• 作品の概要

『更級日記』(さらしなにっき)は、菅原孝標女(すがわら の たかすえ の むすめ)という平安時代の女性貴族の自伝および回想録。日記文学に分類される。 作者である菅原孝標女は、幼少のころは『源氏物語』の物語の世界にあこがれていた。十三歳になるまでの幼少時代を地方の上総(かずさ)で育ったので、当時は京を詳しく知らなかったこともあり、てっきり京の都は物語のような世界だと無邪気に勘違いしていた。そしてなにより、彼女は、てっきり自分も『源氏物語』のような恋物語に出てくる女性たちのように、高貴な貴族の男に熱心に愛される女性になれるだろうと勘違いしていた。しかし彼女は十三歳のときに家族と共に上京して、そして成長するにつれ、人生のつらい事や、たいへんな事も、色々と経験していき、物語の世界が現実とは違う事に気づかされてゆく。

作中では、大人になった彼女自身が幼少期の自分の勘違いを思い起こして、あきれている。そして彼女は、しだいに仏道への信仰に感心をよせていく。

彼女が『更級日記』を書いた頃、彼女は五十歳過ぎである。

門出

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  • 大意

東国のさらに奥地の上総の国で育った作者は、少女のころ、物語というものを知り、あこがれを抱いていく。だが、上総の地では、本を入手することが出来ない。読みたいという気持ちが、つのっていく。 作者は等身大の薬師仏を造り、本が読めるように拝んだりもした。

ついに自分が十三歳になる年に、父の上総での赴任が終わり、作者の家族および従者たちは上京することになった。上京にあたって、薬師仏も上総の家に置いてくことになった。作者は人知れず、つい泣いてしまった。

  • 本文/現代語訳

東路(あづまぢ)の道の果て(はて)よりも、なほ奥つ方(かた)に生(お)ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めける事にか、世の中に物語といふ物のあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間、宵居(よひゐ)などに、姉、継母(ままはは)などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏(ひかるげんじ)のあるやうなど、所々語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでか覚え語らむ。 いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏(やくしぼとけ)をつくりて、手あらひなどして、人まにみそかに入りつつ、「京にあげ給ひて、物語の多く候ふ(さぶらふ)なる、あるかぎり見せたまへ。」と身を捨てて額(ぬか)をつき、祈り申すほどに、十三になる年、上らむとて、九月(ながつき)三日門出して、いまたちといふ所にうつる。

年ごろ遊びなれつる所を、あらはにこぼち散らして、たちさわぎて、日の入り際のいとすごく霧り(きり)わたりたるに、車に乗るとて、うち見やりたれば、人まには参りつつ額をつきし薬師仏の立ち給へるを見捨て奉る、悲しくて人知れずうち泣かれぬ。

東国への道(=東海道)の果てよりも、さらに奥のほうで成長した人(=私)は、どんなにか田舎者じみて(京の人から見れば)見苦しかっただろうに、(どうして思い始めたのだろうか、)世の中には物語りというものがあるのを(聞き)、どうにかして読みたいと思いながら、することもない昼間や、夜の起きている時などに、姉や継母などの人々が、その物語、あの物語、光源氏(※『源氏物語』の主人公)のありさまなど、ところどころ語るのを聞くと、ますます知りたいけれど、私の思うように(姉や継母が)暗記して語るだろうか。(いや、そんなはずはない。) (私は)とてもじれったく思うので、等身大の薬師仏を造って、手を洗い清めるなどして、人がいない間にこっそり仏間に入ったりして、「京に早く上らせてくださり、物語が多くあります、(その物語を)ある限り見せてください。」と、 身を投げ出して額を(床に)つけて、お祈り申し上げるうちに、十三になる年(= 一○二○年、寛仁(かんにん)四年 )、(父の赴任が終わり)上京しようということで、九月三日に出発して、いまたちという所に移る。

長年、遊びなれた所を、外に丸見えになるほどに取り払って、大騒ぎして、日の沈む間際の、とても霧がもの寂しくたちこめているころに、車に乗ろうとしてちょっと目をやったところ、人の見ていない間におまいりして額をつけて拝んだ薬師仏が立ちなさっているのを、お見捨て申し上げるのが悲しくて、人知れず、つい泣いてしまった。


  • 語句(重要)
あんなる - 「あん」は「ある」の撥音便。
みそかに - こっそり。ひそかに。
ゆかしさまされど - 「ゆかし」は見たい・聞きたいなど。
  • 語注
・東路(あづまぢ)の道の果て - 今の茨城県。常陸(ひたち)の国。
・なほ奥つ方(かた) - 今の千葉県。上総(かずさ)の国。作者の父・菅原孝標(すがわらのたかすえ)の赴任地。
・薬師仏 - 薬師瑠璃光如来(やくし るりこう にょらい)。
・いまたち - 地名か。詳細は不明。
・ - 。

  • 大意

門出して一時しのぎに移った先は「いまたち」という。九月十五日、ついに京に向けての長旅に出る、本当の門出である。その日は雨が激しく、とても怖いと思った。 そして上総の国の「いかた」という所に泊まった。

そして翌日は、出発の遅れた人を待つ一日となった。

十七日の早朝、出発する。旅先の地で、「まのの長者」と言う人の伝説を聞き、その伝説に言われた川を渡る。私は心の中で歌をよんだ。「朽ちもせぬ この川柱 残らずは 昔の跡を いかで知らまし」という歌を。


  • 本文/現代語訳

門出したる所は、めぐりなどもなくて、かりそめの茅屋(かやや)の、蔀(しとみ)などもなし。簾かけ、幕など引きたり。南ははるかに野のかた見やらる。東(ひむがし)、西は海ちかくて、いとおもしろし。夕霧立ちわたりて、いみじうをかしければ、朝寝(あさい)などもせず、方々(かたがた)見つつ、ここをたちなむことも、あはれに悲しきに、同じ月の十五日、雨かきくらし降る(ふる)に、境(さかひ)を出でて(いでて)、下総(しもづさ)の国のいかたといふ所にとまりぬ。庵(いほ)なども浮きぬばかりに雨降りなどすれば、おそろしくていも寝られず。野中に丘だちたる所に、ただ木ぞ三つ立てる。その日は雨にぬれたる物ども干し(ほし)、国にたち遅れ(をくれ)たる人々まつとて、そこに日を暮らしつ。

十七日のつとめて、立つ。昔、下総(しもつさ)の国に、まのの長(てう)といふ人住みけり。 ひき布を千(ち)むら、万(よろづ)むら織らせ、さらさせけるが家の跡とて、深き川を舟にて渡る。昔の門(かど)の柱のまだ残りたるとて、大きなる柱、川の中に四つ立てり。人々歌よむを聞きて、心の内に、

朽ちもせぬこの川柱残らずは昔の跡をいかで知らまし

出発して移った所(=いまたちの家)は、囲いなども無くて、間に合わせの茅ぶき(かやぶき)の家で、蔀戸なども無い。簾(すだれ)をかけ、幕などを引きめぐらしてある。南ははるか遠くの野原のほうまで見わたせる。東と西は海が近くて、とても(景色が)すばらしい。 夕霧が一面に立ち込めて、とても趣きがあるので、朝寝坊などもしないで、あちらこちらを見て(回って)いるうちに、ここを立ち去ってしまうこともしみじみと悲しいが、同じ月の十五日、雨が激しく、周りを暗くするほどに降ったが、国境を出て、下総の国のいかたという所に泊まった。仮小屋なども浮いてしまいそうと思われるほどに(激しく)雨が降るので、恐ろしくて寝ようにも寝られない。野中に丘のように高くなった所に、ただ木が三本だけ立っている。その日(十六日)は、雨にぬれてしまったものを干し、(上総の)国に(残って)出発が遅れている人々を待つということで、そこで一日を過ごした。

十七日の早朝、出発した。昔、下総の国に、まのの長者という人が住んでいた。匹布(ひきぬの)を千匹も万匹も織らせて、さらさせたという家の跡だということで、深い川を舟で渡った。昔の門の柱が、まだ残っているということで、大きな柱が、川の中に四本立っていた。人々が歌をよむのを聞いて、 (私も)心の中で、(次の歌をよむ。)

朽ちもしないこの川の柱が残っていなかったら、昔の(長者の家の)跡を、どうして知ることができるでしょう。(知ることはできないでしょう。)

  • 語句(重要)
・ - 。
  • 語注
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源氏の五十余巻

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  • 大意

上京した後の、その年(治安元年)の春、疫病が流行した。乳母は三月一日に亡くなった。以前の私の、物語を読みたいという気持ちも湧かなくなるほどであった。侍従の大納言の姫君も亡くなった。かつて、私が京に着いた時、手習いの見本として大納言から姫君の筆跡の書かれた手本をいただいた。その手本に書かれた歌を思い返すと、死別に関する歌もあった。筆跡もすばらしく、私はそれを見ては、いっそう涙がこみ上げてくるのであった。

  • 本文/現代語訳

その春、世の中いみじう騒がしうて、松里の渡りの月影あはれに見し乳母も、三月一日に亡くなりぬ。 せむかたなく思ひ嘆くに、物語のゆかしさもおぼえずなりぬ。いみじく泣き暮らして見いだしたれば、 夕日のいと華やかに差したるに、桜の花残りなく散り乱る。

散る花もまた来(こ)む春は見もやせむやがて別れし人ぞ悲しき

 また聞けば、侍従の大納言の御(み)むすめ、亡くなりたまひぬなり。殿の中将の思(おぼ)し嘆くなるさま、わがものの悲しき折なれば、いみじくあはれなりと聞く。上り着きたりしとき、「これ手本にせよ」とて、この姫君の御手(おほんて)を取らせたりしを、「さ夜ふけて寝覚めざりせば」など書きて、「鳥辺(とりべ)山谷に煙(けぶり)の燃え立たばはかなく見えしわれと知らなむ」と、言ひ知らずをかしげに、めでたく書きたまへるを見て、いとど涙を添へまさる。

その(治安元年の)春、(疫病が流行して、)世の中が大変に騒がしく、(私の乳母も死んだ、)松里の渡し場の月の光に照らし出された姿をしみじみと見た乳母も、三月一日に亡くなった。

(私は)どうしようもなく、嘆き悲しんでいると、物語を読みたいという気持ちも思わなくなってしまった。

ひどく泣き暮らして、(ふと、外を)眺めたところ、夕日がたいそう華やかに差している所に、桜の花が余すところなく散り乱れている。

散りゆく花も、また再びやってくる春には見ることもできるだろう。(しかし、)そのまま別れてしまった人(=乳母)は、二度と見ることができないないので、(とても)恋しい。

 また聞くところによると、侍従の大納言の姫君が、お亡くなりになったそうだ。(姫君の夫である)殿の中将がお嘆きになるようすは、私も、もに悲しい時なので、とても気の毒と(思って)聞く。(昔、私が)京に上り着いたとき、(ある人が)「これを手本にしなさい。」と言って、この姫君のご筆跡を(私に)くれたが、(それには)「夜が更けて眠りから目覚めなかったならば」などと(歌が)書いてあり、(また、ご筆跡で)「鳥辺山の谷に煙が燃え立ったならば、弱々しく見えた私だと知ってほしい。」と(いう歌を)、何とも言えず趣深くすばらしく書いていらっしゃるのを見て、いっそう涙が増えた。


  • 語句(重要)
いとど - ますます。そのうえさらに。いっそう。
月影 - 月の光に照らし出された姿。
はかなく - 弱弱しく。「はかなくなる」で死ぬの意味。
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  • 語注
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  • 大意

叔母から源氏物語の全巻と、そのほかいくつかの物語の本をもらった。その時は、とてもわくわくした。

  • 本文/現代語訳

かくのみ思ひくんじたるを、心も慰めむと、心苦しがりて、母、物語など求めて見せたまふに、げにおのづから慰みゆく。紫のゆかりを見て、続きの見まほしくおぼゆれど、人語らひなどもえせず。たれもいまだ都慣れぬほどにて、え見つけず。いみじく心もとなく、ゆかしくおぼゆるままに、「この源氏の物語、一の巻よりして、皆見せたまへ。」と、心の内に祈る。親の太秦(うづまさ)にこもりたまへるにも、異事(ことごと)なく、このことを申して、出でむままにこの物語見果てむと思へど、見えず。いと口惜しく思ひ嘆かるるに、をばなる人の田舎より上りたる所に渡いたれば、「いとうつくしう生ひなりにけり。」など、あはれがり、めづらしがりて、帰るに、「何をか奉らむ。まめまめしき物はまさなかりかむ。ゆかしくしたまふなる物を奉らむ。」とて、源氏の五十余巻(よまき)、櫃(ひつ)に入りながら、在中将(ざいちゅうじょう)・とほぎみ・せり河(かは)・しらら・あさうづなどいふ物語ども、ひと袋取り入れて、得て帰る心地のうれしさぞいみじきや。

このように、(私が)ずっとふさぎこんでいるので、(周囲が私の)心を慰めようと、気の毒に思って、母が、物語などを探し求めて見せてくださるので、本等に自然に慰められてていく。『源氏物語』の紫上(むらさきのうえ)の巻を見て、続きを見たいと思ったが、人に相談することなども出来ない。 (家の者は、)まだ誰も都になれていない頃なので、見つけることが出来ない。たいそうじれったく、読みたいと思うので、「この『源氏物語』を第一巻から全部、読ませてください。」と心の中で祈る。

親が太秦(うずまさ)の広隆寺(こうりゅうじ)に参詣なさったときも、他の(祈る)事は無く、この事(=源氏物語を読ませてください、という事)だけを申して、(私たち家族が寺から)出ると、この物語を読み終えてしまおうかと思ったが、(本は)見つからなかった。

とても残念と思い嘆いているうちに、叔母である人が田舎から上京した所に(親が私を)行かせたところ、「とてもかわいらしく成長しなさったなあ。」などと、懐かしがり、珍しがって、(私が)帰るときに、「(おみやげに)何を差し上げましょうか。実用的な物は、つまらないでしょう。(あなたが)ほしいと思ってらっしゃる物を差し上げましょう。」と言って、『源氏物語』の五十余巻を、木箱に入れたまま、また『在中将』(ざいちゅうじょう)・『とほぎみ』・『せり河』(せりかわ)・『しらら』・『あさうづ』などという物語を、一袋、取り入れて、(私が)もらって帰るときの気持ちのうれしさといったら、たいへんなものだった。


  • 語句(重要)
心もとなく - じれったく。
まめまめし - 「実用的な」。 ※「実用的な」の意味は、市販の単語集などでも出てくる典型的な用例なので覚えよ。このほか、「まめまめし」には「本気で」の意味もあり、『源氏物語』帚木(ははきぎ)の「まめまめしくうらみたるさまも見ず」(本気でうらんでいるようには見えない)の用法もある。
まさなかり - 「まさなし」は、「不都合」、「よくない」の意味。
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  • 単語

口惜し: 「残念だ」

ゆかし: 「見たい」、「知りたい」などの意味であり、文脈に応じて「聞きたい」「読みたい」などになる。『徒然草』52にも「参りたる人ごとに山へ登りしは何事かありけん。ゆかしかりかれど」(参拝して山に登った人に何事かあったのか。知りたいと思ったけれど)という用例がある。


  • 語注
・思ひくんじたる - ふさぎこんでいるのを。乳母など親しい人を疫病で亡くしたので、ふさぎこんでいた。
・紫のゆかり - 「源氏物語」の各巻のうち、登場人物の女性の一人である紫上(むらさきのうえ)あるいは若紫(わかむらさき)について書かれている巻。紫上と若紫は別人。「ゆかり」とは縁や関係があるもののこと。
・太秦(うずまさ) - 今の京都市右京区太秦にある広隆寺。
・在中将(ざいちゅうじょう) - 在原業平(ありわらのなりひら)などを主人公とした物語である『伊勢物語』のこと。
・とほぎみ・せり河(かは)・しらら・あさうづ - それぞれ物語の名前。現在には残っておらず、内容は不明。
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  • 大意

叔母からもらった物語の本を、私は熱心に読んだ。少女の頃の私は、自分も将来は、源氏物語の登場人物の女性たちのようになれるだろうと思っていた。とっくに大人になった今から見れば、少女時代の私は、じつに世間知らずであり、あきれ果てる。

  • 本文/現代語訳

 はしるはしるわづかに見つつ、心も得ず、心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人も交じらず、几帳(きちやう)の内にうち伏して、引き出でつつ見る心地、后(きさき)の位も何にかはせむ。昼は日暮らし、夜は目の覚めたる限り、灯を近くともして、これを見るよりほかのことなければ、おのづからなどは、そらにおぼえ浮かぶを、いみじきことに思ふに、夢に、いと清げなる僧の、黄なる地の袈裟(けさ)着たるが来て、「法華経(ほけきやう)五の巻を、とく習へ。」と言ふと見れど、人にも語らず、習はむとも思ひかけず。物語のことをのみ心にしめて、われはこのごろわろきぞかし、盛りにならば、かたちも限りなくよく、髪もいみじく長くなりなむ、光(ひかる)の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟(うきふね)の女君のやうにこそあらめ、と思ひける心、まづいとはかなく、あさまし

わくわくしながら※ 訳に諸説あり)読んで、それまでは断片的に読んでたので把握できなかった源氏物語を、第一巻から(読み)始めて、人も交えず、几帳の中で身を横にして(本を)引き出して読む気分(のうれしさ)といったら、皇后の位ですら、何だと言うのだ。(何にもならない。)(というふうに、当時の少女だった私は思ってた。)

昼は一日中(が読書の時間)、夜は目の覚めている限りは灯を近くにともして、これ(=物語)を読む以外の他のことはしないので、自然と暗記できて思い浮かべられることを、素晴らしいことだと思っていると、(ある夜の)夢に、とてもすっきりとしてきれいな僧で、黄色い地の袈裟を着ている人が現れに来て、「法華経の五の巻を早く習いなさい。」と言ったが、(その夢のことは)他人には話さず、(法華経を)習おうとも思わなかった。物語のことばかりを考えていて、私は今は美しくないけど、女ざかり(の年)になったら、(でも)外見もこの上なく良くなって、髪もたいそう長くなるに違いない、(そして『源氏物語』に出てくる)光源氏(にとって)の(愛人である)夕顔や、宇治の大将(にとって)の(愛人である)浮舟(うきぶね)の女君のように、きっとなれるだろうと思っていた(少女の頃の私の)心は、(今にして思えば)実になんともたわいなく、(今から見れば)あきれる


  • 語句(重要)
・はしるはしる - 訳に諸説あり。参考書などでは、「わくわくしながら」などと訳される場合が多い。
・心も得ず - ここでの「心」の意味は「内容」・「話の筋」。それまで作者は断片的にしか物語を読めなかったので、いまいち内容を把握できなかった。
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まづいとはかなく - 「まづ」は、意味が「実に」「なんとも」などの意味で、副詞。「いと」は意味が「たいそう」「とても」などの意味の副詞。「まづいと」と併用される事がある。
あさまし - あきれはてる。
  • 語注
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・法華経(ほけきょう)五の巻 - 『妙法蓮華経』(みょうほうれんげきょう)第五巻。第五巻では、女人成仏(にょにんじょうぶつ)が説かれている。
・夕顔 - 『源氏物語』の登場人物の女性の一人。
・宇治の大将 - 光源氏の子、薫(かおる)。
・浮舟 - 『源氏物語』宇治十帖(うじじゅうじょう)の登場人物の女性の一人。薫に愛されたが、最終的に出家する。
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