「高等学校日本史B/弥生時代」の版間の差分

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このような弥生文化が、紀元前4世紀ごろから、起こった。
 
[[File:Periodo yayoi, dotaku (bronzo a forma di campana), II-I sec a.C..JPG|thumb|絵のある銅鐸(どうたく)。香川県出土(東京国立博物館蔵、国宝)<br />
左下に、うす と きね を用いた作業の絵がある。右下は高床倉庫の絵。右上は弓矢で動物を射る絵。]]
金属器とは、青銅器(せいどうき)と鉄(てつ)のことで、日本の場合は同時に伝来されたとしている。青銅とは、銅と錫(すず)との合金。また機織の技術も伝えられる。
'''銅鐸'''(どうたく)、銅剣(どうけん)、銅矛(どうほこ)などが発見されている。
発見された銅鐸に刻まれた絵に、臼(うす)や杵(きね)を用いた農作業らしき絵がある。このことからも、弥生時代に稲作が行われていることが分かる。この銅鐸の絵には、他にも、高床倉庫の絵、動物を弓矢で射っている絵がある。
 
稲の穂を切り取るための石包丁(いしぼうちょう)など、石器も用いられている。