「高等学校古典B/漢文/非攻」の版間の差分

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== 書き下し文 == 今(いま)一人(いちにん)有り(あり)、人(ひと)の園圃(えんぽ)に入りて(いりて)
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『非攻』(ひこう)
 
:墨子(ぼくし)
 
== 大意 ==
人一人を殺せば犯罪だが、今の世の中、戦争で敵をたくさん殺した者は英雄とされ、敵を多く殺した者は君主に誉められる。こんな今の世の中、間違ってる。間違った世の中を、正しい世の中へと、直すべきだ。戦争で人を多く殺した者と、それを指図した君主は、非難されるべきだ。
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(しかし)今(の世の中では)、たいへんな不義をはたらいて、他国を攻めるにいたっては、非難することを知らず、むしろこれを誉めて、これを道にかなってるという。これでは道にかなってることと外れていることの区別を知っているといえようか。一人を殺せば、これを不義といい、必ず一つの死罪となる。もしこの考え方で論を進めるならば、十人を殺せば不義は十倍になり、十倍分の死罪になる。百人を殺せば、不義は百倍になり、必ず百倍分の死罪がある。このようなことは、世の中の君子ならば、皆知っていて、これ(=殺人)を非難し、これを不義と言っている。(ところが、)今、たいへんな不義をはたらいて、他国を攻めるにいたっては、非難をすることを知らず、(こともあろうに)これを誉めて、これを正義と言っている。それを不義だと知らないのである。
 
== 書き下し文 ==
今(いま)一人(いちにん)有り(あり)、人(ひと)の園圃(えんぽ)に入りて(いりて)、其の(その)桃李(とうり)を窃む(ぬすむ)。衆(しゅう)聞きて(ききて)則ち(すなわち)之(これ)を非(ひ)とし、上(かみ)の政(まつりごと)を為す(なす)者(もの)得て(えて)則ち(すなわち)之(これ)を罰(ばつ)せん。此れ(これ)何ぞや(なんぞや)。人を虧きて(かきて)自ら(みずから)利(り)するを以て(もって)なり。人(ひと)の犬豕鶏豚(けんしあいとん)を攘む(ぬすむ)者(もの)に至りては(いたりては)、其の(その)不義(ふぎ)は又(また)人(ひと) の園圃(えんぽ)に入りて(いりて)桃李(とうり)を窃む(ぬすむ)よりも甚だし(はなはだし)。是れ(これ)何の(なんの)故(ゆえ)ぞや。人(ひと)を虧く(かく)ことの愈(いよいよ)多き(おおき)を以て(もって)なり。苟くも(いやしくも)人(ひと)を虧く(かく)ことの愈(いよいよ)多ければ、其の(その)不仁(ふじん)は茲(ますます)甚だしく(はなはだしく)、罪(つみ)は益(ますます)厚し(あつし)。人(ひと)の欄厩(らんきゅう)に入りて、人の馬牛(ばぎゅう)を取る者に至りては、其の不義は、又(また)人の犬豕鶏豚(けんしあいとん)を攘む(ぬすむ)者(もの)より甚だし。是れ(これ)何の(なんの)故(ゆえ)ぞや。其の人を虧く(かく)ことの愈(いよいよ)多きを以てなり。苟くも(いやしくも)人(ひと)を虧く(かく)ことの愈(いよいよ)多ければ、其の(その)不仁(ふじん)は茲(ますます)甚だしく(はなはだしく)、罪(つみ)は益(ますます)厚し(あつし)。不辜(ふこ)の人を殺し、其の衣裘(いきゅう)を(うばい)、戈剣(かけん)を取る者(もの)に至りては(いたりては)、其の不義は、又(また)人(ひと)の欄厩(らんきゅう)に入りて、人の馬牛(ばぎゅう)を取るよりも甚だし(はなはだし)。此れ(これ)何の(なん)故(ゆえ)ぞや。其の人を虧く(かく)ことの愈(いよいよ)多きを以てなり。苟くも(いやしくも)人(ひと)を虧く(かく)ことの愈(いよいよ)多ければ、其の(その)不仁(ふじん)は茲(ますます)甚だしく(はなはだしく)、罪(つみ)は益(ますます)厚し(あつし)。此く(かく)の如き(ごとき)は天下の君子(くんし)、皆(みな)知りて(しりて)之(これ)を非(ひ)とし、之(これ)を不義(ふぎ)と謂ふ(いう)。
 
今(いま)大いに(おおいに)
 
== 語釈 ==
:園圃(えんぽ) - 果樹園や畑。
:窃 - 相手に気づかれないように、こっそりと盗む。
:桃李(とうり) - 桃 や すもも。
:非(ひ) - 悪。非難の対象。
:虧 - 損害を与える。
:豕 - ぶた。
:豚 - こぶた。
: - 。
:不辜(ふこ) - 無実。
: - 。
: - 。
 
== 備考 ==
この『非攻』のような思想の派閥を'''墨家'''(ぼくか)という。
 
この文章には現れていないが、墨子は、儒家の説く愛を、身内だけを優先した差別的な愛だと、批判した。
 
なお、墨子は、防衛のための戦争は非難しておらず、防衛のための設備をつくる職人を組織し、防衛を求める都市に協力した。