独学ガイド/理工学一般/大学学部の中級レベルの科目

Icon tools.png このページ (独学ガイド/理工学一般/大学学部の中級レベルの科目) では、理工学についての独学ガイドについて説明します。なお、独自研究や中立性を欠いた文章を含んでいる場合があります。独自研究の中には多くの場で共有されている意見もあれば、少数の意見もありますのでご注意ください。


発展的な内容の勉強編集

発展的な理工学の勉強では、物理学と数学を中心に勉強します。

数学は、微分方程式・複素関数論・フーリエ解析が勉強の中心です。

物理学は、「力学」「電気磁気学」に加えて、さらに「振動・波動」「熱力学」を勉強します。


また、並行的に、しだいに機械工学の「材料力学」「流れ学」「工業熱力学」および、電気工学の「電磁気学」「電気回路」も勉強しといてください。


「葬式とともに科学は発展する」編集

けっして「すべての科目を均等にバランスよく、すべて勉強しよう」と思ってはダメです。

なぜなら、科学というのは、ダメな学問を淘汰したきた歴史でもあり、格言として「葬式とともに科学は発展する」とも言われます。天動説のような時代遅れの学説を信じてる学者は、生涯、その学説を曲げようとせず、そのため、彼ら天動説論者が寿命で死に絶えるまで、天動説の学説が天文学では残り続けました。

ですが天動説のようなダメな学問は、成果が乏しくなっていくので予算が無くなっていくので後継者不足になっていき、だんだんと存在感が薄れていきます。たとえるなら、人文学の世界で、ダメな神学や儒学が大学教養の教育から外されていき、代わりに経済学などが教養に加わったのと同じです。


しかし第二次大戦後の現代の日本では、日本国憲法には「学問の自由」というのがありますので、いまいち生産性の良くない学問であっても、政府はその学会や研究室を廃止することが出来ません。そのため、日本の大学には、改革の遅れてるダメ科目も残っています。

なので学習者の立場としては、いま現在で「この科目は、いまいち改革が遅れてるなぁ・・・」と感じる部分がある科目があれば、極力、勉強時間を減らしましょう。また、その教科書は、なるべく買うべきではありません。教科書を買っていますと、著者にお金が入ってしまうので、ダメ学問の存続に使われてしまいます。

中学校の社会科の公民でも習うように、『3R運動』の「不要な物は買わない」refuse 運動が必要です。

明治維新のさいに儒学などが学術のスミに追いやられた歴史を参考に、学生はダメ学問を見抜く嗅覚を、身につけましょう。


発展的な物理の勉強編集

前のほうの節で、少なくとも「力学」と「電気磁気学」は、「概論書ではなく科目専用の教科書を買いなさい」と指示しました。

さて、発展的な物理を勉強したい場合、さらに、「振動・波動」「熱力学」(もしくは「熱・統計力学」)、の大学2〜3年レベルの教科書を買ってきて、計算練習しつつ勉強してください。

熱力学よりも、振動・波動のほうを先に勉強したほうがイイかもしれません。

なぜなら、物理学の熱力学というのは、やや抽象的で難しいからです。機械工学の「工業熱力学」とは、物理の「熱力学」は、だいぶ、内容が違います。


いっぽう、振動・波動は、微分積分によるゴリ押しで勉強を進められます。なので、まず振動・波動のほうを先に勉強するのがオススメなのです。


独学では、まだ、量子力学や相対性理論とかは、しなくていいです。


あと、機械工学の「材料力学」「流れ学」「工業熱力学」および、電気工学の「電磁気学」「電気回路」も勉強しといてください。

なお、機械工学の「振動」の教科書は、物理学の「振動・波動」の教科書とは内容がけっこう違うので注意してください。混同しないでください。

機械工学の「振動」というのは、エンジンとかモーターとかの軸が高速回転する機械を計算する力学です。機械工学の「振動」の勉強には、機械工学の「材料力学」の知識が必要です。

大学の授業では、実験・実習の科目などと絡めて、機械振動の公式をやや天下り的に教えたりします。しかし独学の状況では、実験設備とかが無いのでそういう勉強法ができません。なので、機械振動は後回しにならざるを得ません。


量子力学などを後回しにする理由編集

ノーベル賞受賞者の中村修二さんは、著書中で、自身が人類初の青色発光ダイオードをめざして研究開発していたとき、他者の論文で青色発光ダイオードの研究の実現可能性に否定的な「量子力学的なエネルギー論の理由により、青色発光ダイオードは実現不可能である」などと主張する論文を目にした、的なことを著書中で記述しています。

量子力学なんて、その程度の学問です。「理屈と膏薬(こうやく、※ 塗り薬)は、どこにでも付く」と言いますが、量子力学も、そういう理屈づけをするだけの学問です。

実際、科学史でも、量子力学の教科書に書いてある話題は、ほとんど後知恵です。

その分野の量子力学の公式の数学的な解析手法が発見されるよりも前に、まず先に実験などに実験結果および近似式が発見され、あとから、その近似式にあうように理論を考えたものが、ほとんどです。


アインシュタインは、「数学は物理に役立つ」的なことを言っていますが、事実はそうではないのです。じっさいは、物理学の中から、物理に役立なない無数の数式を追放していき、例外的に役だちそうと(物理学者たちに)思われてる数式だけが物理学の教科書に残っているだけです。昔のパウリなどの世代の物理学者は、そんだけの注意力があったのです。後世の物理学者には無くなったようですが。それで、先ほどの量子力学のような失態です。


物理学のなかで、理論が先に分かってから実験結果の見つかった分野は、相対性理論と力学など、ごく一部の分野だけです。

あとは、電磁気学も熱力学も量子力学も、さきに実験結果が分かってから、あとから式を考えていって、その式どうしのツジツマ合わせをしていったものばかりです。


困ったことに、日本では、未知の実験結果をろくに予測できていない実績の学問、つまり量子力学などの学問が、大学の物理学科や化学科などで必修科目になってたりします。


しばしば、「半導体の設計に、量子力学が必要である」と言われるが、ウソでしょう。そもそもスーパーコンピューターなどの無かった、第二次大戦後からあまり時間のたってないトランジスタの発明当時の1948年の時代、量子力学の三次元の計算や多体計算は、精度の低い計算しか、できないはずです。しかし、その半導体の黎明期(れいめいき)の1950年代くらいの時代から、アメリカ合衆国などが、半導体を生産して販売してきました。

また、抵抗値などの特性は、そもそも実験によって確認すべき事ですし、その半導体チップのデータシートなどに、抵抗値などの測定結果の図表も書いてあります。

そして、「ここの寸法を上げれば(下げれば)、この半導体はどういう特性になるか?」などという性質も、そもそも企業が実際に半導体の試作品をいくつも作って確認してきた事です。

そもそも、2018年現在の一般のパソコン用の半導体ですら、(量子力学の教科書にしか書かれていないような)特殊な量子効果は用いていません。単に、かつては二極真空管や三極真空管で行われた整流回路やスイッチ素子の代用として、小型化と省エネのために半導体を用いているだけです。


まして、「最先端の半導体の配線のスケール幅が20nmクラスだから、量子効果を用いている」とかの主張は意味不明です。それは露光機の性能による結果ですし、光学による露光でも、20nm程度までは行けます。ArFエキシマレーザーの波長が 193nm だが、これの半分くらいの90nmまでは、光源を半ピッチほど移動させるダブルパターニング技術で露光できます。さらに、「液浸露光」という、液体をつかって光を屈折させることで、半分ほどの波長にできます。このようにして、40nmほどの配線幅で半導体をつくれるわけです。

2回しか露光しないダブルパターニングでなく、(すこしズラして)3回以上の露光をするマルチパターニングにすることで、さらに配線幅を小さくしていく方法が、半導体生産では行われています。古典的な光学の計算しか、使っていません。

このようにして、20nmほどの配線幅を実現しているわけです。

量子力学など、どこにも使っていません。



さて、半導体以外の分野にも、教科書にはウソがあります。ノーベル賞受賞者のダニエル=シュヒトマンが準結晶という新種(当時、1984年に発見)の結晶構造を発見する以前では、それ以前の世界各国の教科書では、存在の否定されていた結晶構造だったらしいです。

このように、原子物理などの周辺では、教科書や論文などに間違ったこと(存在するもの(青色発光ダイオード、準結晶など)を「存在しない」などという大ウソ)が書かれている場合があります。

教科書に大ウソが書かれている場合があるので、あまりむやみに、教科書を信用しないようにしましょう。

困ったことに、日本では、大学に入学したあとも、教科書に書いてあることを鵜呑み(うのみ)にさせる教育が、日本各地で行われています。鵜呑みにしたとおりの答案を書かないと、大学を卒業できないような仕組みです。

たとえば、結晶構造の並進対称性を前提に、電子工学科などの「電子物性論」などの教科書では「ブロッホの定理」とか習い、電子工学科などでは鵜呑みにしてブロッホの定理の結果を覚えさせますが、そもそも準結晶では、並進対称性が成立していないので(代わりに回転対称性が成り立つ)ブロッホの定理は使えません。


なお、論文を読むときは、特に気をつけましょう。論文のなかには、内容の間違っているものもあります。

「誰々の論文はマチガイだ」という内容の論文のほうがマチガイの場合もあり、ややこしいです。


たとえば、ある日本の機械工学者が「新しい表面張力の測定方法を発見したぞ」と主張して、それに化学者から「マチガイだ。そもそも表面張力の定義とは〜〜(以下略)」と批判がついて、でも結果的に、別の化学者から「その(機械工学者の某氏を批判している)化学者のほうがマチガイだ」と指摘され、最終的に実験化学の権威ある教科書に、その機械工学者の発見した方法も記載されるに至った、・・・というような事例もあります。



要するに、原子のしくみは、いまだに人類は、高校で習う化学以上には、あまり体系的に把握できてないのです。

(※ 裏を返すと、高校の化学の内容は、数年ごとにアップデートされています。2010年代の現代、高校の化学や生物で教えている内容は、じつは1990年代には大学で教えていた内容が混ざっています。化学や生物学が進歩して、数十年前は大学に後回しにされていた内容のうち、実用性の高いことが分かった内容を高校に持ってきたり、逆に、昔は高校で教えてたけど実際には実用の機会が少なく期待はずれに終わった内容を大学に後回しにしたり、高校カリキュラムは改革を繰り返しています。)

高校で習う化学以上のことを人類が把握できてない事を、別の分野に例えるなら、地震や地盤や地層などの研究みたいなものです。地球の内部は直接には感想できないので、地球の中心深くにはいまだに不明なことが多く、しかたなく地球科学の研究では、数式などを使い、予想をします。

そうして仮説を建てたところで、まんぞくに地震予知もできません。数年ごとに地球のどこかで大地震は起き、多くの人が犠牲になります。


同様に、原子や価電子そのものの内部構造の研究も困難なので、しかたなく、数式をつかって仮説を立ててるだけです。


なので、しかたなく数学をつかって、「たぶん、こういう仕組みなんじゃないかなあ?」と予想を立ててるだけなのが、量子力学です。

だから、もし自信満々に「量子力学を理解した!」とか言ってる人がいたら、知ったか振りのインチキ野郎です。「量子力学の計算方法はいろいろと知ってるけど、でも理解できない。」ってのが、まともな学生です。


ノーベル物理の湯川秀樹の「中間子」も、じつは電子と陽子との中間にそれがあるかどうかは、じつは実験では、まったく証明できていません。

困ったことに、日本人の愚民のナショナリズムやポピュリズムなどとも絡んで、ただ表面的に受賞を賛美するだけで、そういう科学的な報道や教育がなされませんが。

日本人のノーベル化学の導電性プラスチックも、じつは導電率は導体というよち半導体レベルですし半導体のようなドーピングも可能ですし、産業では導電材料ではなくコンデンサなどの誘電材料(意地の悪い言い方をすれば絶縁材料でもある)として実用されています。それはそれで物理的には面白いですが、しかし、そういう実情がまったく報道・教育されません。


そして困ったことに、日本の大学で物理学とか教えてる連中は、こういう知識がなく、「量子力学は役立つ」とバカの一つ覚えで言ってるだけです。


ほかにも、「ハイゼンベルクの不確定原理の数式に漏れがある」的な学説として、小澤の不等式が日本人の統計学者の小澤さんから提案されましたが、いまだに日本の大学の量子力学の物理教育はまったく改革せず、昔から伝えられてる方程式の解法を練習してるだけの、まるで古典芸能の伝統芸能のような連中です。

困ったことに大衆に科学リテラシーがないので、伝統芸能に堕した物理教育を、革新的な最先端の物理教育だと勘違いしていますが。愚民は周回遅れです。

ほら、たとえば東京の高校とかで10~20年前に流行した受験テクニックが、田舎では10~20年遅れてた現代になって田舎の進学校でやっと流行するみたいなもんですよ。


なので、先端分野の教科書は、鵜呑みにしてはいけません。ノーベル賞をとった野依さんや本庶さんも、「教科書を鵜呑みにするなよ」的なことを各所で言っています。例外として数学や臨床医学・実験化学・古典物理などの一部の分野をのぞくと、実は大学教科書は、検証や信憑性がオザナリで怪しいのです。

あと、大学教授も信憑性が怪しいのです。

たとえば工学部の専門科目の教授のほとんどは、ろくに機械設計・回路設計が出来ません。そういう連中が工学教育のカリキュラムを考えています。医学部みたいに、とりあえず教授でも臨床医としてのスキルが一応はある学部とは、工学部は事情が違うのです。


企業経験のある教授でもその企業の実務とは無関係の論文を提出してばかりいる場合が有ります。また困ったことに、そういう論文の投稿のほうが学会誌に掲載されやすかったりします。

1980年代のバブル期のIT系の日本の大企業なんかだと、プログラミングをまったくしない「研究者」の、数式だらけの学会論文を掲載してる学会がありました。

発展的な数学(ただし理工系)の勉強法編集

前提として、まず、理工系の線形代数(大学1〜2年)、微分積分(大学1〜2年)、微分方程式(大学2年〜)、複素関数論(大学2年〜)などを勉強しておいてください。

これらの分野(線形代数〜複素関数論)は、計算練習をきちんとしておく必要があります。

それらの前提の上、勉強法を説明します。


  • 発展的な数学(ただし物理・工学系での)の勉強法

理工系用の教科書で(数学科用ではなく)、「フーリエ解析」、「ラプラス変換」、「ベクトル解析」などといった科目を勉強します。

「応用数学」「理工系の解析学」みたいな感じの書名で、これらの単元(「フーリエ解析」、「ラプラス変換」、「ベクトル解析」)が、ひとまとめになってる書籍もありますので、それを買ってもいいです。

これらの単元でも、特に重要なのが、「フーリエ解析」です。


フーリエ解析の本を買う際、書籍名が「物理数学」や「応用解析学」などで、ラプラス変換などと一緒になっている書籍を買うのがオススメです。どういう事かというと、市販の教科書のなかには、「信号処理論」というフーリエ解析でない分野を『フーリエ解析』という書籍名で販売している教科書も沢山あるからです。

日本で『フーリエ解析』という名前の教科書には、3通りの内容パターンがあります。

物理数学などで使うフーリエ解析であるパターンと、
信号処理論の内容であるパターンと、
数学科などで習う、解析学の理論家のためのフーリエ解析であるパターン

です。

こういう、まったく違う内容の教科書が、同じ「フーリエ解析」という名前で教科書が売られていたりするので、ヤッカイです。


信号処理論というのが膨大な分野で、それらのうちの、フーリエ変換を使った信号処理の計算法を教育する科目を、電気系の学科では「フーリエ解析」などの名前で教育しており、そのため、市販の教科書にも、『フーリエ解析』という書名なのに信号処理の事ばかり書いてある教科書があります。

信号処理の理論は、物理学科や機械工学科などで微分積分の延長として習うフーリエ解析とは、違う内容です。

20世紀半ばごろの欧米の偉い工学者で H.P.スウという人の書いたフーリエ解析の教科書がベストセラーになってて、日本の専門書店でもよく売られてたりしますが、しかし、この教科書の内容はタイトルとは違って、信号処理論のフーリエ解析を用いる部分であり、フーリエ解析そのものではありません。しかも、この本、とても分厚く、そのため初心者には、計算しきれません。(分厚いのは、信号処理の応用事例が豊富だから。)

信号処理の研究者などになろうと思うなら、HPスウの教科書は、分かりやすい名著だし、安価な割には分厚くてコストパフォーマンスも良いのです。しかし、けっしてHPスウの教科書を、フーリエ解析学の入門書として考えては、いけません。困った事に、こういう事情の分からない馬鹿の人が、通販サイトなどで、HPスウのフーリエ解析の教科書を称賛してたりするので、なかなかヤッカイです。


この信号処理論のフーリエ解析とは別に、さらに数学科のためのフーリエ解析の専門書もあり、ヤッカイです。


初学者が勉強する必要があるのは、「物理数学」や「応用解析学」などの教科書の中に含まれている、フーリエ級数とフーリエ変換との初歩的な計算練習と、その意味(※ 数学的または物理学的な大ざっぱな意味)です。


フーリエ解析の主な応用は何かというと、

周期的な関数の解析、あるいは関数の周波数分解
熱伝導の微分方程式などの、偏微分方程式を解く応用

この2つであろう。

ただし、企業などの労働現場の実用性は、やや疑問である。

熱伝導の偏微分方程式は、実用上はそもそも、觧く必要が低い。

なぜなら熱伝導方程式の解を知らなくても、実験によって熱の分布は求められてしまうのが現実である。

なので製造業の設計などで熱機械を設計・製作するとき、いちいちフーリエ解析をしないのが通常である。


また、フーリエ解析による周波数の解析も、実用上はおそらく、RLC電気回路の実験などで実験的にも求まってしまう場合もあるだろう。


もっとも、コンピュータでこれらの計算ソフトウェアや設計ソフトウェアを作りたいなら、フーリエ解析も有用かもしれない。

結局、工業は数学ではない。

大学ではフーリエ変換などの計算練習が流行しているが、しかし工業の現場は、大学の教育方法なんかに合わせてくれない。

なので学習のさいには、あくまでも関連分野の理解を深めるための補助手段として、フーリエ解析を学ぶのが良いだろう。


「パソコンのJPEGの離散コサイン変換の理解には、フーリエ変換の理解が欠かせない」などの言説もよくあるが、しかし日本にはフーリエ解析を大学で学んだ技術者も多いのにJPEGの開発が出来無い技術者ばかりなのは、どういうことでしょうか?


さて、いきなりフーリエ解析は、難しいだろうと思うので、おそらく、ベクトル解析やラプラス変換から先に勉強せざるを得ないかもしれません。

「物理数学」や「応用解析学」などのタイトルの教科書を買えば、いっしょにベクトル解析やラプラス変換の解説も付いてくるので、物理数学などの教科書を買うのがオススメです。


まず、ある程度、フーリエ解析の証明などを読んで、理解できる範囲までフーリエ解析の計算練習をしたら、さっさとベクトル解析やラプラス変換の計算練習をしましょう。

計算練習をしないとベクトル解析やラプラス変換は身につきません。計算自体は、ベクトル解析やラプラス変換は、かなり簡単な計算が多いです。高校の数学の参考書でも、よくよく計算問題を見てみると、ラプラス変換でつかう計算と同じような計算もあったりします。


なお、数学科の解析学には、まだ紹介してない、さらに高度な解析学もありますが、それらは後回しにするか、あるいは、いっそ数学科用の解析学は勉強しないというのも、アリです。

「解析学の証明を勉強しなくていいのか?」と心配しなくても、理工系用の「微分積分」や「微分方程式」の専門書を読んでおけば、巻末に解析学の基礎的な証明などはいちおう紹介されています。(ただし、工学部用の教材だと、証明が省略されてる場合がある。なので、「理工系用の数学の教科書を買っておけ」的な指示を、前のほうの節で言ったわけだ)

工学部では、ふつう、理工系用の「微分積分」の教科書の巻末あたりに書いてある、「イプシロン・デルタ論法」とか、級数の収束の判定条件とかは、授業では省略されて習いません。

また、微分方程式の専門書に書いてある「微分方程式の解の存在定理」なども、工学部では授業では省略されるか、たとえ紹介されてもテストに出せません。

なので、それらの(学校で)省略される内容も勉強しておけば、独学での理工系用の解析学としては、もう充分に証明の勉強をしています。


  • 複素解析の応用は何か?

工学部や物理学科・化学科などで大学2年で習うレベルの複素解析は、2変数の偏微分方程式を觧くのに役立つ。 それだけである。

数学への応用としては他にもあり、一例として、複素関数の積分区間の一部を実軸上に取ることで、複素解析の積分結果から、実関数の積分結果を導くなんていう技巧もあるが、しかし工学部ではそこまで習わないし、その技巧にほとんど工学上の実用性も無い。

工学などでよく使う微分積分の公式は、高校と大学1年レベルの実関数の微分積分で、既にあらかた習っている。

ラプラス逆変換の公式を、複素解析の理論で導く方法もあるが、しかし実用的ではない。実用上、ある関数のラプラス逆変換を知るには、ラプラス変換の公式集を流用するのが普通である。


また、べつに複素解析では、べつにSFチックな異次元空間じみた解析をするわけではない。SFとかで「虚数宇宙」とか「虚数空間」とか出てくるが、べつに複素解析では、そういう解析をするわけではない。

陽電子などの素粒子の方程式とかで、複素数が出てきたりするが、大学2年レベルの複素解析は役たたず、少なくとも陽電子のディラック方程式では、すくなくとも大学2年レベルの複素解析は、ほぼ役立たずである。


理工系基礎レベルの複素関数論は習得が容易なので、時間があれば計算練習するに越したことはないが、しかし、定理の証明などに深入りする必要は無く、証明は「とりあえず流し読み」するくらいでいい。

また、『多変数複素関数論』(という分野がある)は、応用が見つからない状態だし、初等的な説明がされてない分野なので、工学志望や物理学志望・化学志望などの人は、多変数複素関数論については勉強の必要が無い。


  • 離散数学をどうするか

離散数学の読んでもいいし、時間があれば読んだほうがいいですが、(デジタル回路やコンピューターなどの勉強するとき、離散数学の知識を利用できるので。) しかし、あまり離散数学ばかりに長居はせず、それよりも微分方程式や複素関数論やフーリエ解析の勉強を進めてください。

離散数学は、あとからの勉強でもどうにかなります。一方、「微分方程式」や「フーリエ解析」などの応用解析みたいな科目は、物理学に必要になりますので、優先的に勉強する必要があります。


  • 幾何学をどうするか

幾何学そのものの本を読むよりも、物理や工学などのなかで、数学がどういうふうに使われるかを学ぶほうがイイでしょう。

「曲線論・曲面論」「微分幾何学」という科目の教科書を持ってると、微分積分を用いて曲線や曲面を解析しています。この、微分積分をもちいた曲線の解析の方程式が、物理学や材料力学など、数学以外のいくつかの科目でも方程式中に使われます。

なので、「曲線論・曲面論」または「微分幾何学」の教科書を持っておくと効率的かもしれません。

なお市場の「微分幾何学」の教科書のなかには、高次元の抽象的な図形の曲がり具合を解析している数学専門書もあるので注意してください。

初学者が買うべきなのは、2次元の曲線、および3次元の曲面を、微分積分を用いて解析した、入門的な「曲線論・曲面論」「微分幾何学」です。


さて、微分積分の教科書でも、「曲線論・曲面論」の初歩が紹介されてる場合もありますが、紹介されてない教科書もあるので、必要に応じて「曲線論・曲面論」「微分幾何学」の入門書を買うのもいいかもしれません。


それ以外の幾何学は、当面は不要です。具体的には、位相幾何学、代数幾何学、射影幾何学、離散幾何学など・・・、これらは当面は不要でしょう。

なお、代数幾何学は、名前だけは簡単そうですが、じっさいには凄く難しくて抽象的な純粋数学の分野ですので、独学者は関わらないほうがイイです。

射影幾何学とは、ルネッサンス美術とかの遠近法とかに影響を受けた幾何学理論なのですが、近年では、あまり手頃な教科書がないし、しかも、あまり現代では応用されないので、射影幾何学の学習は飛ばしましょう。

なお、3Dコンピューターグラフィックスのソフトウェアに線形代数や微分積分が応用されていますので、もし美術への数学の応用に興味があるなら、射影幾何学よりも、むしろ線形代数や微分積分を勉強したほうがイイでしょう。


位相幾何学とは、啓蒙書などで紹介される「ゴム膜の幾何学」とかのアレなのですが、大学生用の市販の教科書には、「ゴム膜の幾何学」をさらに抽象的に発展させた難解な数学書が多いので、学習は飛ばしましょう。そうでない教科書もありますが、見分けるのが独学者には大変ですので、べつの機会に「ゴム膜の幾何学」を学習しましょう。

また、数学の概論書や、あるいは離散数学の教科書のなかに、位相幾何学や射影幾何学の初歩が紹介されてる場合もありますので、そっちに期待しましょう。

離散幾何学とは、コンピューターを用いて図形的判断をどうこう〜〜・・・みたいな学問ですが、発展途上の学問なので、研究者ならともかく、独学者は離散幾何の学習を飛ばしましょう。


  • 代数学をどうするか

まず、線形代数の厚め(約250ページ〜)の教科書を、計算練習もして、きちんと終わらせてください。

そのあとは、もう趣味の領域です。物理や工学では、線形代数以外にあまり代数学を使いません。

ただし、群論などの初歩を、高校数学の教育で、複素数の導入などの際、(生徒が気付かないうちに)教員が群論的な説明法を使ってる場合があります。なので検定教科書では範囲外ですが、参考書に紹介されている場合があります。

とはいえ、数学の概論書などに群論も紹介されてたり、あるいは離散数学の教科書に群論の初歩が紹介されてる場合もあります。

群論の専門書で深入りするよりも、数学の概論書で全体的に学んだり、あるいは離散数学の教科書を学ぶほうが、バランスよく多分野を勉強できて、イイでしょう。

どうしても群論に深入りしたいなら、ついでに「初等整数論」という科目を勉強しとくと、整数論の定理が群論の具体例になってるので、参考になってお得です。


  • 確率・統計をどうするか?

まず、工学系の場合、実は大学レベルの統計学を知らなくても、設計はできます。そもそも機械工学科や電気工学科では、基本的に、統計学を習いません。

また、物理学や生物学などでも、大学レベルの統計学は、ほぼ不要なのが現実です。

よく統計学者は、「物理学や生物学などの実験結果を解釈するにも、統計学が必要」とかホザきます。しかし、現実のところ、最新の統計学なんて知らなくても、研究成果を出している物理学者や生物学者などは、多くいます。

基本的に実社会において、何かの仮説を証明する手法は、最終的には、その学説を用いた技術が実用化されて、さらに、少なくとも普及したか(少なくとも多くの科学者・技術者やその分野の企業に普及しているか)どうか、に尽きます。

学問とは、あくまで最終的には下請けにすぎず、学問は実社会の知的労働のための下請けにすぎません。下請けにすぎない学問が、えらそうに実社会に「私の学説を使わない研究者や企業は遅れてる」などと注文をつけるべきではありません。本末転倒です。


統計学への擁護として、近年ではよく、IT業界で「アメリカのIT系大企業が、AIや機械学習の研究で、統計の専門家を集めてる!」とか反論されたりしますが、しかし、そもそもIT企業には、自動車も設計できないし、家電も設計できません。

人文学がイマイチなのと同様に、人工知能の理論もイマイチです。

「AI研究に役立ってる」と自称・AI研究者や自称・統計学者にいわれても、そもそも、その自称「AI」が何の役に立ってるのか、不明です。AIは、ドラクエ4(ファミコン版)のクリフトのザラキ連発にでも、役立ってるんですかね。1980年ごろから、AIが期待されていますが、一向に、たいしたアルゴリズムは蓄積されれません。

仮に「AI」研究で実用化した分野があっても、その分野は「AI」という分類から外れます。ワープロソフト用などの文字列のプログラム的な解析や、あるいは各種の画像編集ソフトや音楽作成ソフトのなどの画像・音声などのプログラム的な解析などは、実用化前の昔はAIに含まれてた時代もありましたが、現代ではAIから外れています。

まるで古代ギリシアやルネサンス期やフランス革命期には隆盛を誇った哲学が、現代では、研究者がほかの分野に抜けて、自称「哲学者」には(数学もろくに出来ない)イマイチな人しか残ってないのと同じですね。

「ニューラルネットワーク」技術も、AIと同様、1990年ごろには流行しましたが、ずっとイマイチな分野です。1990年代のゲーム『信長の野望 覇王伝』の宣伝には、ニューラルネットワーク技術がどうこうとか書かれてましたが、しかし、ゲーム中の敵は単純な動作しかしませんでした。

いっぽう、最近のフリーゲームとかをプレイすれば、ニューラルネットワークなどの理論を知らないゲーム作家ですら、簡単に敵の動き方のアルゴリズムをC言語などのプログラムで組んでいます。


なお、1980年代にパソコンOSを作ったマイクロソフトやアップルなどの当時のメインの技術者は、べつに人工知能や統計学とかの技術者ではありません。Linuxを作ったリーナスですら、べつに人工知能の専門家ではありません。


さて、物理学(大学の学部レベル)で用いられる程度の確率・統計の公式の証明には、微分積分が用いられます。なので、「確率・統計」の教科書よりも先に、まず「微分積分」の教科書を勉強してください。

どうしても、「確率・統計」の教科書も勉強したい場合は、「理工系の確率・統計」みたいなタイトルのように、「理工系」対応をうたってる教科書を買うのがお得です。


いっぽう、数学科用に専門的に書かれた確率論の本を買っても、「ルベーグ積分が、どうのこうの〜」とか説明されててチンプンカンプンだし、そしてなにより、物理や工学(機械工学・電気工学)にそれら数学科用の確率論がほとんど役立たないのが実情です。

しかも、これらルベーグ積分論がどうこうとか言ってる統計学のマズい箇所として、発想が時代遅れであり、まったく近年のパソコンを使った統計処理の実務に対応してません。(データの標本数が数千個以上や数万個以上もある場合の統計を、パソコンを使わずに個人で計算を行うのは現実的に無理です。)

どうしても理系むけの統計学の本を買うのなら、当面は理工系または工学系の統計学の入門書を買いましょう。

数理物理学などの一部の学派ではルベーグ積分論などを使うかもしれませんが、しかし数理物理学じたいが、物理学からも見放されています。また、自動車工学など実用的な工学から見放されています。


なお、そもそも理工系の場合、統計学をもちいて間接的に対象を解析するよりも、当面は、物理学・化学・機械工学・電気工学などを用いて直接的に解析したほうがお得です。

また、文科系でも習う「人文系・社会系の統計学」は、統計処理の数学的手法よりも大切なこととして、そもそも大元のデータの信憑性のほうが重要です。たとえば、経済統計なら、独裁国家の発表する経済統計とか、信用できますかね?

あるいは偏差値の低い高校の「生徒の家庭での自習時間のアンケート結果」とか、信用できますか?

もしデータの信憑性が低い状況で、それを数理的に統計処理する変換をしても、無駄になってしまいますよ。


さて、数理統計学には、カイ二乗分布とかF検定とかU検定とかT検定とか、いろいろな分布や統計が多くありすぎるので、統計数学の専攻の学者ではないかぎり、すべてに精通することは無理です。あまり深入りしないのがオススメです。

周辺知識を固めよう編集

(理論物理などの)「難しい理論を覚えるのが賢い」のではありません。

勉強を積み重ねていった結果、いままでは難しかった理論が、しだいに簡単に理解できてくることはあります。たとえば微分積分を学ぶと、力学が理解しやすくなるように。

難しい理論は、直接覚えるのではなく(大学では暗記しないとテストに合格しませんが)、前提となる周辺知識を固めていけばいいだけです。

理系にはゼミと輪読が無いことを念頭に編集

日本人の作った教科書は、単にアメリカ人の作った教科書をもとに、日本のカリキュラムに会うように変更しただけのものです。

日本の理系の大学教育は、ゼミが機能してないという実態なので、多くの分野で、教育カリキュラムなどが、前例周到主義的に決まっており、まともにカリキュラムが検証されていません。なお、理系の多くの学科には「輪読」(りんどく)の授業も無い状況です。輪読(りんどく)とは、読み応えのある専門書を数人で読んで、書籍の内容を確認しつつ、思うことを議論するような授業です。


アメリカでは、学部ではあまり専門的なことを教えてませんので、日本の理系大学の学部高学年の授業のああいう、なんか専門分野を計算練習するのは、日本人が勝手に考えたカリキュラムに過ぎず、あまり国際的にも検証されてません。

なので、日本人のつくる教科書の内容が、果たして本当に合理的、または教育効率がよいのか、実は、あまり検証もされてません。そういうのを検証しようとする人は、日本の理系の大学教育制度では高得点を取れませんし、ひょっとしたら、単位じたいを取れません。


一部の教科書にある上手い教え方とかは、じつは日本人の考えた内容ではなく、元ネタの欧米の教科書を書いた欧米人が検証した内容だったりする場合もあります。物理学とか、分かりやすいと思います。物理学教科書の分かりやすい説明は、ファインマン物理学とかランダウ物理学とかが元ネタだったりとか。

日本人の学者は、単に公式丸暗記みたなことをしていて、国際的に通用する教科書すらロクにかけず、アメリカ人の書いた教科書の型落ち品を、コピーしているだけだったりします。


文科系の大学教育には、「教科書の内容は、けっして絶対の真実ではなく、だからこそ研究者として教授を雇い、教授とともに議論をする教育が必要だ」という認識があり、そのため、ゼミなどの科目があります。

理系には、3~4年あたりで形式的に「輪講」(りんこう)とかの科目がある場合もありますが、あくまで形式です。実態は、卒業研究のための、単なる、計算練習などをする補修科目であったりする場合もあります。一部の大学の数学科以外は、まともに、ゼミによる学術的な議論が、機能してません。

ゼミが無いなら、そもそも、通学する大学教育である必要は、ほとんどありません。なぜなら、単に授業を聞くだけなら、放送大学みたいにビデオでも録画して、それを放映すればすむからです。

なので、日本の理系の大学は、高学年の教育内容は、あまり信用できません。


残念なことに教授じたいが、学生時代になにも考えずに教科書を鵜呑みにしてきただけの馬鹿が、大学教員に就職していたりします。そして、そういう馬鹿の教授であっても、大学の設備などがよければ、論文を書けてしまい、学会誌に掲載されてしまったりします。

そういう馬鹿な学者が大学生むけの教科書を書いてたりする場合もあるので、あまり、教科書を鵜呑みにしないようにしましょう。

教科書どころか、分野じたいが、腐ってたりします。

なので、マトモな分野を見分けるためのノウハウは、基本的に、

数学的な裏づけがあり、さらに、その裏づけを、数学者の多数が保証している。数学科は例外的に、ゼミがそこそこ機能している。
国際的に共通する分野であること。外国人が検証しているため。日本独自の規格などを前提にした科目は、基本的にアヤシイ。

整理中編集

発展的な化学と生物の勉強法編集

※ すでに教養課程の理工系向けの生物学の本を呼んでる事を前提に解説する。

このページ「独学ガイド/理工学一般/大学学部の中級レベルの科目」は、まだ書きかけです。加筆・訂正など、協力いただける皆様の編集を心からお待ちしております。また、ご意見などがありましたら、お気軽にトークページへどうぞ。

※ この節の著者は、生物が専門外なので、詳しい読者は上書きしてください。

医療看護系の入門レベルをあさる編集

まず、「医薬系のための生物学」とか「医療・看護系のための生物学」みたいなタイトルの教科書を買って読むとよいでしょう。(化学でも同様に、「薬学系のための化学」みたいなタイトルの教科書を買って読むとよいでしょう。)

なぜかというと、たとえば科学雑誌の医療記事などでも、たびたび紹介されるような、基本的な病気の知識とか薬品の知識とかですら、理工系向けの生物の教科書には、ほとんど書かれていません。

理工系にとって医療系は専門外とはいえ、すこしは基本的な薬品や病気の知識はあったほうが、生物学の勉強もはかどるでしょう。

また、一般庶民の医学的な知識には、あやしいデタラメ情報もあります。そういうデタラメ情報に惑わされないようにするため、専門書で確認するわけです。

しかし、かといって、医療系学部の学生用の「病理学」の本、「薬理学」の本、「生理学」の本、・・・など専門科目の書籍を買い揃えていたら、お金が掛かりすぎます。冊数が多くなるし、医学書は厚さが厚すぎるのです。(入門レベルですら500ページ(1科目あたり)とか) しかも、生理学の教科書などでは、いちいち大学生物学や大学化学の復習をしてくれません。また、「理工系の生物学」では、まだ習ってない内容が、医学書の専門科目の教科書では、第1章あたりから、いきなり出てくる場合もあります。

また、専門科目の医学書は当然、たとえば「生理学」の本を読んでも薬理学のことはほとんど書かれていないし、同様に「薬理学」の本を読んでも生理学のことは書かれていない、・・・といった調子です。なので、入門者用の総合的な知識が、専門科目の医学書では、身につけられません。

そもそも医療系の専門科目の教科書は説明の正確性が必要なので、そのぶん、かみくだいた表現はしづらく、はっきりいうと、辞書的に、他の入門書を確認するためにも医学系の専門科目の教科書はあるので、つまり理工系の学習者にはチンプンカンプンです。

また、分子生物学や薬学などの教育内容の中には、まだ未解明な部分も多くあります。それらの科目の教科書を読んでると「〜と考えられる」などの語句が、たくさん出てきます。「○○という薬品を△△と組み合わせて投与したら□□という現象が起きる事が知られているのだが、おそらく 〜〜 という仕組みであると考えられる」みたいな調子の記述が多くあります。それらの未解明知識を紹介する教科書では、未解明なので根拠となった多くの実験事実を紹介する必要があり、なので、学習者は、いろんな事例を学ぶ必要が生じます。そのような多くの事例を初学者がいきなり学ぶのは、ともすれば丸暗記の勉強におちいりやすく、科学の本質的な理解をさまたげる可能性があります。

また、そもそも、この記事を読んでいる私達は理工系の志望であり、医師や薬剤師などは目指していませんので、そのような事例を覚える必要がありません。そのような医薬品の事例を覚える事は、理工系のエンジニアの仕事ではないでしょう。

おそらく、初学者向けの教科書(「医薬系のための生物学」「医療・看護系のための生物学」みたいなタイトルの本)に書かれない知識は、このような丸暗記を防ぐためなどの、きちんとした理由があって、あえて初学者用の教科書には書かれていないのでしょう。(※ 知ったふうな事を書いたが、実はまだ私(利用者:すじにくシチュー)は、これらの本(「医薬系のための生物学」)を読んでない。)

だから、なので理工系として基礎医学を学ぶさい、「医薬系のための生物学」「医薬系のための化学」「医療・看護系のための生物学」みたいなタイトルの本で、まずは入門しましょう。

なお、もし、理工系志望だが、どうしても生理学や薬理学などの専門科目の教科書の内容を学びたい場合には、看護系学生用の教科書や「コメディカル」用とうたってる教科書で、やや詳しめの記述の教科書を買うと良いでしょう。厚さの目安は、300ページ以上(1冊あたり)が目安でしょう。

なかでも、「生理学」の分野が入門的な科目です。薬理学よりも先に、生理学の本を読むのがオススメです。

(いちおう、医学部向けの入門書もあるのだろうが、それを探すよりも、看護学部系の入門書のほうが入手しやすいし、値段も安いだろう。)

もちろん、「医療・看護系のための生物学」および「薬学系のための化学」などを読んで学んだ上なのでのハナシです。

なぜ、薬理学よりも先に生理学を読む必要があるかというと、まずは健康な体を知る必要があるからです。

スポーツや芸術などを学ぶ際、まずはトップクラスの人の動作を学ぶのと同じ理屈です。あるいは英会話を学ぶ際、イギリス人やアメリカ人の正確な発音を学ぶのと同じ理屈です。

まずは、生理学を学んでください。生理学の教科書にも、薬理学などの入門的な知識は掛かれています。

医学の分野で「〇理学」という名前の科目は、主に、生理学、薬理学、病理学があります。

病理学の学習は、後回しにしてください。つまり、病理学を学び始めるのは、少なくとも生理学や薬理学を学んだあとに、してください。

なぜなら、病理学の本には、病気の状態の器官の写真なども載っており、解剖学の知識がないと、手におえません。病理学の本でガンにかかった内蔵写真を見せられても、そもそも(医療系学生でない)一般の人は、ガンにかかってない状態の内蔵写真を、まだ確認していません。そしてその解剖学は、まずは生理学・生物学の知識を、ある程度は持ってないと、手におえません。

そして、病気の状態の体を学ぶ前に、まず、正常な体を学ぶ必要があります。(英会話を学ぶ際にイギリス人やアメリカ人の正確な発音を学ぶべきな事と同じ理屈。)少なくとも生理学を、病理学よりも先に学んでください。できれば、薬理学や解剖学も、病理学よりも先に学ぶと良いでしょう。

医学教科書や看護学教科書の出版社による医療系書籍の広告でも、紹介する科目は「生理学」→「薬理学」→「病理学」という順序になっているのが普通です。出版社によっては、生理学の前に「解剖学」が来る場合もあります。(つまり、「解剖学」→「生理学」→「薬理学」→「病理学」という順序) この順序には、上述のような意味(「病理学よりも先に生理学を学んでください」という意味)があると思います。

どうしても病理学の知識を確認する必要のある場合、たとえば、重い病気に自分や家族や友人がなってしまい、「病理学の正確な知識を確認したい」という目的があるなどの理由のないかぎり、病理学は後回しで良いでしょう。

さて、当初の私達(理工系)の目的を忘れないようにしましょう。目的は、あくまで、理科系の人間として把握しておくべき基礎的な医療知識を学んでおくのが、医療看護系の入門レベルをあさる目的です。

あと、生理学など、こういう応用的な分野の学習では、もし読んでるときに分からない語句があっても、とりあえず次の章あたりまで読み進めます。

なぜなら、まだ習ってない語句でも、平気で出てきたりします。

高校の教科書とは違って、いちいち、のちの章で習う未習の語句に「○○ページ参照」とか、生理学などの教科書では、あまり書いてくれません。

専門用語の数がとても多く、いちいち、どの語句がどのページで重点的に解説されるかを、いちいち細かく記載してられないのです。(いちおう巻末索引はあるが、ただの索引である。)


自称「薬理学」という名の生物学編集

自称「薬理学」の本は、科目名は「薬理」なので、いかにも薬品の化学っぽく見えますが、実態は生物学のうち、薬品に関係ありそうな分野を独立させた科目です。

そして、生理学の教科書を見ても、生理学の教科書には書かれていない生物学の話題が多くあります。


たとえば生理活性物質で「プロスラグランジン」という、哺乳類なら、どんな動物でも、ほとんど存在する脂肪酸系の体内物質があるのですが、

なんとこの物質「プロスタグランジン」は、医学書院『標準生理学』(第8版)などの分厚い「生理学」の医学書を見ても、巻末索引には書かれてないのです。

いっぽう、薬理学の本を読めば、看護学の薬理の本ですら(南江堂の「シンプル薬理学」など)、プロスタグランジンが書かれています。

そして困ったことに、本来なら生物学の教科書が扱うべき話題ですが、しかし生物学の教科書の多くは、プロスタグランジンなどの生理活性物質を省略しています。(代わりに、遺伝子工学やiPS細胞などに話題が割かれる事が多い。)


このプロスタグランジンのように、なぜか生物学・生理学の教科書には書かれてない生物知識が多くあります。


なので、生理学の教科書だけでなく、

薬理学
免疫学

の本も読んでください。

免疫学を読む理由は、たとえば「レクチン」という、これまた哺乳類どころか、無セキツイ動物や植物にすら存在する糖タンパク質があり、「免疫学」の入門書(生物学科でも習う)にはレクチンについて詳しく書かれているのですが(というか、糖蛋白質の総称を「レクチン」という)、なんと医学書の生理学の本を読んでもレクチンの記述は皆無だったりします。


このように、医学教育の周辺は「科目名に偽りアリ」みたいな状態になっており、人体生理や動物生理の基本的な話題が、なぜか「生理学」科目以外の教科書でないと書かれていない状態です。

なので、科目名に騙されず、「薬理学」や「免疫学」の本も読みましょう。


市販の医学教科書の「生理学」や「薬理学」の分類は、医学研究者(医学部の教授などによる研究)のための分類になっています。なので、この科目名に偽りアリみたいな現状も、これはこれで医学研究者のためには必要なのですが、しかし、私達のような理工系の初学者にとっては不適切な分類ですので、科目名を真に受けないようにしましょう。


薬理学の学習では、けっして全ての薬物名を細かく覚える必要は無い[1][2]。また、薬の化学構造式を追覚える必要は無い[3]。せいぜい代表的な薬物の100個くらいを、そおの名前だけでなく説明とともに理解すればいいだけである[4]

現在、処方箋に使われている医薬品の成分は2000個以上にも上ると言われているが、2000個もの暗記は不要である[5]


免疫学は深入りしなくていい(まだ未解明が多いので)

さて、『免疫学』科目の教科書は、読んだほうがいいのですが、しかし読んでも、最終的に得た知識を薬の取り扱いや病気の診断などの臨床でどう使うかは、あまり細かく書いておらず、薬理学や病理学と同じ程度の臨床への言及でしかないです。せいぜい、免疫疾患の話題にだけ、少しだけ免疫学の教科書のほうが詳しい場合もあるくらいです。

免疫学の教科書には「MHCクラス2」や「C型レクチン」の仕組みなどのような、他の科目の教科書にない話題は書いてあります。ですが、ではその「MHCクラス2」や「C型レクチン」といった最新の分子生物学的な話題が、どう臨床の応用に結ぶつくか、まだ人類には不明瞭であり、したがって免疫学の教科書にもそういう分子生物学的からの臨床応用の話題は無いです。あるいは、免疫の全体像がどうなってるのか、まだまだ未解明なことが多く、やや断片的であり、あまり体系的・大系的ではありません。

このように、人類の免疫学では、まだあまり臨床に結びつきそうな大したことは解明できていません。裏を返せば研究者にとっては研究の余地があるわけですが、しかし初学者・独学者の私たちには、そういう研究はまだ遠い話題です。


そもそも、そういう臨床的に応用できるほどの話題がもし仮に解明されたとしたら、薬理学や病理学などの教科書でも紹介される事になるハズです。

なので、『免疫学』は、たしかに読んだほうが良いのですが、しかしあまり深入りして暗記するような事でもなく、なんというか「読んどいてね」って感じの分野です。


「生理学」とは、どんな科目か編集

そもそも「生理学」自体、字面だけ見ると、生命の理論の学問ですが、しかし実際の生理学の教育内容は、字面とは違います。

生理学の内容は、人体の臓器(心臓や肺や肝臓など)や組織(皮膚組織は神経組織や筋肉組織など)などの、それぞれの臓器・組織ごとの、各部の細胞の性質や、臓器・組織の生物学的な性質の概要です。

たとえば、心臓なら、「生理学」の教科書では書かれているのは、心筋の膜電位がどうのこうのとか、その電位が洞房結節とどう関係するかとか、そういう臓器ごとの各論的な話題が、こまかく書いてあったりします。


なので、「生理学」には、やや解剖学っぽい要素もあります。看護学の教科書などだと、「解剖生理学」などという科目もあるくらいです。

「生理学」は、このように臓器ごとなどに分割して学習していく内容なので、プロスタグランジンだのレクチン(「レプチン」とは異なる)だの、特定の臓器に依存しない生理物質の話題が(「生理」物質であるにもかかわらず)、書かれていないのです(医学書院『標準生理学』第8版の巻末の索引では、見当たらない)。(ただし、文光堂『生理学テキスト』第8版には「プロスタグランジン」についても説明も書かれている。さすがに「レクチン」については『生理学テキスト』にも書かれていない。)


もちろん、実際の動物には臓器がありますので、生理学のように臓器ごとに特性を学ぶのは、これはこれで必要ですが、しかし、それだけが生物学ではないのです。

ともかく、字面にとらわれず、生理学・薬理学・免疫学などをバランスよく勉強しましょう。

ヒト免疫学と獣医免疫学などの件編集

(生理学でなく)、高校や大学教養課程などで生物学(バイオロジー)は、人間だけでなく、植物や昆虫なども扱います。

では、「免疫学」や「薬理学」などは、人間以外も扱うのでしょうか。

結論を言うと、市販の「免疫学」の教科書は、医者用の人間の免疫学および、獣医用のイヌ・ネコ用免疫学や、ウマ・ウシなど畜産動物用の免疫学など、それぞれ分野ごとに分かれています。

人獣共通の免疫学テキストというのは、分厚い教科書では、無い状態です。


洋書などで「免疫学」と銘打っている500ページや1000ページくらいの教科書も、あれはヒトの治療用の医者のための免疫学しか、扱っていません。

イヌやネコにも免疫があるのにかかわらず、免疫学の教科書のほとんどは、特に「獣医免疫学」などの獣医用を明記した書名でないかぎり、ヒト免疫学です。

薬理学も同様です。

学説の食い違い編集

法学などだと、対立する学説でも要点・概要を紹介したり、対立する文献でも必要に応じて引用したりしますが(たとえば有斐閣の分厚い法学書などで容易に確認できる)、しかし医学書は残念ながら、そこまで情報共有などが進歩していないです。

『薬理学』や『病理学』など基礎医学の科目ですら、教科書後半にある各論に入ると、いくつか学説が食い違っている箇所もあります。

なので、まあ、医学書を読む際は、いろいろと気をつけましょう。

なるほど、法学部が日本の文系大卒エリートなわけですね。

「農学部」は事実上の生物学科編集

医療系の初歩は看護学で学べることは上述でわかりましたが、では、大学の「農学部」で習うことを、理工系はどう扱うべきでしょうか。

じつは「農学部」とは、現在では名前こそ「農」業の学部ですが、しかし現在では、農学部の教育内容は理学部の生物学科とほとんど同じです。農学部の大学カリキュラムで農業専門のような内容は、いいわけ程度に「農業実習」のような名前の科目が少しあるだけです。有機化学や生化学などの大学化学も農学部で習いますが、そういうのは生物学科でも習います。

卒業生の進路も、食品メーカーや一般の製造業や商社などだったりして、農業とは無関係の進路の場合も多くあります。企業側もあまり農学の知識を重視してないのが実態でしょう。

もし農学部が無いと、農業高校などの教員になる人などを国や都道府県が確保できなくなったりするので、しかたなく農学部が存続するだけです。

理工系の人にとっては、生物学と初歩の医学を学べば充分であり、大学レベルとしての農学のテキストを探す必要は無いし、そもそも農学専門で高等数学などを駆使するような教材が、専門書店にすら、ほとんどありません。


分子生物学などの分厚い教科書の読み方編集

洋書の「分子生物学」などのように、生物学で専門的な厚い教科書は、情報が多すぎるので、すべてを覚えることは無理でしょう。

なので洋書「分子生物学」などの活用法としては、あらかじめ、別の本として教養生物学や、日本人の書いた医学書・看護学書などの生理学などの本をいろいろと読んでおいて、気になったことを分子生物学の本で事典のように調べるようにしましょう。

いきなり、洋書の生物学の専門科目の分厚い教科書を読んでも、ほとんど頭に入らないでしょう。

高校の看護科教科書の問題点編集

高校の看護科(職業高校にそういう学科がある)の検定教科書で、 生理学・薬理学・病理学などを一つか二つのの科目にまとめたのがありますが、 しかしこれ(高校教科書)で医学・看護学を独学するのは無理です。


職業高校(今では「専門高校」という)の看護科の検定教科書だけを読んでも、頭に入りません。


どうあがいても医学書では、厚さとして、本来は1科目あたり『標準生理学』あたりの厚さ(800ページ以上)が必要です。


なので、基礎医学を職業高校みたいに、5つか6つの科目(生理学・薬理学・病理学・公衆衛生・実技・生化学・栄養学などなど)を1~2冊にまとめようとすると、色々と細かな破綻があります。

なので高校の看護科の教科書は、持っているなら、使い方は資料集のように雰囲気を掴むだけにしましょう。


実は、高校の看護科の教科書は、不正確な部分があります。


なぜなら、『標準生理学』や『標準薬理学』などの内容を高校教科書1冊に無理やりに縮めているので、 どうしても説明に不正確な部分が生じてしまうのです。

実際、高校教科書で、薬理学や病理学の各論に該当する単元を見ると、説明がやや不正確です。

なので、高校教科書を学習のベースにするのは、まったくお勧めできません。

こっから先は、それぞれの人が各自の志望に合わせて、自身で学習法を考えてください。


デマ的なニセ勉強法・ニセ研究法にダマサレないように注意編集

ニセ勉強法のひとつ、「ひとつの学問ばかりに打ち込むのが良い」編集

世の中には、大して勉強をしてないのに、あるいは何も研究してないのに、勉強法や研究法について主張する人がいます。

もちろん、そのような「勉強法」(自称)の多くは、ニセ勉強法であり、間違った内容であり、非効率もしくは有害です。

典型的なニセ勉強法は、「ひとつの学問ばかりに打ち込むのが良い」です。

研究の場合は、ニセ勉強法は「ひとつの研究テーマに打ち込むのが良い」です。

なぜ手法「ひとつの学問ばかりに打ち込むのが良い」がニセ勉強法なのかというと・・・、それはですね、「ひとつの学問ばかりに打ち込むのが良い」という主張を言う人はですね、数式の式変形などの確認行為をせずに丸暗記ばかりをしている人なんですよ。

数学による確認をしない他にも、たとえば丸暗記バカの彼/彼女が、物理学の公式を暗記する際なら、化学の教科書に書かれてる理論と照らし合わせたりなどの確認も、しない人なんですよ。

そういう丸暗記ばかりして理解していない人が、テレビなどで報道されている研究者の行動だけを(テレビなどで)見ると、あたかも、研究者が「ひとつの学問に打ち込んでいる」かのように見えるんですよ。

だから、ニセ勉強法を主張している人自身は、ウソを教えている自覚がありません。

実際の研究というのは、例えば例えばアインシュタインは、有名な「相対性理論」で、当時は物理とは無関係と考えられていた数学の一分野である「微分幾何学」「リーマン幾何学」という数学理論を活用しています。

ほかの物理学者も、物理学者のディラックが線形代数を参考にしたり、あるいは素粒子の日本人研究者が超伝導を参考にしたり、いろいろと他分野の知識を参考にしています。


しかし、まったく勉強してない人(つまりニセ勉強法を主張する人)は、大学レベルの物理学書なんて読まないので、そもそも方程式を見る事がありませんし、説明しても理解できません。

なので、そういうニセ勉強法を主張する人は、かわりにテレビの報道などから、科学技術の情報を入手する事になります。

で、テレビでは、科学技術の報道につかえる時間が数分か、多くても数十分という都合上、数学的背景など科学的背景の説明を大幅に省略して、例えば科学技術の業績を上げて賞賛の報道をされている人がノーベル賞をとった物理学者なら、「長年、物理学を研究していた!」と報道します。ノーベル賞学者が成果をあげた研究テーマに関連のある、他の研究テーマについては、そもそもマスコミは報道をしません。

すると、まったく勉強してない人(つまりニセ勉強法を主張する人)は、そのノーベル物理学者が、まるで物理学しか勉強・研究してないかのような錯覚をおこし、しかも、まるで1つの研究テーマしか研究してないかの錯覚を起こします。

例えるなら、大学入試の時に、入試に数学の出ない私大の経済学部が多いせいで、あたかも「経済学では数学を用いない」と勘違いをしているバカが世間にはいますが、それと同様です。(大学からは一切、「経済学では数学なんて用いないぞ!」なんて主張してないのに、入試で要求しないだけで勘違いするバカが世間には多い。)

同様に、ニュース局や新聞社などの報道機関は一切、「その物理学者が、物理学科で習う内容を超える数学は、勉強・研究していなかった!!」なんて報道してないし、「テレビで紹介した研究テーマ以外には、そのノーベル学者は研究してない!」なんて報道してないのに、世間のバカは「物理学者の研究では、数学を勉強しない! ノーベル学者は、ひとつの研究しかしてない!!」というような勘違いを起こします。

このようにして、典型的なニセ勉強法である「ひとつの学問ばかりに打ち込むのが良い」が出来上がります。

なので、この手のニセ勉強法は、けっして信用してはいけません。


ところが困ったことに、目先の事しか考えない一部の大学では、大学教員が学生に行うテストでの(学生の)得点を挙げるだけを考えて、「自分の学科の大学で習う科目ばかりに打ち込むのが、研究手法としても良い」などと主張します。(そもそも、現在の大学カリキュラムが、そういう近視眼的に少数科目に集中しないと進級卒業できないようなカリキュラムになっている。)

例えばアインシュタインは、有名な「相対性理論」の他にも、ブラウン運動の数学的研究や光電効果の研究など、いろんな研究をしています。

相対性理論そのものも、当時は物理とは無関係と考えられていた数学の一分野である「微分幾何学」「リーマン幾何学」という数学理論を活用しています。

マクスウェルの方程式のアイディアのもとになった化学者・物理学者ファラデーですら、電気磁気の法則だけの研究でなく、ロウソクの燃焼のしくみなどを研究しています。

このように、研究者は、複数個の関連ある研究テーマをかかえ、そのため数年ごとに研究テーマが変わったり、研究テーマを交代したりします。そもそも日本でも、何割かの大学教授は一般的に、研究室の学生にさまざまな志望に対応するために、3つくらいの研究テーマを抱えている教授もいます。


にもかかわらず、世間のバカは「ノーベル賞を取る科学者の研究手法では、ひとつの研究テーマしかしてない!!」というような勘違いを起こします。

世間のバカによる、アインシュタインについての勘違いの例では、そもそも世間のバカは、微分幾何学の書かれたような専門書は読みませんので、勘違いに一生のあいだ、気づきません。

子供向けに書かれた、偉人伝『アインシュタイン』とかにある、数式なしのエピソードとかしか、世間のバカは読みません。

そして、偉人伝には微分積分の方程式はないので、世間のバカは、『アインシュタインは数学を、ろくに勉強・研究してない!』という類の勘違いを、よく起こします(おそらく、エジソンとアインシュタインとを混同している)。

実際には、アインシュタインは、けっこう数学に詳しかったようです。大学の数学の成績が良くなかっただけであり(つまり大学教員(数学を教えていたのは数学者ミンコフスキー)がピント外れの内容を教えてただけ)、数学そのものについてはアインシュタインは自分で色々と勉強していたようであり、また数学者グラスマンなどの友人もアインシュタインには居ます。


物理学と数学を例に説明しましたが、べつに、この組み合わせに限らずに、どんどんと色々な科目を勉強しましょう。


また、「ひとつの学問ばかりに打ち込むのが良い」という手法だと、そもそも、最近のコンピュータ工学やバイオテクノロジーや再生医療の新手法のような、新しい研究テーマは、一切、研究できないという欠点があります。

なぜなら、研究者が大学を卒業した頃には、まだ、そのテーマがなかったという場合がほとんどだからです。

バイオや再生医療などで例えるなら、たとえば、1990年代には、iPS細胞は未発見でしたので、2000年代以前に大学を卒業した人は、一切、iPS細胞を研究できない事になります。

コンピュータなども同様で、1980年代以前に大学卒業した人は、一切、インターネットやCDやDVDやブルーレイ、他にはUSBフラッシュメモリなどは研究できない事になります。

要するに、「ひとつの学問ばかりに打ち込むのが良い」という勉強法を主張している人は、ろくに何も勉強してない人です。

iPS細胞もろくに勉強せず、大学生物学の教科書を買い直したりもしていません。つまり、iPS細胞だけを勉強していないのではなく、他の事も勉強していない人です。

こいつらは、狂牛病についても、大学生物学の教科書で勉強していません。こいつらはES細胞についても、生物学の教科書で勉強していません。こいつらはエイズについても、大学生物学の教科書では勉強していません。

iPS細胞もES細胞も発光タンパク質も狂牛病もエイズも、これらはすべて、たった1冊の大学生物学の教科書で勉強できる事なのに、なのに「ひとつの学問ばかりに打ち込むのが良い」という人は、そのたった1冊すらも勉強しなかった人達なのです。

しかも、その、たった1冊の大学生物学の教科書を読めるようになるために必要な学力とは、高校生むけの参考書を読めば身につく学力なのです。

まともに理工系の学問を勉強してる人ならば、例えばES細胞が発見された時には、たとい自分の専門外でも、そのうち、ES細胞の理解のための生物学の勉強を始めます。化学の研究者なら、「生物学の最新発見が、何か有機化学に役立つかも?」とか考えるので、専門外の生物学でも勉強する気になるのです。機械エンジニアや電気エンジニアでも、「将来的に、医療機器の設計技術の参考になるかも?」とか考えるので、専門外の生物学でも、そのうち勉強する気になるのです。

べつに、テレビでの報道直後に、すぐにES細胞を勉強しなくてもいいのですが、数年がたてば、(基礎学力があるなら)勉強する気になるものです。ES細胞の発見から年月がたって、iPS細胞が発見されてから数年たった時に、「大学生物学の教科書で、iPSとESをまとめて勉強しよう」というような気持ちになるものです。

だから、勉強テーマを何も変えない人は、そもそも何も、研究してない人なのです。

要するに、勉強テーマを何も変えない人とは、知識のアップデートを怠っている人なのです。

まったく知識のアップデートをしない人が、研究できるわけは、ありません。

べつに、けっして毎日、大学教科書などで専門外の知識アップデートをする必要はないのです。せいぜい定期的に数年〜10年ごとに、教科書で知識アップデートをすれだけで済むのです。

そもそも、高校教科書および大学低学年の教科書は、そういう知識アップデートの目的で、書かれています。今の高校や大学の教科書を読めば、たいてい、マスコミなどで報道された科学学術についても、専門的な説明をしています。

テレビで報道されていなくても、学術雑誌などで大きく特集が繰り返された話題なら、たいてい、大学の専門科目の教科書を読めば、書いてあります。

なおテレビや新聞などでの科学技術の出来事の報道は、科学知識のアップデートではなく、「こういうアップデートが必要かもしれない」と言う事を連絡してきただけの通知に過ぎません。

例えるなら、パソコンでウイルス対策のセキュリティアップデートの通知がネット経由で来ても、もし実際にアップデートを実行しなければ、結局はセキュリティはアップデートされないままなのと同様です。

学問の知識のアップデートとは、高校や大学の教科書を読むことなのです。

専門外の知識アップデートができてない人というのは、そもそも「専門分野」(自称)の知識すら、アップデートをできてない人なのです。


数学者ですら、よほどの未解決問題にとりかかっている一部の数学者を除けば、いろんな事を勉強し、専門外の知識もアップデートします。

わかりやすい例が、たとえばコンピュータ技術やインターネット技術などの情報工学・情報科学などを、数学者も勉強したりします。大学の数学科で、インターネットの工学理論を教えるかどうかは別として、ふつうの数学者なら、情報工学の教科書をときどき読んでいるでしょう。

なぜなら、「離散数学」(りさん すうがく)という、コンピュータ技術をもとに体系化された分野が、数学にあるからです。

また、経済学などでも用いる数学も、数学者なら、勉強するでしょう。

そもそも総合大学では、その総合大学の経済学部などの文科系学生に数学を教えている教員が、数学者だったりします。なので、数学者でも、経済数学を勉強するのです。

ハイテク分野を書籍を選ぶ際には「◯◯学入門」的なタイトルの教科書を選ぶ編集

ロボット技術とか、ナノテクノロジーとかバイオテクノロジーとか、それらの分野を教科書で勉強したい際に、どのような大学教科書を選ぶかというと、まず教科書のタイトルに注目して、タイトルが「◯◯学入門」的なタイトルの教科書を選ぶ必要があります。

ハイテク分野の教科書には大きく分けると二種類あって、先端分野をこれから勉強しようとする人のための入門書と、すでに勉強している人が、細かい情報を確認するためのアップデート用の教科書やハンドブックです。

ハイテク分野の、この2種類の教科書のうち、入門書のほうには、タイトルに分かりやすく「入門」とか「ベーシック」とか「テキスト」(「教科書」という意味)とか「講義」とか、書いてありますので、タイトル中の語句を参考にして、教科書を選ぶと効率的です。

なお、タイトルに「入門」とか書いてなくても、専門外の人の勉強に向けた本もありますが、しかし、買う前に見分けるのが、その分野の初学者には困難なので、わざわざ「入門」とことわりを入れてない教科書をえらぶ必要がありません。

なお、このような入門的なハイテク教科書の値段は、だいたい、2500〜4000円くらいでしょう。とりあえず、インフレが日本経済で起きない限り、ハイテク入門書の値段で10万円はしません。

いっぽう、専門外の人にとっては、いきなり、専門家向けのアップデート用に細かい情報が書かれた教科書やハンドブックのほうを読んでも、まったく理解できません。

また、値段が高いのです、専門家向けにアップデート用に細かい情報が書かれた教科書・ハンドブックのほうは。

専門家向けアップデート用の教科書の値段は、5000〜10000円だったり、ハンドブックだと、さらに高価で2万円〜4万円もする場合もあります。しかも、せっかく頑張ってアップデート用の教科書・ハンドブックを勉強しても、専門外の自分が応用できるようになる頃には、時代遅れの知識になっている場合もあります。


なので、ハイテク分野をこれから勉強しようとする際は、タイトル名と値段の情報を参考にして、専門外からの入門者向けの教科書を探して買うようにしましょう。

なお、ハイテクではありませんが、コンピュータのプログラミング言語(「C言語」など)を勉強したい際にも、タイトルに「入門」とか入ってる本を読むと、初心者向けの本を選べます。

最新技術についての情報には、マチガイもある編集

有機ELやフラッシュメモリなど最新の電子材料とかの勉強をしたい場合に、どのような書籍を選ぶべきかというと、近年に出版された教科書を選ぶ必要があります。

その教科書の巻末にある出版年の情報を読んで、著作年がここ数年である事を確認してください。著作年が10年以上も前で改定もされてない書籍は、内容が間違っている情報が放置されている場合もありますので、けっして内容を鵜呑み(うのみ)にしないでください。

メーカー企業が、ハッタリを言う場合もあります。たとえばフラッシュメモリは、2005年ごろの普及の当初は、書き換え回数の制限の寿命の事実はなるべく隠されていました。(実際は違い、書き換え回数に制限があり、1つの記憶素子あたり何万回とかの寿命があります。)

光学ディスクのCD-RWやDVD-RWも、あたかも何回でも書き換えられるCD/DVDかのように宣伝されていましたが、実際は、たとえばディスク全体に書き込みをするISO書き込みなどを5回ほど行うと、それ以降はそのディスクは書き換え不可能になります。

このように、企業は、製品の性能を誇張します。


そのような誇張とは別に、大学の教科書では、単に誤解などによって、ここ数年に急に話題になったような最新の技術については、説明を間違える場合もあります。

特に半導体やUSBメモリや磁気ハードディスクといった電子部品の構造や原理については、開発している企業側も情報を隠したりするので、なかなか正確な情報が大学に伝わっておらず、そのため、教科書の内容が、やや不正確な場合があります。

具体的にいうと、フラッシュメモリや有機EL、ハードディスクの垂直磁気記録など、2001〜2005年ごろに話題になり始めた電子部品についての情報は、2005年ごろに著作された教科書なら、話題になってからまだ年月があまり経ってないうちに出版されてるので、あまり教科書を鵜呑みにしないぽうが良いでしょう。

これらの最新デバイスについての情報を確認したいなら、なるべく近年に出版された大学教科書で確認するべきです。

例として電子部品を挙げましたが、なにも電子工学にかぎらず、機械工学でも情報工学でも、最先端の情報については、残念ながら著者がまちがえてしまう場合もあります。

また、最先端でなくても、半導体製造装置 や 自動車組み立てロボット などのような製造装置についての情報などは、企業側が秘密にしたがるので、もしかしたら、教科書の説明がすこし間違っていても、企業側が指摘せずに、間違いが放置されているまま かもしれません。

また、企業の技術者が書いた技術書ですら、かならずしも他社の製造装置の詳細までは知らないだろうし、もしかしたら、その会社の製品以外の説明が、やや間違っているかもしれません。

たとえば、フラッシュメモリを出していない会社の技術者が電子工学について書いた書籍なら、もしかしたら、フラッシュメモリの原理説明は間違っているかもしれません。たとえその技術者の勤務する会社が、高品質なハードディスクや有機ELや青色発光ダイオードなどを開発して製品化していたとしても、製品にしていないフラッシュメモリについては書籍の情報が間違っているかもしれない、・・・こんくらい用心深く、書籍を読む必要があります。


もし教科書に、ここ数年に発明されたばかりの技術についての説明があれば、もしかしたら、教科書の説明じたいがやや不正確でマチガイが含まれている可能性もありますので、けっして「教科書だから」って鵜呑みにせずに、読書後に時々 その分野の情報を別の著者の教科書などで調べなおして、自分の知識を修正してアップデートしていく必要があります。

なので、もし、ある教科書を読んでも、あんまり、最新の技術の原理が理解できなければ、そもそも教科書の情報が間違っているために分かりづらい場合がありますので、あまり、そのような情報追っかけに時間を費やさずに、他の教科書を勉強しましょう。

先端分野の教科書を信用しすぎないように編集

大学高学年レベルの先端分野の教科書には、まちがった事が書かれてる場合もあります。マチガイといえなくても、ピント外れの事が書かれている場合もあります。

なぜかというと、高学年・院生むけの教科書は単に、著者である学者が論文の内容をまとめて、入門者むけに順序だてて解説したものだからです。

たいていの場合、その論文の著者と、教科書の著者とが、おなじ人物だったりします。つまり、単に自説を教科書にまとめただけです。

「教科書があるから」って、おおもとの論文そのものが正しいかどうかは、不明です。


「おおもとの論文が学会誌に掲載されてる」といっても、そもそも学会誌というのは、単に、学者から投稿された論文に新説があり、一定水準以上の計算や実験データによる検証手続きがあれば、送られてきた論文を紹介するだけのものです。

つまり、その論文が正しいかどうかなんて、学会は判定してません。また、学会じたい、理系の学会だけでも、日本には何百個も学会があります。

それどころか、ひとつの学会内部でも、学会員どうしで、学説が対立している場合もあります。

表立っては「オマエの学説は間違ってる!」という学者は少ないですが、実際は、「この論文は間違ってる」と思う論文は、単にその論文データを無視したり軽視したりします。


ノーベル賞を受賞する学説ですら、正しいかどうかは不明です。

具体例として、理系向けの文庫本を出してる講談社ブルーバックスでは『プリオン説はほんとうか?―タンパク質病原体説をめぐるミステリー』で、著者がノーベル賞受賞者のプルシナー(人名)の学説に、異論をとなえています。


ダメな理論ほど、論文が増え、科目が増える編集

理論物理や化学の理論など、実験系の学問の理論分野は、実験と理論の両方に精通する必要があり、論文を書くのが大変です。

いっぽう、応用数学や情報科学などは、実験や実用化が不要な分野なので、わりかし論文を書きやすいのです。(学会誌に掲載されるかどうかは別ですが・・・)

なので、要するに、論文の書き易い分野ほど、新たな論文がドンドンと発表されます。もちろん、学問の発展のためには、ドンドンと論文を出してもらう事が必要です。

しかし、その理論の論文の知見についての習熟が、はたして教育的な効果が高いのかどうか、不明です。


とにかく、論文を書きやすい分野ほど、論文が増えます。

そして教科書も、論文を書きやすい分野ほど、新しい科目や教科が、増えていきます。

『離散数学』とか、『線形代数』とか、それを用いた工学理論などは論文を書きやすいのです。

離散数学は、計算自体はしょせん、微分積分を使わないし、初等数学です。線形代数も、計算自体はしょせん、連立一次方程式です。

なので、これらの数学をもちいた工学理論は、たいした数学を使わないのに、数学的な(当時の)最新手法を使ってるので、論文が簡単に書けたわけです。

どっかの昔の工学者が、線形代数を使って、(定数係数の)微分方程式の連立方程式を記述した制御工学の論文などを書こうが、しょせん中身は、定数係数の連立微分方程式ですので、大した発見があるわけではありません。

しかし、こういう分野は、論文がかきやすいのです。しかも、数学の最新理論を使ってるので、仕事のほしい数学者が、その理論を褒めます。

要するに、まるで官僚機構の肥大化のように、仕事のほしい数学者によって、応用数学が肥大化していくのです。


昔っからある分野は、単に『物理学』や『化学』など、ひとつの科目名にまとめられる一方で、最近の分野ほど、独立した『情報◯◯工学』とか『◯◯制御理論』とか、独自の科目に分けられていきます。そして、大学の卒業要件の単位数に含まれる単位数の割合も、最新の理論のほうが、割合が高まっていきます。(もっとも、これには学生をなるべく最新分野に誘導するという長所もある。)


しかし、論文を書きやすいという事は、裏を返すと、あまり実証的な裏付けがされてない、という意味でもあります。


大学で流行している学問分野は、論文を書き易い分野です。けっして、実用的な分野が、大学で流行してるわけではありません。


ダメな工学者の書いたダメな応用数学の分野の理論の特徴として、計算方法が特定の計算手法に統一されている、という特徴があります。

たとえば、微分方程式を解くのなら、数学的には色んな方法がありますが、なぜか「ラプラス変換で解かなければならない」などの特徴があります。

しかも、学者が使いたい数学手法にあわせて、設計の状況を仮定します。

たとえば、設計において、線形代数の行列をもちいた微分方程式を連立させる状況ってのは、どういう状況かというのを無視して、その工学者が線形代数をつかった工学の論文を書きたいので、状況を「行列と連立微分方程式が必要な状況」と仮定します。

連立微分方程式が、かならずしも定数係数とはかぎりませんし、物理学では流体力学などで非線形の方程式も多くありますが、しかし、そんなのは無視して、工学者は設計状況を定数係数に仮定します。


このように、どういう状況でその式を使うのか不明ですが、「最初に式ありき」で、工学者が理論を構築します。しかも、こういう「式ありき」の理論はペーパーテストに出題しやすいので、大学でも多く教育されています。

数学者も、自分の仕事が増えるので、そういう工学者を支持します。

冷静に考えて、計算は単純なほうが好ましい。また、そもそも非線形の分野では、線形代数が無力になりますので、あまり行列の次数を増やすのは、得策ではない場合もあります。しかし、仕事のほしい工学者や数学者は、そういう不都合な現実を無視します。


「計算方法が特定の計算手法に統一されている」という特徴があるのも、そもそもダメな工学者・応用数学者が、自身の使いたい数学手法にあわせて、設計の状況を仮定してるからです。しかも、計算手法の統一には根拠がないので、独学が困難ですから、教育機関にとっては都合がいいのです。

また、そういう、計算手法の勝手に統一された分野は、文部省の高校教育のカリキュラム担当の人が相手にしないので、高校カリキュラムからは外れており、独学が困難です。なので、大学という、カネをとって専門知識を教える機関にとっては、商売のタネになります。

要するに、けっして、製造業などの労働現場の裏付けによって、その理論の正解が決まってる実証主義ではなく、東京大学とかハーバード大学とかの、どっかの偉い学者さんが賛成したから決まっている、という学閥権威主義なのです。

そのようなダメな学閥権威主義にもとづく工学理論ほど、大学の利益に都合のよい理論構成なので、否定されません。

「基礎」をいう馬鹿学者を信用してはならない編集

それは「基礎」ではない編集

馬鹿学者の大学教員は、自信の担当科目をよく「基礎」だから重要だ、といいます。

しかし、高等教育において、本当の「基礎」は時代によって変わります。

たとえば、江戸時代の文科系の学問では、朱子学や陽明学などが、高等的な社会科学などの「基礎」だと思われていた時代もありました。

もちろん、今の時代、そんなのは基礎ではありません。


数学においても、明治時代〜昭和戦前ですら、いまの中学入試に出て来るような幾何学の難問の解法をたくさん覚えることが、高等数学への「基礎」だと思われ、旧制高校などでトレーニングされていた時代もあります。

しかし、現在、そういう数学は公式のカリキュラムから追放され、中学入試や一部の高校入試に残るのみ、となりました。


このように、高等教育周辺の「基礎」は、時代によって変わります。 だからこそ、教育者には高等な判断能力が必要になるので、「高等教育」なのです。

だから「高等教育における基礎とは何か?」という質問に答えられずに、自分の担当科目を「基礎」だと主張しつづける馬鹿教員のいうことを、けっして信用してはいけません。

現実問題として学習時間には限界がありますので、「基礎である科目」と「基礎でない科目」とを、泣く泣く峻別せざるをえません。

そういうのを峻別しない人は、要するに偽善者です。お金の限界を無視して「政府は国民に寄付をすべきだ!」とか言ってるような共産主義者とかと、根っこは同じです。

時間にも限りがあります。人手にも限りがあります。金銭にも限りがあります。そういう限界を無視して、空想的な理想論をいうのは、そういうのは科学教育ではなく、ポピュリズムですし、それを体系化したものは単なる古典芸能です。困ったことに、大衆は馬鹿なので、古典芸能みたいな時代遅れの「基礎」(自称)ほど、賞賛します。


機械工学の知識なんて何もない馬鹿ほど「ものづくり」とか言いたがるように、本気で要素技術を探求してない奴ほど気軽に「基礎」とか言います。

最近だと、「基礎科学」とか言う人にかぎって、なにが「基礎」科学なのか答えられません。理科の教科書に書いてある事が「基礎」だとするなら、「じゃあ流体力学は物理教科書にはあまり書かれておらず機械工学や土木工学書に書かれてる場合が多いが、基礎でないのか?」とか言われても、かれら「基礎」重視者はそんなことを知ろうとする気もありません。

「グラフ理論の4色問題の証明には、コンピュータが使われたが、ではC言語などの知識は基礎なのかどうか?」とか言われても、かれら「基礎」重視者は、そんなことを知ろうとする気もありません。

かれら「基礎」重視者は単なる寄生虫です。小中高の普通教育の権威にタダ乗りしてるだけの寄生虫です。

ちなみに欧米の分子生物学の教科書(たとえばストライヤー生化学)や医学などの専門書では、書籍中で「医学と基礎科学」というふうに言われたりしますが、これは文脈からして医学(特に臨床医学)と対になる生物学などの分野のことや、臨床医学と対になる生理学・薬理学・病理学のこととか、あるいは欧米の医学部とか生物学科でも習う程度の物理・化学の分野の最新技術およびその研究開発のことを文脈からみて「基礎科学」と言ってるのであろうのであって、けっして数学のリーマン予想とか物理学の素粒子論のことを「基礎科学」と言ってるのではないので、勘違いしないようにしましょう。


1990年くらいから、電機メーカーは「これからはシステムLSIの技術開発が重要だ!」とか言ってましたが、結局、なにがシステムLSIなのか、2018年のいまだに答えられず、結局、いまでは「システムLSI」とやらの研究が終了しています。

いつまでも定義のハッキリしない言葉を多く抱えた理論は、要するに、なにも実用化が進んでないという事です。


ノーベル賞受賞者の福井謙一は「基礎を学ぶのがいい」的なことを言いましたが、彼の言う『基礎』とは、『T字型人間』の知識・教養のことが含まれています。

『T字型人間』とは、専門分野だけを高く知ってるI字型人間のことではなく(ビルのように、土台が狭く、高いのではなく)、専門の深い知識に比べ、専門外のことも広く浅く知ってる人間のことです。(Tの横棒が、専門外の知識を表している。)

『基礎科学』とか言ってる人は、そこんところを勘違いすんなよな。

最近では、2つ以上の専門分野があると良いということで『π字型人間』とかいう用語もありますが。

本当の「基礎」を学ぶには編集

さて、本当の「基礎」を探求する方法を述べます。

それには、まちがった教育の逆をやるのが正しいです。

第二次大戦後から数十年後、東南アジアのカンボジアで、ポルポトという独裁者が、「医学は不要。医療なんて、子どもにやらせればいい。子どもは純真な存在だから。」とか意味不明なことをいって、子どもに外科手術を執刀させたりして大勢の患者を死なせ、医学を否定し、カンボジアの医療崩壊をさせました。


つまり、高等学問の勉強においては、こういう馬鹿なイデオロギーに凝り固まった連中どもの逆をすればいいわけです。 いわゆる「反面教師」という奴です。


つまり、高等教育には「純真さ」は不要です。むしろ純真では、困るわけです。たとえば警察や防衛省などが純真では困ります。

つまり「素直な学生ほど、よく伸びる」なんて言ってる馬鹿大学教員は、独裁者みたいに学生をマインドコントロールしてるだけの、三流学者なわけですね。そして、彼等が使っている教科書じたいが、三流の馬鹿学者の書いた、ピント外れの教科書です。


研究とは、ある程度は現在の学説を疑うことから、始まります。アインシュタインはニュートン力学を疑っていたわけですから。

学説を検証するには、ある程度は複数個の学説の候補を用意しておくことです。法学なんかだと「○○説」とか存在して、そうなっていますね。

理工学でも本来なら、単純な実験事実や統計などを除けば、ある程度は複数の学説が対立するべきです。対立した学説どうしが、競争を繰り広げるべきです。

なので、単一の学説しか用意できてない分野は、ダメな分野です。滅ぼされるべき分野です。


最終的には学説を検証してみて修正することこそ、真の高等教育です。

とはいえ、それは最終目標です。

文字も読めない人が学説の修正なんてできないように、高校レベルの数学もできない人は、学説の修正は出来無いでしょう。


なので、微分積分のようにトレーニングに時間のかかって、せいぜい、微分積分などの計算手段は、練習が必要です。でも、そんなのは、高校の数学や物理で、とっくに練習してるわけですね。事実、医学部なんかだと、あんまり理工学の微分方程式などの計算練習をしません。


また、医学のように、高等教育の学習には、ある程度の暗記が必要です。医学では治療法を暗記するように、理工学でも実験事実だけは、なるべく覚えることを目指す必要があります。(ただし、直接的に検証された実験事実のみ。しばしば、間接的な推論をもって「証明」などとしている理工書も多い。)


そのため、実験事実を覚えるのに役立つ法則などが、(高確率で)正しい法則でしょう。

たとえば、高校化学で「イオン化傾向」という法則を覚えると、いくつかの金属の化学反応を予想できます。


逆にいうと、実験事実の記憶に役立たない理論は、間違っていたりピント外れの可能性があります。


そして、高等教育が「高等」である理由も、専門知識の暗記が必要なことにあります。医学では治療法や解剖学(全身の筋肉や骨の名前など)などの専門知識を暗記する必要があるように。

このように高等教育では、他分野に応用しづらい専門知識を暗記せざるを得ないからこそ、高校卒業後に回されているわけです。


間違った理論は、暗記の必要のないことを、暗記させます。たとえば共産圏の独裁者が、医学の暗記を否定する一方、マルクス・レーニン主義を暗記させるように。


ほかにも、ソビエト連邦では、当時の独裁者だったかその部下の教育者が、「ダーウィン進化論は、遺伝的な格差を肯定するため、階級を肯定する」などといって、ダーウィン進化論を否定しました。


現代でも、お金のかかるコンピュータ技術ほど教育現場では忌避されるなど、ある程度は裕福でないと研究しづらい理論などは、大学の共産主義によって否定される傾向があります。


よく三流の数学者や三流のIT技術者が、「情報科学の教育において、IT技術よりも数学が必要」なんて言ってたりするが、んなわけあるか。

大学はともかく実務のITにおいて「数学」は、必要になったときに活用できればいいんであって、もし数学だけ出来ても使い道はありません。馬鹿のひとつ覚えみたいに「数学」の権威を主張してる人は、トラの威を借りるキツネです。外資系IT企業などにいる「文系エンジニア」などの活躍の現実をみましょう。

なお、国によっては、日本が高校で教えてる微分積分と同内容のことを教えるのが、外国によっては「大学に入ってから」とかの国もあります。なので外人のいう「ITに必要な数学」といってる「大学」数学が、じつは日本では高校数学に相当するレベルなんて場合もあります。


そもそも「離散数学」が出来たのも、既存の線形代数や微分積分などの数学が、ITの実務において歯が立たないから、数学が改革にせまられ、なんとか「離散数学」をでっち上げたわけです。その「離散数学」ですら、期待外れであり、実務には役立たず、文系エンジニアと競争させられます。


プログラミングってのは、試作品をとにかく作って、あとからそれをバグ修正していったり機能追加していったりして、高度なプログラムになるわけです。

そして、それらの歴史を教育のために簡潔に(子どもなど相手に)説明するときに、正確かつ短く説明することこそが、「理論」なわけです。

けっして、すでに出来上がった何らかの「理論」(線形代数など)にもとづいて、プログラムをするわけでは、ないのです。

大量のデータを扱ったプログラムでは、説明の際に、多くの技術者が知ってる言葉で説明しますので、多くのIT技術者が知ってる「線形代数」などの言葉で説明します。だからって、線形代数を勉強しただけで、大量データを扱う実用プログラムが書けるわけではありません。

ビルゲイツが英語を話せるからといって、あなたが英語を勉強しただけでは、けっしてビルゲイツみたいには、なれません。線形代数とITも、それと同様です。

よく、「フーリエ変換は画像処理に役立つ」とか言う馬鹿が多いが、どうせソイツに「では、あなたは画像処理ソフトを作れるんですか?」と質問しても、作れない奴ばかりだろう。だいたい、大学の建築学科や土木工学科でもフーリエ変換くらい習うわ(強度計算の振動の解析とかで習うんですよ)。土木工学科の卒業生が画像処理ソフトを作成できないように、フーリエ変換なんて学んでも、あまり画像処理ソフトの作成には近づかんわ。

最近だと、馬鹿が「機械学習に線形代数が役立つ」とよく言うが、どうせ「では、あなたは、その機械学習を使って、なんの役にたつ物を作ったんですか?」と質問しても、どうせ結局、実用品を作れない奴ばかりだろう。いつまで経っても「将来、機械学習でこんな事ができます!」と将来の話ばかり。結局、2019年の現状では、実用的な自動車も家電も機械学習では動いてない。パソコンのOSすら、結局、ウィンドウズもマックもリナックスも機械学習ではない。そういう段階で、よくまあ自慢できるなあ。

他にも、「相対性理論で用いる微分幾何学は、GPSの計算に役立ってる」というのもよくある理屈だが、じゃあ、お前は電波通信の回路設計できるのかよって言いたい。まず、実務では、そういうのが先だ。電波通信じたいができない段階では、GPS電波も通信しようがないわ。

肝心の実用品を作る経験の不足してるニワカ理系のカス野郎ほど、気軽に「大学の数学は役立つ」とかホザく。そもそも大学教授の馬鹿どもが、そういうニワカ理系だからな。

本当の基礎とは編集

薬理学とか勉強すると分かるんだけど、人類の薬理学の歴史では、最初に薬効のある植物とか、そういうのが人体実験で分かって、あとから化学的に分析していったのですよ。

けっして、逆ではないんですよ。

このように、基礎科学は後から発達するのです。

教育の段階では、いちいち薬用の植物の名前とかを暗記させるのは無理だから、なので先に生化学や生理学、あるいはそれ(生化学・生理学など)に基づいた薬理学を教えてるんですよ。


輸血の理論も、最初に人体実験でA型とかB型とかが分かって、あとから分子構造を分析していったのです。

ビタミンAとかビタミンBも同様です。最初に栄養不足時の症状をもとにビタミンの分類が行われたのが先。ビタミンの分子構造の分析は後。

なので、「基礎科学の発展が先! 応用科学の発展は後!」とか言ってる連中は、インチキ野郎。


そもそも人類の歴史を見れば、農学は、農耕の具体的な技術発達が先で、農業用の化学とか生物学は後回しです。


人体の生物学は、基礎科学ではない。

近年、遺伝学が発達しています。世間には、人体の遺伝学とかを基礎科学とかいう馬鹿も多い。 人体の学問なんて、遺伝病の解明などの医学的な応用をしやすいんだから、本来は応用科学に分類するの。

稲とか大豆とかの農産物の生物学を、基礎科学とか言う馬鹿も多い。

せめて、ペンギンの生物学とか、シロツメグサの生物学とか、そんくらいを『基礎科学』とか言うならまだしも。


医学者の研究する学問は、いっさい「基礎科学」ではない

医学って、応用じゃん。免疫学って、応用じゃん。

ノーベル賞にもなった免疫チェックポイント阻害剤の研究開発が「応用」ではなく「基礎科学」って、言ってる奴は馬鹿ですか? 免疫学なんて、医学部の教育でも科目が存在するくらい、典型的な応用学問でしょ。


愚民は馬鹿だから、精密科学と基礎科学の区別がついてない。

世間の馬鹿は、顕微鏡とかを使って分析していれば『基礎科学』って考えるらしい。どうやら、世間の馬鹿は『精密科学』って言葉を知らないらしいなあ。


生理学を基礎科学という馬鹿も多い。

医学の基礎理論で生理学ってあるじゃん。iPS細胞は生理学の今後の研究テーマかもしれないけど、報道とかに出てくる臨床実験は、どう考えても基礎科学ではない。

いいですか? 自然現象の原理を解明することが基礎科学です。どんなに再生医療に役立っても、原理が解明されなければ基礎科学ではないのです。


日本人が新しい素材を発見したら『基礎科学』という馬鹿

アメリカでナイロンを発見したカロザースの研究とかは『石油化学だから応用』とか言うくせに、日本人が何か素材を開発すると「基礎科学」とかいって、日本の研究のほうが高尚だ〜〜と言うバカ連中って、馬鹿すぎですよね。


高校の教科書にも書いてある程度のレベルの暗記知識を『基礎科学』とはいわない。

高校教科書のあれは、文系学生にも基礎科学の意義が分かるように、基礎科学風に解説した応用科学です。大学の教養課程レベルの生物や化学の知識も同様で、ほぼ応用科学です。

基礎科学ってのは、説明の背後にある、理論などの全体像や、その全体像を解明するための膨大な研究結果とかのことです。

工学部でも、とっくの昔に純粋数学を教えてた編集

よく三流のバカ数学者は「数学はテクノロジーにも役立つ」とか気軽に進めます。

しかし、三流の馬鹿数学者どもは知らないようですが、実は、とっくの昔から工学部の機械工学科や電気工学科などでも、普通の工学部では習わない専門的な数学を教えてる大学があったのです。

一部の大学の工学部では、教職課程で、機械工学科などでも、中学高校の数学教師の免状を取れます。その際、数学の専門科目の履修が必要なので、数学科でも習う解析学や代数学や幾何学、確率統計などの一部を教えてたのです。

なので工学部でも、バナッハ空間とか第二微分形式とかイデアルとか(以下略)、教えてたのです。


しかし、結局、日本の工学部の卒業生から、バナッハ空間とかを工業やIT産業に応用できる人は、現れませんでした。


学術書とは編集

べつに理系にかぎったハナシではないが、「学術書」とは何か?を述べる。勉強のための読書のさいの参考にせよ。

学部上級レベル・研究レベルでの「学術書」の要件とは、まず学問的に意味のある事が書籍内に書かれているのは当然だが、さらに、文献の学問的内容を裏付ける参考文献や出典の一覧が書かれている文献のことである[6]。先端分野の学術書になると、参考文献が学会誌とかになったりするだけで、基本的には、参考文献の記載があるのが学術書である。

いっぽう、著者がどんなに膨大な勉強をしていても、参考文献も出典もなければ、研究分野では「学術書」ではない。


たとえば、講談社ブルーバックスなどを読むと、巻末などに参考文献の一覧があるだろう。なので、ブルーバックスはとりあえず形式的には学術書である。

一般に、大学レベルの教材では、巻末などに、参考文献の一覧があり、どの章でどの文献を参考にしたかが簡潔に記されている。

学問とは、単に物知りなだけでは意義がなく、さらに第三者が検証しやすい知識体系である必要がある。検証のため、根拠となる参考文献が必要なのである。


また、学術書をさがす場合、著者の経歴を見る必要がある。大学レベルの学術書は普通、その分野の大学教授や、せめてその分野の学部の大卒が書く事が多い。たとえば、機械工学の学術書なら、機械学会の会員である大学教授が著者だったり。著者の学歴が低くても、工学の学術書なら、せめて著者の経歴として工業大学や工業高校は卒業していたり、あるいは製造業で長年の勤務をした経験がある等、そういう経歴のある人物が信用できる。

経済上の理由でどうしても学歴を取得できなかった人が著者であっても、せめて資格試験などでその分野の国家資格、または近い分野の国家資格などを保有しているハズである。

それすらも肩書き(かたがき)がないのは、単にペテン師である可能性が高い。ロボットやITなど流行の話題や、あるいは宇宙や健康などの話題では、ペテン師や素人の著者が、学術書っぽい装丁で出版している場合もあるので、気をつける必要がある。

論文とは編集

「学者の質は、その人の書く論文を読めば分かる」とよく言われるが、そもそも『論文』とは何か?


まず、『論文』うんぬん以前に、単に既存の知識を、単に既存の文献にある方法でまとめた書類は、研究的には価値が無い。

なぜなら、手本になった既存の文献の真似でしかないから。だったら、最初から、その既存の文献を読めば済む。たった数千円の学術書を買えば済む情報を得るためだけなら、年間数百万円の人間をわざわざ『学者』として雇用する必要は無い。

上記のような事情もあってか、研究者の世界では、論文を書く活動が、ほかの出版活動よりも重要視される。


一般に、学者の世界では、『(論文を)書かないなら消えろ』publish or perish と言われる。

また、当然だが、書いた論文は、最終的に学会誌などに投稿するなどして、競争相手より先に公開(publish)しないと、意義が無い。単に研究だけして何も情報公開しない人や、他人よりもあとになってから「実は、自分も同じ発見をしていました。公開してないだけです。」とか言う人には、税金などを投資する意義が無い。


さて、『論文』とは、一般的に、何らかの意義ある問い(「○○は△△であるか?」)に対して、解決のための見解または解決策と、その根拠を

自分の見解、または自分の考える解決策 + 根拠

を主に文章で著して、その問いを解明しようとする文書である。


「論文」は、かならずしも学術論文とはかぎらず、たとえば政治の分野などで、新聞や政治雑誌などで、政策の提案などとその根拠を述べたものであっても、「論文」である。

なぜなら、「実行すべき政策」という問いについて、見解と、その根拠が書かれているからである。

いっぽう、どんなに根拠がしっかりしていても、自分の見解がなければ、この意味での「論文」ではない。


たとえば、既存の教科書に書かれてような知識、既に広く知られている他人の研究をまとめたものは、著者がどんなに膨大な勉強をしていても、「論文」ではない。なぜなら、自分の見解がないから。


大学入試の「小論文」などの場合、「見解 + 根拠」という構成という意味での「論文」である。なので入試の小論文では、必ずしも、科学的な新発見を書く必要は無い。


また、予想が外れるなどして、必ずしも結果が正しくなくても、(普遍的な問いに対する、解決のための)見解や提案とその根拠があれば、とりあえず「論文」である。もちろん、なるべく正しいことを目指すべきである。


ただし、学術論文の場合、論文に書くべき見解は、新発見でなければならず、さらに、普遍性の高い法則・傾向などの新発見でなければならない。

そのため、研究成果のどこが新発見なのかを書く必要がある。


たとえ、文章中に新発見が混ざっていても、どこが新発見なのかが明確でない文章は、『論文』としての価値が低い。場合によっては、『論文』とみなされない場合もある。


たとえば、経済学の論文なら「いま、世界経済で、○○ということが起きている事を新たに発見した」という主張とその根拠は、普遍性が高いので、論文とみなせるだろう。論文である要件には、実際に「○○」現象が起きているかは、関係ない。

いっぽう、「三丁目の山田さんが昨日食べた夕食がカレーであることについての発見」とかは、たとえ真実であっても、普遍性が低いので、学術ではない。


さらに科学論文の場合、論文に書くべき見解とその根拠は、実験や観察や計算などによって、再現可能でなければならない。

今まで誰も実験したことのないような、新規の実験の結果であっても、見解が無い実験報告書のことを「論文」というかは、微妙であり、査読者により判断が分かれる。既存の知識を、新規の観点かつ優秀な分析でまとめた報告書などは、学術的な意義はあるかもしれないが、一般的に「論文」とは言わない場合が多い。単に、すぐれた報告書である。(ただし、その新規の観点を独立に抜き出して、書類として まとめれば、論文になる可能性はある。)

  1. ^ 『標準薬理学 第7版』、2015年3月25日 第7版 第1刷、P7
  2. ^ 『はじめの一歩の薬理学 第2版』、2020年 1月15日 第2版 第1刷 発行、(※ 前書き)「はじめに」
  3. ^ 『はじめの一歩の薬理学』、(※ 前書き)「はじめに」
  4. ^ 『はじめの一歩の薬理学』、(※ 前書き)「はじめに」
  5. ^ 『はじめの一歩の薬理学』、(※ 前書き)「はじめに」
  6. ^ 中村 陽子 : 東洋経済 記者『「学術書」を読めようになると読書が変わる理由 「難しい本」と敬遠していてはもったいない』2020/12/07 15:30 2020年12月9日に閲覧して確認.