1939年にドイツがポーランドに侵攻すると、ソ連も秘密協定にもとづいてポーランドに侵攻し、ポーランドはドイツとソ連の2国によって分割された。


ソ連はさらにフィンランドに宣戦して侵攻し、ソ連=フィンランド戦争(冬戦争。シモヘイヘなどが大活躍して犠牲は払ったものの独立を守り抜いた。)となった。1940年にソ連はバルト三国(エストニア・ラトヴィア・リトアニア)を併合した。

ソ連はこれらの侵略行為のため、ソ連は国際連盟から除名された。


ドイツは、1940年4月にデンマーク・ノルウェーに侵攻し、5月にはフランスに侵攻した。

そしてドイツが圧倒的な勝利をおさめ、これらの地域を占領し、6月にはパリも占領されフランスは降伏した。

そしてフランスでは、ドイツに協力的なペタン将軍による政権がヴィシーに擁立された(ヴィシー政権)。

(※ ペタンはナチスドイツ支持者ではなく、フランスが降伏したので、戦時下のフランス統治を請け負っただけ。しかし右派的な人物であったことは確かである。)

いっぽう、シャルル・ド・ゴール将軍を中心とする、フランスの対ドイツ抗戦派は、イギリスなどに亡命した。ド=ゴールは亡命先のイギリスで自由フランスを設立し、フランス本国の民衆に抵抗運動(レジスタンス)を呼びかけた。


イギリスでは政治家チャーチル(保守党)が首相になり、ドイツによる空爆に対してイギリスは徹底抗戦した。この徹底抗戦のため、ドイツはイギリス本土には上陸できなかった。

6月にドイツは独ソ不可侵条約をやぶって、宣戦布告なしにソ連に攻め込んだ。これを機に、ソ連はイギリスと同盟を結んだ。

ドイツ軍はモスクワに到達したが、ソ連の抵抗はつづき、独ソ戦は泥沼化した。

8月、ローズヴェルトとチャーチルは大西洋上で会談し、(ドイツを批判する目的で)民族自決・貿易自由化などの宣言を盛り込む大西洋憲章(Atlantic Charter [1])を発表し、また、この憲章を戦後世界の構想として確認した。

(イギリスも植民地をもっており、植民地では民族自決を侵害している。しかも、イギリスはブロック経済を行っており、当時の貿易はあまり「自由」的とは言えない。つまり、もしかしたらアメリカは、この憲章で、イギリスに譲歩をせまった事にもなるのかもしれない。また、ソ連も異民族の国を侵攻していたので、もしかしたら、この憲章にはソ連を牽制する意味合いもあるのかもしれない。)

12月には、日本の真珠湾攻撃により日米間で戦争状態になり、またドイツとイタリアも個別にアメリカに宣戦布告し、アメリカは第二次世界大戦に参戦した。 (日独伊間には日独伊三国同盟が結ばれており、第三国から宣戦布告された場合に三国は参戦する義務を持つという条項があったが、この時の独伊の宣戦布告はこの条項とは全く無関係に行われた。)

こうして、日独伊の枢軸国(すうじくこく)と、それに対する英米仏ソの連合国(れんごうこく)という、2陣営が出来上がった。


連合国軍の反撃により、1943年のスターリングラードの戦いではソ連が勝利して、ドイツ軍をやぶった。この頃から、戦況は連合軍に有利になる。

イタリアでは、連合国軍がシチリアに上陸すると、1943年の7月にイタリア国王によりムッソリーニが解任され、イタリアは降伏した。

米英中の首相はカイロで対日処理方針を話し合い(カイロ会談)、カイロ宣言(Cairo Declaration [2])として発表した。

フランス方面では、44年には連合国軍によるフランス北西部へのノルマンディーに上陸する作戦が成功し、パリの解放に成功した(Normandy campaign [3])。そしてフランスではヴィシー政権にかわって、ド=ゴールによる臨時政府が誕生した。

45年2月、米英ソの首相はヤルタ会談(Yalta Conference [4])をひらき、戦後のドイツや東欧の処理方針を話し合い、また秘密裏にソ連の対日参戦が決められた。(一説にはこのヤルタ会談から後の冷戦がはじまったといわれる。)

そして1945年4月に連合軍はドイツのベルリンを占領し、ヒトラーの自殺により、ドイツは降伏した。

ドイツ降伏の時点では、日本はまだ降伏していない。

その後、(中学歴史や高校日本史で習うように)ソ連が日ソ中立条約を破り日本に侵攻して、原爆が広島と長崎に投下されて最終的に日本がポツダム宣言(Potsdam Declaration [5])を受け入れて降伏した。 (日ソ間では1956年に日ソ共同宣言が締結されて国交は回復するものの、北方領土などの国境問題は共同宣言では解決せず、北方領土問題は今日まで続く問題となっている。)

  1. ^ 橋場弦 ほか監修『WORLD HISTORY for High School 英文詳説世界史』、2019年10月15日 第1版 第3刷発行、P.368
  2. ^ 橋場弦 ほか監修『WORLD HISTORY for High School 英文詳説世界史』、2019年10月15日 第1版 第3刷発行、P.368
  3. ^ 橋場弦 ほか監修『WORLD HISTORY for High School 英文詳説世界史』、2019年10月15日 第1版 第3刷発行、P.368
  4. ^ 橋場弦 ほか監修『WORLD HISTORY for High School 英文詳説世界史』、2019年10月15日 第1版 第3刷発行、P.368
  5. ^ 橋場弦 ほか監修『WORLD HISTORY for High School 英文詳説世界史』、2019年10月15日 第1版 第3刷発行、P.368