違法性の意識
違法性の意識
編集違法性の意識(違法性の認識)とは、実行行為者が、自分の実行している行為が犯罪の構成要件に該当する違法な行為であるということを認識していることをいう。違法性の意識がある行為者は、犯罪であることを認識しながらあえて規範の壁を乗り越えて行為しているのであるから、これに非難(責任非難)を加えることができる。問題は、そのような違法性の意識を明確に有していない行為者に対しても、責任非難を加えることができるかどうかである。これは違法性の意識の要否と呼ばれる問題である。
違法性の意識の要否と位置づけ
編集違法性の意識が犯罪の成立要件として必要とされるか、必要だとすれば犯罪体系上どこに位置づけるべきなのかについては、学説が複雑に対立している。
違法性の意識不要説
編集文字通り、違法性の意識は犯罪の成立要件として不要である、という説である。この説に従えば、構成要件に該当する行為をしているという意識が全くなくとも、実際にその行為が構成要件に該当するのであれば、犯罪が成立するということになる。判例はこの立場を取っていると言われる。もっとも、故意犯として処罰される範囲が広くなりすぎるという批判もある。
故意説
編集違法性の意識を故意の一要素と考える説である。この場合の故意とは「責任故意」を指す。
故意説はさらに、責任故意を認めるには違法性の意識まで必要とするという厳格故意説と、違法性の意識がなくとも、違法性の意識の可能性があれば足りるとする制限故意説に分かれる。
責任説
編集違法性の意識は故意とは別個の責任要素であると考える説である。責任説は、違法性の意識の可能性があれば責任非難は可能であるとする。
責任説はさらに、厳格責任説と制限責任説に分かれる。厳格責任説は、構成要件に関わる錯誤は構成要件的故意の問題、違法性に関わる錯誤は違法性の錯誤の問題であると明確に区別する。制限責任説は、構成要件に関わる錯誤を比較的緩やかに解しており、いわゆる正当化事情の錯誤(誤想防衛)も構成要件的事実の錯誤の範疇に入れて考えている。
違法性の錯誤
編集違法性の錯誤(法律の錯誤)とは、行為者は犯罪の要件に該当しないと思って行為したが、実際には犯罪の構成要件に該当している場合をいう。
たとえば、百円札模造事件(最決昭和62年7月16日刑集41-5-237)においては、紙幣と紛らわしい外観を有するサービス券を作成した被告人が、作成前に警察署に相談したものの、注意が好意的なものだったものであったことからこれを重要視せず、許されると思って大量に作成した行為が、通貨等模造罪に問われた。この場合、被告人の行為は通貨等模造罪の構成要件に該当するが、自らの行為が適法であるという認識を持っているから、違法性の錯誤の問題になる。
上記事例を学説に従って検討すると以下の通り。
- 違法性の意識不要説に立てば、適法であることの認識はそもそも犯罪の成立とは無関係であるから、犯罪が成立する。
- 厳格故意説に立てば、適法であるという認識を持っていた場合には故意が阻却されるから、犯罪が成立しない。
- 制限故意説に立てば、警察官に相談したことで違法性を意識する可能性もなくなったと評価されれば故意が阻却されるが、さもなくば故意犯が成立する。
- 責任説に立てば、警察官に相談したことで違法性を意識する可能性もなくなったと評価されれば、責任非難を加えることができず、犯罪が成立しない。さもなくば犯罪が成立する。
幻覚犯
編集違法性の錯誤と逆の現象が幻覚犯である。すなわち、行為者自らは構成要件該当行為をしている認識があるが、実際上その行為は構成要件に該当しない場合をいう。
幻覚犯が不可罰であるということには争いはない。なぜならば、構成要件該当行為をしていない行為者を罪に問うことは、罪刑法定主義に反するからである。