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ウィキペディアアメリカ合衆国の記事があります。

年表 編集

  • 1492年:クリストファー=コロンブスがアメリカ大陸に到達
  • 1497~1498年:ジョン=カボットの北米探検
  • 1499~1501年:アメリゴ=ヴェスプッチの南米沿岸探検
  • 1507年:ヴァルトゼーミュラーが新大陸を「アメリカ」と命名
  • 1521年:コルテスの征服によりアステカ帝国滅亡
  • 1533年:ピサロの征服によりインカ帝国滅亡
  • 1583年:ハンフリー=ギルバートがニューファンドランドを英領宣言
  • 1585~1602年:ウォルター=ローリー卿がロアノーク島への殖民を計画
  • 1607年:ジェームズタウン(ヴァージニア植民地)建設
  • 1612年:タバコの栽培に成功
  • 1619年:ヴァージニアにて最初の植民地議会開催,最初の黒人輸入
  • 1620年:ピルグリムファーザーズがメイフラワー号にてプリマスに到着

植民地時代 編集

1492年,クリストファー=コロンブスがアメリカ大陸に到達した。彼はこの土地を「インディアス」と信じ,先住の民を「インディオ(インディアン)」と呼んだ。しかしアメリカ大陸到達のはるか以前からこの土地にはモンゴロイドが住んでおり,彼らももともとは大昔に陸続きだったベーリング海峡を越えてユーラシアから渡ってきたのである。その後氷河期の終焉によってアメリカ大陸は閉ざされ,独自に発達してきたのである。

アメリカ大陸到達によってヨーロッパとアメリカの間で壮大な交流が始まった。これによってアメリカ大陸原産の産物は現代に至るまでに全世界に広がり,ヨーロッパの文明がアメリカ大陸にもたらされた。それと同時にヨーロッパの伝染病がアメリカ大陸にもたらされて先住民は激減し,アメリカ大陸の風土病はヨーロッパ中に蔓延することになる。このように大きなものは文明から産物,小さなものは細菌に至るまでのさまざまなレべルでの交流を我々は「コロンブスの交換」と呼んでいるのである。

アメリカ大陸進出の先発隊となったコンキスタドレスたちはアステカ帝国やインカ帝国を滅ぼし,やがてアメリカ大陸の広大な部分を征服した。これに続いたのがイギリスやフランスといった後発の国々であった。とくにイギリスは熱心に植民を重ね,やがて十三植民地を築き上げるのである。

初期の植民地は本国政府とは無関係に建設されたが,のちに本国政府から特許状を与えられたり,他の植民地に併合されるなどして減少していき,独立革命前夜までには国王直轄下の王領植民地が増えていった。この王領植民地では現地住民の意思は国王や本国政府の判断によって握りつぶされることもたびたびあり,またそれぞれの植民地には国王の代理人として総督が政府によって任命されていた。とはいっても総督のもとに招集・解散される植民地議会の下院議員は白人男性による選挙で選ばれ,ときには総督の意向を左右するほどの大きな勢力を持っていた。

建国 編集

1754~1763年まで戦われたフレンチ=インディアン戦争の結果,イギリスは北米からフランス勢力を駆逐してカナダを領有することとなった。この広大な領土にはイギリスからの植民者やフランス人から先住民に至るまで多種多様な臣民が居住していた。この状況で本国政府は帝国再編の必要に迫られたのである。まずは国王宣言によって西方における植民者の土地取得を禁止してそこを保留区と定めることで先住民を管理し,さらにそこに住む残留フランス人を保護しようとした。そのために1万人ほどの軍隊を駐留させようとしたが,それでも植民者の西方進出を止めることはできなかった。また帝国を維持するための負担を植民地にも分担させるべく,税制の強化が行われた。本国政府が目をつけたのは関税であったが,当時はかなりの高額関税がかけられていたため役人までも巻き込んだ密貿易が横行していた。そのため本国政府は税率を半分まで引き下げるかわりに徴収を厳格化することで,まず収入の安定を図ろうとした。これが1764年の砂糖法である。

1775年アメリカ独立戦争を行い、1776年にアメリカ独立宣言を出し、アメリカ合衆国の建国となった。

初期のアメリカ合衆国 編集

南北戦争 編集

『金ぴか時代』 編集

革新主義と帝国主義の時代 編集

大衆と消費 編集

大恐慌から2度目の大戦へ 編集

戦後のアメリカ合衆国 編集

現代のアメリカ合衆国 編集

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