「現代日本語の文法」と言う時には「文法」に二つの用法がある。一つには一般に使われるように、現代日本語(漠然と指して)の規則を網羅している用法であり、もう一つは、個別言語である現代日本語の母語話者の知識、それ自体を指す用法である。ここでは後者を記述したものを「統語論」と呼ぶ。

統語論は、その母語話者が暗黙に理解する事に依存せず、暗黙の知識 tacit knowledge を全て書き出さなければならない。次を考えてみよう。

  1. 珈琲がテーブルの上にあることにあいつは気付いていないのか
    1. 珈琲はテーブルの上にある
    2. テーブルの上には珈琲がある
    3. テーブルの上には珈琲があるのか
    4. テーブルの上に珈琲があることにあいつは気付いていないのか
    5. 珈琲がテーブルの上にあることにあいつは気付いていないのか

    これら五つの文について先ずどのようなことが観察できるだろうか。母語話者はこれらの文が現在語の文であり、なんらおかしなとことがないと判断 judge する。次の文と比べてみよう。

    1. 珈琲はテーブルの上にある
    2. テーブルの上には珈琲がある
    3. テーブルの上に珈琲があることにあいつは気付いていないのか

    母語話者はこれらの文は現代語の文としておかしい、現代語の文ではない、と判断する。言い換えると、(1a-e) の文は容認可能 acceptable であるのに対し、(2a, b) の文は容認不可能 unacceptable である、とする。

    さて、母語話者はどのようにしてこういった判断を示すのであろうか。一つの仮説として、母語話者は持っている現代語の知識に照らし合わせて、自覚的であろうとなかろうと、容認性 acceptability の判断を与えるものとする。ここで現代語統語論と呼んでいるものは、この仮説を受け入れ、判断の基盤となっている統語的な知識を書き出そうとするのである。

    現代日本語の統語的な知識はどのようなもので構成されているのだろうか。(1) に現れる「珈琲」が指し示す物について考えてみよう。よく考えると一体何を指しているのだろうか。珈琲(コーヒー)を構成する音韻 /koRhiR/ は飲み物を意味する。しかし液体はそのままでテーブルの上に置くことができるものではない(溢れた、零した、恋人が鼻に割り箸を突っ込んで折ったので笑って吹き出した、等の場合は別の文を使うはず)。指し示されているのはコーヒーが器に入った状態のもの、コーヒー豆が容器に入った状態のもの、等であろう。「珈琲」がこういった物を指すのはメトニミー metonymy と呼ばれるもので、言語の重要な知識である。しかし統語論的な知識はこういったものは含まない。

    (1a) と (2a) を比べてみよう。違いは「テーブルの上」と「テーブルうえ」で助詞ノがあるかないか、である。「テーブル上 (じょう)」とすれば容認可能となるが、ここではこの問題は措く。言語によってはある環境で助詞ノに対応するものが自由に脱落するが、日本語の現代語では許されない。つまり「テーブル」と「上」を統語論的なまとまり、「構成素 constituent」するには助詞ノが必要となる。「テーブル」と「上」は学校の国文法の名詞であり、これらからなる構成素も名詞である。こういった名詞の構成素は更に文の一部となるが、文を成り立たせる構成素の、その構成の仕方に関する知識である助詞ノの必須性は統語論的な知識である。

    続いて (1d, e) と (2b) を比べてみよう。(1d, e) の断片 fragment を取り出したものが次である。

    1. テーブルの上に珈琲がある
    2. 珈琲がテーブルの上にある

    ここでは「テーブルの上に」と「珈琲が」の順序が入れ替わっている。「日本語は語順が自由である」とよく言われるが、上の二文はこれを例示している。更に

    1. 珈琲はテーブルの上にあるよ
    2. テーブルの上にあるよ、珈琲は

    の (4b) のように「珈琲は」を述部の後に置くことも可能である。これらを見ると現代語では

    1. NP-ni NP-ga ar
    2. NP-ga NP-ni ar
    3. NP-ni ar NP-ga
    4. NP-ga ar NP-ni

    というように極めて語順が自由であるように見える。加えて

    1. 監督が倒れさえしなければ(あの試合に負けなかったのに)
    2. 倒れさえ監督がしなければ(あの試合に負けなかったのに)

    のように述部が前に置かれる場合もあり

    1. NP-ga taore
    2. taore NP-ga

    というように、語順は完全に自由であると考えられるかもしれない。

    英語の語順は SVO であるのに対して日本語は SOV である(だからナンダカンダ)、と言われることがある。上の観察を考慮に入れた場合、SVO 語順もあれば VS 語順もあり、そもそも日本語に関して語順に言及することは無意味だという人も居ておかしくない。

    しかしここで (2b) を見てみよう。下に再掲する。

    (2) b.*テーブルの上にある珈琲がことにあいつは気付いていないのか

    この文は容認不可能である。もちろんこの断片

(8) テーブルの上にある珈琲が

は現代語として問題がない断片である。ただしこの断片は「珈琲」という名詞を「テーブルの上にある」が連体修飾しているもので、ここで問題としようとしているものとは異なる。別の断片

(9) テーブルの上にある珈琲がことに

は不適格な断片であり、同様に

(10)

a.*かからないインフルエンザにようにうがいと手洗いを欠かさずに行っている

b.*明日は良いらしい天気がから寒中水泳に出かけよう

も容認不可能である。

完全に容認可能な範囲の語順の入れ替えと、容認不可能になる語順の入れ替えの環境の違いは何だろうか。述部の後に主語などが現れるのは主節においてであり、従属節では必ず述部が末尾に現れなければならない。つまり、自由語順は主節にのみ見られる現象で、現代語のあらゆるところに見られる現象ではない、ということになる。

では他の自由語順、すなわち述部の前に来る要素は制限なく自由なのであろうか。英語のような SVO や、アイルランド語やタガログ語のような VSO ではないとして、述部が最後にさえあれば語順に規則性や、基本語順のようなものはないのだろうか。

これまで動詞が要求する構成素、「項 argument」のみを扱ってきたが、ここで項ではない副詞などの構成素である「付加詞 adjunct」を取り上げて考えてみよう。

(11’)

a. 社長が納期直前の今日[取引先への納品が昨日倍に増えた]と従業員に告げた

b. *昨日ᵢ 社長が納期直前の今日[取引先への納品が tᵢ 倍に増えた]と従業員に告げた

一般に、付加詞は従属節の中から取り出して主節に置くことができないと言われている。節境界を越えた掻き混ぜ scrambling は「長距離掻き混ぜ long-distance scrambling」と呼ばれている。上はその一例だが、主節に時間副詞が二つあるためにそこで関係付けて解釈しやすいことが悪さをしているにかもしれない。つまり、自由語順現象とはひとまず関係のない現象だと言われるかもしれない。

次に下のような例を考えてみよう。

(12)

a. 兄は昨日紀伊國屋へ参考書を買いに行った

b. 兄は参考書を買いに昨日紀伊國屋へ行った

これら二つの文は、次の二つの節を組み合わせてそれぞれ一文にしている。

(13)

a. 兄は昨日紀伊國屋へ行った

b. 兄が参考書を買う

問題の二つの文の違いは、(13b) から作った目的節が主節述部「行った」に隣接しているか否かである。ここで「紀伊國屋へ」の語順を入れ替えてみよう。

(14)

a. 兄は昨日参考書を紀伊國屋へ買いに行った

b.*兄は参考書を紀伊國屋へ買いに昨日行った

動詞に目的節が隣接していない (14b) は容認不可能、よくて不自然、と判断されるはずである。

挙げた二つのケースは複文で、よくて、複文では所属する節から構成素を移すことは自由とは言えない、ということしか述べていない。そこで次に単文を取り上げて考察しよう。

ゴールを明確にするために、よく言われる「日本語は SOV 語順である」にからめて問題設定してみよう。ここで現代語には「基本語順 basic word-order」があり

(15)

a. NP-ga NP-o V

b. NP-o NP-ga V

のいずれかであるか、あるいは、基本語順はなく、単文では項は自由語順であるか、を確かめよう。

次の文を考えよう。

(16)

a. どの観光客も何か弁当を買った

b. 観光客の誰かがどの弁当も買った

ここで (16a) は①「どの観光客を取り上げても、それぞれ買った弁当が最低一つある」という解釈(分配解釈と呼ぶ。量化子の作用域は∀>∃)を持つ。また、②「弁当について、観光客のあらゆるものが買った弁当が存在する」という解釈(存在解釈。量化子の作用域は∃>∀)という語順とは逆になる作用域 inverse scope も持つように見える。しかし (16b) は存在解釈の③「観光客の個体について、弁当という個体のすべてを買った観光客が存在する」という解釈を持つが、④「弁当のどの個体を取り上げても、それぞれそれを買った観光客が最低一人いる」という分配解釈は持っていない。英語ではこの場合、語順とは逆になる作用域の解釈を持ち、‘Some woman loves every man’ という文では、Some woman loves every man, and her name is Edith. という存在解釈と、語順とは逆になる作用域の解釈 Some woman loves every man, because Edith loves Harold, Deirdre loves Tom and Anne loves Andy. という分配解釈(解釈の例は Koeneman and Zeijlstra, Introducing Syntax より)のと対照的である。しかし英語で ‘Every woman loves some man’ は確かに語順とは逆になる作用域の解釈に見えるものはあるが、それは分配解釈の特殊例で、それぞれ愛する男が偶然一致するというものである。現代語では表面の語順と作用域の広狭は厳密に対応すると言われている(Kuroda, ‘Remarks on the notion of subject with special reference to the words like also, even, and only’ など)。④の欠如を加味すると、上の②の解釈は英語の場合と同様に①の特殊例と考えることができ、現代語は語順と作用域が厳密に対応すると考えられる。

(16) の語順を入れ替えてみよう。

(17)

a. 何か弁当をどの観光客も買った

b. どの弁当も観光客の誰かが買った

この語順は OSV という語順である。この語順で SOV と同じ様式で論理的解釈がもたらされるならば、現代語に基本語順はない、という一つの証拠になる。しかし、(17a) は①の分配解釈と②の存在解釈を持ち、(17b) は③の存在と④の分配解釈を持つ。つまり、いずれも語順通りの作用域の解釈と、語順とは逆になる作用域の解釈で多義的となり、SOV とは解釈の多様性という点で異なるのである。その一つである語順とは逆になる作用域の解釈は SOV と同じ解釈を保存したものであり、もう一つである語順通りの作用域の解釈は OSV という語順で新たに得られたものである。もし基本語順がなく、与えられた語順で作用域の解釈が定まるのであれば、(17a, b) は語順と逆になる作用域を取らないはずなのであり、この観察は現代語に基本語順があるということの基盤の一つとなる。つまり現代語について以下が成り立つ:

(18) 基本語順①

NP-ga NP-o V

存在文の基本語順については久野暲の詳細な研究がある (Linguistic Inquiry 論文、『日本文法研究』など)。基本語順は次のように考えられている。

(19) 基本語順②

NP-ni NP-ga ar

ここで最初の例に戻ってみよう。

(20)

a. 珈琲はテーブルの上にある

b. テーブルの上には珈琲がある

c. テーブルの上には珈琲があるのか

これらは (1d) の断片である (21) から作られている。

(21) テーブルの上に珈琲がある (= 3a)

これと (20b) の違いは「テーブルの上に」の後に「は」があるかないか、だけである。「は」とはなんだろうか。学校の国文法では「係助詞」という品詞に分類されている。係助詞とは、古典語の文法では述部の結びを決定するような助詞のことを指していたのを覚えているだろう。例えば「ぞ」の結びは連体形で、「こそ」の結びは已然形である。ならば「は」?これは終止形で結ぶものとして係助詞と分類されているのである。

ここでハがあるものとないものの違いを考えてみよう。ここで「∅」はハに対応するものが無いことを表している。

(22)

a. テーブルの上に ∅ 珈琲がある

b. テーブルの上に ハ 珈琲がある 使われる状況、文脈、文中の環境に注意して使えるかどうかを見てみよう。

次のような状況を考えてみよう:仕事から帰宅してキッチンに入るといい薫りがする。ふとテーブルにやった時に

(23) あ!テーブルの上に ∅ 珈琲がある! という発話は可能である。一方

(24) あ!テーブルの上に ハ 珈琲がある!

という発話は不可能であろう。ただし

(25) あ!テーブルの上に ハ 珈琲があるし、ガスレンジの上に ハ パンケーキがある!(同居人、気が利いてるなあ・・・)

のようにすると可能になるが、この場合のハは「対比」と呼ばれるもので、ここでは触れない。

今度は

(26) ねえ、テーブルの上に何があるの? と質問されたとする。

(27) テーブルの上に ハ 珈琲がある(よ)

と答えるのは可能であるが、

(28) テーブルの上に ∅ 珈琲がある(よ)

と答えることはできない。質問でも

(29) ちょっと休憩にしてお茶にしない?

のような場合には可能であるが、この場合字義通りには「うん」や「ちょっと…」など等で答えるタイプの疑問文で、この答えは語用論的含意をもたらす(自分でなんとかしろや、など)。

テキストにおける出現を考えてみよう。次のようなテキストを考える。

(30) 恋人がうちを出てもうすぐ一年になる。早く忘れた方がいいんだろうが、あいつにこんなにも頼り切っていたのか、悲しくなる毎日だった。そんな日々に、突然恋人から LINE が届いた。「近いうちに戻ってもいい?」……胸が高鳴る。今日か、今日かと家路に急ぐ。そして……

締め括るには (22) のどちらが相応しいだろうか。

判断を読んでくださっている方々に委ねて(逃げた)文中での環境に注意を移そう。バ条件節には (22) のどちらが出現可能だろうか。

(31) ___ば誰かが飲むに違いない

次のように (22a) に対応する形式は出現可能で、その文全体は容認可能である。

(32) テーブルの上に ∅ 珈琲があれば誰かが飲むに違いない

これに対し (22b) に対応する形式が出現した場合、容認不可能となる。

(33) *テーブルの上に ハ 珈琲があれば誰かが飲むに違いない

それだけではなく、(20a) に対応する形式が出現した場合にも容認不可能となる。

(34) * 珈琲 ハ テーブルの上にあれば誰かが飲むに違いない

この段落の観察では十分に示せていないが、ここで取り上げている用法のハは主節に現れるものと一応見なせることになる。

今暫く、ハについて少し詳しく考えてみよう。ハは、他の係助詞と同様に、次の位置に現れる。

(35) NP-Case-___

しかしある助詞に後続した場合には、先行する助詞が現れてはならない。

(36) NP-∅-___

現れてはならない助詞はガとヲである。ハの後接によって生起出来ないガは転置によって現れる。

(37)

a. アメリカ大統領 ∅ ハドナルド・トランプ氏だ

b. ドナルド・トランプ氏ガアメリカ大統領だ

これを三上章は「有格」と呼んだ(『現代語法序説』)。これに対し

(38)

a. アメリカン・ショートヘアー ∅ ハ猫だ

b.*猫ガアメリカン・ショートヘアーだ のように転置でガを出せないものがある。三上はこれを「無格」と呼んだ(上掲書)。つまり、ハは常に格を伴う名詞句とともに用いられる訳ではない、ということである。ではハの意味・機能とはなんだろうか。

分節化された文(「あっ!」や「猫!」のようなものではない文)について、これまでハを伴う句、「主題 topic」を持つ文と持たない文に分けられると考えられている。主題を持つ文を松下大三郎は「有題的思惟断定」(『標準日本文法』)、黒田成幸は categorical judgment (double judgment 複合判断、The (W)hole of Doughnuts)を表現する文であるとしている。そして主題を持たない文を松下は「無題的完全思惟性断定」、黒田は thetic judgment (simple judgment 単純判断)を表現する文であるとしている。

以後、主題を含む文を「有題文」、含まない文を「無題文」と呼ぶ。無題文は

(23) あ!テーブルの上に ∅ 珈琲がある!

のように、ある出来事について、それをひとまとまりの判断として出し抜けに述べる(言い換えると、談話や文脈なしに目前の出来事を述べる)使われ方をする。存在動詞文以外では

(39)

a. ほら!ウチの子が走ってる!

b. 見て!白バイが違反車を待ってる!

のような自動詞文や他動詞文で無題文となるものがある。一方、対応する有題文

(40)

a. ウチの子は走っている

b. 白バイは違反車を待っている

では異なる使われ方をし

(41)

a. アンタんとこの子どこ…? -ウチの子(は)もう走ってるって!

b. スピード違反には気を付けて。白バイは違反車を待っているから… の (41a) のように、先行する発話を承けて、「ウチの子」という判断を行い、それに別の判断「もう走ってる」を結合させて情報を伝えたり、(41b) のような「総称文 generic sentence」で、スピード違反の取り締まりから連想される「白バイ」という判断に「違反車を待っている」という判断を結合させてあり得る状況を伝えて注意を喚起したりする。

なお、(39) と (41) を対比させると、ガを伴う名詞句とハを伴う名詞句が対照的であるため、しばしば「主語のハとガはどう違うか」という問題設定がなされる。しかし存在動詞文で見たようにハが付けられて主題になるのはガを伴う名詞句に限られず、ニを伴う名詞句や、他にはヲを伴う名詞句、カラを伴う名詞句、などと対照させるべきである。つまり、「主語のハとガはどう違うか」というのは誤った問題設定であり、これに拘泥するために他の重要な現象から注意を逸らされてしまうということで、誤った問題設定を辞めて重要な現象に取り組むべきであるとして三上章が「主語廃止論」を強く説いたことは有名である(日本語に、どんな定義かは置いて「主語はない」と主張しているわけではない。三上は「主語」という用語を避けて「主格」と呼びつつ、主格の優位性は強調している)。

有題文と無題文の意味・機能についてはまた改めて触れることにする。ここではこれらの統語論的性質に戻ることにする。(1a, b) の有題文

(42)

a. 珈琲 ハ テーブルの上にある

b. テーブルの上に ハ 珈琲がある に対応する無題文は

(43) テーブルの上に珈琲がある

である。基本語順を持つ (43) と並べて観察すると、(42b) は基本語順のままであるのに対し、 (42a) は「珈琲」を含む主題は文頭まで前進している。これを基本語順のままの有題文にすると

(44) テーブルの上に珈琲 ハ ある

となるが、この場合「珈琲は」は対比の解釈で次のような文や談話の断片

(45)

a. テーブルの上に珈琲はあるが麦酒はない

b. テーブルの上に珈琲はある。でも肝心のバースデーケーキはないじゃん!

とはなれるが、主題とは解釈できない。文学的テキストに

(46) 峻厳たる表情を我々に見せる霊峰の中腹に目指す寺院はある

のような例を見かけるが、破格とすべきか否か不明で、その表現効果も気になる。ここではこういった例のステータスについては保留にしよう。

そうすると、基本語順という観点から、(42b) は主題が元の位置に留まっているのに対し、 (42a) では主題が文頭に転位されている、と言って差し支えない。図式的に示すと

(46)

a. [ᴄᴘ NP-ni wa ...

b. [ᴄᴘ NP-∅ wa NP-ni ____ ...

である。ここで ‘CP’ はおおまかに「文」というカテゴリーだと理解されたい。

先に、母語話者は持っている現代語の知識に照らし合わせて、自覚的であろうとなかろうと、文の容認性判断を与える、と述べた。発話する側から見た場合、母語話者は発話する文を現代語の知識を参照して定義する。このような現代語の統語的知識を構成するものを「規則」と呼ぼう。

ここまで見てきたことから考えて、現代語母語話者の統語的知識には次のような規則が含まれていなければならない。

(48) 基本語順

NP-ga NP-o V

NP-ga Vᵢ

NP-ni NP-ga Vₑ

(49) 主題文の語順

[ᴄᴘ [ᴛᴏᴘ NP-case wa]ᵢ X⁰ ∅ᵢ Y⁰]

これらに加えて次の規則も必要となる。

(50) 基本語順と主題文の語順の関係を定義する規則


話を先に進めるために、文の述部を構成する動詞や形容詞などの性質について簡単に見てみたいと思います。

学校の文法が述部になれると教えるのは用言の動詞、形容詞、形容動詞と、体言の名詞・代名詞に断定の助動詞デアル(ダ、デス)が付属したものです。三上章の例

・そんなことすると、コレ(げんこつを見せながら)だぞ

というのもあり、指示詞がさす現実世界のものも間接的に体言のようにできます。

述部はこれらに助動詞や終助詞が付属して拡張することができます。ここでは拡張しない裸の述語を見てみましょう。

    述語は大きく分けて動詞とそれ以外に分類できます。

<動詞>

・珈琲を飲む

・寝る

・ある

<形容詞>

・寒い

<形容動詞>

・静かだ

<名詞+断定の助動詞>

・失業者だ

これらは次のスキーマに当てはまると、析出される動詞で二分されます。

・___ハ___ケレドモ

<動詞>

・珈琲を飲みハするケレドモ

・寝ハするケレドモ

・ありハするケレドモ

<形容詞>

・寒くハあるケレドモ

<形容動詞>

・静かでハあるケレドモ

<名詞+断定の助動詞>

・失業者でハあるケレドモ

つまり、析出される動詞がスルであるものとアルであるものがあります。前者をスル型、後者をアル型と呼ぶことにします(動詞「ある」自体はスル型です)。

    いわゆる「主語」に関して、スル型とアル型には次のような違いがあります。

スル型では

・父ガ珈琲を飲んでいる

で、ガを伴う名詞句が特段特殊な解釈を持つことはありません(松下の無題的完全思惟性断定、黒田の thetic judgment)。

一方、アル型では発音上卓立が見られ、「総記 exhaustive listing」の解釈が無標です。

・この部屋ガ寒い

・田舎ガ静かだ

・1.7%ガ失業者だ

アル型がなぜこのような解釈を受けるのかについては有題・無題やアスペクトと関係付けて別にツイートしたいと思います。

ここではスル型である動詞の性質について考えましょう。

動詞は時間のトークンである、とする考えがあります(金子亨『言語の時間表現』)。時間は何か独立に存在するものではなく、イベント(出来事)の連なりであると言うことができます。私達が時刻や時間を知るのは独立に存在する時間を参照しているわけではありません。

並行して起こっているイベントの一つを基準にして(世界的な時間の単位はセシウム133の遷移に基づいている)、概ねそれと同じように変化するもの(腕時計など)を見て時刻を知ったり、時間を測ったりします。

動詞はそのようなイベントの連なりである時間の一部に名前を付けたものです。同語反復のようになりますが、そうして動詞はイベントを指示対象とします。

    言語を離れてイベントを考えることは難しい場合もありますが、考えてみます。

イベントは何かが起こす場合もありますし、なにもなく起こる場合もあります。例えば「リア充が爆発する」ではその何かは「リア充」であり「時雨れる」のは特に何かがあって起こるわけではありません。

ここで「爆発する」は「リア充」が引き起こすもので、言語的には、この動詞は単一の名詞句を必要とします。これは1項動詞で、一般に「自動詞」と呼ばれます。「時雨れる」は0項動詞です。

いわゆる「自動詞」と「他動詞」と対応させると、次のようになります。

<自動詞>

0項動詞、1項動詞

<他動詞>

2項動詞、3項動詞

日本語母語話者の統語的知識を考える上で、こういった情報で十分でしょうか?先取りになりますが、ボイスとアスペクトの観点からさらに下のような性格付けが必要です。

1項動詞の中には「はためいわくの受身」という文を作れるものと作れないものがあります。

・あなたに居られると困る

・雨に降られてずぶ濡れになった

・*あられる *要られる

作れないタイプの動詞を三上章は「所動詞」と名付けました。

既に見たように1項動詞には対応する他動詞を持つものがあり、シテイルの形で結果の存続の解釈を持ちます。

・ビールが冷えている

・アベベが走っている(進行/*結果存続)

また、助動詞無しで可能の意味を担い得ます。

・この扉は簡単に開かない

このタイプは「非対格動詞」と呼ばれます。

2項動詞でも、「殴る」で「自分」の先行詞に関して調べると

・田中部長が自分の部下を殴った

(下付きの ‘i’ は同じ人)

では「田中部長」が「自分」の先行詞になれますが

・*自分の上司が池田を殴った

では不可能です。これに対し

・自分の過去がオーウェンを苦しめた

は可能です。

このような、先行詞が逆の位置になるようなクラスの動詞を「心理動詞 psych verb」といいます。

    動詞以外では

・自分の娘が真澄の誇りだ

のようなものがあります(三宅知宏、言語学会発表)。

まとめると

0 項動詞 吹雪く、時雨れる

非対格動詞 融ける、折れる

非能格動詞 走る、泳ぐ__________自動詞

所動詞 ある、かかる

____________________他動詞

有対他動詞 融かす、折る

無対他動詞 食べる

移動動詞 行く、来る

心理動詞 苦しめる

複他動詞 渡す、もらう


   現代日本語の基本語順は次のようなものだと述べました。

(1) NP-ga Vᵢ NP-ni NP-ga Vₑ NP-ga NP-o V

   母語話者の知識はこういった単文を定義するためにはどのようなものでなければならないでしょうか?
   まず線形順序に沿って定義する方法あり、一つに「有限状態文法」があります。自然言語に対して有限状態文法は生成力 generative power が弱すぎる、ということを Noam Chomsky が示しました。有限状態文法は、ある状態から次の状態への遷移が確率で決定されており、状態遷移は一定で終了する、それが文に対応する、というものです。はじめの状態が

(2) NP-ga の場合、次の状態の候補が (3) {NP-ga, NP-o, NP-ni, V, ∅, ...} で、これらから確率によって (4) NP-ga⌒NP-o が選ばれます。

   次に、

(5) {NP-ga, NP-o, NP-ni, V, ∅, ...} という候補から確率によって (6) NP-ga⌒NP-o⌒V が選ばれます。状態遷移は二度の遷移 (7) 状態₁⌒状態₂⌒状態₃ で終了するものとし、ここで文が完成します。

  私たちの関心は、現代日本語の母語話者の統語的知識です。現代日本語の文が有限状態文法のような仕組みで定義されている、と明言するということは、母語話者の知識が有限状態文法であると主張している、ということを意味しています。
  しかし既に「動詞の性質」のところで見たように、文の完成を決定する項の数や名詞句に後続する助詞は動詞によって決まります。つまり有限の状態遷移には

(8) a. 状態₁ b. 状態₁⌒状態₂ c. 状態₁⌒状態₂⌒状態₃ d. 状態₁⌒状態₂⌒状態₃⌒状態₄ の可能性があり(項の個数が 0 〜 3 として)、最終の状態を「状態ₑ」とすると (9) 状態₁⁰⌒ … ⌒状態ₑ₋₁⁰⌒状態ₑ のように一般的に述べておく必要があります。そして状態ₑである動詞によって採用する状態の数が決まる、としておかなければなりません(ここで「状態⁰」は状態が 0 以上であることを表すことにします)。 文法は「文を弱生成 weakly generate し、構造記述を強生成 strongly generate する」(Noam Chomsky _Aspects of the Theory of Syntax_)もので、「文」は表面的な語の並びを指します(「構造記述」については後程)。弱生成能力すら持たない有限状態文法が日本語母語話者の知識を記述することは不可能です。 そこで線形順序(弱生成力を持つ知識で定義される)ではなく、構造記述 structural description に注意を向けることにしましょう。構造記述とは、文の表面に現れる、見える・聞こえる形式の背後にある、まとまり(構成素性)などのことです。 まとまりというのは橋本進吉の連文節や時枝誠記の入れ子、アメリカ構造主義言語学の IC 分析の構成素のことです。例を挙げて考えてみましょう。例を文節に分けて示します (10) |きれいな|おかあさんの|洋服| 上の文は多義的です。一つは「きれいなのはおかあさん」という解釈です。 この解釈での第一の連文節を ‘⌒’ を使って示します。 (11) |きれいな⌒おかあさんの|洋服| 「きれいな⌒おかあさん」を「第一連文節」という表現で置き換え、次の連文節を示すと (12) |第一連文節⌒洋服| となります。 次にもう一つの解釈を考えます。「きれいなのは洋服」という解釈ですが、第一連文節は (13) |きれいな|おかあさんの⌒洋服| となります。「おかあさんの⌒洋服」を「第一連文節」という表現で置き換えて次の連文節構造を示すと (14) |きれいな⌒第一連文節| となります。 以下、構成素と呼び、タイプの便宜上、括弧で構成素を示します。 (15) a.|きれいな|おかあさんの|洋服| b.|きれいな⌒おかあさんの| c.|おかあさんの⌒洋服| はそれぞれ (16) a. [きれいな][おかあさんの][洋服] b. [[きれいな][おかあさんの]] c. おかあさんの洋服 と同じです。 基本語順を持つ単文の問題に戻りましょう。次の文を考えます。 (18) 姪が窓を開ける ここに現れる「姪が」「窓を」「開ける」という三者の間の関係は対等ではありません。「窓を開ける」という組み合わせを使って作る (19) [窓が開けて] ある のような文はあっても「姪が開ける」にはありません。 また (20) NPガ NPヲ 開ケル には対応する (21) NPガ 開ク がありある意味でこの非対格動詞の「使役化」と言えます。自他対応は形態論の問題とし、他動詞文と使役文法の違いは後回しにして、これらを構成素構造を明確にすると (22) a. [NP ga 開] b. [NP ga [NP o 開] 使] です。 ここで疑問が生じます。一緒に助詞のガやヲを知っている必要があるか、です。0 項動詞を除きほとんどの単文は係助詞や副助詞で置き換わらなければ最低一つガを伴う名詞句が現れます。詳しくは後にして自他対応があるクラスを Vunacc とすると (10) a. [NP₁ Vunacc] b. [NP₂ [NP₁ Vunacc] CAUS] 同様のことは無対他動詞にも言えるでしょうか。「食べる」を取り上げます。 (11) あいつがレバ刺を食べさえしなければ... ここで (12) a. レバ刺を食べさえあいつがしなければ... b.*あいつが食べさえレバ刺をしなければ... の対比から、次のように考えられます。 (13) [NP₂ [NP₁-o Vacc]] この議論は Hoji, Miyagawa and Tada. 1989. NP-movement in Japanese, ms. に依ります。 ここまで (14) [NP₂ [NP₁-o V] α] という構造を確認しました。語順との対応は (15) [NP₂ [NP₁-o V] α] 構造

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  ①    ②      ③      語順

になります。 逆に存在文では (16)

  ①       ②    ③      語順
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[NP₂-ni [NP₁ V] α] です。