高等学校世界史B/エジプト文明

古代のエジプトでは、ノモス(nomos)という集落を中心に、ナイル川(Nile)の水を利用した灌漑(かんがい)農業が発達して、文明が発達した。

ロゼッタ・ストーン。 ナポレオンのエジプト遠征のさいに発見された。上から順に、古代エジプトのヒエログリフ、古代エジプトのデモティック(民衆文字)、ギリシア語を用いて同じ内容の文章が記されている。この碑文などをもとに、のちの時代にヒエログリフが解読されたのであり、フランスの学者シャンポリオンによって、神聖文字ヒエログリフが解読された。

このことについて、「エジプトはナイルのたまもの」と、のちの時代のギリシアの歴史家ヘロドトスが言葉を残している。

灌漑工事や治水工事のために、権力が必要になり、国家が発達した。そして紀元前3000年、ナイル川中流域の上エジプトが、下流域の下エジプトを征服して、統一王国を建てた。その、最初の統一王国の首都の場所は、メンフィス(Memphis)である。エジプトの王はファラオ(Pharaoh)と呼ばれた。

エジプトは周囲を砂漠や海に囲まれており、外敵からの侵入を受けずらかったことも、このような強大な権力をきずけた理由の一つだろうと考えられている。


エジプトでは、毎年のナイル川の増水の時期を予測するために、季節を正確に知る必要があり、暦が発達し、1年を365日とする太陽暦がつくられた。また土木工事などのため、測地術が発達し、幾何学などの数学が発達した。


宗教と文化編集

 
「死者の書」の一部。 死後の世界を支配するオシリス神(画像の右端に座っている)に、死者の生前の善行などを伝えることで、死後の審判を許してもらおうとするものである。

エジプト人は霊魂の不滅と死後の世界を信じて、遺体をミイラにした。 副葬品としてパピルスに書かれた「死者の書」をともに、遺体が埋葬された。

 
「死者の書」の一部。 はかりを使っているのはアヌビス神であり、心臓と「正義のはね」の重さを比べている。

古代エジプトの宗教は、太陽神ラー(Ra)を中心にまつる多神教である。

文化では、パピルス草から作った一種の紙のパピルス(papyrus)が発明されており、その紙に書かれた記録から、現代のわれわれは当事のことが研究できる。 パピルス草に書かれる文字には、民用文字が使われた。民用文字は、神聖文字ヒエログリフとは、べつの文字である。ヒエログリフは、石棺や碑文などに用いられた。ヒエログリフは象形文字である。


国家の興亡編集

エジプトではいくつもの王朝が興亡して交代して、合計で約30の王朝があったが、時代はおもに古王国中王国新王国の3つの時代に分かれる。

 
三大ピラミッド。 右端の最後方が、クフ王のまつられた、ギザの大ピラミッドである。

メンフィスを中心とした古王国(前27世紀〜前22世紀)では、クフ王(Khufu)の時代に(= 前27世紀ごろ)、巨大なピラミッド(Pyramid)が建造された。


中王国は、テーべを首都とする。

中王国の末期の1700年ごろに、エジプトは異民族ヒクソス(Hykcsos)によって侵略され、そのヒクソスによってエジプトが支配された。ヒクソス(Hykcsos)は、アジアのシリア・パレスチナ出身の異民族であり、馬と戦車で武装した遊牧民であり、アジアのシリア方面からエジプトに侵入し、ナイル川下流域のデルタ地帯を中心とする王朝を建てた。


前16世紀に、エジプト人がヒクソスを撃退し、新王国を立て、さらにシリア方面へ軍事遠征して領土を拡大した。

新王国の宗教と文化編集

新王国では、首都テーべの守護神アモン Amon と、太陽神ラーとがむすびついて、アモン=ラーという一つの神として、まつられていた。

前14世紀に、アメンホテプ4世が宗教を、唯一神アトン(Aten)だけをまつるように変更し、従来の多神教を否定した。アモン=ラーをまつる神官団と対立したためである。


 
アマルナ美術。 アメンホテプ4世の妻、ネフェルティティの胸像(紀元前1345年)

また、アメンホテプ4世が都をアマルナ(テル=エル=アマルナ)に変更した。アマルナ美術が生まれた。また、アメンホテプ4世は、みずからの名をイクナートン(Ikunaton)に改めた。 王の死により、これらの改革そのものは失敗し、信仰は多神教にもどった。