「高等学校世界史B/契丹と宋と周辺地域」の版間の差分

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:のちに江戸時代の日本では、儒学者である藤原惺窩(せいか)(※ 日本人)や、その弟子の'''林羅山'''(はやし らざん)(※ 日本人)などによって儒学が広められ、そして儒学が江戸幕府の体制の学問になり、とくに朱子学が体制の学問として重視された。
 
:ただし、江戸時代には朱子学への批判者もあり、'''伊藤仁斎'''(いとじんさい)(※ 日本人)は、朱子学が抽象的であり現実から離れていると批判し、さらに朱子学は孔子の言葉を曲解して伝えていると批判し、『論語』『孟子』などの古代の原典をたずねて儒学を勉強するべきだと主張した。このように、儒学などの研究で、より古い原典をあたって研究することを、'''古学'''(こがく)または古義学(こぎがく)という。
 
:江戸時代に荻生徂徠(おぎゅう そらい)(※ 日本人)が、伊藤仁斎の影響を受け、徂徠は、論語よりもさらに古い『六経』(りくけい)を研究し、古学を発展させた。