高等学校古典B/漢文/鴻門之会
鴻門之会
『史記』項羽本紀
司馬遷
これまでのあらすじ
編集皇帝の座を狙う者たちの中に、
さて、反乱軍は秦軍と戦い、各地で勝利をおさめ、反乱軍の占領地は広まっていき、そして反乱軍はとうとう秦の都の
反乱軍の暫定的なリーダーだった、楚の懐王は、関中を先に占領した者を、関中の王としよう、と決めた。このため、各地の反乱軍が、関中を目指した。
項羽は北側から関中に向かい、劉邦は南側から関中に向かった。
反乱軍の中で、
劉邦もまた、天下取りを狙っている。
一方、項羽たちは
項羽は怒って、関所ごと、劉邦の軍を攻撃した。そして項羽軍は、これから本格的に、劉邦軍に攻め込もうとした。
この時点では、劉邦の軍勢よりも、項羽の軍勢の方が強大であり、そのため、もし項羽軍がこれから本格的に攻め込んできたら、劉邦軍に勝ち目は無い。
項羽の親戚の
この緊急の知らせを聞いた劉邦は、さっそく、
その後、劉邦が停戦のため、項羽に面会を申し込み、そして
予備知識
編集- 「
沛公 」 = 「劉邦 」
である。
この「鴻門の会」の時点で、項羽と劉邦が面会中。
これから、項王の参謀である
范増は、項羽に、目配せで劉邦の暗殺計画を伝えたが、項羽はこの暗殺計画を採用しなかった。
范増は、項羽の手下の
劉邦が面会中なので、項荘は、項荘が武器を持った状態で劉邦に近づくために、「もてなしをしたいが、戦場なので武器しかないので、
しかし、
項伯は項羽の親戚だが、劉邦の参謀の
これまでの人物を整理すると
- 劉邦を殺したい人
范増、項荘
- 劉邦を守りたい人
張良、項伯
- その他
項羽(劉邦の殺害計画には興味がない)、劉邦(狙われている本人)
原文
編集沛公、旦日従百余騎、来見項王。至鴻門、謝曰、「臣与将軍戮力而攻秦。将軍戦河北、臣戦河南。然不自意、能先入関破秦、得復見将軍於此。今者有小人之言、令将軍与臣有郤。」項王曰、「此沛公左司馬曹無傷言之。不然、籍何以至此。」
項王即日因留沛公、与飲。項王・項伯東嚮坐、亜父南嚮坐。亜父者范増也。沛公北嚮坐、張良西嚮侍。范増数目項王、舉所佩玉玦、以示之者三。項王黙然不応。范増起、出召項荘、謂曰、「君王為人不忍。若入前為寿。寿畢、請以剣舞、因撃沛公於坐殺之。不者、若属皆且為所虜。」荘則入為寿。寿畢曰、「君王与沛公飲。軍中無以為楽。請以剣舞。」項王曰、「諾。」項荘抜剣起舞。項伯亦抜剣起舞、常以身翼蔽沛公。荘不得撃。
於是張良至軍門、見樊噲。樊噲曰、「今日之事、何如。」良曰、「甚急。今者項荘抜剣舞、其意常在沛公也。」噲曰、「此迫矣。臣請、入与之同命。」噲即帯剣擁盾入軍門。交戟之衛士欲止不內。樊噲側其盾以撞、衛士仆地。噲遂入、披帷西嚮立、瞋目視項王、頭髪上指、目眦尽裂。項王按剣而跽曰、「客何為者。」張良曰、「沛公之参乗樊噲者也。」項王曰、「壮士。─賜之卮酒。」則与斗卮酒。噲拝謝、起、立而飲之。項王曰、「賜之彘肩。」則与一生彘肩。樊噲覆其盾於地、加彘肩上、抜剣切而啗之。
項王曰、「壮士。能復飲乎。」樊噲曰、「臣死且不避、卮酒安足辞。夫秦王有虎狼之心、殺人如不能舉、刑人如恐不勝、天下皆叛之。懐王与諸将約曰、『先破秦入咸陽者王之。』今沛公先破秦入咸陽、毫毛不敢有所近、封閉宮室、還軍覇上、以待大王来。故遣将守関者、備他盗出入与非常也。労苦而功高如此、未有封侯之賞、而聴細説、欲誅有功之人、此亡秦之続耳。窃為大王不取也。」項王未有以応、曰、「坐。」樊噲従良坐。坐須臾、沛公起如廁、因招樊噲出。
沛公已出、項王使都尉陳平召沛公。沛公曰、「今者出、未辞也、為之柰何。」樊噲曰、「大行不顧細謹、大礼不辞小譲。如今人方為刀俎、我為魚肉、何辞為。」於是遂去。乃令張良留謝。良問曰、「大王来何操。」曰、「我持白璧一双、欲献項王、玉斗一双、欲与亜父。会其怒、不敢献。公為我献之。」張良曰、「謹諾。」
当是時、項王軍在鴻門下、沛公軍在覇上、相去四十里。沛公則置車騎、脱身独騎、与樊噲、夏侯嬰、靳彊、紀信等四人持剣盾歩走、従酈山下、道芷陽間行。沛公謂張良曰、「従此道至吾軍、不過二十里耳。度我至軍中、公乃入。」
沛公已去、間至軍中、張良入謝、曰、「沛公不勝桮杓、不能辞。謹使臣良奉白一双、再拝献大王足下、玉斗一双、再拝奉大将軍足下。」項王曰、「沛公安在。」良曰、「聞大王有意督過之、脱身独去、已至軍矣。」項王則受璧、置之坐上。亜父受玉斗、置之地、抜剣撞而破之、曰、「唉。豎子不足与謀。奪項王天下者、必沛公也。吾属今為之虜矣。」沛公至軍、立誅殺曹無傷。
一
編集現代語訳
編集沛公(はいこう)は翌朝、百余騎(ひゃくよき)を従え、やってきて項王(こうおう)に面会しようとし、鴻門(こうもん)に到着した。 (沛公が項王に)謝罪して言うには、「私は将軍と協力して秦を攻撃しました。将軍は黄河(こうが)の北方(ほっぽう)で戦い、私は黄河の南方(なんぽう)で戦いました。しかしながら、自分でも予想してなかったことに、(私が)先に関中に入って秦を倒すことに成功して、再び将軍(=項羽)に、この地でお会いできるとは。今、つまらぬ人間が告げ口をして、将軍と私を仲違いさせようとしています。」と(言った)。 項王が言うには、「そのことは沛公の左司馬(さしば)の曹無傷(そうむしょう)から、それ(=天下取りにて、沛公が項羽を出し抜こうとしている)を聞いたのだ。そうでなければ、どうして私がこういう事(=沛公軍に攻撃)をするに至るでしょうか。(いや、攻撃するはずがない。)」
書き下し文
編集沛公(はいこう)、旦日(たんじつ)百余騎(ひゃくよき)を従へ(したがえ)、来たり(きたり)て項王(こうおう)に見えん(みえん)とし、鴻門(こうもん)に至り(いたり)、 謝(しゃ)して曰はく(いわく)「臣(しん)将軍(しょうぐん)と力(ちから)を戮せて(あわせて)秦(しん)を攻む(せむ)。 将軍は河北(かほく)に戦ひ(たたかい)、臣(しん)は河南(かなん)に戦ふ。 然れども(しかれども)自ら(みずから)意はざりき(おもわざりき)、能く(よく)先(まず)関(せき)に入(い)りて秦(しん)を破り(やぶり)、復た(また)将軍に此(ここ)に見ゆる(まみゆる)ことを得ん(えん)とは。今者(いま)、小人(しょうじん)の言(げん)有り。将軍をして臣と郤(げき)有らしむ(あらしむ)。」と。 項王(こうおう)曰はく、「此れ(これ)沛公の左司馬(さしば)曹無傷(そうむしょう)之(これ)を言ふ(いふ)。然らずんば(しからずんば)、籍(せき)何(なに)を以て(もって)此(ここ)に至らん(いたらん)。」と。
語彙・読解
編集- 復た(まタ) - 再び(ふたたび)。
- 復た(また)将軍に此(ここ)に見ゆる(まみゆる)を得ん(えん)
この文での「此」(ここ)とは鴻門(こうもん)のこと。
ここでの「得」とは、機会に恵まれるということ。項王と面会できた、という機会について。一方、能力があって「〜できる」という場合は「能」を用いる。
- 不然(しかラずンバ) - そうでなければ。ここでの「そう」とは、曹無傷が言ったということ。
- 何以至此(なにヲもッテここニいたラン)-どうして、こんなことをしようか、いや、しない。
「何以〜」は理由や手段を問う疑問であるが、ここでは反語の意味。
語句
編集- 見項王(こうおうニまみエン)
ここでは、項王に敬意を表すため、「まみエン」と訓読する。
- 謝 (しゃシテ)- 謝罪して。沛公が函谷関を封鎖して項羽を怒らせたことなどを謝罪している。
- 臣(しん) - 私。へりくだっていう場合の一人称。
- 然(しかレドモ) - 接続詞。ここでは逆接。
- 不自意(みずからおもハざりキ) - 自分で思わなかったことで
- 今者(いま) - 今。「者」は、ここでは時(とき)を表すときに添える接尾語。
- 小人(しょうじん) - 取るにたらない者。つまらぬ者。
- 令(しム)-使役を表す。
「令将軍与私臣有郤」で、「将軍に私と仲違いさせようとしている」の意味。
語釈
編集- 沛公(はいこう) - 劉邦(りゅうほう)。のちに項羽を倒し、中国を統一し、漢王朝の始祖になる。秦への反乱の際、沛(はい)で旗上げしたので沛公と呼ばれた。三十九歳のときに挙兵。沛は今の江蘇省(こうそしょう)沛(はい)県。
- 旦日(たんじつ) - 朝。翌朝。
- 項王(こうおう) - 項羽(こうう)。名は籍(せき)。「羽」は字(あざな)。つまり項籍(こうせき)が本名。二十四歳のときに挙兵。
- 鴻門(こうもん) - 地名か。
- 将軍(しょうぐん) - 項羽のこと。この時点では、項羽はまだ楚王ではない。
- 戮力(ちからヲあわせテ) - 力を合わせて。協力して。
- 河北(かほく) - 黄河(こうが)の北方(ほっぽう)の地域。
- 籍(せき) - ここでは「関中」の地のこと。今でいう陝西省(せんせいしょう)南部。
- 郤(げき) - 仲違い。
- 左司馬(さしば) - 役職名。武官の官名である。
二
編集現代語訳
編集項王はその日、沛公を引きとどめて、(酒宴をひらき)一緒に酒をくみかわした。項王と項伯は(西側の席に座って)東を向いて座り、亜父(あほ)は(北側の席に座り)南を向いて座った。亜父(あほ)とは范増(はんぞう)のことである。沛公は(南側の席に座って)北を向いて座り、張良(ちょうりょう)は西を向いて(沛公のそばに)控えている。
范増はたびたび項王に目配せをして、腰につけていた玉飾りを挙げて、項王に(沛公を殺すべきだと)三度も示した。(しかし)項王は黙ったまま応じなかった。范増は立ち上がり(宴席の)外に出て、項荘を呼び寄せて言うには「わが君(=項羽)は、人柄から、(沛公をだまし討ちで殺すような)むごいことができない。(だから代わりに、おまえが、沛公を殺せ。その手順は、まず、)おまえが(宴席に)入り、(沛公の)前に進んで長寿を祝え。祝いが終わったら、剣で舞うことを願い出て、舞いをして、その機会に沛公を宴席で斬り殺してしまえ。そうしないと、(将来、)(今のところは軍勢が優勢である項羽の身内である)お前の身内も皆、(近い将来、勢力を伸ばした沛公の軍勢に攻めこまれ、お前たち項一族は)今にも捕虜(ほりょ)になってしまうだろう。」と。
項荘はすぐにも宴席に入って長寿を祝った。長寿を祝い終わって(項荘が)言うには、「わが君が沛公と飲んでおられます。軍中なので、楽器(※ 娯楽と訳す場合もある)がありません。どうか剣で舞わせてください。」と。項王は「よろしい。」と。(← 剣舞を許可した)
項荘は剣を抜き、立ち上がって舞った。(=舞い始めた。) (意図に気づいた)項伯もまた(沛公を守ろうとして)剣を抜いて立ち上がって舞い、常に身をもって、(まるで)親鳥が子を翼でかばうように、沛公をかばった。(そのため)項荘は沛公を討つことができなかった。
書き下し文
編集項王(こうおう)即日(そくじつ)因りて(よりて)沛公(はいこう)を留めて(とどめて)与に(ともに)飲(いん)す。項王・項伯(こうはく)は東嚮(とうきょう)して坐し(ざし)、亜父(あほ)は南嚮(なんきょう)して坐す(ざす)。亜父(あほ)とは范増(はんぞう)なり。沛公は北嚮(ほっきょう)して坐(ざ)し、張良は西嚮(せいきょう)して侍す(じす)。
范増数(しばしば)項王に目(もく)し、佩ぶる(おぶる)所の玉玦(ぎょくけつ)を挙げて、以つてこれに示すこと三たびす。項王黙然として応ぜず。
范増起ち(たち)、出でて(いでて)項荘を召し(めし)、請ひて(いいて)曰はく「君王(くんおう)人(ひと)と為り(なり)忍びず(しのびず)。若(なんぢ)入り(いり)、前みて(すすみて)寿(じゅ)を為せ(なせ)。寿(じゅ)畢はらば(おわらば)剣(けん)を以(もっ)て舞はんことを請(こ)い、因りて(よりて)沛公(はいこう)を坐(ざ)に撃ちて(うちて)之(これ)を殺せ(ころせ)。不者ずんば(しからずんば)、若(なんぢ)が属(ぞく)皆(みな)且に(まさに)虜(とりこ)とする所(ところ)と為らん(ならん)とす。」と。
荘(そう)則ち(すなわち)入りて(いりて)寿(じゅ)を為す(なす)。寿(じゅ)畢はりて(おわりて)曰はく(いわく)「君王(くんおう)沛公(はいこう)と飲す(いんす)。軍中(ぐんちゅう)以て(もって)楽(がく)を為す(なす)無し(なし)。請ふ(こう)剣(けん)を以て(もって)舞はん(まわん)。」と。項王(こうおう)曰はく(いわく)、「諾。」(だく)と。
項荘(こうそう)剣(けん)を抜き(ぬき)起ちて(たちて)舞ふ(まう)。項伯(こうはく)も亦(また)剣(けん)を抜き(ぬき)起ちて(たちて)舞ひ(まい)、常に(つねに)身(み)を以つて(もって)沛公(はいこう)を翼蔽(よくへい)す。荘(そう)撃つ(うつ)を得ず(えず)。
語彙・読解
編集- 即日(そくじつ) - その日。当日。
- 因りて(よりて) - 「その機会に」。「そのために」。沛公が項羽を訪ねてきた機会なので、というような意味。
- 与飲(ともにのむ、ともにいんす) - 一緒に飲んだ。「与」は「一緒に」という意味。
- 数(しばしば) - 何度も。
- 范増数(しばしば)項王に目(もく)し、
范増は項王に目配せをした。ここでの目配せの意図は、沛公を殺す許可を、項羽に求めている。
- 若(なんじ) - おまえ。二人称。「若」(ごとし)と同じ字。
- 不者(しからずんば) - そうでなければ。ここでは「沛公を殺さなければ」の意味。
- 且為所捕虜(まさにとりことするところならん) - 今にも捕虜になってしまうだろう。
「且〜」(まさに)で、「いまにも 〜 になるだろう」の意味。
- 請以剣舞(けんをもってまわんことをこい) - 剣舞を舞うことを願う。「請A」で「Aを要望する」。「請」は願望(がんぼう)を表す。
- 諾(だく) - 承諾(しょうだく)する、という意味。「よかろう」「よろしい」。
- 不得撃(うつことをえず) - 討つことができない。「不得〜」で、機会が無くて「〜できない」の意味。
語釈
編集- 亜父(あほ) - 父に次いで、尊敬される者。「亜」とは「〜に次いで」とかの意味。
- 范増(はんぞう) - 項羽の参謀。
- 東嚮(とうきょう) - 宴会の席で、西に座って東を向いている。当時の宴会では、西が最上座。つまり東嚮が最上座。
- 張良(ちょうりょう) - 劉邦の参謀。
- 項伯(こうはく) - 項羽の叔父(おじ)。
- 目 - 目くばせする。
- 玉玦(ぎょくけつ) - 輪の形をした、玉飾りの一種。「玦」が「決」に通じ、決断を意味する。
- 項荘(こうそう) - 項羽のいとこ。
- 属(ぞく) - 一族。身うち。
- 前みて(すすみて) - 進んで
- 畢わらば(おわらば) - 終わったら。
- 翼蔽(よくへい) - 親鳥がひなを翼でかばうように守る。
三
編集現代語訳
編集そこで張良は軍営の門に来て、樊噲(はんかい)を会った。樊噲は「今日の様子は、どうか」と言った。張良は言った。「非常に切迫している。今、項荘が剣を抜いて舞いをしている。そのねらいは、常に沛公にある。(=沛公を殺そうと狙っている。)」と言った。樊噲は「これは緊急だ。お願いです、私は(宴席の中に)入って沛公と生死をともにしたい。」と言った。樊噲はただちに剣を身につけ盾を抱えて、軍営の門に向かった。(※ 書き下し文は「入る」だが、直後の展開と文脈が通じないので、訳を「向かった」にした。)
(しかし)戟(げき)を交差させている番兵が止めて入れないようにしようとした。樊噲は盾を傾けて、それで番兵をついて地面に倒した。樊噲はとうとう(軍営に)入り、(宴席会場の)幕を開きあげて、西を向いて立ち、目を見開いて項王を見た。(樊噲の)頭髪は逆立ち、まなじりはことごとく裂けていた。(=目を見開いている)
項王は、刀のつかに手をかけ膝(ひざ)をついて身構えて言うには、「おまえは何者か」と。 張良が答えるには、「沛公の車で護衛の添え乗りをしている、樊噲(はんかい)という者です。」と。 項王が言うには、「勇敢な男だ。これに大杯(たいはい)の酒を与えよ。」と。そこで一斗(「いっと」、当時は約二リットル)の酒を与えた。
樊噲は、礼を言って立ち上がり、立ったままでこれ(=酒)を飲んだ。項王が言うには「彼に豚の肩の肉を振る舞え。」と。そこで、ひと塊(かたまり)の生の豚の肩の肉を与えた。樊噲は、その(持ってきた)盾を地にふせて、豚の肩の肉をその上に置いて、剣を抜いて(豚肉を)切って、これ(=豚肉)を食べた。
書き下し文
編集是(ここ)に於いて(おいて)張良(ちょうりょう)軍門(ぐんもん)に至り(いたり)て、樊噲(はんかい)を見る。樊噲曰はく、「今日(こんにち)の事(こと)何如(いかん)。」と。良(りょう)曰はく、「甚だ(はなはだ)急(きゅう)なり。今者(いま)、項荘(こうそう)剣(けん)を抜きて(ぬきて)舞ふ(まう)。其の(その)意(い)常に(つねに)沛公に在るなり。」と。噲(かい)曰はく(いわく)、「此れ(これ)迫れり(せまれり)。臣(しん)請ふ(こう)、入りて(いりて)之(これ)と命(めい)を同じく(おなじく)せん。」と。噲(かい)即ち(すなわち)剣(けん)を帯び(おび)盾(たて)を擁して(ようして)軍門(ぐんもん)に入る(いる)。交戟(こうげき)の衛士(えいし)止めて(とどめて)入れざらん(いれざらん)と欲す(ほっす)。
樊噲(はんかい)其の(その)盾(たて)を側だてて(そばだてて)、以て(もって)衛士(えいし)を撞きて(つきて)地にたおす。噲(かい)遂に(ついに)入り(いり)、帷(い)を披きて(ひらきて)西嚮(せいきょう)して立ち、目を瞋らして(いからせて)項王(こうおう)を視る(みる)。頭髪(とうはつ)上指(じょうし)し、目眥(もくし)尽く(ことごとく)裂く(さく)項王(こうおう)剣(けん)を按じて(あんじて)、跽(ひざまずき)して曰はく、「客(かく)何為る(なんする)者(もの)ぞ。」と。
張良(ちょうりょう)曰はく(いわく)、「沛公(はいこう)の参乗(さんじょう)樊噲(はんかい)という者(もの)なり。」と。
項王曰はく、「壮士(そうし)なり。之(これ)に卮酒(ししゅ)を賜へ(たまえ)。」と。則ち(すなわち)斗卮酒(とししゅ)を与ふ。噲(かい)、拝謝(はいしゃ)して起ち(たち)、立ちながら(たちながら)にして之(これ)を飲む(のむ)。項王曰はく、「之に(これに)彘肩(ていけん)賜へ(たまえ)。」と。則ち(すなわち)一(いつ)の生彘肩(せいていけん)を与ふ(あたう)。樊噲(はんかい)其の(その)盾(たて)を地(ち)に覆せ(ふせ)、彘肩(ていけん)を上(うえ)に加へ(くわえ)、剣(けん)を抜き(ぬき)、切りて(きりて)之(これ)を啗らふ(くらふ)。
語彙・読解
編集- 於是(ここにおいて) - 「そこで」「こうして」「それで」。接続詞的な意味の熟語。
- 何如(いかん) - いかがですか。疑問を表す。
- 甚(はなはだ)急(きゅう) - 「甚」とは「非常に」「とても」の意味。「甚大」(じんだい)の「甚」の字と同じ。「急」は、「緊急」の急の字と同じ。急は、文脈から、切迫(せっぱく)、急迫(きゅうはく)の意味。
- 此迫矣(これせまれり) - 「矣」は断定を表す助字であり、訓読しない。
語釈
編集- 目眥(もくし) - 目尻。まなじり。
- 参乗(さんじょう) - 護衛のため馬車に同乗する兵士。護衛のための添え乗り。
- 斗(と) - 当時の一斗は約二リットル。
- 彘肩(ていけん) - 豚の肩の肉。
四
編集現代語訳
編集項王は言う、「勇士である。まだ酒を飲めるか。」と。樊噲が言うには、「私は死ですら避けようとしません。(ましてや)どうして酒を、どうして断る必要があるのでしょうか。いや、断りますまい。」と。
(樊噲が言うには、)「そもそも秦王は、虎や狼のような(残忍な)心を持っていました。人を殺すことは、数えきれないほどで(=多くて)、人を処刑することは、しきれないことを恐れるほどでした。(秦の王は、そういう事をしていたので、)天下の人々は皆(みな)、秦に背き(そむき)ました。(楚の)懐王が将軍たちと約束して言うには、『先に秦を撃破して咸陽(かんよう)に入場した者は、その地(=関中)の王としよう。』と。今、沛公は先に秦を破って咸陽(かんよう)に入場しましたが、ほんの少しの物(=宝物など?)も、けっして近づけようとしません。(= 自分のものにしませんでした。)宮殿を封鎖し、引き返して、覇水のほとりに駐屯し、大王(=項羽)の来られるのをお待ちしていたのです。わざわざ将兵を派遣して函谷関(かんこくかん)を守らせたのは、他の盗賊の出入りと、非常事態に備えたからです。(沛公は)苦労して功績の高いことは以上の通りですが、いまだに諸侯に封ずる(= 沛公に領地を与えて、沛公を諸侯のうちの一人として扱う・・・というような意味)という恩賞がありません。それどころか、つまらない人のたわごとを聞いて、功績ある人(= 沛公)を罪を責めて殺そうとしています。これでは、滅んだ秦の、二の舞いになるだけです。失礼ながら(私は言いますが)、大王のためには得策ではありません。」と。
項王は、いまだに答えることが、できなかった。 項王が言うには、「まあ、座れ。」と。
樊噲は張良のそばに座った。座ってから、しばらくして、沛公は立ち上がり便所に行き、そのついでに樊噲を招いて(一緒に)出た。
書き下し文
編集項王曰く、「壮士(そうし)なり。能く(よく)復た(また)飲むか。」と。樊噲(はんかい)曰く、「臣(しん)死すら且つ(かつ)避けず。卮酒(ししゅ)安んぞ(いずくんぞ)辞する(じする)に足らんや。夫れ(それ)秦王虎狼(ころう)の心有り。人を殺すこと挙ぐる(あぐる)能は(あたは)ざるが如く(ごとく)、人を刑すること勝へ(たへ)ざるを恐るるが如し(ごとし)。天下皆之(これ)に叛く(そむく)。懐王(かいおう)諸将(しょしょう)と約して曰く、『先ず(まず)秦(しん)を破りて咸陽(かんよう)に入る者は、これに王たらしめん。と』今、沛公(はいこう)先ず秦を破りて咸陽(かんよう)に入り。豪毛(ごうもう)も敢へて(あへて)近づくる所有らずして、宮室(きゅうしつ)を封閉(ほうへい)し、還りて(かえりて)覇上(はじょう)に軍して、以て(もって)大王の来たるを待てり。故ら(ことさら)に将を遣はし関(かん)を守らしめし者は、他の盗の出入と非常とに備へしなり。労(ろう)苦だしく(はなはだしく)して功(こう)高きこと此く(かく)のごときに、未だ(いま)だ封侯(ほうこう)の賞有らず。而(しか)るに細説(さいせつ)を聴きて、有功(ゆうこう)の人を誅せんと(ちゅうせんと)欲す(ほっす)。此れ(これ)亡秦の続きなるのみ。窃か(ひそか)に大王の為に取らざるなり。」と。
項王未だ(いまだ)以て応(こた)ふること有らず。曰はく、「坐せよ。」と。樊噲(はんかい)良に従ひて坐す。坐すること須(しゆ)臾(ゆ)にして、沛公起ちて廁(かわや)に如き(ゆき)因り(より)て樊噲を招きて出ず(いず)。
語彙・読解
編集- 能復飲乎(よくまたのむか) - 飲めるか。「能A」は「Aが可能」の意味。「乎」(か)は疑問の意味。
- 死且不避。巵酒安足辞。 - 死ですら避けようとしない。どうして大杯の酒を辞退するか。いや、大杯の酒を辞退しない。
「A 且 B 。 安 C 。」で、「AですらBである。どうしてCであろうか。いやCではない。」の意味。抑揚(よくよう)の意味。
- 不敢有所近(あえてちかづくるところあらず) -
「不敢〜」で「すすんで〜しようとはしない」の意味。
- 故(ことさらニ) - 「故意に」「わざと」の意味。ここでは文脈から「わざわざ」と解釈する。
- 誅(ちゅう) - 罪を責めて殺す。
- 耳(のみ) - 強い断定や限定。「亡秦之続耳」(ぼうしんのぞくのみ)は「滅んだ秦の二の舞いである」のような意味。
語釈
編集- 豪毛(ごうもう) - ほんのわずか。豪は獣の細い毛。
- 窃か(ひそか) - はばかりながら。へりくだって言う言葉。
- 須臾(しゅゆ) - しばらくして。
- -
五
編集現代語訳
編集沛公はすでに(宴席から)脱出した。項王は、都尉(とい)の陳平(ちんぺい)に沛公を呼びに行かせた。沛公が言うには、「いま出てきたときに、まだ別れのあいさつをしていない。これは、そうするべきだろうか。」と。
樊噲が言うには、「大きな事業を行うには、小さな慎み(つつしみ)にはこだわらず、大きな礼節のためには小さな礼節を無視する必要も有ります。いま、相手はちょうど、包丁(ほうちょう)とまな板であり、私達は(料理されかねない)魚肉です。なんで、あいさつなどに、こだわっている場合でしょうか。(あいさつの必要はありません。速く逃げないと危険です。)」
そこで、とうとう沛公は去った。それで張良を留まらせて(項王に)謝罪させた。張良が沛公に質問して言ったのは、「大王(=沛公)が来たとき、(土産として)何を持ってきましたか。」と。(沛公が)言うには、「私は白璧の一対を持ってきて、項王に献上しようと思い、玉斗の一対を亜父どのに与えようと思っていたが、その(=項王らの)怒りを買っていたので、進んで献上しようとはしなかった。あなたが私のために、これを献上してくれ。」と言った。張良が言うには「謹んで承知しました。」と。
書き下し文
編集沛公(はいこう)已に(すでに)出づ(いづ)。項王(こうおう)都尉(とい)陳平(ちんぺい)をして沛公を召さしむ。沛公曰はく(いわく)、「今者(いま)、出づる(いづる)に未だ(いまだ)辞(じ)せざるなり。之を為すこと奈何(いかん)。」と。樊噲(はんかい)曰はく、「大行(たいこう)は細謹(さいきん)を顧みず(かえりみず)、大礼(たいれい)は細譲(しょうじょう)を辞せず。如今(いま(じょこん))、人(ひと)は方に(まさに)刀俎(とうそ)たり、我(われ)は魚肉(ぎょにく)たり。何ぞ(なんぞ)辞(じ)するを為さん(なさん)。」と。
是(ここ)に於いて(おいて)遂に(ついに)去る(さる)。乃ち(すなわち)張良(ちょうりょう)をして留まり(とどまり)謝(しゃ)せしむ。良(りょう)問ひて(といて)曰はく、「大王(だいおう)来たる(きたる)とき、何(なに)をか操れる(とれる)。」と。
曰はく、「我(われ)白璧(はくへき)一双(いっそう)を持(ぢ)し、項王(こうおう)に献(けん)ぜんと欲し(ほっし)、玉斗(ぎょくと)一双(いっそう)をば、亜父(あほ)に与へん(あたえん)と欲し(ほっし)も、其の(その)怒り(いかり)に会ひて(あいて)、敢へて(あえて)献(けん)ぜず。公(こう)我が(わが)為に(ために)之(これ)を献ぜよ(けんぜよ)。」と。
張良(ちょうりょう)曰はく(いわく)、「謹みて(つつしみて)諾(だく)す。」と。
語彙・読解
編集- 已出(すでにいず) - すでに出た。
- 使 - 使役。
- 奈何(いかん) - どうしようか。疑問を表す。手段・方法を問う。「如何」「若何」と同じ意味・用法。
- 如今(いま) - ちょうどうど今。
- 方(まさに) - ちょうど今。まさに。
- 何辞為(なんぞじすることなさん) - どうして別れのあいさつをすることがあろうか、いや、することはない。(反語)
- 不敢献 - 「不敢A」で「すすんでAしようとしない」。
語釈
編集- 都尉(とい) – 軍事をつかさどる官名。
- 辞(じ) - 別れのあいさつ。
- 刀俎(とうそ) - 包丁とまな板
- 操 - 土産として持ってくる。
- 白璧(はくへき) - 白い、環状の宝石。
- 玉斗(ぎょくと) - 玉で作ったひしゃく。
六
編集現代語訳
編集このとき、項王の軍は鴻門に駐屯しており、沛公の軍は覇水のあたりに駐屯していた。おたがいの(駐屯地の)距離は四十里(約十六キロメートル)であった。沛公は、よって、(持ってきた)車と(連れてきた)兵を(鴻門に)残し、身一人で脱出して騎馬に乗り、樊噲・夏侯嬰(かこうえい)・靳彊(きんきょう)・紀信(きしん)たちの四人と、剣と盾を持って徒歩で走り、驪山(りざん)のもとから、芷陽(しよう)への道を、抜け道を通って行った。
(沛公と張良の別れ際に、)沛公が張良に言っていたことは、「この道で自軍に到着するまでが、たったの二十里に過ぎない。私が自軍に到着した頃合いを見計らって、そなたはそこで宴席に入れ。」と。
書き下し文
編集是の(この)時(とき)に当たり(あたり)、項王の軍(ぐん)は鴻門(こうもん)の下に在り(あり)、沛公(はいこう)の軍(ぐん)は覇上(はじょう)に在り(あり)相去る(あいさる)こと四十里(しじゅうり)なり。沛公則ち(すなわち)車騎(しゃき)を置き(おき)、身を脱(だっ)して独り(ひとり)騎(き)し、樊噲・夏侯嬰(かこうえい)・靳彊(きんきょう)・紀信(きしん)ら四人(よにん)の剣盾(けんじゅん)を持(ぢ)して歩走(ほそう)するものと、驪山(りざん)の下(もと)より、芷陽(しよう)に道(みち)して、間行(かんこう)す。
語彙・読解
編集語釈
編集- 四十里(しじゅうり) - 当時の一里は約四百メートル。
- 間行(かんこう) - 抜け道を行く。
- 度(はかリ)- 見積もる(みつもる)。推し量る(おしはかる)。
七
編集現代語訳
編集沛公はすでに(鴻門を)去り、しばらくして(自軍の)軍中に到着した。張良は(宴席に)入って陳謝して言うには、
- 「沛公は、これ以上は酒が飲めず(深く酔っていて)、別れのあいさつもできません。(そこで沛公は)謹んで臣下である私・張良に白璧の一対を預け、(沛公が私に命令して言うには、)再拝して大王(=項王)の足元に献上し、玉斗の一対を、再拝して大将軍(=范増)の足元に差し上げよ、とのことです。」
項王が言うには、「沛公はどこにいるのか。」と。 張良が(答えて)言うには、「大王が沛公の過失(かしつ)をとがめると聞き、単身(たんしん)で脱出しました。すでに自軍に到着しているでしょう。」と。 項王はそこで白璧を受け取り、これを座席のそばに置いた。亜父は玉斗を受け取ると、これを地面に置き、剣を抜いて、突いて破壊して、言うには、「ああ、小僧め、ともに謀略をするに値(あたい)しない。項王の天下を奪う(うばう)者は、必ず沛公だ。われらの一族は、今に沛公の捕虜になるだろう。」と。
沛公は自軍に到着し、曹無傷の罪を責めて、ただちに処刑した。
書き下し文
編集沛公(はいこう)已に(すでに)去り(さり)、間(しの)びて軍中(ぐんちゅう)に至る(いたる)。
張良(ちょうりょう)入り(いり)、謝して(しゃして)曰はく(いわく)、「沛公桮杓(はいしゃく)に勝へず(たえず)、辞(じ)するに能はず(あたわず)。謹みて臣良(しんりょう)をして白璧(はくへき)一双(いっそう)をば、再拝(さいはい)して大将軍(だいしょうぐん)の足下(そくか)に奉ぜしむ(ほうぜしむ)。」と。
項王曰はく、「沛公安くにか(いずくにか)在る(ある)。」と。
良(りょう)曰はく、「大王(だいおう)之(これ)を督過(とくか)するに意(い)有り(あり)と聞き(きき)、身(み)を脱(だっ)して独り(ひとり)去れり(されり)。已に(すでに)軍(ぐん)に至らん(いたらん)。」と。
項王則ち(すなわち)璧(へき)を受け(うけ)、之(これ)を坐上(ざじょう)に置く(おく)。
亜父(あほ)は玉斗(ぎょくと)を受け(うけ)、之(これ)を地(ち)に置き(おき)、剣を抜き撞きて(つきて)之(これ)を破りて(やぶりて)曰はく、「唉(ああ)、豎子(じゅし)与に謀る(はかる)に足らず(たらず)。項王の天下(てんか)を奪ふ(うばう)者(もの)は、必ず(かならず)沛公ならん。吾が(わが)属(ぞく)今に(いまに)之(これ)が虜(とりこ)と為らん。」と。
沛公(はいこう)軍(ぐん)に至り(いたり)立ちどころ(たちどころ)に曹無傷(そうむしょう)を誅殺(ちゅうさつ)す。
語彙・読解
編集- 安在(いづくニカあル) - どこにいるのか。疑問。なお、「安」を「いづくンゾ」と訓読すれば理由を問う表現になる。
語釈
編集- 督過(とくか) – 過失をとがめる。
- 再拝(さいはい) - 再度のお辞儀。丁寧なお辞儀。深い敬意を表すしぐさ。
- 足下(そっか) - 足元に差し出すことで、敬意を表している、と思われる。
- 豎子(じゅし) - 小僧(こぞう)。青二才(あおにさい)。
- 立(たちどころに) - すぐに。ただちに。たちどころに。すぐさま。
項羽の性格など
編集- 『鴻門之会』での項羽の性格
- ・項羽は、沛公(はいこう)を殺す決断ができず、決断力の無い人物として、描かれている。
- ・感情的で短気である一方で、人情味があり義理堅い人物として書かれている。
検定教科書などに紹介される項羽の逸話では、項羽は感情的で短気である一方で、人情味があり義理堅い人物として書かれている。
たとえば『鴻門之会』では、函谷関などを封鎖した沛公に怒り、関所を攻撃するものの、自分に謝罪しにきた沛公(はいこう)を許し、その沛公を助けにきた樊噲(はんかい)を高く評価したかのように記述されており、項羽は人情味がある人物として書かれている。
『鴻門之会』で書かれた范増(はんぞう)による評価でも、項羽を、そのような、謝罪に来た沛公の殺害をためらうような、義理堅い人物として、范増は項羽を評価しているので、范増は項荘(こうそう)に沛公の殺害を命じたのであった。
- 実際の性格
だが、『史記』の教科書では紹介されていない部分での項羽の実際の行動や、歴史上の実際での行動では、この『鴻門之会』で描かれたような人物像とは、やや異なる。
『鴻門之会』のあと、項羽は、反秦の盟主である懐王(かいおう)を殺したりしており、あまり義理堅いとは思えない人物だし、人情味も無いと思われる。そもそも、この懐王の殺害によって、のちに沛公(劉邦)が項羽が滅ぼす大義名分の原因の一つになったのである。
『鴻門之会』の記述だけを信用するにしろ、それ以外の『史記』の記述も信用するにしろ、どちらにせよ、項羽の行動の方針は一貫しておらず、項羽は感情的である。
- 人物像の対比
項羽以外の他の人物の性格は、『鴻門之会』では、項羽とは対比的に描かれている。
たとえば范増(はんぞう)や項荘は、沛公(はいこう)の殺害をすすめるなど、目的のためには冷酷な選択でも、ためらわない。
たとえば沛公は、部下の張良(ちょうりょう)の進言をよく受け入れる人物として、描かれている。この点が、范増の進言を受け入れなかった項羽とは異なる。
また、沛公の野心を項羽に伝えた曹無傷を、沛公は処刑するように、沛公は人を殺す人物として描かれている。この点、沛公の殺害をためらった項羽とは異なる。しかも、沛公の野心を曹無傷から聞いたという話を、項羽は、うっかりと、沛公に喋ってしまうのである。