高等学校世界史B/イスラーム世界の形成と発展
1055年にはトルコ系のセルジューク朝がバグダードに進出し、スルタン(Sultan)の称号をさずけられる。
またセルジューク朝は、シリアやアナトリアにも進出した。これがビザンツ帝国を圧迫したので、のちに、キリスト教諸国による十字軍遠征の原因の一つになる。
エジプトのイスラーム
編集11世紀末、第1回の十字軍がシリアに侵攻し、イェルサレムが占領される。 エジプトでは、1169年、クルド人のサラディン(Saladin)(正確には「サラーフ=アッディーン」)が、ファーティマ朝を滅ぼして、1169年にスンナ派のアイユーブ朝(Ayyub)を樹立した。
サラディンは、十字軍に対抗することをとなえた。
1187年、アイユーブ朝は十字軍との戦いになり(第2回十字軍)、アイユーブ朝は十字軍をやぶり、イェルサレムを奪回する。
エジプトでは、アイユーブ朝が、1250年にマムルークによるクーデターによって倒され、マムルーク朝が樹立した。そしてアイユーブ朝は、それまでモンゴル軍がシリアに侵入していたが、モンゴル軍をやぶる。
北アフリカ・イベリア半島のイスラーム
編集11世紀なかば、北アフリカの西サハラの先住民ベルベル人のあいだで、イスラーム教への改宗が急にすすむ宗教運動が起きた。そして彼等により、ムラービト朝(Murabit)が成立された。ムラービト朝の経済は、サハラの交易を保護し、繁栄した。また南のガーナ王国を、ムラービト朝は滅ぼした。そしてイベリア半島にも、ムラービト朝は進出した。
さらに12世紀に、ムラービト朝に対抗してムワッヒド朝(Muwahhid)が成立した。そしてムワッヒド朝はムラービト朝を滅ぼし、北アフリカとイベリア半島を支配した。ムワッヒド朝の経済は、サハラの交易を保護し、繁栄した。 ムラービト朝とムワッヒド朝の両王朝とも、マラケシュ(Marrakesh)を首都とした。
- イベリア半島の領土喪失
その後、13世紀にキリスト教諸国がイベリア半島の奪回し始めると、グラナダのナスル朝が1492年まで残る。そして1492年、ナスル朝はスペイン王国に滅ぼされ、ムスリムはイベリア半島の領土を失う。
アフリカのイスラーム化
編集- 西アフリカ
サハラ以南の西アフリカでは、7世紀ごろからガーナ王国が成立しており、金をたくさん産出していたので、北アフリカの岩塩などとの交易によって栄えていた。
1076年ごろのムラービト朝による侵入でガーナ王国は征服され、衰退した。その後、13世紀にマリ王国(Mali)が起こり、14世紀にはマリ王国が栄え、15世紀にはソンガイ王国(Songhai)が栄えた。マリ王国やソンガイ王国は、ムスリムとの交易とのため、イスラームを受容した。
マリ、ソンガイの両王国とも、ニジェール川の中流にあるトンブクトゥ(Tombouctou)が交易の中心都市として栄えた。
- 東アフリカ
いっぽう、アフリカ東海岸では、アラビアとの海上交易によって栄え、アフリカのバンドゥー系の言語に、アラビア語の影響を受けたスワヒリ語が共通語として用いられた。
- アフリカ南部
ジンバブエを中心に、モノモダバ王国が栄えた。
インド・東南アジアのイスラーム
編集10世紀なかばにアフガニスタンでトルコ系のガズナ朝がおきた。さらにのちにガズナ朝から独立したゴール朝(Gohr)がおきた。ゴール朝が北インドに侵攻をくりかえした。
13世紀はじめに、北インドでイスラム系の諸王朝ができた。これら北インドの諸王朝が都市デリーを中心にした王朝だったので、一般にデリー=スルタン朝(Delhi Sultan)という。