ルネサンスの芸術と文化

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イタリアのルネサンス

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ヨーロッパでは中世の末期、美術や彫刻や文芸などの芸術が活発になり、また、それまでの宗教的に非写実的な美術をやめて、写実的な美術や彫刻を追求する運動が起き、また、ヴィーナスなどのギリシャ神話の神々を題材にした芸術作品もつくられ、古代の文化を見直す運動が起きた。

ヨーロッパでの中世後半の、このような芸術運動をルネサンス(「再生」という意味)という。ヨーロッパのこのルネサンスは、14世紀から16世紀にかけて起きた。

ルネサンスは、まずイタリアで起きた。

 
ボッティチェリの作品、「ビーナスの誕生」(ビーナスのたんじょう)
 
レオナルド=ダ=ビンチ

この時代、イタリアはオスマン帝国など中東諸国との地中海貿易などによって経済発展していた。なので、ルネサンスの発生理由として、そのような地中海貿易による経済的余裕や、イスラーム文化との異文化交流などによる文化的刺激などが考えられる。

文学では、イタリアでダンテが、ラテン語ではなくイタリアのトスカーナ地方の口語をもちいて『神曲』などの作品を書いた。

15世紀後半から16世紀には、絵画ではボッティチェッリレオナルド=ダ=ビンチラファエロ などの芸術家が活躍し、写実的な絵画作品を発表した。

また、このルネサンスの時代、絵画では遠近法などの技法が確立した。

 
最後の晩餐』(さいごのばんさん) レオナルド=ダ=ヴィンチの作品。

フィレンチェの大商人のメディチ家も、このルネサンスを経済的に支援した。

 
サン=ピエトロ大聖堂

また、ローマ教皇も、ルネサンスを支援した。サン=ピエトロ大聖堂は、このルネサンスの時代に大改築された。


また、政治学でも、マキャヴェリがそれまでの道徳や宗教(キリスト教神学)とは切り離した[1]現実的な政治学を研究し[2]、マキャヴェリは彼の著書『君主論』で、君主には場合によっては権謀術数も必要であると発表した。

※ マキャヴェリを紹介している検定教科書としては、いちおう山川出版社『詳説世界史B』(2012年3月27日 文部科学省検定済み、2013年3月5日 発行、P206)にマキャヴェリについての記述が「マキャヴェリは『君主論』を書いて、政治を宗教・道徳から切り離す近代的な政治感を提示した」とある。他社の検定教科書では、東京書籍『世界史B』(平成28年3月18日検定済み、平成30年2月10日発行、P166)が「マキャヴェリは『君主論』を著し、政治を宗教や道徳とは別個のものとして論じ、のちの政治思想に大きな影響を与えた」とある。
権謀術数についての出典は、たとえば『詳説世界史研究』(2005年10月31日 第13版発行、P228の『君主論』清水廣一郎訳)に「信義を顧慮せず、術策によって人々の頭を混乱させることのできた君主が、むしろ大事業をなしとげている。」と記述がある。検定教科書が「政治」を「道徳から切り離し」たとか入ってるのは、こういう意味である。『君主論』では、宗教から政治を切り離すだけでなく、道徳からも切り離していることにも注目せよ。

イタリア以外でのルネサンス

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エラスムスを描いた肖像画 
この絵はホルバインが描いた。

ルネサンスはイタリア以外にも広まっていった。 ネーデルランドでは、エラスムスが『愚神礼賛』(ぐしんらいさん)で社会風刺として教会の堕落(だらく)などを書いた。 また、ネーデルランドでは、ファン=アイク兄弟が油絵の技法を改良した。

ドイツでは、デューラーは油絵の画家でもあるが、また、デューラーは版画の作品を多く作った。

イギリスでは演劇作家のシェークスピアが『ハムレット』など多くの文芸を残した。

 
「農民の踊り」 ブリューゲルの作品

画家ブリューゲルや画家ホルバインも、ルネサンス時代の画家である。


ルネサンス時代の科学技術

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ポーランド人のコペルニクスは、地球は太陽のまわりを回っているとする地動説を発見し、宇宙の中心は地球ではなく太陽だと主張した。

しかし、この地動説が、当時のキリスト教の天動説と矛盾していたため、コペルニクスは教会からの批判をおそれ、主張を隠した。

実際、地動説を主張したイタリア人のブルーノは処刑された。

また、地動説を観測によって実証したと主張した物理学者ガリレイも、教会によって宗教裁判にかけられ、ガリレイは地動説の放棄を強制された。

ドイツ人のケプラーは、地動説を参考に、惑星の運行を観測して、惑星の運行についての法則を発見した。

写実的な画家のレオナルド=ダ=ヴィンチは、人体の解剖図も多く残した。

15世紀にドイツのグーテンベルクは活版印刷を発明した。なお、製紙法は中国で発明された。ヨーロッパに、その製紙法が伝わってきたとされる。

この活版印刷の普及により、言論の印刷物が安価に入手しやすくなったため、新しい思想が広まりやすくなったと考えられている。

※ のちの時代の宗教改革でも、ルターの思想が活版印刷されたパンフレットなどによって広まった。

火薬は中国で発明された。ルネサンスの時代、ヨーロッパにも火薬が伝わってきて、ヨーロッパでは鉄砲や大砲などの火器が開発された。

羅針盤もまた、中国で発明されたが、ヨーロッパで改良が加えられた。

こうして、中国で発明された火薬・製紙法・羅針盤が、ヨーロッパでそれぞれ改良された。


※ 分析 (範囲外)

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ルネサンス当時、人体の解剖は、キリスト教では、禁止的な行為だった。つまり、解剖図を残したダヴィンチは、そういったキリスト教の風潮に敵対したことになる。

また、ボッティチェリの絵画『ウィーナスの誕生』では、キリスト教にとっては異教であるギリシア神話を描いている。

つまり、おそらく、この時代、キリスト教の権威が落ちてきたことになろう。

  1. ^ 吉野篤『政治学 第2版』、弘文堂、2018年(平成30年 ※原著で併記)2月28日 第2版 第1刷発行、P37、
  2. ^ 吉野篤『政治学 第2版』、弘文堂、2018年(平成30年 ※原著で併記)2月28日 第2版 第1刷発行、P37、