高等学校国語総合/徒然草
作品解説
編集作者の兼好法師は、鎌倉時代の人物。
本名は、卜部兼良(うらべ かねよし)。
はじめは、卜部家が代々、朝廷に神職として仕えていたので、兼好法師も後二条天皇に仕えていたが、のちに兼好法師は出家した。
京都の「吉田」という場所に住んでいたので、吉田兼好(よしだけんこう)ともいう。
花は盛りに
編集一
編集- 大意
花や月は、花の咲いている頃や、夜空に曇りの無い月など、その時期が見所とされている。それ自体は、当然な感想であり、べつに悪くは無いけれど、いっぽうの咲いてない花や曇りや雨の夜空にも、また、見所がある。しかし、情趣を解しない人は、咲いている花だけしか楽しもうとしないようだ。
- 本文/現代語訳
花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れ込めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。 歌の詞書(ことばがき)にも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ。」とも、「障ることありてまからで。」なども書けるは、 「花を見て。」と言へるに劣れることかは。花の散り、月の傾くを慕ふならひはさることなれど、ことにかたくななる人ぞ、「この枝かの枝、散りにけり。今は見どころなし。」などは言ふめる。 |
(はたして、)桜の花は咲いているときだけを見るべきだろうか、月は曇りないときだけを見るべきなのだろうか。(いや、そうではない。) 雨に向かって月を見るのも、(家の中で、すだれを)垂れ込めて春の行方を知らないのも、やはり、しみじみとして趣深い。今にも咲きそうな梢(こずえ)や、(既に)散ってしまった庭も、見所が多いだろう。 歌の詞書(ことばがき)にも、「花見に参ったところ、とっくに散り去ってしまったので。」とか、「都合の悪いことがあってまいりませんで。」などと書いてあるのは、「花を見て。」と言ってるのに(比べて)劣っていることだろうか。(いや、そうではない。) 花が散り、月が傾くのを慕う風習は当然なことだけど、(しかし、)特に情趣の無い人は、「この枝も、あの枝も、散ってしまった。今は見どころが無い。」などと言うようだ。 |
- 語句(重要)
- 花 - ここでは、桜(さくら)の花。日本の古文では、「花」と言ったら桜を指す場合が多い。
- ・見るものかは - 見るものだろうか。(いや、そうではない。) 反語表現になっている。「かは」は反語を表す係助詞。
- ・なほ - やはり。
- ・まからで - 参りませんので。「で」は打消しの終助詞。「まかる」の意味は「参る」である。「行く」の謙譲語。
- ・劣れることかは - 劣るだろうか(いや、そうではない)。 反語表現。
- ・咲きぬべきほど - 今にも咲きそうなほどの。「ぬ」は強意の助動詞。「ぬべし」で強意を表す。
- ・さること - この文での意味は「もっともなこと」「当然なこと」。
- ・かたくななる人 - 風流ではない人。趣深くない人。教養の無い人。
- ・言ふめる - 「める」は婉曲の助動詞「めり」連体形。
- ・ - 。
- 語注
- ・雨に向かひて月を恋ひ - 漢文『類聚句題抄』(るいじゅうくだいしょう)からの文章「対雨恋月」をまねた表現。『類聚句題抄』は、源順(みなもとのしたがう)の著作。
- ・垂れ込めて春の行方知らぬ -古今集に「垂れ込めて春のゆくへも知らぬまに待ちし桜もうつろひにけり」という藤原因香(よるか)の和歌がある 。
- ・詞書(ことばがき) - 和歌の前書き。和歌の前書きでは、その和歌の制作に当たっての事情などを説明をしていることが多い。
- ・ - 。
二
編集- 大意
どんなことも始めと終わりにこそ趣があるものだ。恋愛も、男女が会うばかりが趣ではない。会えずにいても、一人で相手のことを思いながらしみじみとするのも、恋の情趣であろう。
- 本文/現代語訳
よろづのことも、始め終はりこそをかしけれ。 男女(をとこをんな)の情けも、ひとへに 逢ひ(あひ、アイ)見るをば言ふものかは。逢はで(あはで)止み(やみ)にし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明かし、遠き雲井を思ひやり、浅茅(あさぢ)が宿に昔をしのぶこそ、色好むとはいはめ。 |
どんなことも、(盛りよりも)始めと終わりにこそ趣がある。男女の恋愛も、(はたして)ひたすら逢って契りを結ぶのを(「恋」と)言うのだろうか。(いや、そうではない。) 会わないで終わってしまったつらさを思い、(約束の果たされなかった)はかない約束を嘆き、長い夜を一人で明かし、遠い大空の下にいる恋人を思いうかべて、茅が茂る荒れはてた住まいで昔(の恋人)をしみじみと思うことこそ、恋の情趣を理解しているのだろう。 |
- 語句(重要)
- ・をかし - ここでの意味は「趣がある」。
- ・男女(をとこをんな)の情け - 男女の恋愛。
- ・ひとへに - ひたすら。
- ・逢ひ(あひ、アイ)見る - ここでの意味は、男女が出会って、契りを結ぶことなど。けっして、単に、会って、見ることではない。
- ・言ふものかは - 言うものだろうか。「かは」は反語。
- ・あだなり - はかない。
- ・かこつ - 嘆く。
- ・色好む - 恋の情趣を理解している。現代での悪い意味での「色好み」とは違うので注意。
- 語注
- ・遠き雲井 - 雲井とは元の意味は大空のことだが、ここでは離れ離れになった恋人どうしのこと。
- ・浅茅(あさぢ)が宿 - 荒れはてた家。茅(ち、ちがや)とは雑草の一種で、イネ科の雑草。
- ・色好む - 恋愛の情趣を理解する。
- ・ - 。
三
編集- 大意
月見についても、満月よりも、他の月を見ほうが趣深いだろう。
- 本文/現代語訳
望月の隈(くま)なきを、千里の外まで眺めたる(ながめたる)よりも、暁近くなりて待ち出で(いで)たるが、いと心深う、青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の影、うちしぐれたるむら雲隠れのほど、またなくあはれなり。椎柴(しひしば)・白樫(しらかば)などの、ぬれたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらむ友もがなと、都恋しうおぼゆれ。 |
(月見についても、)満月でかげりや曇りなく照っているのを、(はるか遠く)千里のかなたまで眺めているのよりも、(むしろ)明け方近くになって、待ちこがれた(末に出た)月が、たいそう趣深く、青味を帯びているようで、深い山の木々の梢(ごし)に見えているのや、木の間(ごし)の(月の)光や、さっと時雨(しぐれ)を降らせた一群の雲に(月が)隠れている様子は、この上なく趣深い。 椎柴(しいしば)・白樫(しらかば)などの、濡れているような葉の上に(月の光が)きらめいているのは、心にしみて、情趣を解する友人がいたらなあ、と都が恋しく思われる。 |
- 語句(重要)
- ・望月(もつづき) - 満月。満月でかげり・曇りのなく照っている状態。
- ・心深う - 趣深く。ここでの「心」は情趣を理解する心のこと。「心深う」は「心深く」のウ音便。
- ・影 - 古語での「影」の意味には、現代で言う「光」、(人や者の)「影」、「姿」などの意味がある。ここでは「光」の意味。
- ・うちしぐれたる - 「うち」は接頭語で、さっと、の意味。
- ・むら雲 - 一まとまりに群がっている雲。村雲。
- ・心あらむ友 - 情趣を理解する友人。
- ・心あらむ友もがな - 情趣を解する友人がいたらなあ。「もがな」は願望の終助詞。
- 語注
- ・望月の隈なきを千里の外まで - 漢文の『白氏文集』(はくしもんじょう)に白居易の詩の一節で、「三五(さんご)夜中(やちゅう)新月ノ月 二千里外故人ノ心」(さんごやちゅうしんげつのつき にせんりがいこじんのこころ)とある。
- ・椎柴(しいしば)・白樫(しらかば) - 両方ともブナ科の常緑高木。
- ・ - 。
四
編集- 大意
月見や花見は、直接に目で見るのを楽しむべきではなく、心で楽しむことこそ、趣深いことだ。だから、情趣のある人の楽しみ方は、あっさりしている。情趣の無い人は、なにごとも、物質的に、視覚的に、直接に楽しむ。
- 本文/現代語訳
すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨(ねや)のうちながらも思へるこそ、いとたのもしう、をかしけれ。よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまもなほざりなり。片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒のみ、連歌して、はては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手・足さしひたして、雪には下り立ちて跡つけなど、万の物、よそながら見る事なし。 |
総じて、月や(桜の)花を、そのように目でばかり見るものだろうか。(いや、そうではない。) 春は(べつに、桜の花見のために)家から外に出なくても、月の夜は寝室の中にいるままでも、(桜や月を)思っていることこそ、たいへん期待ができて、趣深いことである。 情趣のある人は、むやみに好みにふけっている様子にも見えず、楽しむ様子もあっさりしている。(無教養な)片田舎の人にかぎって、しつこく、なんでも(直接的に)楽しむ。 (たとえば春の)花の下では、寄って近づきよそ見もしないでじっと見つめて、酒を飲んで連歌して、しまいには大きな枝を思慮分別なく折り取ってしまう。 (夏には、田舎者は)泉に手足をつけて(楽しみ)、(冬には)雪には下りたって足跡をつけるなどして、どんなものも、離れたままで見ることが(田舎者には)ない。 |
(第一三七段)
- 語句(重要)
- ・たのもしう - 期待が持てて楽しみで。
- ・なほざり - (気にせず)あっさりしている。
- ・まもりて - 見続けて。見つめて。
- ・ - 。
- 語注
- ・色濃く - しつこく。
- ・あからめ - よそ見。
- ・ - 。
品詞分解
編集奥山に猫またといふもの
編集一
編集- 大意
「猫また」と言う怪獣が出るという、うわさを聞いていた連歌法師が、ある日の夜、動物に飛び掛られたので、てっきり猫またに襲われていると思って、おどろいて川に飛び込んだ。
実は、法師の飼い犬がじゃれて飛びついただけだった。
- 本文/現代語訳
「奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなる。」と人の言ひけるに、 「山ならねども、これらにも、猫の経上りて、猫またに成りて、人とる事はあなるものを。」 と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏(なにあみだぶつ)とかや、連歌(れんが)しける法師の、行願寺(ぎやうぐわんじ)のほとりにありけるが聞きて、ひとりありかん身は心すべきことにこそと思ひけるころしも、ある所にて夜更くる(ふくる)まで連歌して、ただひとり帰りけるに、小川の端にて、音に聞きし猫また、あやまたず、足許へふと寄り来て、やがてかきつくままに、頸(くび)のほどを食はんとす。肝心(きもごころ)も失せて(うせて)、防かんとするに力もなく、足も立たず、小川へ転び入りて、 「助けよや、猫また。よや、よや。」 と叫べば、家々より、松どもともして走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。 「こはいかに。」 とて、川の中より抱き起したれば、連歌の賭物(かけもの)取りて、扇(おふぎ)・小箱など懐(ひところ)に持ちたりけるも、水に入りぬ。希有にして助かりたるさまにて、這ふ這ふ(はふはふ)家に入りけり。 飼ひける犬の、暗けれど、主(ぬし)を知りて、飛び付きたりけるとぞ。 |
山奥に猫またというもの(=化け物、妖怪)がいて、人を食うそうだ、とある人が言った。 「(ここは)山ではないけれど、このあたりにも、猫が年を取って変化して、猫またになって、人をとって食らうことがあるというのだよ。」 と言う者がいたので、なんとか阿弥陀仏とかいう連歌を(仕事または趣味などに)している法師で、行願寺の付近に住んでいた者がこれを聞いて、一人歩きをする者は用心すべきことであるな思った頃、ある所で夜が更けるまで連歌をして、たった一人で帰るときに、小川のほとりで、うわさに聞いていた猫また、(猫またの)狙いたがわずに首のあたりに食いつこうとする。 (法師は)正気も失って、防ごうとするが力も出ず、(腰が抜けて)足も立たず、小川へ転がりこんで、 「助けてくれ。猫まただ。おーい。」 と叫ぶので、 (近くの)家々から、(人々が) 松明(たいまつ)をともして走り寄ってみると、(助けを求めてる人は)このあたりで顔見知りの僧だった。 (人々は)「これは、どうしたことか。」 と言って、川の中から抱き起こしたところ、連歌で受け取っていた賞品の扇・小箱など、懐に入れていたのも、水につかってしまった。 (僧の態度は)かろうじて助かったという様子で、這うようにして家に入っていった。 |
(第八十九段)
- 語句(重要)
- ・あなる - 「あるなる」の省略形。ここでの末尾の「なる」は伝聞の助動詞「なり」の連体形。
- ・連歌(れんが) - 和歌の形式の一つ。和歌の五七五七七のうち、最初の五七五と、あとの七七とを分けて、二人以上の人で読む。さらに、句を何十句とつなげていくのを長連歌(ちょうれんが)とか鎖連歌(くさりれんが)などと言う。いっぽう、二句だけの、五七五と七七だけで終わらすのを短連歌(たんれんが)と言う。ここでは、作品の書かれた鎌倉時代の終わりごろには長連歌が流行っていた。なので現代では、本文の「連歌」とは、長連歌だと思われている。
- ・ありかん - 「ありく」とは、歩く、のこと。
- ・ころしも - 「頃しも」のことで、意味は「ちょうどその頃」。必ずしも入試などでは、漢字で「頃しも」と本文が書かれるとは限らないので注意。「しも」は強意を表す副助詞。
- ・やがて - すぐに。
- ・頚(くび) - 首。頭と肩の間の部分。
- ・防かん - 防ごう。「ん」は意志の助動詞。「防か」は、「防く」の未然形。
- ・こはいかに - これはどうしたことか。「こ」とは、法師が川に落ちて、猫またに襲われた助けてくれと、助けを求めてる状態。
- ・稀有にして - かろうじて。やっとのことで。「稀有にして」は慣用表現で、ぎりぎりで助かったときに用いる表現。「稀有」そのものの意味は「めったに無いこと」。
- ・希有にして助かりたるさまにて、這ふ這ふ(はふはふ)家に入りけり。
この時点では、連歌法師は、まだ「猫また」だと思ってた動物が飼い犬だと気づいていないか、あるいは、まだ腰を抜かした様子が直ってないのだろう。
- 語注
- ・猫また - 妖怪の一種。化け猫。猫のような顔で、体は大型の犬のように長いという。『名月記』(藤原定家の日記)によると「目は猫のごとく、其(そ)の体は犬のごとく長し。」、
- ・何阿弥陀仏 - 法師の名前をぼかしてある。当時、浄土宗や時宗などで、法師などの間で自称の末尾に「阿弥」「阿」を証する者が多かった。たとえば「世阿弥」など。
- ・行願寺 - 京都にあった天台宗の寺。革堂(こうどう)とも言う。今は移転して京都市中京区にある。当時は今の場所と違い、上京区のあたりにあった。
- ・肝心(きもごころ) - 平常心。正気。思考力。
- ・松 - たいまつ。「たいまつ」は漢字で松明(たいまつ)と書く。本文の「松ども」の、「ども」は、複数を表す接尾語。つまり、いくつもの松明で周囲を照らしている状況に、本文の当場面は、なっている。本文で「家々より」とあるので、複数の家から、それそれの家の人が、たいまつを持ってきた状況なのだろう。
- ・連歌の賭物 - 連歌の会の賞品。
- 鑑賞・解釈など
おそらく作者の気持ちでは、笑い話、と思ってるのだろう。
作者の兼好法師も、職業が同じく「法師」なので、作者は色々と思うところがあっただろう。
品詞分解
編集亀山殿の御池に
編集一
編集- 大意
後嵯峨上皇(ごさがじょうこう)が亀山殿(かめやまどの)の御池(みいけ)に大井川(おおいがわ)の水を引き入れようとして、地元の大井の住人に水車を造らせて、水車は組みあがったが、思うように回ってくれず、水を御池に組み入れることができない。
そこで、水車作りの名所である宇治から人を呼び寄せて、水車を作らせたところ、今度の水車は、思いどおりに回ってくれて、御池に川の水を汲み入れることができた。
何事につけても、その道の専門家は、貴重なものである。
- 本文/現代語訳
亀山殿(かめやまどの)の御池(みいけ)に、大井川(おほゐがは、オオイガワ)の水をまかせられんとて、大井の土民に仰せて(おほせて)、水車(みづぐるま)を造らせられけり。多くの銭(あし)を賜ひて(たまひて)、数日(すじつ)に営み出(い)だして、掛けたりけるに、おほかた廻(めぐ)らざりければ、とかく直しけれども、つひに回らで、いたづらに立てりけり。さて、宇治(うぢ)の里人(さとびと)を召して、こしらへさせられければ、やすらかに結ひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み(くみ)入るること、めでたかりけり。 万(よろづ)に、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。 |
(後嵯峨上皇は)亀山殿(かめやまどの)の御池(みいけ)に、大井川(オオイガワ)の水を引き入れようとして、大井の住民にお命じになって、水車(みづぐるま)を造らせなさった。多くの銭をお与えになって、数日で造り上げて、(川に)掛けたが、まったく回らなかったので、あれこれと直したけれども、とうとう回らないで、(水車は)何の役にも立たずに立っていた。 そこで、(水車づくりの名所である)宇治(うぢ)の里の人をお呼びになって、(水車を)お造らせになると、容易に組み上げてさしあげた水車が、思いどおりに回って、水を汲み(くみ)入れる事が、みごとであった。 何事につけても、その(専門の)道に詳しい者は、貴重なものである。 |
(第五一段)
- 語句(重要)
- ・仰せて(おおせて) - お命じになって。「命じる」「言う」などの尊敬語に当たる。
- ・おほかた - (下に打消の語を伴って、)全く(「まったく」)、全然の意味。
- ・いたづらに - なんの役に立たずに。 「いたづらなり」=なんの役にも立たない、無駄だ、の意味。
- ・こしらへさせられければ - 「させ」は使役の助動詞で、対象は里人。「られ」は尊敬の助動詞で、対象は上皇。・・・というふうに参考書などでは解釈されている。訳は、「おつくらせになると」などと訳すと良いだろう。
- ・やすらかに - 容易に。やすやすと
- ・めでたかりけり - 見事であった。 「めでたし」=すばらしい、見事だ、の意味。
- ・やんごとなし - 尊い。貴重だ。たいしたものだ。
- 名言
- ・万(よろづ)に、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。
- この格言は、けっこう有名な格言なので、そのまま当文章および訳を覚えてしまっても良い。訳は「何事につけても、その(専門の)道に詳しい者は、貴重なものである。」などと訳す。
- 語注
- ・亀山殿(かめやまどの) - 現在の京都市右京区にある天龍寺。
- ・大井川(おおいがわ) - 京都の嵐山の麓(ふもと)を流れる川。
- ・まかせられん - お引き入れになさろう。
- ・土民 - 土地の住民。
- ・宇治(うじ) - 現在の京都市宇治市および周辺のあたり。
- ・やすらかに結びて - やすやすと組み立てて。
- ・ - 。
品詞分解
編集高名の木登り
編集一
編集- 大意
木登りの名人が、他人を木に登らせるとき、登っているときには注意しないで、下りてきてから気をつけるように注意していた。筆者の兼好法師が、わけを尋ねたところ、「人間は、自分が危険な高い場所にいる時には、本人も用心するので、私は注意しないのです。ですが、降りるときは安心してしまうので、用心しなくなってしまいがちなので、用心させるように注意するのです。失敗は、むしろ安全そうな時にこそ、起こりやすいのです。」と言うようなことを言った。
木登り名人の意見は、身分の低い者の意見だが、聖人の教えにも匹敵するような、立派な教訓であろう。
- 本文/現代語訳
高名(かうみやう)の木登りと言ひし男、人を掟てて(おきてて)、高き木に登せて梢(こずゑ)を切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、 「過ちすな。心して降りよ。」 とことばをかけ侍りしを、 「かばかりになりては、飛び降るるとも降りなん。いかにかく言ふぞ。」 と申し侍りしかば、 「そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れ侍れば申さず。過ち(あやまち)は、安き(やすき)ところになりて、必ず仕まつる(つかまつる)ことに候ふ。」 と言ふ。 あやしき下臈(げらふ)なれども、聖人(せいじん)の戒めにかなへり。鞠(まり)も、難きところを蹴(け)いだしてのち、やすく思へば、必ず落つと侍るやらん。 |
有名な木登り(の名人だ、)と(世間が)言う男が、人を指図して、高い木に登らせて梢を切らせる時に、とても危険に見えるときには(注意を)言わないで、下りようとする時に、軒の高さほどになってから、「失敗をするな。注意して降りろ。」と言葉をかけましたので、(私は不思議に思って、わけを尋ねたました。そして私は言った。)「これくらいになっては、飛び降りても下りられるだろう。どうして、このように言うのか。」と申しましたところ、(木登りの名人は答えた、)「そのことでございます(か)。(高い所で)目がくらくらして、枝が危ないくらいの(高さの)時は、本人(=登ってる人)が怖い(こわい)と思い(用心し)ますので、(注意を)申しません。過ちは安心できそうなところになって(こそ)、きっと、いたすものでございます。」と言う。 (木登り名人の意見は、)身分の低い者の意見だが、聖人の教えにも匹敵する。蹴鞠(けまり)も、難しいところを蹴り出した後、安心だと思うと、必ず地面に落ちると(いう教えが)あるようです。 |
(第一〇九段)
- 語句(重要)
- ・いと - とても。
- ・あやしき - 本文では「身分が低い」の意味。 「あやし」の意味はいくつかあり、1:不思議だ。 、2:みっともない。 3:身分が低い。 本文では3。
- ・仕まつる(つかまつる) - 動詞「す」「行ふ」などの謙譲語。
- ・かなへり - 匹敵する。
- ・ - 。
- 語注
- ・掟てて(おきてて) - 指図して。
- ・下臈(げろう) - 身分の低い者。本来、「臈」とは、僧の、修行を積んだ年数のこと。仏道では、修行の年数の低い者を「下臈」と呼んでいた。いっぽう、修行を多く積んだ者は「上臈」と言う。
- ・鞠(まり) - 蹴鞠(けまり)のこと。蹴鞠とは、貴族の遊戯の一つで、革靴をはいた数人の者たちが鞠を蹴り上げあって、地面に落とさないように、何度も数人で蹴り上げ続ける遊び。
- ・ - 。
品詞分解
編集丹波に出雲といふ所あり
編集一
編集- 読解上の注意
- ・ 本策の主人公は、聖海上人(しょうかいしょうにん)。本作では、他人から参拝に誘われて、京都の神社へ参拝する。
- ・ 参拝に誘った人物は「しだのなにがし」である。聖海上人が誘ったのではない。
- ・ 参拝した先は京都(=丹波)にある神社。この京都の神社は、兵庫県の出雲大社に関係がある神社。聖海上人たちは、出雲大社には参拝していない。島根県に出雲大社がある。
- 予備知識
京都の丹波にある神社は、出雲大社から神霊を分けてもらっている。つまり、複数の神社で、同じ神がまつられている。 出雲大社の主神は大国主(オオクニヌシ)。
- 大意
丹波の国にある出雲神社を、聖海上人(しょうかいしょうにん)が大勢の人たちといっしょに参拝した。
社殿の前にある像の、狛犬(こまいぬ)の像と獅子(しし)の像とが背中合わせになっているのを見て、聖海上人は早合点をして、きっと深い理由があるのだろうと思い込み、しまいには上人は感動のあまり、涙まで流し始めた。
そして、出雲大社の神官に像の向きの理由を尋ねたところ、子供のいたずらだと言われ、神官は像の向きを元通りに直してた。 上人の涙は無駄になってしまった。
- 本文/現代語訳
丹波に出雲といふ所あり。大社(おほやしろ)を移して、めでたく造れり。しだのなにがしとかやしる所なれば、秋のころ、聖海上人(しやうかいしやうにん)、その他も人あまた誘ひて、「いざ給へ(たまへ)、出雲拝みに。掻餅(かいもちひ)召させん。」とて具しもて行きたるに、おのおの拝みて、ゆゆしく信おこしたり。 御前(おまへ)なる獅子(しし)・狛犬(こまいぬ)、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん。」と涙ぐみて、「いかに殿ばら、殊勝のことは御覧じとがめずや。無下(むげ)なり。」と言へば、おのおのあやしみて、「まことに他に異なりけり。都のつとに語らん。」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社(みやしろ)の獅子の立てられやう、さだめて習ひある事に侍らん。ちと承らばや。」と言はれければ、「そのことに候ふ(さふらふ)。さがなき童(わらはべ)どもの仕り(つかまつり)ける、奇怪に候うことなり。」とて、さし寄りて、据ゑ直して、往に(いに)ければ、上人の感涙いたづらになりにけり。 |
丹波の国に出雲という所がある。出雲大社(の神霊)を移して、立派に造ってある。しだの何とかと言う人の治めている所なので、秋の頃に、(しだの何とかが誘って)聖海上人や、その他の人たちも大勢誘って、「さあ、行きましょう。出雲の神社を参拝に。ぼた餅をごちそうしましょう。」と言って(一行を)連れて行って、皆がそれぞれ拝んで、たいそう信仰心を起こした。 社殿の御前にある獅子と狛犬が、背中合わせに向いていて、後ろ向きに立っていたので、上人は(早合点して)とても感動して、「ああ、すばらしい。この獅子の立ち方は、とても珍しい。(きっと)深い理由があるのだろう。」と涙ぐんで、 「なんと、皆さん。この素晴らしいことをご覧になって、気にならないのですか。(そうだとしたら)ひどすぎます。」と言ったので、皆もそれぞれ不思議がって、「本当に他とは違っているなあ。都への土産話として話そう。」などと言い、上人は、さらに(いわれを)知りたがって、年配で物をわきまえていそうな顔をしている神官を呼んで、(上人は尋ね)「この神社の獅子の立てられ方、きっといわれのある事なのでしょう。ちょっと承りたい。(=お聞きしたい)」と言いなさったので、(神官は)「そのことでございすか。いたずらな子供たちのしたことです、けしからぬことです。」と言って、(像に)近寄って置き直して、行ってしまったので、上人の感涙は無駄になってしまった。 |
(第二三六段)
- 語句(重要)
- ・あな めでたや - 「あな」は感動したときの言葉。「ああ」。
- ・めでたく - すばらしい。立派だ。
- ・ゆゆしく - 多くの意味があるが、ここでの意味は「程度が甚だしい(はなはだしい)」。
- ・おとなし - 大人らしい。
- ・殿ばら - 皆様方。「ばら」は複数を表す。
- ・無下なり - ひどい。
- ・あやしむ - 不思議がる。
- ・ゆかしがりて - 知りたがって。見たがって。聞きたがって。 語源は「行かしがりて」が転じたと考えられている。
- ・さだめて - きっと。
- ・ばや - 願望を表す終助詞。 「承らばや」 = 承りたい・お伺いしたい、 などと訳す。
- ・さがなき - 性格が悪い。いたずら好き。
- ・仕り(つかまつり)ける - ここでの古語「仕る」(つかまつる)の意味は、現代の「する」の謙譲語。ここでの意味とは違うが、「お仕えする」と言う謙譲語の意味も、古語「仕る」にはある。
- ・いたづらに - 無駄に。
- ・ - 。
- 語注
- ・丹波に出雲といふ所 - 現代でいう京都府 亀岡市 千歳(ちとせ)町。ここには出雲大社は無い。
- ・大社 - 出雲大社。現代でいう島根県にある。
- ・掻餅(かいもちひ) - ぼたもち。おはぎ。
- ・つと - みやげ。
- ・ - 。
品詞分解
編集九月二十日のころ
編集一
編集- 大意
- 本文/現代語訳
九月二十日のころ、ある人に誘はれたてまつりて、明くるまで月見ありく事侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて、入りたまひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬにほひ、しめやかにうちかをりて、しのびたるけはひ、いとものあはれなり。 よきほどにて出でたまひぬれど、なほ、事ざまの優におぼえて、物のかくれよりしばし見ゐたるに、妻戸をいま少し押し開けて、月見るけしきなり。やがてかけこもらしまかば、口をしからまし。あとまで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし。その人、ほどなく失せにけりと聞き侍りし。 |
- 語句(重要)
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品詞分解
編集第二グループ
編集これも仁和寺の法師
編集- 大意
- 本文/現代語訳
これも仁和寺の法師、童(わらは)の法師にならんとする名残とて、おのおの遊ぶことありけるに、酔ひて(ゑひて)興に入るあまり、傍らなる足鼎(あしがなへ)を取りて、頭(かしら)にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻をおし平めて、顔をさし入れて舞ひ出でたるに、満座興に入ること限りなし。 しばしかなでて後(のち)、抜かんとするに、おほかた抜かれず。酒宴ことさめて、いかがはせんと惑ひけり。とかくすれば、首のまはり欠けて、血垂り、ただ腫れ(はれ)に腫れみちて、息もつまりければ、打ち割らんとすれど、たやすく割れず、響きて堪へがたかりければ、かなはで、すべきやうなくて、三つ足なる角(つの)の上に帷子(かたびら)をうちかけて、手を引き杖をつかせて、京なる医師(くすし)のがり率て行きける道すがら、人のあやしみ見ること限りなし。 医師のもとにさし入りて、向かひゐたりけんありさま、さこそ異様(ことやう)なりけめ。ものを言ふも、くぐもり声に響きて聞こえず。「かかることは、文にも見えず、伝へたる教へもなし。」と言へば、また仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母など、枕上に寄りゐて泣き悲しめども、聞くらんともおぼえず。 かかるほどに、ある者の言ふやう、「たとひ耳鼻こそ切れ失すとも、命ばかりはなどか生きざらん。ただ力を立てて引きたまへ。」とて、藁のしべをまはりにさし入れて、かねを隔てて、首もちぎるばかり引きたるに、耳鼻欠けうげながら抜けにけり。からき命まうけて、久しく病みゐたりけり。 |
- 語句(重要)
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- ・仁和寺 - 。
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- ・足鼎 - 。
- ・帷子 - 。
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静かに思へば
編集- 大意
- 本文/現代語訳
静かに思へば、よろづに過ぎにし方の恋しさのみぞ、せん方(かた)なき。 人静まりて後(のち)、長き夜のすさびに、何となき具足とりしたため、残し置かじと思ふ反古など破り棄つる中に、亡き人の手習ひ、絵描きすさびたる、見出でたるこそ、ただ、その折の心地すれ。このごろある人の文だに、久しくなりて、いかなる折、いつの年なりけんと思ふは、あはれなる ぞかし。手なれし具足なども、心もなくて変はらず久しき、いとかなし。 |
- 語句(重要)
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ある人、弓射ることを習ふに
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- 本文/現代語訳
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友とするにわろきもの
編集- 大意
- 本文/現代語訳
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神無月のころ
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- 本文/現代語訳
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名を聞くより
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- 本文/現代語訳
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雪のおもしろう降りたりし朝
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- 本文/現代語訳
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今日はそのことをなさんと思へど
編集- 大意
- 本文/現代語訳
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つれづれなるままに
編集- 大意
- 本文/現代語訳
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