中学校では、18世紀の産業革命と、19世紀のマルクスなどの社会主義とは、別々の単元で習う。だが、歴史的には、ヨーロッパでは、これらの出来事は関連しあっている。産業革命と社会主義の関連付けは、別にwikiの独自見解ではなくNHK高校講座なども類似の見解である[1]

なお中学単元については『中学校社会 歴史/産業革命と欧米諸国』などを参照せよ。

おおまかにいうと、

まず、産業革命によって、大地主が大工場をたて、子どもや女性などを低賃金で雇うようになり、子どもや女性などに長時間労働をさせるようになった。
そのため、ヨーロッパ各地で低賃金で重労働をさせる企業への反発が高まっていくわけである。

産業革命 編集

産業革命(Industrial Revolution [2])はヨーロッパで始まり、ヨーロッパの産業革命はイギリスから始まる。そのイギリスの産業革命は、もともと綿織物の機械化・自動化から始まった。

まず、1733年にジョン=ケイによって 飛び杼(とびひ) が発明された。このころの織機は、まだ手動である(蒸気機関は使っていない)。


さて、蒸気機関には動力源の燃料が必要であるが、その燃料は石炭である。イギリスの産業革命の場合、その石炭の産出地は、イギリス産である。イギリスは豊富な石炭の産出地でもある。だから現代の歴史学者によっては、産業革命は「エネルギー革命」でもあるという見解もある(実教出版の『歴史総合』見本の見解)。蒸気機関のための燃料として、木炭だけでなく石炭が使われるようになった。

この産業革命の時点で、イギリスはインドなど海外に多くの植民地を持っている。植民地獲得のほうが早い。(※けっして、「産業革命で工業化できたから軍事力が向上してインド征服に成功した」というわけではない。イギリス東インド会社は1600年と、産業革命よりも、かなり早い。)※ NHK高校講座の見解。[3]


この産業革命の時代の1769年ごろに、(現代では物理学でエネルギーの単位「ワット」として知られている)発明家ワットは、蒸気機関(steam engine [4])を改良してきた。

なお、蒸気機関を導入した力織機を発明した人はカークライトであり、1785年に彼カークライトは力織機(りきしょっき)を発明した。


当時のイギリスではランカシャー地方が、綿織物の産地であったので、つまりランカシャー地方を中心に産業革命が進展しはじめたわけである。

1807年にフルトンによって蒸気船が製作され、1814年にはスティーブンソンによって蒸気機関車が製作された。

イギリスの輸出入のための港として、港町リヴァプールが発展した。また1830年にはリヴァプールと商工業都市マンチェスターをつなぐ鉄道が開通した。なお、マンチェスターは振興の工業都市である。マンチェスターやバーミンガムが、当時の振興の工業都市である。

このようにしてイギリスから海外に安価な工業製品が輸出されていき、イギリスは「世界の工場」と呼ばれるようになっていった。

工場の煙突からの煙などによる大気汚染が問題視されたのも、この時代からである。都市などのスラムが形成されるようになったのも、この時代からである。(※それぞれ実教出版の『歴史総合』教科書の見解。)


このようにして、従来の大農地を所有する大地主に対抗する権力者として、新たに、大工場を所有する資本家があらわれてきて、資本家による政治経済への影響力が大きくなっていき、資本主義が発展していった。

いっぽう、イギリスでは、労働者は低賃金で働かされるようになった。また、子どもが鉱山で働かされるようになった。

(このように、資本家はあまり労働者の待遇を重視せず、そのため労働者の反感から、のちの19世紀ごろには労働者による労働運動や社会主義思想につながっていく。)

また、このように工業化が進行していったことも関係し、「産業資本家」や「工場労働者」などの新しい職業や階級の者たちが増えていった。


資本家は悪人だったのか?

現代の歴史学の一説では、上述のような資本家に批判的な言説に対する反対意見もある。それは、じつは産業革命以前から子どもや女性は低賃金で働かされていたという指摘である(※ 帝国書院の教科書が、そのことを紹介している)。むしろ産業革命によって、子どもや女性が現金収入を得ることができたという側面もある。

(教科書会社は言わないが、)要するに、それ以前は、父親がどんなに無能でも戸主として家内制手工業によって一家の経済を仕切ることができたが、しかし産業革命によって、それが出来なくなったという側面もあるだろう。

どちらにせよ、無能な親のもとに生まれてしまった子どもにとっては、たまったものではない。いちぶの工場では、技能育成のため従業員に読み書きなどの教育もほどこしたと言われるが、裏を返すと、いちぶの家庭では子どもにまったく教育をしてないダメな父親もいたのだろう。妻や子どもが働かざるを得ない理由も、もとをただせば、その家庭の父親の収入が少ないからである。


一説には、近代のイギリスでは、資本家や富裕層が子弟の教育などのために産む子どもの数を減らす一方で、農村では相変わらず子どもが多産の傾向だったらしい。(※ 参考文献は忘れた) そのため、資本家たちは農村の同情を求めとうとする態度に不満だったらしい。



産業革命の結果、都市に人口が集中した。また、そのせいで都市の生活環境が悪化した。

なお、この時代の鉄道や蒸気船などのような交通の工業化のことを「交通革命」ともいう。


また、機械の導入によって職を奪われた人の不満もあって、機械の打ちこわし運動(「ラダイト運動」という)も、この頃から起こりはじめた。


産業革命イギリスの平均寿命は高いか低いか

産業革命の当時、1840年のリヴァピールの手工業者の平均寿命が22歳、それ以外の労働者は平均寿命が15歳といわれており(実教の歴史総合でも紹介されている)、このことが、よく産業革命の労働環境の劣悪さの根拠のように言われる(実教もそう結論づけている)。

ただし、当時の統計では上流階級でも平均寿命が35歳である(数値は実教の「歴史総合」より)。また、当時の乳幼児死亡率の高さもあるので、現代よりもかなり低い寿命になる(実教もそう指摘している)。

このように統計を見るときは、相対値にも注目しよう。けっして現代の基準だけで測定してはいけない。数値はあくまで参考までに。実態をさぐるには、数値だけでなく、色々と当時の内情を調べる必要がある。

しかし、そうはいってもイギリスでの階級や職種によって平均寿命が2倍近くも違ってくるという統計は、現代の感覚からすれば、やはり、すさまじいものではある(実教もそう言っている)。


  • 関連する単元
高等学校世界史B/ウィーン体制と1848年の革命 (オーウェンなど)
  1. ^ 『NHK高校講座 | 世界史 | 第25回 産業革命と社会問題』 2022年3月14日に確認.
  2. ^ 橋場弦 ほか監修『WORLD HISTORY for High School 英文詳説世界史』、2019年10月15日 第1版 第3刷発行、P.239
  3. ^ 『NHK高校講座 | 世界史 | 第25回 産業革命と社会問題』
  4. ^ 橋場弦 ほか監修『WORLD HISTORY for High School 英文詳説世界史』、2019年10月15日 第1版 第3刷発行、P.241