「高等学校世界史B/ヨーロッパ封建社会の動揺」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Angol Mois (トーク | 投稿記録)
カスティリア王国 とアラゴン王国が合併して、'''スペイン王国'''となった。
109 行
 
こうして王権については、イギリス・フランスの両国とも王権が強化され中央集権化へと向かい、両国とも絶対王政へと向かっていった。
 
== ドイツとスイス ==
[[ファイル:Balduineum Wahl Heinrich VII.jpg|400px|right|thumb|七選帝侯]]
今でいうドイツの地方を支配していた神聖ローマ皇帝は、イタリアの利権をめぐって、イタリアに遠征ばかりしていて、イタリア政策に熱中していた。そのため、ドイツ地方には皇帝は不在になりがちで、なのでドイツでは諸侯や都市が自立化して台頭した。そのため、皇帝権が弱体化した。
 
そしてドイツは、大諸侯たちの'''領邦'''(りょうほう)の連合体となった。
 
さらに、シュタウフェン朝(Staufen)が断絶し、事実上は皇帝位のいない「大空位時代」が生じた。その後、皇帝は出たが、皇帝権は低迷した。
 
皇帝'''カール4世'''(Karl IV)は、有力者による選挙によって皇帝を決める「'''金印勅書'''」(Goldene Bulle)を1356年に発布して、聖俗7名からなる'''七選帝侯'''(せんていこう)が皇帝を選挙する制度を定めた。
 
15世紀半ばから、'''ハプスブルク家'''(Habsburg)から皇帝が選出されるようになった。
 
 
いっぽう12世紀からエルベ川の以東でドイツ人の植民が進んだ。ブランデンブルク辺境伯領や、'''ドイツ騎士団領'''がつくられた。
 
スイスでは、13世紀にハプスブルク家の支配に抵抗する独立運動が起こり、こんにちのスイスの母体になった。
 
北欧では、14世紀末に同盟勢力が台頭した。説明すると、北欧で14世紀末、デンマーク・スウェーデン・ノルウェーの3ヶ国が'''カルマル同盟'''をむすんだ。この同盟はデンマーク女王マルグレーテ(Margrete)の主導による。
 
== イタリア ==
13世紀末、イタリア南部ではシチリア王国が分裂し、ナポリ王国とシチリア王国に分かれた。
12世紀以降、イタリア北部では都市国家が成立し、ヴェネチア・フィレンチェ・ミラノ・ジェノヴァなどの都市国家が分立した。
 
12世紀〜14世紀、神聖ローマ皇帝がイタリア政策によって介入してくると、これらのイタリア諸国家では、教皇派('''ギベリン''')と教会派('''ゲルフ''')とに別れて派閥争いをして混乱をした。
 
== イベリア半島でのレコンキスタ ==
[[File:Pt-Reconquista2.jpg|thumb|レコンキスタ]]
イベリア半島は711年からイスラーム系のウマイヤ朝に征服されていた。その後、後ウマイヤ朝に変わったが、依然としてイベリア半島はイスラーム系の王朝の勢力下だった。
 
しかし、キリスト教の勢力がイベリア半島を奪回しようという闘争である'''レコンキスタ'''(国土回復運動、再征服)が起こり、そしてイベリア半島北部からキリスト教の勢力がもりかえして、キリスト教の領土を広げ、12世紀にはイベリア半島の半分ほどを支配下においた。
 
そしてキリスト教圏として回復された領土には、'''カスティリア王国'''、'''アラゴン王国'''、'''ポルトガル王国'''の3ヶ国がたてられた。
 
その後、カスティリア王女イザベルとアラゴン王子フェルナンドとの結婚により、カスティリア王国 とアラゴン王国が合併して、'''スペイン王国'''となった。そして軍事ではスペイン王国が1492年、イスラーム最後の拠点グラナダを占領し、レコンキスタを完成させた。
 
その後、スペインやポルトガルは、大航海時代に関わっていくことになる。