『蜻蛉日記』(かげろうにっき)の作者は藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)。 作者の夫は藤原兼家(かねいえ)。作者の子は藤原道綱(みちつな)。

夫と不仲であり、日記内に、そのような事に関した話が多い。

『蜻蛉日記』は女流日記文学として日本最古。(「土佐日記」は男の紀貫之の作なので女流文学ではない。)

兼家の子の道隆(みちたか)や道長(みちなが)などは、兼家の、他の妻である時姫(ときひめ)との子であり、藤原道綱母の子ではない。

鷹を放つ 編集

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  • 大意

夫・兼家(かねいえ)との不仲に悩み、作者は死にたいと思うものの、一人息子の道綱(みちつな)のことを考え死なないで、かわりに出家しようとする。 出家しようと考えている事を息子・道綱に相談すると、息子は、「母が出家するなら、もはや自分も法師になってしまおう。」などと言う。 あまりに悲しいので、冗談で飼っていた鷹を今後どうするかと質問したところ、息子の出家の決心は思いのほか強く、なんと鷹を逃がしてしまった。

  • 本文/現代語訳

つくづくと思ひ続くることは、なほいかで心として死にもしにしがなと思ふよりほかのこともなきを、ただこの一人ある人を思ふにぞ、いと悲しき。人となして、後ろ安からむ妻(め)などに預けてこそ死にも心安からむとは思ひしか、いかなる心地してさすらへむずらむ、と思ふに、なほいと死にがたし。

いかがはせむ。かたちを変へて、世を思ひ離るやと試みむ(こころみむ)。」と語らへば、まだ深くもあらぬなれど、いみじうさくりもよよと泣きて、「さなりたまはば、まろも法師になりてこそあらめ。何せむにかは、世にも交じらはむ。」とて、いみじくよよと泣けば、われもえせきあへねど、いみじさに、戯れに言いなさむとて、「さて鷹飼はではいかがしたまはむずる。」と言ひたれば、やをら立ち走りて、し据ゑたる鷹を握り放ちつ。見る人も涙せきあへず、まして、日暮らし悲し。心地におぼゆるやう、

争そへば思ひにわぶる天雲(あまぐも)にまづそる鷹ぞ悲しかりける

とぞ。日暮るるほどに、文(ふみ)見えたり。天下(てんげ)のそらごと(虚言)ならむと思へば、「ただいま、心地悪しくて。」とて、やりつ。

つくづく思い続けることは、やはり、なんとかして自分の意思で早く死んでしまいたいものだなあと願う以外ほかの事もないが、ただこの一人いる人(息子の道綱)のことを考えると、たいそう悲しい。あとあと安心できそうな妻などに(息子を)預けてこそ、(私が)死ぬのも安心できそうだと思うが、(私が死んだら息子は)どのような気持ちでさまようだろうと思うと、やはりとても死ににくい。

「どうしようか。かたちを変えて(=尼となって、官位も捨てて)、夫婦仲を思い切れるかと試してみようか。」と(道綱に)話すと、まだ深くもない(年頃である)けれど、ひどくしゃくりあげて、よよと泣いて、(道綱は)「そのように(尼に)おなりになるならば、私も法師になってしまおう。何をするためにか、世間にも交わろうか(=宮仕えする必要があろうか)。(いや、母と離れてしまっては、もはや宮仕えする必要なんて無い。)」と言って、はげしくよよと泣けば、私も(泪を)こらえきれないけれど、あまりもの深刻さに、冗談に言い紛らわそうと思って、「それでは、鷹を飼わないでは、どのようにしなさるつもり。」と言ったところ、(息子は)そっと立ち上がり走って、(止まり木に)止まらせていた鷹をつかんで放ってしまった。見ている人(=女房など)も、こらえきれず、(母である私は、もっと悲しいので、私は)まして一日中悲しい。心の中で思われること(を歌にすると)、

と、なろうか。(その後、)日が暮れる頃に、(夫・兼家からの)手紙が来た。世界一の嘘(うそ)だろうと思うので、「ただいま具合が悪いので。」と言って、(使いの者を)帰した。


  • 語句(重要)
・いかが - 「いかにか」のつづまった形。「いかに」の次の「か」係助詞なので、結びは連体形になる。
・しがな - 願望の終助詞。「にしがな」「てしがな」などの形で使う。
・まろ - 自称の代名詞。男女ともに使う。
・やをら - そっと。静かに。
  • 語注
・争そへば - この文では、夫婦仲が悪いこと。
・天雲(あまぐも) - 尼(あま)との掛詞。
・そる - 鷹が飛び去る意味の「逸る」と、剃髪の意味の「剃る」との、掛詞。
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うつろひたる菊 編集

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  • 大意
  • 本文/現代語訳

さて、九月(ながつき)ばかりになりて、出でにたるほどに、箱のあるを、手まさぐりに開けてみれば、 人のもとにやらむとしける文あり。あさましさに見てけりとのみ知られんと思ひて、書きつく。

うたがはしほかに渡せるふみ見ればここやとだえにならんとすらん

など思ふほどに、むべなう、十月(かみなづき)つごもり方(がた)に、三夜(みよ)しきりて見えぬときあり、つれなうて、「しばし試みる(こころみる)ほどに。」など気色(けしき)あり。

さて、九月ごろになって、兼家が出てしまった時に、文箱があるのを何気なく開けて見ると、他の人(=女)に届けようとした手紙がある。あきれて、見てしまったということだけでも(兼家に)知られようと思って、書きつける。

疑わしい。他に送ろうとする手紙を見れば、こちらには、途絶えようちしているうのでしょうか。

などと思ううちに、(しばらくして、)案の定、十月の末ごろに、三晩続けて姿を見せない時があった。(その後、兼家は)平然として、「(あなたの気持ちを)しばらく試しているうちに。」などと事情を話す。


  • 語句(重要)
・手まさぐりに - 手先で、もてあそぶこと。転じて意味が、何気なし、何気なく、などの意味になった。
・むべなう - 「むべなし」の事で、意味は、案の定(あんのじょう)。
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  • 語注
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・三夜(みよ) - 当時の婚礼では、三日、通いつづける。三日続けて、兼家が自宅に来ないという事は、他の女と婚礼をしたと作者は考えている。
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  • 大意
  • 本文/現代語訳

これより、夕さりつ方(かた)、「内裏(うち)に、のがるまじかりけり。」とて出づるに、心得で、人をつけて見すれば、「町小路(まちのこうじ)なるそこそこになむ、とまり給ひぬる。」とて来たり。

さればよと、いみじう心憂しと思へども、言はむやうも知らであるほどに、二、三日(ふつかみか)ばかりありて、暁方(あかつきがた)に、門をたたくときあり。さなめりと思ふに、うくてあけさせねば、例の家とおぼしきところにものしたり。 つとめて、なほもあらじと思ひて、

嘆きつつひとり寝る夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る

と、例よりはひきつくろひて書きて、うつろひたる菊にさしたり。返り言、「あくる(明くる)までもこころみむ(試みむ)としつれど、とみなる召し使ひの、来あひたりつればなん。いとことわり)なりつるは。

げにやげに冬の夜ならぬまきの戸もおそくあくるはわびしかりけり」

さても、いとあやしかりつるほどに、ことなしびたる。しばしは、忍びたるさまに、「内裏に。」など言ひつつぞあるべきを、いとどしう心づきなく思ふことぞ、限りなきや。

ここ(=私の家)から、夕方、「宮中に行かざるをえない用事がある。」と言って出かけるので、(私は)納得がいかず、(召使いの)人に後をつけさせて見させたところ、「町の小路にあるどこそこに、(兼家の車が)お止まりになりました。」と言って、(もどって)来た。

やっぱりだと、たいそうつらいと思うけど、どう言おうかも分からないでいるうちに、二、三日ほどたって、夜明けごろに門をたたく時があった。そのようだと(=兼家が来た)思うと、つらくて、開けないでいると、例の(小路の女の)家と思われる所に行ってしまった。翌朝、やはりこのままではいられないと思って、

嘆きながら、一人で寝る夜の、夜明けまでの間は、どんなに長いか、おわかりですか。

と、いつもよりは体裁(ていさい)を整えて書いて、色あせた菊にさした。(兼家の)返事は

「夜が明けるまで待とうとしたけれど、急な召使いが来てしまったので。(おなたが怒るのも)とても当然であります。」

本当に本当に、(冬の夜はなかなか明かないが、)冬の夜ではないが、まきの戸が遅く開くのは、つらいことだよ。」

とても不思議であるくらい、そしらぬふりをしている。しばらくは、(本来なら)人目を避ける様子で、「宮中に。」などと言っているのが当然であるのに、不愉快に思うこと、限りない。(※訳に諸説あり この上なく不愉快?、 長く果てしなく不愉快が続く?)


  • 語句(重要)
・これより - ここから。この文での「これ」とは作者の家。
さればよ - やっぱり。「されば」は「さあれば」の変化した形。
・ものしたり - 動詞「ものす」は婉曲的な表現。何をするのかは、文脈による。この作品では「行く」の意味。
・とみなる - 急な。
・ことわりなり - もっともである。当然。言うまでも無い。
・げにやげに - 「げに」の意味は、「実に」「本当に」。「げにやげに」と二回続けることで協調した言い方。
・おそくあくる - 「あくる」は「明くる」と「開くる」を掛けた掛詞と思われる。
・いとどし - ますます激しい。ますますはなはだしい(甚だしい)。
  • 語注
・嘆きつつ・・・ - この歌は小倉百人一首に所収された。
・うつろひたる菊 - 兼家の心移りを暗示させた。
・まき - 檜(ひのき)など。
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