高等学校世界史B/中世ヨーロッパの文化

学問 編集

ヨーロッパでは、この時代の前までに古代ギリシアなどの古い哲学はいったん絶えて詳細が不明になってしまったが、12世紀になると、ビザンツ帝国や中東のイスラーム地域に、翻訳などをされた形で、アリストテレス哲学などの古代ギリシア哲学が残っていることが分かり、そしてヨーロッパにも古代ギリシア哲学の文献が(ラテン語に翻訳される等して、ヨーロッパに)輸入され、ヨーロッパで哲学史などの研究が進んだ(こういう経緯を一般に「12世紀ルネサンス」という)。 (※ 山川の『高校世界史B』(うすいほうのバージョン)に記述あり。)


また、12世紀頃からヨーロッパでは大学が各地に誕生した。大学は教会学校を母体に、教授や学生の組合として誕生したのが始まりで、一種のギルドであった。都市の発達とともに、都市に大学が造られた。

ヨーロッパでは神学が最高の学問とされた。学部は、おもに神学・法学・医学の3学部だった。

ラテン語が学問での共通語になった。

当時の知識人とは、聖職者や修道士のことだった。

古代のアリストテレスの著作が、神学や哲学で権威的な古典とされた。


上述のような事情も背景になり、トマス=アクィナス(Thomas Aquinas)は、アリストテレス哲学と神学の融合をしようとして『神学大全』を著した。(当時、すでにイスラーム世界からアリストテレス哲学がヨーロッパに再輸入されていた。) (※ 「アクィナス」だけでなく「トマス=アクィナス」とフルネーム的に呼ぶ理由は、単なる、歴史教育での慣習である。特に深い理由は無い。)

自然科学では、実験と観察の重視を主張するロジャー=ベーコン(Roger Bacon)があらわれた。(※ なぜ「ベーコン」でなく「ロジャー=ベーコン」とフルネーム的に紹介してるかというと、哲学史では、ロジャーの他にも、少なくとも もう1人、別人で有名な哲学者ベーコンがいるからである。このため、「〇〇=ベーコン」という名前の哲学者だけ、区別のためにフルネーム的に呼ぶのが歴史学や哲学などでの通例である。)


腐敗堕落してゆくスコラ学

ロジャー=ベーコン(1214年生まれ)は、スコラ学の学者であった。スコラ学とは、11世紀ごろから流行した学問で、タテマエでは特定の思想や哲学をもたず学問的に古典などを研究しようという方法だったが、しかし、実態はキリスト教中心の宗教になっていき、キリスト教の権威をギリシア哲学などで補強しようという実態だった。トマス=アクィナスもスコラ学の学者でもあった。

さて、ロジャー=ベーコンは改革的な人であり、イスラーム科学の情報に詳しく、ロジャーは実験や観察の重要性を著書で主張した。

しかし、教会は「ロジャーは、アラブ思想を広めた」という罪をロジャーに負わせ、キリスト教フランシスコ会によってロジャーは逮捕され投獄されてしまう。

こうして、スコラ学は改革の機会を失っていき、やがて形骸化していく。

のちの17世紀の時代になると、スコラ学は、数学者デカルト(1596年生まれ)などから手厳しく批判されることになる。

※ このスコラ学批判は、けっしてwikibooksの独自研究ではなく、山川出版の『高校倫理』(平成26年2月25日発行)にも、デカルトなどが哲学書を書いた経緯として書かれている。



文学 編集

文学では、各地の俗語(口語)が用いられた。騎士道を題材にした騎士道文学が流行した。

カール大帝の家臣の騎士をたたえた『ローランの歌』、ゲルマンの伝説をもとにした『ニーベルンゲンの歌』、ケルトの英雄伝説にもとづく『アーサー王伝説』、などの作品がつくられた。 また宮廷などで、吟遊詩人(ぎんゆうしじん)が、騎士などの恋愛を題材とする抒情詩(じょじょうし)をうたった。

建築 編集

 
ロマネスク様式の例。ピサ大聖堂。ガリレイが物体落下の実験を行った建物として有名である。
 
ゴシック様式の例。ケルン大聖堂。着工したのは13世紀だが、途中で工事が中断し、完成したのは1880年である。
 
ステンドグラス(シャルトル大聖堂)。

ロマネスク様式は、窓が小さい。

ゴシック様式の建築は、頭部のとがった尖塔(せんとう)を持つのが特徴である。そしてゴシック様式の窓はステンドグラスで飾られているのが特徴である。