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*予備知識
人類は、
==旧石器時代==▼
:猿人 → 原人 → 旧人 → 新人
の順で進化した。
詳しくは、[[高等学校世界史B/人類の出現と進化]] で。これは日本史の入試でも問われるので、そのうち覚えておくこと。
日本列島は当時、寒冷な'''氷期'''(ひょうき)と比較的温かい'''間氷期'''(かんひょうき、かんぴょうき)が続いており、大陸と陸続きであった。そのため大型動物が多く日本列島にやってきていた。▼
北からは、'''マンモス''や'''ヘラジカ'''が来て、 南からは、'''大角鹿'''(オオツノジカ)や'''ナウマンゾウ'''(1948年、'''野尻湖'''(のじりこ、長野)で発見される)が来ていることが確認されている。▼
== 人類の誕生 ==
旧石器時代(きゅうせっきじだい)の特徴として打製石器(だせいせっき)の使用が挙げられる。ここでは名前と用途を紹介するが資料集などで実物の写真を確認していただきたい。▼
人類は、およそ500万年あたり前に、アフリカで誕生したと、化石人骨などから考えられている。そのころの人類は'''猿人'''である。
#'''握斧'''(ハンドアックス) 叩く、割る、切る▼
#'''石斧''' 切る、土を掘る▼
#'''ナイフ形石器'''(ブレイド) 切る、削る▼
#'''尖頭器'''(ポイント) 槍の先端に付ける▼
今から1万年あたり前をさかいに、'''更新世'''(こうしんせい)と'''完新世'''(かんしんせい)に区分される。
1946年、群馬県にある'''岩宿遺跡'''(いわじゅくいせき)で'''関東ローム層'''から打製石器を'''相沢忠洋'''が発見する。これにより日本にも旧石器時代の文化があることが証明され日本史上の定説を覆すこととなった。▼
▲日本列島は更新世(こうしんせい)の当時、寒冷な'''氷期'''(ひょうき)と比較的温かい'''間氷期'''(かんひょうき、かんぴょうき)が交互に続いており、更新世はいわゆる'''氷河時代'''のことであり、また更新世の当時は日本がユーラシア大陸と陸続きであった
▲北からは、'''マンモス''や'''ヘラジカ'''が日本に来て、 南からは、'''大角鹿'''(オオツノジカ)や'''ナウマンゾウ'''(1948年、'''野尻湖'''(のじりこ、長野)で発見される)が日本に来ていることが確認されている。
このような更新世が、約250万年前から約1万年前まで続いた。
なお、約1万年前の人類は、'''新人'''(しんじん、ホモ=サピエンス)に進化している。約10万年前には新人が発生していたと考えられている。
▲== 旧石器時代 ==
人類が石器を使い始めた時期は、今からおよそ250万年前のころ(更新世である)と考えられている。
石器に、打ち欠いてつくっただけの'''打製石器'''(だせいせっき)のみを使用していた旧石器時代(きゅうせっきじだい)が、石器時代の中でも最も古い。
▲かつて日本には旧石器時代が存在しないと考えられていたが、しかし1946年、群馬県にある'''岩宿遺跡'''(いわじゅくいせき)で、更新世に堆積した'''関東ローム層'''から打製石器を'''相沢忠洋'''(あいざわ ただひろ)が発見する。これにより日本にも旧石器時代
これを契機に、日本の各地で更新世の地層から石器が発見された。
▲# '''握斧'''(ハンドアックス) 叩く、割る、切る。旧石器時代の古くからある。
▲# '''石斧''' 切る、土を掘る。旧石器時代の古くからある。
▲# '''ナイフ形石器'''(ブレイド) 切る、削る。旧石器時代の古くからある。
▲# '''尖頭器'''(ポイント) 槍の先端に付ける。旧石器時代の後半に現れた。
# '''細石器'''(マイクロリス) 木や骨の先端に嵌めこむ。旧石器時代の終わり頃に現れた。旧石器時代の石器では、もっとも新しい時代の石器。
狩猟に使える石器がこのように存在することから、当時の日本人は、狩猟を行って得た獣の肉を、食料にしていたと考えられている。
[[File:Fossil of Minatogawa Man.jpg|thumb|120px|left|港川人(港川1号)の化石(レプリカ)。国立科学博物館の展示。]]
[[File:Minatogawa Man Restoration model.jpg|thumb|180px|right|港川人の復元模型。国立科学博物館の展示。]]
人骨は
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== 縄文時代 ==
=== 縄文時代の成立 ===
植物は東日本では落葉広葉樹林が広がり、西日本では照葉樹林が広がった。この森林の変化にともない、ドングリ、クルミ、クリなどの木の実が豊富になった。
=== 縄文時代の生活 ===
人類は '''磨製石器'''(ませいせっき)、'''土器'''、'''弓矢''' を手にし生活基板を創り上げていった。これを縄文文化(じょうもん ぶんか)という。動物は、マンモスなどの大型動物はすでに絶滅しており、シカやイノシシやウサギなどの比較的小型で俊敏な動物が多かった。このような俊敏な動物を狩るのに、弓矢が適していた。牧畜は行われていない。また、本格的な農耕は行われていない。
また、土器は貯蔵(ちょぞう)の他にも、食物の煮炊き(にたき)にも使われていたようであり、木の実のアク抜きや、獣肉の煮沸などにも使われたようである。
▲自然環境が変わり更新世末期から温暖化し海面が上昇した。これを'''縄文海進'''(じょうもんかいしん)という。これにより日本列島が形成された。(1万年前)
[[ファイル:Arrowhead.jpg|thumb|160px|日本の石鏃(黒曜石製)]]
[[ファイル:Sekisui.jpg|thumb|石錘(せきすい)]]
:※ 磨製石器の名前と用途を紹介するが写真での確認を忘れないこと。
#'''石鏃'''(せきぞく) 矢の先端部として使用。
#'''石匙'''(いしさじ) 皮を剥ぐ際に使用。
#'''すり石・石皿'''(いしざら) 木の実などの、かたい食物を
#'''石錘'''(せきすい) 網のおもりとして使用。
また、'''骨角器'''(こっかくき)といい動物の骨や角を銛や釣り針に使用していた。
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土器は縄文土器が有名である。縄文土器の特徴として '''縄目模様 黒褐色'''(低音で焼いているため) '''厚手でもろい''' が挙げられる。
木の実などによる定住して得られる食料が普及したためか、人々は'''竪穴住居'''(たてあな じゅうきょ)に住み、円を成して共同生活する環状集落を作った。また'''貝塚'''(かいづか)が発見されており、ハマグリやアサリなどの貝が捨てられている。このことから、漁労が発達していたことが、うかがえる。
▲*'''大森貝塚'''(おおもり かいづか、東京) 1877年に、 '''モース'''により発見された。
▲*'''加曾利貝塚'''(かそり かいづか、千葉) 日本最大の貝塚。
▲*'''夏島貝塚'''(なつしま かいづか、神奈川) 日本最古の貝塚の一つ。
▲*'''津雲貝塚'''(つくも かいづか、岡山) 人骨170体が発見された。
また交易も盛んであったことが分かっている。
[[File:Periodo jomon, dogu, 2000-1000 a.c. 3.JPG|thumb|right|200px|土偶 青森県 亀ヶ岡遺跡の出土(通称:遮光器土偶)]]
自然現象に霊威を認める(アニミズム)があったと考えられており、'''土偶'''(どぐう)や'''石棒'''(せきぼう)、'''抜歯'''(ばっし)や'''屈葬'''(くっそう)、また'''環状列石'''(かんじょうれっせき、秋田県'''大湯'''、「おおゆ」)もその一つだと考えられている。▼
* アニミズム
▲自然現象に霊威を認める呪術(じゅじゅつ)的な思想(いわゆる'''アニミズム''')があったと考えられて
* 遺跡
縄文時代で有名な遺跡は'''三内丸山遺跡'''(さんないまるやまいせき、青森県)である。
* その他
身分の差は、あまり無かったようである。寿命は短く、30歳くらいまで、だったようである。
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