国語便覧を読むと、作家の経歴などが書いてあるが、そういうのは高校生にとって、補助的な史料にすぎない。要点ではない。

明治時代 編集

正岡子規は、古今和歌集を見下した。「古今集は、くだらぬ集に有之候」とまで、正岡は、古今和歌集をこきおろしている。技巧に走っているだけの、しょうもない自己満足の句である、的な評価を古今和歌集に下した。

正岡の唱える「写実」や「写生」とは、そういう意味である。

また、この時代は句は「俳句」と呼ばれてるが、実は季語のはっきりしない作品もある。

正岡と交流のあった河東 碧梧桐(かわひがし へきごとう)は、季語を捨てた俳句を試みた。今では単なる「川柳」であるが、明治~大正の当時は、そういうのも俳句と呼んでいたのであった。

だから、明治時代の俳句ブームとは、じつは、川柳ブームでもある。なので現代日本の国語参考書の文学史のように、川柳を無視して俳句が流行したかのような解説は、マチガイである。(大学入試とかで「季語」を問うための、くだらない言説である。)

もっとも、歌人のみなが無季の俳句に賛成したわけではなく、正岡より30歳ほど若い水原秋桜子(しゅうおうし)は、無季に反対していた。


正岡のいう「写生」とは、べつに客観主義のことではないが、どういうわけか水原の時代には、俳句における客観主義が重視されてたようで、水原はその客観重視の風潮に反し、主観の重要性を主張した。


白樺派 編集

学校教科書は、大正時代の文学の傾向として、白樺派を取り上げている。白樺派の志賀直哉や、武者小路実篤、有島武雄を取り上げる。

しかし、教科書はウソをついており、白樺派は有島武雄を除いて、出版市場では売れてない。

大正時代に実際に売れた作家は、 島崎藤村、石川啄木、夏目漱石、有島武郎、谷崎純一郎

(※ 参考文献: 数研出版『プレミアムカラー国語便覧』、2018年)


志賀は、文学の同人サークル(白樺派)を作りあげたという組織の長としての能力は高かったが、残念ながら、志賀本人には小説の才能はなかったようだ。困ったことに、教科書や参考書では、志賀が文豪か何かのように紹介しているが。