• 『無名草子』(むみょうぞうし)。

作者は不明。評論。物語を中心に評論している。つまり、文学評論。日本に現存する、日本の物語評論としては、日本で最古。 一一九八年 ~ 一二○二年 ごろに成立したと考えられている。作者は、通説では藤原俊成女(ふじわらのとしなりのむすめ)という説があるが、確証は無く、作者は未詳。 『源氏物語』『伊勢物語』『大和物語』などを論評している。

文(ふみ) 編集

  • 全体の大意

手紙は素晴らしいものである。なぜなら、会えない人からも、語り伝えてもらえるから。あの人からも、もう亡くなってしまった、あの人からも、手紙では語り伝えてもらうことができる。また、まったく会ったことのないような昔の人からも、手紙では語り伝えてもらうことができる。異国の事だって、手紙では語れる。 そして未来の人へも、私たちが手紙で語り伝える事もできる。

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  • 大意

手紙は素晴らしいものである。

  • 本文/現代語訳

 この世に、いかでかかることありけむと、めでたくおぼゆることは、文こそ侍れな。枕草子に返す返す申して侍るめれば、こと新しく申すに及ばねど、なほいとめでたきものなり。遥かなる世界にかき離れて、幾年(いくとせ)あひ見ぬ人なれど、文というものだに見つれば、ただ今さし向かひたる心地して、なかなか、うち向かひては思ふほども続けやらぬ心の色も表し、言はまほしきことをもこまごまと書き尽くしたるを見る心地は、めづらしく、うれしく、あひ向かひたるに劣りてやはある。

この世に、どうしてこんなことがあるのだろうと、すばらしく思われるのは、手紙であります。『枕草子』で繰り返し繰り返し申しているようですので、(いまさら)新たに申すには及ばないが、やはりとてもすばらしいものである。とても遠くの場所に離れており、何年も会わない人であっても、手紙というものさえ見てしまうと、たった今向かい合っているような気持ちがして、むしろ、向き合っては思うほども言い表せない心の機微も(手紙では)表し、言いたいことを細かく書き尽くしているのを見る気持ちは、すばらしく、うれしくて、互いに(たがいに)向かいあっているのに(比べて)劣っているだろうか。(いや、劣ってはいない。)


  • 語句(重要)
・心地 - 気持ち。
・めづらし - ここでは「素晴らしい」の意味か。現代語と同様に「珍しい」の意味とも取れる。
・劣りてやはある - 劣っているだろうか。「やは」は反語の係助詞。係助詞「や」に係助詞「は」がついたものだが、「やは」で一つの助詞として扱ってよい。
・ - 。
  • 語注
・枕草子に - 「めづらしといふべきことにはあらねど、文こそなほめでたきものには。」(第二百十一段)とある。
・ - 。

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  • 大意

亡くなった人の手紙を見るのは、とりわけ、感慨深い。

  • 本文/現代語訳

 つれづれなる折、昔の人の文出でたるは、ただその折の心地して、いみじううれしくこそおぼゆれ。まして亡き人などの書きたるやうなるものなど見るは、いみじくあはれに、年月の多く積もりたるも、ただ今筆うち濡らして書きたるやうなるこそ、返す返すめでたけれ。  何事(なにごと)も、たださし向かひたるほどの情ばかりにてこそはべるに、これは、ただ昔ながら、つゆ変はることなきも、いとめでたきことなり。

することもなく手持ちぶさたな時、昔の人の手紙を見つけると、ただもう、その時(=その人と会った時)の気持ちがして、とてもうれしく思う。まして亡くなった人などの書いたようなものなどを見るのは、とても感慨深く、年月が多くたっているのに、たった今筆を濡らして書いたようなのは、返す返すも(=つくづく / とにかく)、すばらしい。  どんな事も、ただ向かい合っているの気持ちだけでありますが、これは(=手紙は)、まったく昔のままで、少しも変わることがないのも、たいそう素晴らしいことだ。


  • 語句(重要)
・ただ昔ながら - 全く昔ながら。「ただ」は副詞。

「ただ差し向かひ・・・」の「ただ」とは意味が違うので、混同しないように。

・つゆ変はることなきも - まったく(全く)変わることがないのも。「つゆ・・・(打消し)」で、「まったく・・・ない」の意味。
・ - 。
  • 語注
・ - 。

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  • 大意

手紙は、昔の人からも、語り伝えてもらう事ができる。手紙は、異国の事ですらも、語り伝えてもらう事ができる。しかも、単に昔から今だけではない。さらに加えて、今から未来にも、である。つまり、手紙は、私たちが文字さえ手紙に書いておけば、あとは手紙が残りさえすれば、私たちが後世の人にも書き伝えることができる。だから手紙は素晴らしいのである。

  • 本文/現代語訳

 いみじかりける延喜・天暦の御時のふるごと(古事 / 故事)も、唐土・天竺てんぢく)の知らぬ世のことも、この文字といふものなからましかば、今の世の我らが片端も、いかでか書き伝へましなど思ふにも、なほかばかりめでたきこともよも侍らじ。

すばらしかった延喜・天暦の御代の昔も、中国・インドの見知らぬ世界のことも、この文字というものが(もし)無かったならば、今の世の私たちが一部分でも、どのようにして書き伝えようかいや、書き伝えられはしない)などと思うにつけても、やはりこれほど素晴らしい事はまさかありますまい。


  • 語句(重要)
なからましかば - なかったなら。「・・・ましかば」で、「もし・・・だったらな」(※実際は違う)の意味。反実仮想(はんじつかそう)。「・・・ましかば ○○○ まし」で、「もし・・・だったら、○○○ だろう。」の意味。「まし」は反実仮想の助動詞。
・よも - まさか。よもや。「よも・・・(打消し)」で、意味が「まさか・・・ない」。
・ - 。
  • 語注
・延喜・天暦 - 醍醐天皇・村上天皇の時代。延喜は醍醐天皇の元号、天暦は村上の元号である。天皇親政の時代だとされており、貴族政治の良い時代だとされていた。
・天竺(てんじく) - インド。
・ - 。