• 『去来抄』(きょらいしょう)  

俳論。作者は向井去来(むかい きょらい)。 向井去来は、松尾芭蕉の弟子。 蕉門および門人たちについての句の批評や俳諧論が書かれている。一七○二年(元禄十五年)頃にかけて成立したとみられるが、出版された時期は、去来の没後から約七○年後の一七七五年(安永四年)。

  • 向井去来(むかい きょらい)

生没: 一六五一年 ~ 一七○四年 。(慶安四年~宝永元年)   江戸時代前期の俳人。蕉門十哲のうちの一人。芭蕉の句集の一つである『猿蓑』(さるみの)の編集に参加しており、凡兆(ぼんちょう)とともに編集した。


行く春を 編集

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  • 予備知識
・近江(おうみ)と丹波(たんば)は別の国。近江は今の滋賀県のあたり。丹波は今の兵庫県のあたり。
  • 大意

芭蕉の「行く春を・・・」の句を尚白(しょうはく)が批判して、句中の語句の置き換えを尚白は主張した。この事について、先生(=芭蕉)は私(=去来)に意見を求めたので、私は、もとの芭蕉の句のほうが実景に基づいており、さらに実感がこもっており、もとのほうが良い句だと答えた。 先生(=芭蕉)は、私の意見に喜んだ。

  • 本文/現代語訳
行く春を近江(あふみ)の人と惜しみけり        芭蕉

先師いはく、「尚白(しやうはく)が難に、『近江は丹波(たんば)にも、行く春は行く歳にも、ふるべし』と言へり。汝、いかが聞きは侍るや。」と申す。去来いはく、「尚白が難あたらず。湖水朦朧(もうろう)として春を惜しむに便りあるべし。ことに今日(こんいち)の上に侍る。」と申す。先師いはく、「しかり。古人もこの国に春を愛する事、をさをさ都に劣らざるものを。」去来いはく「この一言心に徹す。行く歳近江にゐたまはば、いかでかこの感ましまさん。行く春丹波にゐまさば、もとよりこの情浮かぶまじ。風光の人を感動せしむる事、真なるかな。」と申す。先師いはく「汝は、去來、共に風雅を語るべき者なり。」とことさらに喜びたまひけり。

過ぎゆく春を、近江(おうみ)の国の人たちと、惜しんだことだ。        芭蕉(ばしょう)

先生(=芭蕉)が言うには、「尚白(しょうはく)が批判して、『(この句では)近江は丹波にも(変えられ)、行く春は行く年にも変えられる』、と言った。おまえは、どのよう思いますか。と。

去来が言うには、「尚白の批判は当たっていません。(琵琶湖の)湖面が霞んで(かすんで)、春を惜しむのにふさわしいでしょう。くわえて、(この句は)実感を詠んだものです。」と申し上げる。

先生が言うには、「その通りだ。昔の(歌)人も、この(近江の)国で春を愛することは、少しも都に劣らないのだよ。」去来は言った、「この一言(=芭蕉の句)に、心に深く感銘を覚えました。(いっぽう、もし尚白の句のように)年の瀬に近江にいらっしゃったなら、どうしてこのような感慨があるでしょうか。(また、もし)過ぎ行く春に丹波にいらっしゃったなら、もとから、この感情は思い浮かばないでしょう。すばらしい風景が人を感動させるのは、本当なのですね。」と申し上げる。先生が言うには、「去来よ、おまえは、(私と)いっしょに俳諧を語ることができる者だ。と、格別にお喜びになった。」


  • 語句(重要)
・行く春 - 季語。この句の季節は。過ぎ行く春、という意味。
・いはく - 言うには。おっしゃるには。「言ふ」の未然形「言は」に接尾語「く」が付いた形。漢文などで「曰」を「いはく」と訓読する。漢文の語順では「曰」のあとに、語った内容を書くのが普通。
・汝(なんぢ) - おまえ。あなた。対等または目下の相手に用いる二人称の代名詞。
をさをさ - 「をさをさ・・・(打消し)」の形で使い、意味は「ほとんど・・・ない」「少しも・・・ない」「めったに・・・ない」などの意味。
・ものを - 詠嘆の終助詞。
・たより - よりどころ。
・ - 。
  • 語注
・近江 - 現在でいう滋賀県の旧国名。
・芭蕉 - 松尾芭蕉。江戸時代前期の代表的な俳人。生没:一六四四 ~ 一六九四。
・先師 - 亡くなった師匠。執筆の時点で、芭蕉は亡くなっている。
・尚白(しょうはく) - 芭蕉一門のうちの一人。生没:一六五〇 ~ 一七二二。
・丹波 - 現在でいう兵庫県の旧国名。
・ふる - もとの意味は「振り動かす」の意味だが、この作品では「置き換える」の意味。現代でも「振り替え」などと言う表現に名残があろう。
・湖水 - の作品では琵琶湖のこと。
・風雅 - ここでは俳諧のこと。
・ - 。