高等学校世界史B/1900年前後のアジア情勢
東南アジア情勢
編集フィリピンでは1896年に、スペインからの独立を目指すフィリピン革命が始まった。
1898年にアメリカ=スペイン戦争が起きると、当初アメリカは革命派を支持したが、アメリカがスペインに勝利すると、アメリカがフィリピンの領有権をしはじめ、アメリカはフィリピンに侵攻し、そしてフィリピンはアメリカの植民地となった。
なお、革命前からフィリピンでは、ホセ=リサールらが民族主義の言論を主張していた。ホセ自身は革命の指導者ではない。
なお、同1898年、ハワイをアメリカは併合した。
日露戦争(1904年)後、ベトナムでは知識人たちが、清仏戦争によってフランスの植民地になってしまった祖国ベトナムに対して、植民地支配脱却のため、日露戦争に勝利した日本に学ぼうと(ドンズー運動(東遊運動))、日本に留学生を送る運動をした。ファン=ボイチャウなどが、ドンズー運動すべきと主張し、「維新会」を組織した。
しかし日本政府は、欧米との協調路線のために、日本に来たヴェトナム人留学生を追放した。
中国情勢
編集日清戦争後、ヨーロッパ列強は中国に利権をつぎつぎと獲得していったが、アメリカは利権獲得に出遅れた。
そこでアメリカは、他の列強への牽制のため、1899〜1890年に国務長官ジョン=ヘイが対中貿易の門戸開放・機会均等および中国の領土保全を提唱する門戸開放宣言を出した。
これとは別に、日清戦争後の1898年、知識人の康有為(こうゆうい)や梁啓超(りょうけいちょう)たちが中国の敗戦をうれいて、中国でも日本の明治維新にならった政治改革をすべしと提唱し、その改革案は光緒帝に支持されたが、しかし改革開始の3ヶ月後に、改革に反対する保守派が西太后をかつぎだしてクーデターを起こし、皇帝は幽閉され、改革は失敗した(戊戌の政変 (ぼじゅつ の せいへん) )。
そして康有為(こうゆうい)や梁啓超(りょうけいちょう)は、日本に亡命した。
(その後、1900年に義和団事件が起きる。)