沓冠折句(くつかぶりをりく)の歌 編集

  • 解説

沓冠折句(くつかぶり おりく)とは、次のような折句(おりく)の技法。 たとえば「あ・わ・せ・た・き・も・の・す・こ・し」(合わせ薫き物少し)という題に対して、

ふさかも てはいききの きもゐず ずねてこばこ なばかえさじ
(逢坂(あふさか)も 果ては行き来の 関もゐず 尋ねて来(こ)ば来 来なば帰さじ)

と答える。

それぞれの句の頭文字を、一文字ずつ、つなげると、「あはせたき」になる。
それぞれの句の末尾を、一文字ずつ、つなげると、「ものずこじ」になり、濁点を省くと「ものすこし」になる。

編集

  • 大意

沓冠折句(くつかぶり おりく)という技巧がある。十文字ある言葉を、和歌の各の上下に置いて詠んだ歌である。 光孝天皇が、(後宮の)人々の、和歌の教養を試そうとして、この技法で和歌を詠んだところ、広幡(ひろはた)の女御だけが折句に気づき、和歌を解読して「合わせ薫き物少し。」という折句に気づき、御息所は天皇に薫き物を差し上げた。 天皇は、広幡(ひろはた)の女御の和歌のたしなみの深さに感心したという。

この形式とは別に、沓冠折句(くつかぶり おりく)には、各句の下の字を逆に詠むこともある。

  • 本文/現代語訳

沓冠折句(くつかぶりをりく)の歌といへるものあり。十文字ある事を、句の上下(かみしも)に置きて詠めるなり。 「合はせ(あはせ)薫き(たき)物(もの)すこし。」といへる事を据ゑたる歌、

逢坂(あふさか)も 果ては行き来の 関もゐず 尋ねて来(こ)ば来 来なば帰さじ

これは仁和(にんな)の帝(みかど)の、方々(かたがた)に奉らせ給ひたりけるに、みな心も得ず、返しどもを奉らせ給ひたりけるに、広幡(ひろはた)の御息所(みやすんどころ)と申しける人の、御返しはなくて、薫き物を奉らせたりければ、心あることにぞ思し召したりけると語り伝へたる。 「をみなえし(女郎花)・花薄(はなすすき)」といへることを、据ゑて詠める歌、

小野の萩 見し秋に似ず 成りぞ増す 経しだにあやな しるしけしきは

これは、下の花薄をば、逆さまに読むべきなり。これも一つのすがたなり。 

沓冠折句(くつかぶり おりく)の歌といったもの(=技巧)がある。十文字ある言葉を、句の上下に置いて詠んだ歌である。 「合はせ薫き物(たきもの)少し。」と言った言葉を(句の上下に)置いた歌、

逢坂(あふさか)も 果ては行き来の 関もゐず 尋ねて来(こ)ば来 来なば帰さじ

(意味: 逢坂の関も、夜明けになれば、関守もいない。尋ねてくるなら来い、来たら帰さないぞ。)

これ(=「逢坂の・・・」の歌)は、光孝天皇が、(後宮の)方々に差し上げなさった(歌である)が、(ほとんど)誰も(折句の)意図が分からず、返歌などを差し上げなさったが、広幡(ひろはた)の御息所(みやすんどころ)と(名を)申す人だけが(理解できて)、返歌は無くて、薫き物を差し上げたので、(天皇は、広幡の御息所のことを)和歌のたしなみの深いことだぞとお思いになられたと、(人々は)語り伝えている。

「をみなえし(女郎花)・花薄(はなすすき)」という事場を、置いて詠んだ歌、

小野の萩(はぎ) 見し秋に似ず 成りぞ増す 経しだにあやな しるしけしきは

(意味: 小野の萩は、去年に見た秋とは変わって、たくさん増えている。あなたを長い間訪れなかったのは失敗だったなあ。萩でさえ一年の間にこんなに変わっているのだから。)

これは、(各句の)下の「花薄」(はなすすき)を、逆さまに読む必要がある。これも一つの詠み方である。


  • 語句(重要)
・果ては(はては、ハテワ) - しまいには。最後には。
・心(こころ)ある - 「心」には多くの意味があるが、ここでは「和歌などを理解する情趣がある」というような意味。ここでは褒める意味で「心ある」を用いているが、必ずしも古語での「心ある」は良い意味とは限らず、いい意味でも悪い意味でも「心ある」は用いられる。
・ - 。
 
おみなえし
  • 語注
・合わせ薫き物(あわせたきもの) - 数種類の香を練り合わせたもの。練り香。
・逢坂 - 今の滋賀県大津市の逢坂山(おうさかやま)のふもとに置かれた逢坂の関。
・関 - 関所。関守。ここでは関守の意味。
・仁和の帝 - 光孝天皇。
・広幡(ひろはた)の御息所(みやすんどころ - 村上天皇の更衣。源庶明(もろあきら)の娘、計子(けいし)。源庶明(もろあきら)が「広幡中納言」と呼ばれたので。
・あやな - 形容詞「あやなし」であり、意味は、1:「道理に合わない」、2:「無意味である」。ここでは「道理に合わない」。
・ - 。