高等学校商業 経済活動と法/雇用
労働と賃金の関係
編集- (※ 範囲外)
たとえば、労働法(労働基準法など)の規制により、男女では賃金の格差を意図的に作ってはいけないし(労基4)、また、働いている人に賃金を払わないのもいけない。
このような規制の背景にある考えとして、そもそも、ある労働に対する賃金(ちんぎん)の金額は、その成果のみに依存するべきである、というような考えがある。
なお、「賃金」(ちんぎん)とは、労働の報酬(ほうしゅう)として、労働者がもらう金銭のことである。
ともかく、「誰が労働しようとも、その仕事の成果が同じなら、なるべく同じ賃金を払うべきであろう」というような考えが、労働法の各種の規制の背景としてある。
いわゆる「同一労働、同一賃金」(どういつろうどう、どういつちんぎん)の考え方である。
しかし、この「同一労働、同一賃金」そのものは、2019年まで長らく、法としては制定されていなかった。
しかし、2020年、ついに法律として、「同一労働同一賃金」が制定されることになった。なお、正確には根拠法は、『パートタイム・有期雇用労働法』である(正規名称は『短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律』)。(本wikiでは「パートタイム法」と略記する。)
こうして、日本では表向きの給与体系上では、男女の賃金格差は無い。ただし、形式的・制度的には、男女間の賃金格差が無いだけであり、実態は違うとも言われている。
また、現実は正社員と アルバイト・派遣社員 とのあいだで、給与体系での賃金格差はあるのが現状である。
ただし、2020年4月から施行される「同一労働同一賃金」および、厚生労働省などの定めるガイドラインにより、経営者には、下記のような義務が課せられるようになった。(なお、中小企業への適用は1年遅れ、2021年4月からになる。)
- ガイドラインおよびパートタイム法第9条により、原則として労働内容が同じなら、十分な経験年数および能力のある従業員どうしでは、賃金および手当て(通勤手当など)は同じでなければならない。
- 上記の前提となる能力向上を保証するためにも、経営者は、従業員への実務教育を、正社員・非正規社員の両方に行わなければならない。(パートタイム法3条および11条)。実務教育を抜け穴にするのを禁じている。特に、実務で必要にもかかわらず、非正規社員だからといって実務教育をせず、正規社員にだけ該当の技能の実務教育をするような事は、不公平であり、非正規社員でも実務教育をしなければならないとしている。(パートタイム法11条)
- 正社員と非正規社員との賃金水準に差がある場合、説明を求めることが出来る。経営者は、この説明要求に対し、合理的な回答をしなければならない。
- 「将来の役割・期待が異なる」という回答は、労働局など管轄行政からは『不合理』な回答として認定されると、厚生労働省・労働局などのガイドラインは述べている。
- どうしても職務内容の違いがある場合、経営者は、けっして曖昧に「正規社員の仕事は、非正規社員の仕事内容とは違う。」と答えるだけでは合理的な回答とは見なされず、具体的にどういう仕事内容がそれぞれの正規社員および非正規社員にそれぞれ与えられており、具体的にどの職務にどの程度の違いがあるかを、明確に答える必要がある。
- ※ 日本のガイドラインは述べていないが、日本政府が参考にしたと言われるEUの事例を見てみると、回答する経営者には、けっして単に細かく回答すればいいだけでなく、さらに立証責任が(EUの経営者には)要求されているとしている。
なお、ヨーロッパでは2000年代初期から長らく、EU加盟国において同一労働は同一賃金とする原則が存在している(1997年のパートタイム指令、1999年の有期労働指令 など)。一方、アメリカ合衆国では、男女の雇用格差は法規制するものの、パートなどの待遇に関しては同一労働同一賃金としない政策であった。
日本の雇用格差是正の労働政策は長らく、アメリカに近い、男女雇用の待遇のみ均等化するような政策であったが、しかし近年の日本はこのアメリカ型の労働政策を疑問視し、ヨーロッパ型のより広範な同一労働同一賃金の政策へと労働政策を転換したことになる。
歴史的には欧米でも、もともと、男女の雇用待遇格差のほうが先に政治上の話題になり(20世紀の中盤ころ)、パートタイムなどと正社員との待遇格差については、長らく、放置的な状態であった。
しかし、ヨーロッパにおいて、2000年ごろのEUの設計とともに、このパート労働などの待遇格差の問題にも是正が入ることになった。
背景として、1990年代ごろから、世界的に、パートタイム労働者が増加してきた事がある。
なのに、世界各国で法律が実態に追いつかずに2000年くらいまで先進国は、男女の雇用格差ばかりを熱心に問題視し、パート労働などの格差は放置的な状態であった。にもかかわらず、日本をふくむ各国の大企業などは女性の正社員のみを高待遇で優遇するなどして、稚拙な正義感に酔いしれていたわけである。
結果的に、今回の2020年のパートタイム関連の法制により、このような 時代遅れ かつ偽善を、これらのパート待遇改善の法制は疑問視し、是正したことになる。
賃金の本人直接払い
編集使用者は、賃金(ちんぎん)を、労働者本人に、その賃金の全額を払わなければならない。(労基24)これは、いわゆる「中間搾取」(ちゅうかんさくしゅ)を防ぐためである。
べつに本人に紙幣や給料袋の手渡しをしなくても良く、本人名義の銀行口座などに振り込むのでも、かまわない。つまり、労働者の指定する金融機関口座に、使用者が賃金を振り込むのは、合法である。
このように本人に賃金を直接渡す義務があるため、たとい未成年の労働者であっても、当然、使用者はその未成年の労働者本人に賃金を渡さなければならない。つまり労働者が未成年の場合に、未成年者に賃金を渡さずに親や親権者に賃金を渡すのは禁止されている。(※ 範囲外)(※ 参考文献: 東京商工会議所『ビジネス法務検定試験 3級』)
同様に、成年被後見人の場合には、賃金を本人に渡さずに法定代理人に渡すことも禁止されている。
※(私見:) ところが、現行法では、賃金の直接払いの原則は、簡単に迂回(うかい)できるのが実情。なぜなら派遣社員は、例えば、ある派遣元企業Aの社員である派遣社員が企業Bに派遣された場合、その派遣先企業Bからは直接は賃金を派遣労働者はもらっていない。この場合、一般的に、まず派遣先企業Bから派遣元企業Aに報酬が支払われ、そして派遣元企業Bから派遣社員に賃金が支払われる。また、派遣元企業が支払う賃金からは、各種の管理費などの名目で、賃金が差し引かれ、派遣元企業の利益になる。これは「中間搾取」とは見なされていない。こういう労働環境が、日本の労働環境の現状である。
※(私見:) かといって、上記の私見のような企業を経由する賃金支払いが、かならずしも中間搾取とも言えず、例えば派遣企業でない一般の中小企業などでも、長期間の出張などにより、労働者の所属している会社以外の別会社の管理下で長期的に仕事をする場合がある。例えば下請け企業が、親会社に出張する場合もある。その場合も、親会社からの報酬は、まず下請け会社に支払われ、けっして出張社員には直接は支払われない。また、親会社や大企業の社員が、子会社や下請け企業の管理のため、その子会社や下請け企業などへ親会社社員が長期的に出張する場合もある。1990年代〜2000年代に派遣企業が流行る前から、こういう労働形態はあったようで、ようするに労働法が、経済の実情に追いついてない。ちなみに、このように、ある一般会社の会社員が別会社に長期的に継続的に出張して仕事をすることを「出向」(しゅっこう)という。どうやら労働法が、出向については、なにも規定してないようである。
※(私見:) もし、法改正をするとして、派遣先企業Bから派遣会社Aの派遣社員に対して、派遣先企業が賃金を直接払わなければならないと義務付けるとなると、ある一般企業から別会社への出向(しゅっこう)の場合にも同様の義務が生じる可能性があり、すると、おそらく労働法の大改正が必要になるだろう。
※(私見:) ようするに、現行法では、賃金の直接払いの原則は、簡単に迂回(うかい)できるのが実情。また、中間搾取的な行為も、簡単にできるのが実情。労働者は、中間搾取されないように、自分の身は自分で守るしかない。法律を作っている政治家が低能。(国会は日本の唯一の立法府。)
※(私見:) さて話は変わるが、賃金の「全額」を払わなければならない、というのは、所有権の観点で考えれば当然であろう。労働者が賃金としてもらった以上、その賃金は労働者自身の所有物であるのだから、所有者である労働者本人がその賃金の全額を自由に活用できなければならない。
また、賃金は原則として、通貨で支払わなけれならない。(労基24)この理由は主に、かつて通貨以外の物で労働報酬が支払われたために金銭がもらえなかった事例があり、そのような事態を禁止するためである。つまり、日本では、実質的には、賃金は、日本円で支払われるだろう。
強制労働を禁止するために
編集借金を払えなくなった人物が、「借金を返却させる」という名目で強制労働させられる、というような事例が、古い時代から世界各地であった。
もちろん、借金そのものは返済させなければならないし、借金を取り立てるのは正当な権利だが、かといって、強制労働をさせるのも人権侵害であるし、労働基準法でも強制労働は禁止されている。では、どうやって、このジレンマの折り合い(おりあい)をつけるか。
また他の事例として、著者の想像の事例だが、たとえば近代や中世などの古い時代、貧乏な家庭の子供が就職する際に、給料として、初めて労働する前に前払いで家族など本人以外に金銭に支払われたが、じっさいに本人がその職場で働いてみたところ、事前に聞いていた話と労働環境がまったく違ってて重労働で低賃金だったりとかしても、まったく違う仕事内容だったりとかして、しかし退職しようにも、給料が先に支払われているし、しかも自分の手元に給料分の金銭がなく家族が金銭を使ってしまっているので給料分の金銭を返却する事もできず、よって退職させてもらえず、強制労働をさせられてしまい、実質的に奴隷のように扱われてしまった、・・・というような事例もあったかもしれない。
これらのような事例を防ぐためには、借金と雇用契約を切り離すべきであろう。また、雇用契約時に給料を前払いするかわりに、そのぶんの労働を労働者に強制的に行わせることも、実質的に借金を貸しつけている事である、と見なされるべきである。
そして、このような借金による強制労働を事態を防ぐためもあってか、労働基準法では、労働することを条件に金銭を貸すことを禁止している。(労基17) なお、労働することを条件に金銭を前払いすることを前借金相殺(ぜんしゃくきん そうさい)という。
さて、また、強制的に貯金させる事も、禁止されている。(労基18)より正確に言うと、使用者は、労働契約にともなって、労働者に強制的に貯金させたり、預貯金を使用者に管理させる事を強制してはならない。
このように、会社などが労働者に強制的に貯金させることを「強制貯金」という。
解雇
編集ある労働者を解雇をする場合、使用者は30日前までに、その労働者に解雇することを予告しなければならないのが原則である。もし予告しない場合は、30日分以上の平均賃金を支払わなければならない。(労基20) ただし、天災事故などやむをえない理由により事業継続できなくなったため解雇する場合と、労働者に責任のある場合には、この限りでない。(労基20)
労働時間
編集労働時間は、原則として、休憩時間を除き、1日あたり8時間の越えてはならず、また1週あたり40時間を越えてはならない。(労基32)
- ※ しかし、これは守られてないのが実態であり、日本企業では残業が横行してる。
電話の待機時間や、指示の待機時間などは、労働とみなす。なお、このような、業務上の連絡などの待機時間のことは、手待時間(てまち じかん)という。手待時間は、労働時間と見なされる。(一般的な法学書での解釈)
また使用者は、もし労働時間が6時間を超える場合においては少なくとも45分の休憩(きゅうけい)時間を、もし労働時間が8時間を超える場合においては少なくとも1時間の休憩時間を、労働時間の途中に与えなければならない。(労基34)
ここでいう「休憩」には、電話の待機時間や、指示の待機時間などを含めず、労働者が完全に休息できる時間のことである。
しかし例外的に、残業や休日出勤などの時間外労働をさせる事も、一定の条件で、できる。その条件は、使用者が、労働者の過半数との書面による協定があり、時間外労働に割増賃金を払うことで(いわゆる残業代)、時間外労働をさせられる。(労基36)(労基37) この協定は、労働基準法第36条にもとづく事から三六協定(さぶろく きょうてい)という。
この時間外労働の賃金の割増率は、25%以上50以下の範囲内で、政令で定める率で計算した賃金を、労働者に支払わなければならない。(労基37)
労働契約
編集上記のような労働時間や賃金などの規制を守らせるために当然であるが、使用者は労働者の採用のさい、労働希望者に、自社の賃金や労働時間などの労働条件を明示しなければならない。(労基15)
有給休暇
編集使用者は、ある労働者が6ヵ月以上勤務し、8割以上出勤した場合、その労働者に、休んでも賃金のもらえる休日を10日分〜20日分、与えなければならない。(労基39) このような、賃金のもらえる休暇のことを、有給休暇(ゆうきゅう きゅうか)という。
- (※ 私見:) 法律でこそ有給休暇が認められているものの、残業代未払いの残業が横行してるのと同様に、有給休暇を使えない事態も横行してるのが、日本の労働環境。
ただし、労働者の請求した時季に有給休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げる場合においては、他の時季に有給休暇の日をずらしておkらう事ができる。(労基39 但書4)
つまり、使用者にとって、その労働者に、どうしても出勤してもらいたい日があれば、その日を有給休暇の休日からは外してもらい、他の日に有給休暇として休んでもらうことが出来る。
そのような特別な理由がなければ(、つまり、「労働者の請求した時季に有給休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げる場合」などの理由がなければ)、単に請求された日から有給休暇の休日をずらさせる事はできず、つまり、原則として使用者は、労働者の請求する時季に有給休暇を与えなければならない。
範囲外: 労働報酬を完全平等にするのは不可能だろう
編集人間のあつかいを、すべてを平等にするのは、原理的に不可能である。
たとえば、会社内で、だれかに手厚い報酬(ほうしゅう)を与えようとすると、他の誰かから、そのぶんのお金を、負担させることになる。
じつは、中学社会科の公民分野で、このことを習っている。『中学校社会 公民/現代社会をとらえる見方や考え方』という単元だ。
たとえば、校庭が耐震工事のため、校庭の敷地が半分ほど使えず、大会1ヶ月前の運動部が困っている、という事例があるとする。
残り半分を、サッカー部と野球部とソフトボール部と陸上部と、・・・といった、屋外競技の部活が、みんなで等分して敷地を使ったとする。
こうした場合でも、バスケ部などの屋内競技の部活では、敷地を今までどおりに目一杯使えるのに、しかし(サッカー部などの)屋外競技の部活では今までどおりには敷地を使えないという不平等が発生する。
かといって、では、屋外競技の部活も、今までどおりに敷地を使えるように、土地を外部から借りるなどして、新しい敷地を確保したとすると、今度は、屋外競技のために膨大な予算が投入されることになり、不平等である。もし公立学校なら、特定の学校の、しかもその学校の特定の部活のためだけに税金が投入されることになってしまう。
このように、けっして、すべてを平等にすることはできない。
- ※ 哲学の格言で「最大多数の最大幸福」という格言があるが、じつは数学的には、これは不可能、または困難である。つまり一般に、ベクトル関数のように値が2次元以上の連続関数を、すべての値を同時に最大値にすることは、普通は無理である。証明の概略をいうと、背理法(はいりほう)を使えばいい。もしベクトル値のそれぞれの次元がすべて同時に最大化できたり最小化できたりしたら、そもそも(ベクトル関数ではなく)スカラー関数になってしまう。(※ 特殊な形の関数なら、たまたま同時にいくつかの次元を最大化できる場合もありうるが、しかし、あくまで、たまたまその関数がそうだっただけである。必ずしも、すべての関数がそうではないし、むしろ、そうでない関数のほうが通常である。)
- ※ これ(「最大多数の最大幸福」という格言があるが、じつは数学的には不可能)は経済学者の故・小室直樹が著書で主張してることである。べつにwikibooks著者のオリジナルではない。
会社の話にもどろう。
すべての従業員の賃金を、労働に応じて平等にしたとしよう。この場合でも、株主などの(その会社への)投資家と、その会社にやとわれてる労働者とのあいだに、報酬のちがいは残る。たとえばもし、ある中小企業で、その会社では株主に報酬が支払われないとし、その株を買っても株主の権利をつかえない特約つきで、経営権も握れないなど特約付きの株なら、だれも、その会社のその株には投資しない。
また、もし、報酬が一切もらえないのに(もちろん株主の権利を行使できない特約付き)、その会社へのその株の投資を強制されたら、それは単に、「押し売り」が形を変えただけである。株式を使った「押し売り」であり、新手の詐欺商法にすぎない。
霊感商法で、価値のひくい置き物を、「買わないとタタリがある!」と言って高額で買わせるのが反社会的なのと同様に、「株主への配当(はいとう)報酬はゼロだが、この株を買わないと批判するぞ!」と言うのは、反社会的であり、単なる詐欺商法だろう。
だから、投資家の権利を認めなくてはいけない。なので原則的に、投資家と労働者との、労働時間あたりの所得の差は、かならず残る。
すると、会社内でも、社長のような、株主に依頼されて投資の判断を任されている役職の者も、必然的に、労働時間あたりの所得の差は、高くなる。(もし、そうでないとすると(社長なのに報酬が低いとすると)、いわば「名ばかり社長」の可能性がある。「名ばかり管理職」の社長バージョンにすぎない。)
さて、株主配当と社長の給料を高くしたとすると、必然的に、そのぶん、他の従業員の給料は下がる。
自分の会社の従業員の給料をあげようとすると、そのぶん、消費者や取り引き先に、高い商品を売る必要がある。すると、今度は、生産者と消費者との格差が発生する。
また、自分の会社の従業員の給料のもとになるお金を稼ぐために、下請け企業からは安く原材料を労働を買いたたく必要がある。
すると、今度は、大企業と中小企業との格差が発生する。
「下請けの中小企業も系列企業だから高額報酬を守ろう」としても、さらに規模の小さい零細(れいさい)企業から原材料や労働を買いたたくことになるだけか、でなければ発展途上国などから原材料や労働を安く買いたたくだけである。あるいは、アルバイトや派遣社員の労働が、買い叩かれるのかもしれない。
どうあがいても、ある程度の格差は発生するのだ。
労働法は、このように、どうしても格差が発生する社会のなかで、「それでも最低限は、これこれの規則(最低賃金以上を払え。強制労働は禁止、・・・など)を守れ」という法律なのである。
範囲外: 正社員は終身雇用ではない
編集法律では、正社員は終身雇用ではないです。しかし裁判の判例などにより、会社の業績悪化などの事態がないと、大企業の場合は、自社の正社員すら、簡単には解雇できないのが実情です。
実態は、「終身雇用」ではなく、大企業に対する(裁判の判例などによる)「解雇規制」です。
過去に、裁判の判例などで、大企業の正社員の解雇についての判例を中心に、正社員に有利と思われる判例があります。会社が人員削減をする場合、まず先にバイトや派遣社員を削減することを求めるような判例です。しかし、だからといって、正社員が終身雇用なわけではないのです。混同しないようにしましょう。
いっぽう、経済評論などを読むと、企業の正社員は、あたかも、会社が倒産しそうにないかぎり解雇されないかのように主張している評論家がいます。しかし、そのような評論は不正確です。
実際、1980年代末のバブル崩壊後、1990年代から2005年にかけて、大企業では、大幅な正社員の人員削減が行われました。
また、リーマンショックの後にも、その会社のさまざまな事業が、事業撤退により廃止され、それにともない、多くの正社員が解雇され失業しました。
また、不況でない時に、ある社員たちがマジメに働いていて、会社に利益もあげていて、転勤などにも応じて、会社の業績もいいのに、その社員たちが労働組合に入っている社員ばかりを解雇したら、裁判などで「不当解雇だ」などと訴訟される可能性もあるし、裁判で会社側が負ける可能性もあります。(おそらく、このような判例を一部の評論家が「裁判所が企業に終身雇用を命令したものだ」と誤解しているのだろう。なお、労働組合に加入することを経営者が妨害するのは、欧米でも違法であり、企業側が裁判で負けるだろう。)
しかし、その事(正社員と非正規社員との格差の実態)と、正社員が終身雇用であるかどうかは、まったくの別です。
ともかく、日本では、法律上でも実態でも、正社員は終身雇用ではないのです。
大企業などで、倒産の危機でないかぎり正社員を解雇したがらないのは、単にその企業が自主的に、そう行っているだけです。また、そのような大企業では、そのぶん、正社員の雇用を減らしています。
中小企業では、倒産の危機でなくても、経営のさらなる合理化のために、正社員を解雇する事もあります。