「高等学校歴史総合/世界恐慌」の版間の差分

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金本位制からの離脱、アメリカの農業調整法、ソ連のスターリン憲法
 
デフレと金解禁、高橋是清による金輸出の再禁止
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=== 日本の昭和恐慌 ===
==== 昭和恐慌 ====
日本は、アメリカむけに輸出していた生糸が売れなくなった。日本は、輸出が売れなくなり、日本経済は大打撃を受け、恐慌におちいった('''昭和恐慌''')。
第一次大戦後に、ヨーロッパ諸国は金本位制から離脱していたが、戦後すぐに復帰した。日本は復帰が遅れ、1930年に金本位制に復帰した。この1930年の日本の金本位制への復帰のことを'''金解禁'''という。しかし、恐慌中に日本は金本位制に復帰したせいで、輸出が不振であり、日本から金(きん)が大量に国外流出した。また、金本位制のため円高となり、そのことも輸出の不振の原因となったと考えられる。
日本は金解禁をしていたので、金(きん)が大量に国外流出した。
 
また、金本位制から離脱していたあいだの日本はインフレだった。
だが、世界恐慌中に日本は金本位制に復帰したため、日本は強烈なデフレになり、日本は強烈なデフレ不況に陥ってしまった。
金本位制に復帰前の日本の財界は、もし金本位制への復帰すれば外国為替相場が安定するだろうと思っていたが、現実の復帰後の日本経済はデフレ不況となった。
 
 
日本でも、アメリカの農産物の暴落と同様、日本の農産物も暴落した。なお、日本では、この世界恐慌の前から、植民地からの農産物の輸入によって、日本の農家の農産物の価格(米価など)は低迷していたが、その上にさらに世界恐慌の影響による農産物価格の暴落をうけて、農業経済は大打撃を受けた。
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たとえ工業などの他業種で兼業をしようにも、不況のため兼業への就職先そのものが無かった。逆に、都市の失業者が、故郷などの農村に帰らざるを得なくなり、都市から失業者が農村に帰農してくるほどの不況であった。
 
このようにして、日本は昭和恐慌におちいった。
 
1931年に日本は基幹産業保護のために不況カルテルを容認する'''重要産業統制法'''を制定した。
 
 
==== 金輸出の再禁止 ====
高橋是清(たかはし これきよ)は、デフレ恐慌が昭和恐慌の正体だということに気付き、そしてその原因が金本位制への復帰だということに気付き、1931年に成立した犬養毅(いぬかうつよし)内閣での蔵相 高橋是清は、組閣直後ただちに'''金輸出の再禁止'''をして'''管理通過制度'''に移行した。これによって外国為替での円相場は下落し、またインフレーションになったが、円安となったため輸出は好調になった。
 
また、軍需産業や恐慌対策などの予算を増やすことで、産業保護的な経済政策を行った。
 
そして日本は綿工業を中心として繊維工業で、世界一位となった。イギリスなどからは'''ソーシャル・ダンピング'''として批判された。
「ダンピング」とは、まずは無理な安売りによって競争相手をつぶすことで自社のシェアを伸ばすなどで市場を独占・寡占した後に、そのあと価格を釣り上げるなどして暴利を得ること。
 
なお現代の日本では、独占禁止法などでダンピング商法を禁止している。
 
=== ロンドン会議 ===