しています。
このように熱放射と光電効果に関する発見は基礎理論の発展に大きな影響を及ぼしたのですが、応用面でも、黒体放射の理論は熱放射の色から物体の温度を推定することなどに利用され、光電効果の理論は、物質の構成元素の分析や、[[w:太陽電池|太陽電池]]のような[[w:光起電力効果|光起電力効果]]を利用した装置などに利用されるなどの点で大きな役割を果たしています。
 
*黒体放射の発見(キルヒホッフによる溶鉱炉の研究から)
*光電効果の発見(ヘルツによる無線通信電磁波観測実験から)
*荷電粒子によって原子が構成されているという発見(原子モデルの議論)
*物質波の発見(光電効果におけるアインシュタインの考察に発想を得てド・ブロイが考案)
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===黒体放射===
[[Image:Iron-Making.jpg|thumb|250px|図12. 19世紀の製鉄の様子と、高炉の図(高炉は空洞放射と近似できる)]]
'''黒体''' (black body) とは、外部から入射する熱放射をあらゆる波長に渡って完全に吸収し、また放出できる物体を理想化したものです。現実の物体で黒体として振る舞うものは存在しませんが、[[w:ブラックホール|ブラックホール]]のように近似的に黒体と見なせるものは存在します。
 
黒体のような物体をそっくり用意することは容易ではありませんが、擬似的に黒体と見なせる装置を作ることは可能です。十分な大きさの空洞を持つ箱に、空洞の大きさより遥かに小さな穴を開けたものを用意します。空洞を囲む壁は光を含む一切の電磁波を遮断し、空洞の穴の有無によって空洞内部の熱力学的な状態は変化しないものとすれば、外部から穴を通して入った電磁波が、空洞内部を反射し再び穴を通って外部へ出てくることは、穴が十分に小さければ無視することができるので、この空洞は、外部から入射する電磁波を(ほぼ)完全に吸収する黒体とみなすことができます。
 
理想的な黒体放射を現実にもっとも再現するとされる空洞放射が温度のみに依存するという法則は、[[w:グスタフ・キルヒホフ|グスタフ・キルヒホフ]]により1859年に発見されました。実際には、キルヒホフは鉄を精製するための高炉の研究を行っていました(図1)2)。以来、空洞放射のスペクトルを説明する理論が研究されました。当初の研究のモチベーションは、単に放射の色から高炉内の温度を検知したいというものでしたが、19世紀も終わりに近づくと、電磁波がどのように伝達するのか、それが微視的にみればどのような現象に相当するのかという統計力学的な問題に発展しました。熱放射に関する完全な法則が見出されたのは1899年から1900年にかけてのことで、この頃に[[w:マックス・プランク|マックス・プランク]]によって[[w:プランクの法則|プランクの法則]]が発見されています。プランクの法則が発見されて以来、プランクの法則の理論的基礎付けが様々に試みられ、特に電磁場の量子論に関する発展に寄与しました。
 
プランク以前の状況について、まず、1893年[[w:ヴィルヘルム・ヴィーン|ヴィルヘルム・ヴィーン]]によって'''[[w:ウィーンの変位則|ウィーンの変位則]]'''が発見されました。ヴィーンは[[w:ボロメータ|ボロメータ]]などを用いて電磁波の放射エネルギーを測定し、黒体からの輻射のピークの波長が温度に反比例するという法則を確かめました。
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;[例題]
;(a)
[[w:質量|質量]] <math>m</math>、電荷 <math>-e</math> の電子が電荷 <math>e</math> の原子核の周りを円運動している(ただし <math>e \simeq 1.602 \times 10^{-19} ~[\mathrm{C}]</math> は[[w:電気素量|電気素量]]であり、原子核電荷 <math>e</math> を持つ物体質量電子質量 <math>m</math> に比べて充分大きく、静止していると見なせるものとする。水素原子核の質量は電子質量のおよそ 1800 倍だから、この仮定はもっともらしい)。この運動する電子が持つ全エネルギーを求めよ。
;[解]
2 つの電荷の間に働く[[w:クーロンの法則|クーロン力]]の大きさは電荷の距離 <math>r</math> に対して
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:<math> E = -\frac{m}{2}\left(\frac{e^2}{4\pi\epsilon _0}\right)^2\frac{1}{J^2}.</math>
;(c)
先に述べた水素原子に束縛された電子のエネルギースペクトル <math>E_n</math> から、それぞれのエネルギー準位に対応する角運動量 <math>J_n</math> を求めよ。また、ほとんど束縛されていない電子について、電子の公転周期が電磁波の振動周期と一致することを要請し、リュードベリ定数 <math>R</math> を求めよ。
;[解]
電子のエネルギーは、
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を得る。この関係を角運動量の式に適用すれば、
:<math>J_n = n\frac{h}{2\pi}</math>
という角運動量に関する量子条件が得られる。またこのときリュードベリ定数 <math>R</math> は、
:<math>R = \left(\frac{e^2}{4\pi\epsilon_0}\right)^2\frac{2\pi^2m}{ch^3}</math>
となる。
;(d)
<math>n=1</math> のエネルギー準位に対応する電子の軌道半径 <math>a_1=a_\mathrm{B}</math> は'''[[w:ボーア半径|ボーア半径]]''' (Bohr radius) と呼ばれる。リュードベリ定数 <math>R</math> を含まない形でボーア半径を表わせ。