聞け、イスラエル ― šəma` yiśrā'ēl. שְׁמַע יִשְׂרָאֵל
ヤハウェが我らの神、ヤハウェひとりが yahwe elōhēnū yahwe 'eḥād יהוה אֱלֹהֵינוּ יהוה אֶחָֽד׃
汝の神ヤハウェを汝は愛する wə'āhabtā 'ēt yahwe elōheḵā וְאָהַבְתָּ אֵת יהוה אֱלֹהֶ֑יךָ
汝の全心をもって bəḵol-ləḇāḇəḵā בְּכָל־לְבָבְךָ
汝の全存在をもって wūḇəḵol-našəḵā וּבְכָל־נַפְשְׁךָ
汝の全力をもって wūḇəḵol-mə'ōdeḵā וּבְכָל־מְאֹדֶֽךָ׃

申命記64-5

語註

‏ שְׁמַע ‎ は「聞く」という意味の動詞の男性・二人称・単数の命令形。命令の対象は ‏ ישראל ‎、多くの場合このように後置される。 ‏ וְאָהַבְתָּ ‎ は「愛する」という動詞の男性・二人称・単数のワウ完了形。 ‏ אֵת ‎ は原則として目的格の定名詞句の前に置かれる助詞。 ‏ בְּ ‎ はここでは「をもって」と訳される前置詞。 ‏ כָּל ‎ kol は ‏ כּוֹל ‎《すべて》の連語形。 ‏ לֵבָב ‎《心》、‏ נֶפֶשׁ ‎(‏ נַפְשׁ ‎)《のど、魂、存在》、 ‏ מְאֹד ‎(名詞としては)《力》。 ‏ מְאֹדֶֽךָ ‎ は ‏ ־ְךָ ‎ の休止形(3.2.3)。

第二行目は 9.1の例文7 と同じであるが、 訳はわざと変えてみた。性・数を等しくする四個の名詞を並べたこの表現は、その構文からして様々な解釈が可能である。‏ אֶחָד ‎ を ‏ יהוה ‎ に対する修飾部として「唯一なるヤハフェ」と読むためには、原則的には ‏ הָאֶחָד ‎ となっていなければならない。しかし ‏ יהוה האחד ‎ なる表現は聖書に無く、‏ יהוה אחד ‎ も管見の限りではゼカリア149にあるのみ。 しかしこの文のような表現こそ論理学的な主―述関係から把えることは一方的なのではないだろうか(4.3.2参照)。その意味で Martin Buber のドイツ語訳(1868改訂)における ER unser Gott, ER Einer! (Buber は ‏ יהוה ‎ を常に ER と訳する)という訳は示唆的である。