7.3 構文解説
文1 では טוֹב と דְּבַר הַנָּבִיא とがそれぞれ一つの名詞句をなし、 後者が主部、前者が述部の役割を果たしている。 ここで新しいことは、 דְּבַר הַנָּבִיא という名詞句の構造である。 この名詞句の הַנָּבִיא は、 דְּבַר の後に立ちこれと密接に結合することによって、 דָּבָר に対し意味的に属格の関係にあることを示しているのである。 ちょうど日本語で、例えばハナ《花》がカゴ《籠》の前に立ち両者が密接に結合して出来た名詞句ハナカゴにおいて、《花》は《籠》に対し意味的には属格的であるように、 二つの語が密接に結合した結果、日本語ではアクセントの変化や連濁(ハナ+ソノ→ハナゾノ)が起こるが、 ヘブライ語でも、先行の語が主アクセントを失い、その結果(前の課で見た、性・数の接尾辞がついた語幹のように)音変化が起こる(dābā́r + hannābī'→ dəbar-hannābī')。 ヘブライ語のこのような名詞句において、意味的に属格の働きをしている語(または句)を限定語(句)、これによって限定されている語を被限定語と呼ぶ。 文1 の דְּבַר のように、被限定語となることによって、音変化を受けた結果、 そうでない独立型( דָּבָר )と異なる語形を取るとき、これを連語形と呼び、この名詞句全体を連語句と呼ぶ。
上に日本語の複合語を引合いに出したが、ヘブライ語の連語句は複合語のように全体として一つの単語をなしていると見ることはできない。ヘブライ語の名詞は原則としてすべて被限定語にも限定語にもなることができ、規則に従いつつその場その場で自由に連語句を作ることができるのであって、この生産性という点からは、日本語では ノ による名詞の結合が連語句に近い。例:預言者ノ言葉
西欧の伝統的ヘブライ語学では、おそらく古典語文法からの類推で、我々のいわゆる限定語を nomen rectum 《支配された名詞》、被限定語を nomen regens 《支配する名詞》と称する。 また、連語形のことを status constructus 《結合された状態》であるといい、独立形を status absolutus 《解放された状態》であると言う。
また「属格」と言ったけれども、ヘブライ語には、ギリシア語などと異なり、積極的に格を標示する形はない。ただ文の中での名詞の意味関係を表すために、例えば הַנָּבִיא という名詞は文1 では属格であるが、動詞の主語となるときには、同じ形のままで主格、目的語となるときには、やはり同じ形のままで目的格である、と言うことができる。
文2 では名詞句 וַהְוֶה אֱלֹהֵי יִשְׂרָאֵל が קָדוֹשׁ に対する主部である。 אֱלֹהֵי は אֱלֹהִים の連語形であるから、この句ではまず אֱלֹהֵי יִשְׂרָאֵל が連語句をなし、これと וַהְוֶה が同格的に並置されている。この構造は次のように図示されよう。 [ [ (יִשְׂרָאֵל) אֱלֹהֵי] [וַהְוֶה] ] [קָדוֹשׁ] 文3 では、 בְּנֵי は בָּנִים ( בֵּן の複数) の、 חַכְמֵי は חֲכָמִים ( חָכָם の男・複)の、 それぞれ連語形である。 従ってここでは主部、述部とも連語句をなしているわけである。 文4 の טֹבַת は טֹבָה ( טוֹב の女・単)の連語形。 文3 の חַכְמֵי לֵב と文4 の טֹבַת מַרְאֶה は意味上平行しており、 「心の賢い人々」「見目のよい女」ということ。
文5 の主部 יוֹם יַהְוֶה הַגָּדוֹל では、 יוֹם יַהְוֶה という連語句を גָּדוֹל が修飾している。 גָּדוֹל に冠詞が付いているのは、その修飾部 יוֹם יַהְוֶה の限定語 יַהְוֶה が固有名詞で定だからである。 このように、連語句の中の限定語が定ならばその連語句は定、限定語が不定ならば連語句全体も不定とされる。文1 、文2 の連語句および文3 の主部の連語句はいずれも定で、文3、文4 の述部をなす連語句は不定であることを確認されたい。文5 の構造は次のようである。[ (הַגָּדוֹל) [ (יהוה) יוֹם] ] [קָרוֹב]