生成文法/基底表示と表層表示

生成文法の中で、変換文法に関して有名で、しかし誤解に基づいて批判された概念が基底表示、または深層構造です。

例として現代日本語動詞の活用を取り上げます。「書」「嗅」の終止形、連用形と過去形を考えましょう。

(1) 書:終止形 [kaku], 連用形 [kakʲi], 過去形 [kaita]

(2) 嗅:終止形 [kaɣu], 連用形 [kaɣʲi], 過去形 [kaida]

一つの考え方は「母語話者は動詞の活用形をすべて記憶している」というものです。しかし活用には規則性が見られ、この考え方はそういった規則性をうまく活かすことができます。別の考え方は「母語話者は動詞語幹と屈折形態素をそれぞれ記憶しており、発音される形式は一般的な規則によって派生される」というもので、生成文法はこの考え方を採ります。なお、無標素性が指定されていない分節音を大文字で、有標素性が指定されている分節音を小文字で書きます。

(3) 書:語幹 [ⱽᴿKAK]

(4) 嗅:語幹 [ⱽᴿKAg]

また、過去の接辞は

(5) タ:[ᴬᶠᶠTA]

です。過去形の基底表示は次のようになります。

(6) [ⱽᴿKAK]+[ᴬᶠᶠTA]

(7) [ⱽᴿKAg]+[ᴬᶠᶠTA]

これらの基底表示の特徴は、動詞過去形に関する最小の知識を表している、という点です。派生には少なくとも「イ音便」と語幹末子音と過去形態素初頭子音の「有声性順行同化」が必要です。では、発音される形式(音声表示)がどのように派生されるかを見ましょう。単純化のため、ラベルとブラケットを省きます。 (8) 派生

① KAKTA, KAgTA -基底表示

② KAKTA, KAgdA …順行同化

③ KAKiTA, KAgidA …母音挿入

④ kakita, kagida … デフォールト規則

⑤ kagita, kagida … 母音間有声化

⑥ kaɣita, kaɣida … 弱化

⑦ kaʝita, kaʝida … 調音点同化

⑧ [kaita], [kaida] -音声表示

ここで重要なのは「イ音便」と「有声性順行同化」の適用順序です。イ音便は母音挿入による i の挿入で環境が備わります。しかし、母音挿入が先に行われてしまうと、同化に関わる子音が隣接しないことになります。そこで、母音挿入と順行同化の適用順序は次の通りでなければなりません。

(9) 順行同化 << 母音挿入