「高等学校古典B/漢文/侵官之害」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
ページの作成:「越権行為(えっけんこうい)は(君主を無視して反乱などをすることにつながりかねず、)良くないことなので、たとえ臣下...」
 
性善説・性悪説との関係
59 行
 
== 儒家と法家の対比 ==
「君主は、人民への愛情ではなく、法律によって、人民を統治するべきである」「法律を徹底するため、規則に反する者は、刑罰などで、きびしく罰するべきである」とのような、統制的な感じのする思想を法家(ほうか)の思想といい、このような思想を韓非子(かんびし)は説いている。
 
仁義などを説いた儒家(じゅか)の思想とは、法家は、このような点で、対立している。
 
韓非子の生きていた時代は、戦国時代であり、また政治が複雑化していって巨大化していたため、君主が領内を把握しづらくなってきていたので、このような統制を重んじる思想が、政治家からは求められていた。
 
 
== 性善説・性悪説との関係 ==
「人の心が善人か悪人かという難問は、政治の実務にとっては大したことはなく、法律を徹底させるということこそが、君主にとっては大切である。」というような感じの考えが、韓非子(かんびし)の考えである。
 
人の心の本質は、善なのか、悪なのか、という問いかけが、中国には古くからある。
 
人の本質を善と考えている思想を'''性善説'''(せいぜんせつ)といい、儒家の'''孟子'''(もうし)などが唱えた。
 
いっぽう、いや人の本質は悪だと考えている思想を'''性悪説'''(せいあくせつ)といい、'''荀子'''(じゅんし)などが性悪説の思想家として有名である。
 
孔子などの儒家の多くは、性善説に分類される。そして、儒教的な考え方では、君子が道徳的になれば、民衆の多くも道徳的になり、政治は上手くゆくだろう、と考えるのが一般的である。
 
 
さて、韓非子(かんびし)は荀子(じゅんし)に思想を学んだ。韓非子(かんびし)は荀子(じゅんし)の弟子である。
 
韓非子(かんびし)は、素朴な儒教的な考え方を否定する。孔子など儒家の説く道徳などというのは、しょせんは個人的な好き嫌いであり、社会のことを考えて作られた法律を超越するものではない、と。
 
このような儒家を否定する韓非子の思想のため、性悪説の思想家として、韓非子が分類される場合もある。
 
戦国時代の秦王(のちに秦の始皇帝になった)は、この韓非子の時代と同じ時代か、ややあとの時代の人間であり、韓非子などの法家の思想に秦王は感激し、始皇帝の政治にも法家の思想が採用された。しかし、秦王の政治は、中国を統一するまでは、なんとか上手くいったが、始皇帝の死後に秦帝国はすぐに滅亡する。
 
 
韓非子は、けっして善意にもとづく人情の価値をすべて否定しているのではなく、人情が法律をないがしろにすることを批判しているのである。個人の人情よりも、法律のほうが客観的であり、法律を重視すべき、としたのである。
 
また、民衆にとっての道徳と、君主にとっての道徳とは違うのである、と韓非子は考えたのである。
 
たとえば、世間一般での、母親による子どもへの愛情について、韓非子が言うには、「実際に子どもを救うのは、医師や教師である。医師は病気やケガの治療によって子どもを救う。教師は、教育によって、子どもが悪人になるのを防ぎ、結果的に子どもを救うのである。医師も教師も、その子への愛情はあまり無いだろうが、しかしその子を確実に救っているのである。確かに母親の愛情は深いことは事実だろうしが、それ自体は、直接は子どもを救わないのである。」などというふうなことを述べている。
 
また、君主のありかたについて、韓非子は「君主は、人を信じてはいけない。相手は、人に従うのは嫌々ながら、仕方なく君主に従っているだけなのだ。部下にとっては、もし君主が死ねば、そのぶん自分たちの官位が上がる。また、同盟国など他国は、もし同盟国などを信用すれば、裏切って手薄な警備のところを侵略してくる。だから君主は、つねに裏切りには対策しておかねばならず、よって君主は孤独である。」などという。
 
法律を犯した者の事情も考えずに、法律を犯した者を処罰することは、人情味は無いなどとして民衆などには憎まれるが、しかし、そのように例外を認めずに処罰をすることによって、法律を侵す者が減り、結果的には社会を安定させることができるのである。これこそが君主にとっての道徳である・・・などのように韓非子は考えたのである。