高等学校国語総合/伊勢物語
伊勢物語とは、
歌物語(うたものがたり)。作者不詳。平安時代に成立だが、くわしい成立年は不詳。主人公は、在原業平(ありわらの なりひら)らしい人物であり、伊勢物語全体として業平の一代記のような構成になっている。業平は皇族出身なので、高貴な出自だが、いろんな女性に手をだしすぎて、評判が悪くなり、都にいづらくなり、地方にくだっていった。業平は、今で言うところの、いわゆるプレイボーイである。
伊勢物語の全体として、恋愛にちなんだ話が多い。 伊勢物語の段数は約百二十五段からなり、和歌を約二百首ふくむ。各章段が和歌を中心とした、独立した短い物語になっている。
『古今和歌集』の成立(905年)の以前に『伊勢物語』の原型は成立したが、『古今和歌集』以降にも追記されている。
在原業平は『古今和歌集』での代表的な歌人の一人になっている。
「東下り」(あずまくだり)・「芥川」(あくたがわ)などは、業平をもとにしていると考えられる。だが「筒井筒」(つついづつ)は、べつの庶民をもとにしたと考えられている。
※ 教科書では、とくに「東下り」が代表的な作品である。「東下り」は、詠まれた歌も多いので歌物語としての伊勢物語の教材に適切だし、業平のエピソードだし、当時の京都以外の様子も分かり、なかなか教育的である。
業平の官位が「五位の中将」(ごいのちゅうじょう)なので、ほかの古典作品では業平のことを「在中将」(ざいのちゅうじょう)とか「在五中将」(ざいごちゅうじょう)とかと言い、伊勢物語のことを「在五物語」(ざいごものがたり)などと言う。
- ※ この記事での作品の順序は、重要度の順であり、原著の順ではない。また、抜粋であり、この記事のほかにも多くの作品がある。原著での順番は、 芥川 → 東下り → 筒井筒 の順。
- 「東下り」と「筒井筒」が特に重要であるので、読者に時間の無いときは、この「東下り」「筒井筒」を優先して勉強すること。「芥川」も、やや重要度が高い。なぜなら「芥川」に、在原業平のプレイボーイとしてのエピソードが書かれているからである。業平はプレイボーイとしてのスキャンダルなどが結果で、京都に住みづらくなり、なので東国に下ることになったのである。この東国に下ったときのエピソードを元にした歌物語が「東下り」である。
東下り
編集- 作品解説
この話は、在原業平(ありわらの なりひら)が京を追われた史実を参考にした物語だろうと考えられている。
- 大意
昔、京に住んでいた男が、いろいろあって、京から出て行く気になったので、東国に移り住もうと旅をした。主人公の男は、べつに京が嫌いなのではなく、京には友人やら恋人などもいて恋しいが、なにか京には居づらい事が男にあったようだ。主人公の男は、旅のため、古くからの友人の一人か二人とともに、旅に出て、東国に下って行った。
旅のなか、主人公の男は、いくつかの和歌を詠んだ。和歌の内容は、たいていは、京の都に残してきた妻・恋人を恋いしんだ和歌であるが、ときどき旅の途中で見た目づらしい物を和歌に読み込んだ和歌を作る場合もある。
和歌の出来は良かったし、一行の者どもは京や恋人が恋しいので、一行の心にひびいたので、それぞれの和歌を詠んだあとの場面で、旅の一行は感動したり涙したりした。
一:かきつばた
編集- 大意
昔、京に住んでいた男が、いろいろあって、京から出て行く気になったので、東国に移り住もうと旅をした。古くからの友人の一人か二人とともに旅に出た。 三河の国の八橋で、かきつばたの花が咲いていたので、折句(おりく、技法の一つ)で「か・き・つ・ば・た」を句頭に読み込んだ和歌を主人公の男が詠んだ。
和歌の内容は、都に残してきた妻を恋しく思う和歌である。
一行は感動し、涙を流すほどであり、ちょうどそのとき食べていた乾飯が、涙でふやけてしまうほどの素晴らしい出来の和歌だったという。
- 本文/現代語訳
昔、男ありけり。その男、身を要(えう)なきものに思ひなして、「京にはあらじ、東の方(かた)に住むべき国求めに。」とて行きけり。もとより友とする人、一人、二人して行きけり。道知れる人もなくて惑ひ(まどい)行きけり。三河(みかは、ミカワ)の国八橋(やつはし)といふ所に至りぬ。そこを八橋と言ひけるは、水ゆく川の蜘蛛手(くもで)なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ八橋といひける。 その沢のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯(かれいひ、カレイイ)食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。 それを見て ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字(いつもじ)を句の上(かみ)に据ゑて 旅の心をよめ。」 と 言ひければ、よめる。
とよめりければ、みな人、乾飯の上に涙落としてほとびにけり。 |
昔、(ある)男がいた。その男は、わが身を役に立たないものと思い込んで、「京には、おるまい、東国のほうに住める国を探しに(行こう)。」と思って出かけた。以前から友人とする者一人二人といっしょに出かけた。(一行の中には)道を知ってる人もいなくて、迷いながら行った。 三河(みかわ)の国の八橋(やつはし)という所についた。そこを八橋といったのは(=「八橋」という理由は)、水の流れているのがクモの足のように八方に分かれているので、橋を八つ渡してあるので八橋といった(のである)。(一行は、)その沢のほとりの木陰に、(馬から)下りて座って、乾飯(かれいい)を食べた。 その沢に、かきつばたがたいそう美しく(=または「趣深く」と訳す)咲いていた。ある人が言うには、「かきつばたという五文字を和歌の句の上に置いて、旅の心を詠め。」と言ったので、(主人公の)男が詠んだ。
と詠んだので、一行は皆、乾飯の上に涙を落として、(乾飯が涙で)ふやけてしまった。 |
- 語句(重要)
- ・思ひなして - 思い込んで。
- ・あらじ - おるまい。ここでは「住むまい」。「じ」は打消の助動詞。「・・・じ」で意味は「・・・まい」(「・・・をするまい」)と訳す。
- ・句の上に据ゑて - 和歌の五・七・五・七・七の各句の上に文字を置いて歌を詠む手法。このような技巧を折句(おりく)と言う。
- 唐衣の句について(重要)
- ・「唐衣」(からころも)は枕詞(まくらことば)であり、「着」に掛かる。「唐衣」の本来の意味は、中国風の着物である。「唐衣」は、衣服の美称としても用いられる。
- ・「唐衣着つつ」は序言葉であり、「なれ」を導く。
- ※ 序言葉と枕詞の違い。
- 序言葉は、冒頭の五・七の十二音以上で、たいてい文脈上の意味があるので、口語訳では訳さなければいけない場合が多い。
- いっぽう、枕詞は、冒頭の五音(または冒頭の四音)で、リズミカルにするためのものであり、たいてい、あまり意味が無く、訳さない場合もある。
- ※ 序言葉と枕詞の違い。
- ・「着」と「来」を掛けている掛詞(かけことば)。
- ・「はるばる」は、副詞「遥遥」(はるばる)と動詞「張る張る」との掛詞。ここでの「張る」とは、衣を張ること。
- ・「褄」と「妻」が掛詞。「着」「なれ」「褄」「張る」は、「衣」の縁語。
「唐衣(からころも) きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」は、このように重要であり、また有名なので、読者は、この句をまるごと全部、覚えてしまっても良い。
- 語句
- ・三河の国 - 現在の愛知県の東部。
- ・八橋 - 現在の愛知県の知立(ちりゅう)市、八橋。
- ・蜘蛛手(くもで) - クモの脚のように水流などが四方八方に分かれるさま。
- ・乾飯 - 携帯用の干した飯。水や湯で戻してから食べる。
- ・かきつばた - アヤメ科の植物。
二
編集- 大意
駿河の国の宇津で、顔見知りの修行僧に出会ったので、手紙をことづけた。都にいる恋人への手紙である。
和歌を合計で二つ作った。
一つ目の和歌の内容は、宇津にちなんで、現(うつつ)と夢について、妻が夢ですら会えないことを、さびしんだ歌である。
二つ目の和歌は、富士山を見ると、もう五月の下旬だというのに、まだ雪が残ってることに男はおどろき、その富士の雪についての和歌を詠んだ。二つ目の和歌では妻のことなどは詠んでいない。
- 本文/現代語訳
行き行きて、駿河(するが)の国にいたりぬ。 宇津(うつ)の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗きに、蔦(つた)・楓(かへで、カエデ)は茂り、もの心細く すずろなる目を見ることと思ふに修行者(すぎょうざ)会ひたり。 「かかる道はいかでかいまする。」と言ふを見れば、見し人なりけり。 京に、その人の御(おほん、オオン)もとにとて、文(ふみ)書きてつく。
富士の山を見れば、五月(さつき)のつごもりに、雪いと白う降れり。
その山は、ここにたとへば、比叡(ひえ)の山を二十(はたち)ばかり重ね上げたらむほどして、なりは塩尻(しおじり)のやうになむありける。 |
さらにどんどんと行き続けて、駿河の国に、たどり着いた。宇津の山に着いて、自分が(これから)分け入ろうとする道は、(木々が茂っているので)たいそう暗く(道も)狭い上に、蔦(つた)・楓(かえで)は茂り、 なんとなく心細く、思いがけない(つらい)目を見ることだろうと思っていると、(一行は)修行者に出会った。 「このような道に、どうして、おいでですか。」という人を見れば、(以前に京で)見知った人であった。 (なので、)京に(いる)、その人(=主人公の恋人、唐衣の句の妻)の所にと、手紙を書いて、ことづけた。
富士の山を見ると、五月の下旬(げじゅん)なのに、雪がたいそう白く降りつもっている。
その(富士)山は、ここ(京)にたとえれば、比叡山を二十ほど重ね上げたようなくらい(の高さ)で、形は塩尻のようであった。 |
- 語句(重要)
- ・すずろなる - 思いがけない。
- ・つごもり - 月の終わり。「つきごもり」(「月篭り」)の変化したもの。
- ・うつつ - 現実。
- ・「うつつにも 夢にも人の あはぬなりけり」 - 当時は恋しい人などを強く思っていると、相手の夢に自分が現れると考えられていた。「もう、恋人(妻)は自分のことなど忘れているのだろうなあ」と嘆いているという解釈が通釈。
- ここにたとへば - 京で例えれば。著者から見た視点であり、著者が京または京の近くに住んでいる。
- 語句
- ・駿河の国 - 現在の静岡県の中央部。
- ・宇津の山 - 現在の静岡県にある宇津ノ野(うつのや)峠。
- ・修行者 - 仏道修行のため、諸国をめぐり歩く僧侶。
- ・鹿子(かのこ)まだら - 茶褐色に、白い斑点(はんて)があるような状態。
- ・比叡(ひえ)の山 - 現在の京都と滋賀県の境にある山。
三:みやこどり
編集- 大意
武蔵・下総の国のあたりにつき、一行は、すみだ川を舟で渡ろうとするとき、見かけない鳥を見たので、渡し主に聞いたところ「都鳥」(みやこどり)だというらしい。
男は和歌を詠んだ。
- 都鳥よ、その名を持っているなら問おう、京に残してきた私の思い人(恋人・妻のこと)は、元気で無事でいるかと。
一行は京が恋しいし恋人も恋しいので、一行は涙を流して、一行は皆泣いた。
- 本文/現代語訳
なほ行き行きて、武蔵(むさし)の国と下総(しもつふさ)の国との中に、いと大きなる川あり。それをすみだ河といふ。その河のほとりに群れゐて、「思ひやれば、限りなく遠くも来(き)にけるかな。」とわび合へるに、渡し守、「はや舟に乗れ。日も暮れぬ。」と言ふに、乗りて渡らむとするに、 みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さる折りしも(おりしも)、白き鳥の、嘴(はし)と脚と赤き、鴫(しぎ)の大きさなる、水の上に遊びつつ魚(いを、イオ)を喰ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡守に問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、
と詠めりければ、舟こぞりて泣きにけり。 |
さらにどんどんと行って、武蔵の国と下総の国との中に、大きな川がある。その川を隅田川(すみだがわ)という。その川のほとりに一行が集まって座って、「(都のことを)思えば、とても遠くに来たものだなあ。」と互いに嘆きあっていると、渡し守が「早く舟に乗れ。日も暮れてしまう。」というので、(舟に)乗って(川を)渡ろうとするが、(一行の者は)みな何となくさびしくて、(というのも)都に(恋しく)思う人がいないわけでもない。(=都に恋しい人がいる。) ちょうどその時、(都鳥があらわれ、)白い鳥でくちばしと脚とが赤い、鴫ほどの大きさである鳥が、水の上で気ままに動きながら魚を(捕って)食べている。京では見かけない鳥なので、(渡し守を除いて)一行の人は誰も知らない。渡し守に(この鳥のことを)尋ねると、「これこそが(有名な)都鳥(だよ)。」と言うのを(一行は)聞いて、
と詠んだので、舟の上の一行は皆(感極まり)泣いてしまった。 |
(第九段)
「限りなく」: 市販の単語集によっては「この上なく」のような意味だと解説されている。だが教科書ガイドではもっとシンプルに「とても」などと訳している書籍もある。けっして「限界がない」という意味ではない。単語集によっては「限りなく」を紹介してない場合もあるので、あまり気にする必要はない。「限界がない」わけではないという常識的な読解と、強調表現であることがわかれば、それで十分だろう。
- 語句
- ・わびあへる - 「わぶ」の意味は、ここでは「嘆く」(なげく)。「わびあへる」の意味は、「嘆きあっている」。「わぶ」には他にも多くの意味があり、「悩む」「わびさびを感じる」「謝る・わびる」などの意味もある。
- もの わびしく - なんとなく寂しい。「わびし」の意味が、寂しい。「もの」が、何となく。形容詞「わびし」は、動詞「わぶ」が元になっている。「わびし」の意味は、ほかにも「貧しい」「つらい」などの意味がある。
- ・遊びつつ - 自由に動き回る、気ままに動き回る、などの意味。
- これなむ都鳥 - 係助詞「なむ」があるので、係り結びになるはずだが、結び(「なる」など)が省略されている。係り結びに関わらず、体言で終わらす手法を「体言止め」(たいげんどめ)と言う。余韻をふくませるためなどに、体言止めを用いる。
- ・名にし負はば - 未然形+助詞「ば」で仮定を表す。名前に持っているならば。
- 語句(地名など)
- ・武蔵(むさし)の国 - 現在の東京都・埼玉県と神奈川県の一部。
- ・下総(しもつふさ)の国 - 現在の千葉県北部と茨城県の南部。
- ・すみだ河 - 現在の東京都の東部を流れる隅田川(すみだがわ)。
- ・都鳥- カモメ科のユリカモメの別名と思われている。
品詞分解
編集一:かきつばた
編集昔、男 あり(ラ変・連用) けり(助動詞・過去・終止)。 そ(代名詞) の(格助詞) 男、 身 を(格助詞) 要なき(ク活用・連体) もの に(格助) 思ひなし(四段・連用) て(接続助詞) 、「京 に(格助) は(係助) あら(ラ変・未然) じ(助動詞・打消し・終止) 、東 の(格助) 方 に(格助) 住む(四段・終止) べき(助動詞・適当・連体) 国 求め(下二段・連用) に(格助)。」と(格助) て(接続助詞) 行き(四・用) けり(助動・過・終)。 もとより(副詞) 友 と(格助) する(サ変・体) 人、 一人 、二人 して(格助) 行き(四・用) けり(助動・過・終)。 道 知れ(四・已然) る(助動・存続・連体) 人 も(係助詞) なく(ク・用) て(接助) 惑ひ行き(四・用) けり(助動・過・終)。 三河の国 八橋 と(格助) いふ(四・体) 所 に(格助) 至り(四・用) ぬ(助動・完了・終止)。 そこ(代名詞) を(格助) 八橋 と(格助) 言ひ(四・用) ける(助動・過・体) は(係助詞)、 水 ゆく(四・体) 川 の(格助) 蜘蛛手 なれ(助動・断定・已然) ば(接助)、 橋 を(格助) 八つ 渡せ(四・已然) る(助動・存続・体) に(格助) より(四・用) て(接助) なむ(係助詞、係り) 八橋 と(格助) いひ(四・用) ける(助動・過・体)。
そ(代名詞) の(格助) 沢 の(格助) ほとり の(格助) 木 の(格助) 陰 に(格助) 下りゐ(上一段・連用) て(接助)、 乾飯 食ひ(四・用) けり(助動・過・終)。 そ(代名詞) の(格助) 沢 に(格助) かきつばた いと(副詞) おもしろく(ク・用) 咲き(四・用) たり(助動・存続・終)。 それ(代名詞) を(格助) 見(上一段・連用) て(接助) ある(連体詞) 人 の(格助) いはく(連語)、「かきつばた と(格助) いふ(四・体) 五文字 を(格助) 句 の(格助) 上 に(格助) 据ゑ(下二段・連用) て(接助) 旅 の(格助) 心 を(格助) よめ(四段・命令)。」 と(格助) 言ひ(四・用) けれ(助動・過去・已然) ば(接助)、よめ(四・已然) る(助動・完了・連体)。
- 唐衣 き(上一段・連用) つつ(接助) なれ(下二・連用) に(助動・完了・用) し(助動・過去・体) つま し(副詞) あれ(ラ変・已然) ば(接助) はるばる き(カ変・用) ぬる(助動・完了・体) 旅 を(格助) し(副助詞) ぞ(係り助詞、係り) 思ふ(四・体・結び)
と(格助) よめ(四・已然) り(助動・完了・用) けれ(助動・過去・已然) ば(接助)、 みな人、 乾飯 の(格助) 上 に(格助) 涙 落とし(四・用) て(接助) ほとび(上二段・用) に(助動・完了・用) けり(助動・過去・終止)。
二
編集三
編集筒井筒(つつゐづつ)
編集- 作品解説
この話は、在原業平ではなく、べつの無名の商人などの庶民や地方官などの恋愛話だと思われている。
- 概要
ある夫婦の、夫が、ほかの新しい女と結婚した。(当時は一夫多妻制だったので合法。なので、べつに浮気や不倫ではない。) しかし、最終的に、もとの妻と夫とが夫婦のヨリを戻した。この元の妻との夫婦愛を、伊勢物語の作者が夫の過去の心変わりを棚に上げて、もとの妻の一途さを美談に仕立て上げただけである。 当然、新しい女のほうの一途は思いは、夫には無視をされている。
そもそも、夫が他の女と結婚したことが発端なのだが、夫は、そういうことは気にしてないようだ。
伊勢物語の作者は、いちおう、新しい女のほうが詠んだ和歌なども紹介している。
- 大意
ある一組の男女がいて、結婚した。
結婚後、妻の親が死んで、妻の家が貧乏になった。夫は貧乏が嫌なので、べつの女のところへ通うようになった。
(当時は女の実家の親が、男の経済的な収入の世話をしていた。また、当時は一夫多妻制なので、複数の女との結婚は合法。なので、べつに不倫ではない。なので、女の親が死んで、夫の生活が貧しくなるのである。)
しかし、妻が不快なそぶりを見せないので、夫は浮気を疑った。なので、妻の本音を見ようと、出かけたふりをして庭の植え込みに隠れて妻の様子を見た。
妻は和歌を詠み、隠れて聞いていた夫は感動したので、この妻を大切にしようと思い、もう新しい女のところへは通わなくなった。
いっぽう、べつの場所の新しい女のほうは、男からは見捨てられ、さんざんである。だが伊勢物語の作者から言わせれば、ぜんぜん新しいほうの女に同情していない。作者が言うには、新しい女の振る舞いが奥ゆかしくないからだとか、たしなみが足りないだとか、新しい女は、さんざんの言われようである。
一
編集- 大意
小さいころから仲の良かった男女がいたが、ついに結婚をした。先にプロポーズ(求婚のこと)したのは男の側(がわ)。 この章では、プロポーズの意味の和歌が書かれている。
プロポーズの和歌をやりとりの後、すぐに結婚できたかどうかは定かではないが、ともかく、この男女は最終的に結婚した。
- 本文/現代語訳
昔、田舎(いなか)わたらひしける人の子ども、井のもとに出でて(いでて)遊びけるを、大人(おとな)になりにければ、男も女も恥ぢかはしてありけれど、男はこの女をこそ得めと思ふ。女はこの男をと思ひつつ、親のあはすれども、聞かで なむありける。さて、この隣の男のもとより、かくなむ、
女、返し、
など言ひ言ひて、つひに本意(ほい)のごとくあひにけり。 |
昔、田舎で暮らしていた人の子供たちが、井戸の周りで遊んでいたが、大人になったので男も女も互いに(たがいに)恥かしがったが、男はこの女をぜひ妻にしようと思い、女はこの男を(ぜひ夫にしよう)と思いながら(暮らしていて)、親が(他の人と)結婚させようとするけれど聞き入れないでいた。 そして、この隣に住む男のところから、このように(歌を言ってきた)。
女の返歌は、
などと言い合って、(それから、)ついに(二人は)本来の望みどおりに 結婚をした。 |
- 語句(重要)
- 田舎(いなか)わたらひ - 田舎で生計を立てて暮らすこと。
この作品の主人公の家についての説には、 1:商人で田舎で行商をしている。 2:地方官 などの説がある。
- ・恥ぢかはして - お互いに恥ずかしがって。「・・・かはし」の意味は「互いに・・・しあう」。
- ・この女をこそ得め - 「こそ」と「得め」が係り結びになってる。「得め」は已然形。「こそ」は係助詞で強意を表す。「この女こそ、結婚するべき女だ」というような意味。
- ・この男を - 後ろに「こそ得め」などが省略されている。
- ・あはす - 結婚させる。
- ・聞かで - 聞かないで。「・・・で」は打消(うちけし)の接続助詞。
- ・なむありける - 係り結び。「ける」は助動詞「けり」の連体形。「なむ」が係助詞。
- ・かくなむ - このように。後ろに「言ひおこせる」などを補って訳す。
- ・まろ - 私。自称の代名詞。
- ・妹(いも) - 男が女を慣れ親しんで呼ぶ、呼び名。
- ・本意(ほい) - 念願かなって。本来の望みどおりに。「ほんい」の撥音「ん」が表記されない形。
- ・あひにけり - 結婚した。(この時代、男女は結婚の直前まで会えなかったので、男女が会う・合う事は結婚を意味する。)
- 語句
- ・振り分け髪 - この時代の子供の髪型の一つ。長い髪を左右に分けておろし、肩のあたりで切りそろえる。
- ・筒井 - 井戸の本体であり、円状に掘った井戸のこと。
- ・井筒 - 井戸の囲い。井戸の地上部分の囲い。
- ・(井筒に)かけし - (井筒で)測り比べた。
二
編集- 大意
夫婦の女の親が死んで、女が貧乏になったので、男は別の女のところへと通うようになった。
もとの女(妻)が不快な様子も見せないので、男は、もとの女の浮気を疑い、出かけたふりをして植え込みに隠れて、もとの女の様子を見た。
もとの女は気づかず、男を恋しく思い和歌を詠んだ。
男は感動した。
- 本文/現代語訳
さて、年ごろ経る(ふる)ほどに、女、親なく、頼りなくなるままに、もろともにいふかひなくてあらむやはとて、河内(かふち)の国高安(たかやす)の郡(こほり、コオリ)に、行き通ふ所いできにけり。さりけれど、このもとの女、「悪し。」(あし)と思へる気色(けしき)もなくて、いだしやりければ、男、「異心(ことごころ)ありてかかるにやあらむ。」と思ひ疑ひて、前栽(せんざい)の中に隠れゐて、河内へ往ぬる顔にて見れば、この女、いとよう化粧(けさう、ケショウ)じて、うち眺めて(ながめて)、
と詠み(よみ)けるを聞きて、限りなくかなしと思ひて、河内へも行かずなりにけり。
|
さて、それから数年がたつうちに、女の親が死んで、女は生活のよりどころ(=財産など)がなくなり、(男が思ったのは)夫婦いっしょに貧しくいられようか(、いやおられない、)と(男は)思い、(男は別の女に通ってしまようになり、)河内の国の高安の郡に行き通う所が出来てしまった。 そうでありながら、もとの女は不快に思ってる様子が無いので、男はこのもとの女が浮気をしてるのではと疑わしく思ったので、(男は)庭の植え込みの中に隠れて、河内に行ったふりをして、女の様子を見ると、女はたいそう美しい化粧をして物思いにぼんやりと外を眺めて(和歌を詠み)
と詠んだのを(男は)聞いて、(男は)このうえもなく(女を)いとしいと思い、河内(の女の所)へも行かなくなった。 |
- 語句(重要)
- ・もろともに - いっしょに
- ・さりけれど - そうではあるけれど。「さありけれど」。ここでの「さ」の内容は、男が河内の女に通うようになったこと。
- ・気色(けしき)- 態度、ありさま、そぶり、振る舞い、様子。
- ・異心(ことごころ) - 浮気心。
- ・たつた山 - 現在の奈良県にある龍田山。この和歌では動詞「立つ」と掛けている。
- ・風吹けば沖つ白波 - 序言葉であり、「たつた山」を導く。
- ・かなし - ここでは「いとしい」の意味。
- 語句
- ・河内 - 現在の大阪府の南部。
三
編集- 大意
新しい女のほうは、はじめのころこそ奥ゆかしかったが、仲が慣れていくうちに気をゆるして、女は、たしなみが無くなり、なので男は幻滅した。 新しい女のほうも和歌を詠んだり手紙をよこしたりしたが、もう、男は通わなかった。
- 本文/現代語訳
まれまれかの高安に来てみれば、初めこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づから飯匙(いひがひ、イイガイ)取りて、笥子(けこ)のうつはものに盛りけるを見て、心憂がりて(うがりて)行かずなりにけり。さりければ、かの女、大和の方(かた)を見やりて、
と言ひて見出だす(みいだす)に、からうじて、大和人(やまとびと)、「来む。」(こむ)と言へり。喜びて待つに、たびたび過ぎぬれば、
と言ひけれど、男住まず(すまず)なりにけり。 |
ごく稀(まれ)に、あの高安(の女の所)に来てみると、女は始めのころは奥ゆかしく取り繕っていたけれども、今では気を許して、(食事のときには、女が)自分の手でしゃもじを取ってご飯を食器に盛ったのを(男は)見て、嫌気がさして(高安の女の所に)行かなくなってしまった。 そうなったので、あの(高安の)女は、大和のほうを見やって、
と歌を詠んで外を見やると、やっとのこと、大和の人(男)が「行こう」と言った。 (高安の女は)喜んで待つが、(しかし、男は訪れず、女は使いをよこすが、男は)何度も来ないで、(月日が)過ぎてしまった。
と言ったが(=歌を詠んだけれども)、男は(河内の女の所には)行かなくなってしまった。 |
(第二十三段)
- 語句(重要)
- ・まれまれ - ごくまれに。たまに。ときたま。
- ・つくりけれ - 逆接で訳す。「けれ」は係り結びの結びだが、ここでは逆接に訳さないと、文脈の意味が通らない。
- ・心にくく - ここでは「奥ゆかしく」。
- ・手づから - 自分の手で。
- ・心憂がりて(うがりて) - 嫌に思って。嫌気が差して。「心憂し」(こころうし)の変化した形。
- ・ 雲な隠しそ - 「な・・・そ」で禁止を表す。「雲よ、隠すな」の意味。
- ・からうじて(かろうじて) - 副詞「からくして」のウ音便。意味は「やっとのことで」、「ようやく」。副詞のかかる先は「言へり」。
- ・ 頼まぬものの - 意味は「もう、あてにはしないけれど」。「頼む」の意味は「あてにする」。「ものの」は逆接の接続助詞。
- ・住まずになりにけり - ここでの意味は、河内の女の家に行かないこと。「住」とあるのは、おそらく、河内の女の家に行って寝泊りしないことか。
- 語句
- ・飯匙(いいがい) - しゃもじ。
- ・笥子(けこ)のうつはもの - 食器。
- ・大和 - 現在の奈良県。
品詞分解
編集芥川(あくたがは)
編集- 作品解説
業平が藤原高子に手を出した話をもとにしてると思われる。
- 大意
平安時代の昔、ある男が、高貴な女に恋をして、その女を盗みだしてきて、芥川のほとりまで逃げてきた。夜もふけ雷雨になり、男は荒れた蔵に女を押し込んだ。男は戸口で見張りをしている。 しかし、女は鬼に食われてしまう。男は悲しんだ。
本当は、盗み出した女を、女の兄たちが取り返しにきたのを、鬼と言い換えている。
男は歌を詠んだ。その歌の内容は、逃げていた途中に、女が露を見て、あれは何か、真珠かとたずねていたが、このときに自分も露のように消えてしまえば良かったのに、という歌である。
この歌では、女は高貴なため箱入り娘なので、露を知らない。
一
編集- 本文/現代語訳
昔、男ありけり。女の、え得(う)まじかりけるを、年を経て(としをへて)よばひ(イ)わたりけるを、辛うじて(かろうじて)盗み出でて、いと暗きに来けり。芥川といふ川を率て行きければ、草の上に置きたりける露を、 「かれは何ぞ。」 となむ男に問ひける。行く先遠く、夜も更けにければ、鬼ある所(ところ)とも知らで、神(かみ)さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥におし入れて、男、弓・胡簶(やなぐひ)を負ひて、戸口に居り(をり)。はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に喰ひてけり。 「あなや」 と言ひけれど、神鳴るさわぎに、え聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、みれば、率て(いて)来し(こし)女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。
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昔、男がいた。女で、妻にすることができそうもなかった(高貴な)女を、長年にわたって求婚してきたが、やっとのことで(その女を)盗み出して、たいそう暗い夜(の中)を(逃げて)きた。芥川という川(のほとりを)女を連れて行ったところ、草の上におりていた露を(女が)見て、「(光っている)あれは何か」と、男に尋ねた。 これから行く先(の道のり)も遠く、夜も更けてしまったので、(蔵に)鬼がいるとも'知らないで、雷'までも たいそう激しく鳴って、雨もひどく降ったので、荒れ果てた蔵(の中)に、女を奥に押し込んで、男は(見張りのため)弓と 胡簶(やなぐひ) を持って戸口におり、「早く夜も明けてほしい。」と思いながら座っていたところ、鬼がたちまち(女を)一口に食べてしまった。 (女は)「あれえ。」と悲鳴を上げたけれど、雷が鳴る騒がしい音のために(男は悲鳴を)聞くことが出来なかった。(なので、男は、女がいないことに、まだ気づいていない。) しだいに夜も明けてゆき、(男が蔵の中を)見れば、連れてきた女もいない。男は地だんだ(じだんだ)を踏んで泣いたが、どうしようもない。
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- 語句(重要)
- ・(女)の(え得まじかりける) 女で。「の」は助詞で、同格の助詞を表す。この文では「女で、手に入れることのできない女を」の意味。
- ・え得(う)まじかりける - 「え・・・(打消し)」で、・・・することが出来ない。「え」は副詞。この場合は、「手に入れることが出来ない。」または、「妻にすることが出来ない。」
- ・年を経て - 長年にわたって。
- ・よばひわたり - 求婚しつづけて。「よばひ」は言い寄るの意味。複合動詞で「よばふ」「わたる」。複合動詞の「・・・わたる」の意味は「・・・しつづける」。
- ・率て(いて)行きければ - 連れていったところ。
- ・知らで - 知らないで。「・・・で」は打消(うちけし)の接続助詞。
- ・神 - 雷(かみなり)。
- (神)さへ - 雷(かみなり)までも。
- ・いみじう - ひどく。たいそう。形容詞「いみじ」の連用形「いみじく」のウ音便。
- ・足ずり - くやしさとか悲しさのため、じだんだを踏むこと。
- ・かひなし - どうしようもない。
- ・白玉 - 真珠
- ・まし - 反実仮想の助動詞。「・・・だったら良かったのになあ」。「消えなましものを」の意味は、(自分も)「消えてしまえばよかったのになあ。」
- 「露」と「消ゆ」は縁語(えんご)。
- 語句
- ・芥川 - 詳細は不明。諸説あり。 1:大阪府高槻(たかつき)を流れる川。 2:ごみを捨てるための川。 3:架空の川。
- ・鬼 - もとは死者の霊という意味だが、怪物などの意味もある。
- ・やなぐい - 矢を入れて背負って持ち運ぶ道具。
二
編集
これは、二条の后(きさき)の、いとこの女御(にょうご)の御(おおん)もとに、仕う(つこう)まつるやうにて居(い)給へりけるを、 容貌(かたち)のいとめでたくおはしければ、盗みて負ひ(おひ)て出で(いで)たりけるを、 御兄人(せうと)、堀川の大臣(おとど)、太郎国経(たろうくにつね)の大納言、まだ下臈(げろう)にて内裏(うち)へ参り給ふに、 いみじう泣く人あるを聞きつけて、とどめて取り返し給うてけり。 それをかく鬼とは言ふなり。まだいと若うて、后のただにおはしける時とや。 |
これは(=この話は)、二条の后が、いとこの女御のお側(そば)に、お仕えするような形で、おいでになったのを、容貌がたいそう素晴らしくていらっしゃったので、(男が)盗んで背負って逃げたのであるが、(后の)兄上の堀川の大臣や、長男の国経の大納言が、まだ官位の低いときにいらっしゃたころに宮中に参上なさるときに、ひどく泣く人がいるので、(男を)引きとどめて(后を)取り返しなさったのであった。それをこのように鬼と言い伝えているのであった。まだ(后が)たいそう若く、后が入内(じゅだい)なさる前の、(まだ后になってない)普通の身分でいらっしゃった時のことだとか(いうことです)。 |
(第六段)
- 語句(重要)
- ・仕う(つこう)まつる - お仕えする。「仕う」の謙譲語。「仕へまつる」のウ音便。
- ・下臈(げろう) - 藤原国経(くにつね)。長良の長男。「太朗」は長男の意味。
- ・参り - 参上する。謙譲語。「行く」「来る」の謙譲語。
- ・(参り)給ふ - 参上なさる。「給ふ」は補助動詞で尊敬を表す。尊敬されているのは堀川の大臣(おとど)、および、太郎国経である。伊勢物語の作者が尊敬している。
- 語句
- ・二条の后 - 藤原長良(ふじわらのながら)の娘、高子(たかいこ)。
- ・堀川の大臣 - 藤原基経(もとつね)。長良の三男。太政大臣(だいじょうだいじん)。京の堀川に邸宅があった。
- ・太朗国経の大納言 - 藤原国経(くにつね)。長良の長男。「太朗」は長男の意味。
品詞分解
編集品詞分解
編集あづさ弓
編集おそらく伊勢物語の作者が想像して書いた話であり、べつに在原業平などの特定の人物を参考にはしてないだろうと思われている。
この話での「あづさ弓」は和歌の単なる枕詞や序言葉であり、べつに弓術などとは話が関係ない。
- 大意
女と仲の良かった男が、宮仕えに行った。三年後、男が宮仕えから帰ってきたが、女は新しい別の男と結婚の約束をしてしまっていた。ちょうど、最初の男が帰ってきた日が、新しい男と結婚するために枕をともにする日だった。
女が和歌で、もとの男に説明したので、もとの男も和歌を返して、そして男は帰ろうとした。さらに女は和歌を返したが、もとの男は帰っていってしまった。
女は追いかけたが、追いつけず、倒れてしまい、岩場に指の血で、悲しみをあらわす和歌を書き、自分の身が消えそうなぐらい悲しいことを和歌で書いた。
そして、女は本当に死んでしまった。
一
編集- 大意
女と仲の良かった男が、宮仕えに行った。三年後、男が宮仕えから帰ってきたが、女は新しい別の男と結婚の約束をしてしまっていた。ちょうど、最初の男が帰ってきた日が、新しい男と結婚するために新枕(にいまくら)する日だった。
もとの男が家の門をたたくが、女は門を開けず、女はかわりに和歌を詠んだ。
- 本文/現代語訳
昔、男、片田舎に住みけり。男、「宮仕えしに。」とて、別れ惜しみて行きにけるままに、三年(みとせ)来ざりければ、待ちわびたりけるに、いとねむごろに(ねんごろに)言ひける人に、「今宵(こよひ、コヨイ)あはむ。」と契りたりけるに、この男来たりけり。「この戸開け給へ」とたたきけれど、開けで、歌をなむよみて出だしたりける。 |
昔、(ある一人の)男が片田舎に住んでいた。男は宮仕えをするといって、女と別れを惜しんで、(男は)行ったまま、三年間戻ってこなかったので、女は待ちわびていたが、(そのころ)たいそう熱心に(女に)言い寄った人(=別の男)に、「結婚しましょう。」と約束してしまったところ、最初の男が(宮仕えから)帰ってきた。 (最初の男が)「この戸をあけてくれ」とたたくくけど、(女は)開けないで、歌を詠んで差し出した。 |
- 語句(重要)
- ・ねむごろに - 親切、熱心。
- ・あはむ - 動詞「あふ」(あう)の意味は、「結婚する」。
- ・開けで - あけないで。「・・・で」は打消の助詞。
- 語句
- ・宮仕へ - 都や貴族に仕える仕事。
二
編集- 大意
女は和歌で説明し、「今夜は、べつの男と結婚するために新枕する日なのですよ。」と説明した。
もとの男は和歌を返して、「新しい夫を愛しなさい。」と女に返した。
女は、和歌で「昔からあなたを愛しておりました。」と返すが、もとの男は帰っていってしまった。
女は追いかけたが、追いつけず、倒れてしまい、岩場に指の血で、悲しみをあらわす和歌を書き、自分の身が消えそうなぐらい悲しいことを和歌で書いた。
そして、女は本当に死んでしまった。
- 本文/現代語訳
と言ひ出だしたりければ、
と言ひて、去なむとしければ、女、
と言ひけれど、男、帰りにけり。女、いとかなしくて、後に立ちて追ひ行けど、え追ひつかで、清水のある所に伏しにけり。そこなりける岩に、指(および)の血して書きつけける。
と書きて、そこにいたづらになりにけり。 |
と(女は)言うと、(男は歌を返し)
と男は言って、帰ろうとしたら、女は(歌を返し)、
と(女は)言ったけれども、男は帰ってしまった。 女は、とても悲しくて、(去ってしまった男の)あとを追いかけたけれども、追いつくことができず、清水のある所に倒れ付してしまった。 そこにあった岩に、指(ゆび)の血で(和歌を)書きつけた。
と書いて、その場所で(女は)死んでしまった。 |
- 語句(重要)
- ・あらたまの - 単なる枕詞であり、「年」に係る(かかる)。
- ・指(および) - 「および」は指。 (※ 学校のテストでは、平仮名で「および」と書かれて出題される場合もあるので注意。)
- ・え追ひつかで - 「え・・・(打消し)」で、不可能の意味「・・・できない」の意味を表す。「え追ひつかで」の意味は「追いつくことが出来ない」「追いつけない」。ここでの「・・・で」は打消の助動詞。
- ・いたづらに なりにけり - 死んでしまった。
- 語句
- ・新枕 - 男女が始めて共寝すること。
- ・あづさ弓・ま弓・つき弓 - 梓(あずさ)・檀(まゆみ)・槻(つき)は、それぞれ弓の材質。ここでの「あずさ弓」は単なる和歌の序言葉であり、あまり意味は無い。
品詞分解
編集さらぬ別れ
編集恋愛の話ではなく、母と子の家族愛についての話である。
「さらぬ別れ」とは死別のこと。べつに、まだ、この親子は死んでないし、作中でも親子は死なない。
男とは在原業平のことであり、母とは伊登内親王(いとないしんのう)。
一
編集- 大意
昔、男がいた。母は皇女だった。大人になった男は、あまり母に会えなかった。年老いた母から手紙が来て、死ぬ前に会いたいという歌が書いてあった。 男も、母に長生きしてほしいという歌を詠んだ。
- 本文/現代語訳
昔、男ありけり。身は賤し(いやし)ながら、母なむ宮なりける。その母、長岡(ながおか)といふ所に住み給ひけり。子は京に宮仕へしければ、まうづ(もうず)としけれど、しばしばえまうでず。ひとつ子さへありければ、いとかなしうし給ひけり。さるに、十二月(しはす)ばかりに、とみの事とて、御文(ふみ)あり。おどろきて見れば、歌(うた)あり。
かの子、いたううち泣きて詠める。
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昔、男がいた。(男の)官位は低かったが、母は皇女であった。その母は長岡という所に住んでいらっしゃた。 子は京で宮仕えをしていたので、母のもとに参上しようとしたけれど、たびたびは参上できない。(男は、母の)一人っ子でさえあったので、たいへんかわいがっていらっしゃった。 そうしているうちに十二月ごろに、急な用事だといって、(母からの)お手紙があった。(男が)驚いて(手紙を)見ると、歌がある。
この子(=男)は、たいそう泣いて、歌を呼んだ。
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(第八十四段)
- 語句
- ・身は賤し(いやし)ながら 身分は低いけれど。官位は低いけれど。
- ・まうづ(もうず) - 参上する。謙譲語であり、「行く」「来る」の謙譲語。
- ・かなしうし - かわいがる。形容詞「かなし」の連体形「かなしく」のウ音便「かなしう」の後ろに、サ変動詞「す」の連用形「し」が付いた形。「かなしくし」のウ音便。
- ・えまうでず - 参上することができない。「え・・・ず(打消し)」の意味は「・・・できない」。
- ・さらぬ別れ - 避けることのできない別れ。死別のこと。
- ・見まくほしき - 見たい。会いたい。 動詞「見」 + 助動詞「ま」(助動詞「む」の古い形) + 接尾語「く」 + 形容詞「ほしき」(終止形「ほし」) 。「まくほし」が転じて助動詞「まほし」になったと考えられている。
- ・もがな - 希望を表す終助詞。
- 語句
- ・長岡 - 現在の京都府長岡のあたり。かつて都が長岡にあった。長岡京。784年(延暦3年)~794年(延暦13年)。桓武天皇によって長岡に遷都されていた。長岡京のあと、平安京に794年に遷都した。
- ・とみのこと - 急な用事。