先従隗始(先づ隗より始めよ)とは、故事成語の一つ。

先従隗始 編集

(まず かいより はじめよ。)

元々は『戦国策』「燕策」の一つである。

本文は『十八史略(原作者曾先之(そう せんし)』より。

現代語訳 編集

燕(えん)の国の人々は太子の平を立てて王とした。これが昭王(しょうおう)である。戦死者を弔い(とむらい)、生存者を見舞い、へりくだった言葉遣いをし、多くの礼物を用意して、賢者を招聘(しょうへい)しようとした。昭王は郭隗にたずねて、「斉はわが国の混乱につけこんで、燕を攻め破った。私は燕が小国で、報復できないことをよく承知している。(そこで)ぜひとも賢者を味方に得て、その人物と共に政治を行い、先代の王の恥をすすぐことが、私の願いである。先生、それにふさわしい人物を推薦していただきたい。私自身その人物を師としてお仕えしたい」と言った。

郭隗(かくかい)は、「昔の王で、涓人(けんじん)に千金(せんきん)を持たせて、一日(いちにち)に千里(せんり)走る名馬(めいば)を買いに行かせた者(もの)がおりました。(ところが、涓人は)死んだ馬の骨を五百金で買って帰って来ました。王は怒りました。涓人は言いました『(名馬であれば)死んだ馬の骨でさえ(大金を出して)買ったのです。まして生きている馬だったらなおさら(高く買うに違いないと世間の人は思うことでしょう)。千里の馬はすぐにやって来ます』と。一年もたたないうちに、千里の馬が三頭もやって来ました。今、王がぜひとも賢者を招き寄せたいとお考えならば、まずこの隗(かい)からお始めください。(そうしたら)私より賢い人は、どうして千里の道を遠いと思いましょうか。(いや、遠いと思わずにやって来るでしょう。)」と答えた。

そこで昭王は郭隗のために新たに邸宅を造って郭隗に師事(しじ)した。その結果、賢者たちは先を争って燕に駆けつけた。

解説 編集

「隗より始めよ」(かいより はじめよ)という故事成語の基になった話である。もともとこの話からわかるように「私からまず使ってください」という自薦の言葉だったのが、だんだん意味が変化して「物事にとりかかろうとする時は、まずは、なるべく身近な課題から解決しなさい。」「まずは言い出した本人から、始めなさい。」というような意味で使われることが多くなっている。

気をつけたいのは郭隗のたとえ話である。「死んだ馬」といっても、けっして、なんでもよい訳ではない。名馬だからこそ死んでも価値があり、まして生きた名馬ならもっと価値がある、ということである。「どこぞの馬の骨」でも良いわけではない。ここに郭隗の(いくらか謙遜の混じった)自己推薦が見えてくるようである。

さて、ここでは省略したが、この郭隗の策は大当たりして、後に戦国時代の名将とされる楽毅(がくき、がっき)が燕にやってくる。そして昭王の望んだとおり燕は斉に猛反撃を行い、楽毅の活躍によって斉の70あまりの城を奪ったという。

白文と書き下し文 編集

燕人立太子平為君。是為昭王。弔死問生、()卑辞厚幣、以招賢者。問()郭隗曰、「斉因孤之国乱、而襲破燕。孤極知燕小不足以報。誠得賢士与共国以雪先王之恥、孤之願也。先生視可者。得身事之。」 隗曰、「古之君有以千金使涓人求千里馬者。買死馬骨五百金而返。君怒。涓人曰、『死馬且買之。況生者乎馬今至矣。』不期年、千里馬至者三。今王必欲致士、先従隗始。況賢於隗者、豈遠千里哉。」

於是昭王為隗改築宮、師事之。於是士争趨燕。

燕人(えんひと)太子(たいし)平(へい)を立てて君(きみ)と為す(なす)。是れ(これ)を昭王(しょうおう)と為す(なす)。死(し)を弔ひ(とぶらひ)生(せい)を問ひ(とい)、辞(じ)を(ひく)くし幣1(へい)を厚く(あつく)して、以つて(もって)賢者(けんじゃ)を招く(まねく)。郭隗(かくくわい)に問ひて(といて)曰はく(いわく)、「斉(せい)は孤2(こ)の国(くに)の乱るる(みだるる)に因りて(よりて)、襲ひて(おそひて)燕(えん)を破る(やぶる)。孤(こ)極めて(きわめて)燕(えん)の小(しょう)にして以つて(もって)報ずる(ほうずる)に足らざる(たらざる)を知る(しる)。誠(まこと)に賢士(けんし)を得て(えて)与に(ともに)国(くに)を共(とも)にし、以つて先王(せんおう)の恥(はじ)を(すす)がんことは、孤(こ)の願ひ(ねがひ)なり。先生(せんせい)可なる(かなる)者(もの)を(しめ)せ。身(み)之(これ)に(つか)ふることを得ん(えん)。」と。

隗(かひ)曰はく(いわく)、「(いにしへ)の君(きみ)に千金(せんきん)を以つて(もって)涓人(けんじん)3をして千里(せんり)の馬(うま)4を求めしむる(もとめしむる)者(もの)有り(あり)。死馬(しば)の骨(ほね)を五百金(ごひゃくきん)に買ひて(かいて)返る(かえる)。君(きみ)怒る(いかる)。涓人(けんじん)曰はく(いわく)、『死馬すら(しば すら)且つ(かつ)之(これ)を買ふ(かう)。(いは)んや生ける(いける)者(もの)をや。馬(うま)今(いま)に至らん(いたらん)』と。期年(きねん)5ならずして、千里(せんり)の馬(うま)至る(いたる)者(もの)三(さん)有り(あり)。今(いま)、王(おう)必ず(かならず)士(し)を致さん(いたさん)と欲せば(ほっせば)、()づ隗(かい)より始めよ(はじめよ)。況んや(いわんや)隗(かい)より賢(けん)なる者(もの)、豈に(あに)千里(せんり)を遠し(とおし)とせんや。」と。

是(ここ)に於いて(おいて)昭王(しょうおう)隗(かい)の為に(ために)改めて(あらためて)宮(きゅう)を築き(きずき)、之(これ)に師事(しじ)す。是(ここ)に於いて(おいて)士6(し)争ひて(あらそいて)燕(えん)に(おもむ)く。

(原典: 十八史略)

重要表現 編集

  • 死馬且買之。況生者乎
死馬すら且つ之を買ふ。況んや生ける者をや。
「A すら且つ(かつ) B 、況んや(いわんや) C 乎(や)」
Aですら B するのだ。まして C ならば、なおさらでBあろう。

この「死馬且〜」の場合、「死馬ですら、これを買うのだから、まして生きている名馬なら、なおさら高く買うだろう。」のような意味。 なお、文中の「之」とは、死んだ名馬のこと。

このような句法( A 且 B 、況 C )を、抑揚(よくよう)という。

  • 豈遠千里哉
豈に(あに)千里(せんり)を遠し(とおし)とせん哉(や)。
どうして「千里を遠い」と思うのだろうか。(いや、思うはずがない。)

「豈に」(あに)で、'反語'(はんご)の意味である。訳すときは、「どうして〜〜か。いや、そうではない。」などのように訳す。

また、文末の「哉」(や)は、感動を表す助字。

  • 隗始
まず隗より始めよ

「従」は「より」と読む助字であり、「〜から」と訳す。

まず、この隗から、始めてください。

  • 於いて
賢於隗者
隗より賢なる者は

ここでは、比較を表す。(いろんな意味がある助字。)

参考 編集

  1. 幣(へい) -  礼物。
  2. 孤(こ) - 王侯の謙遜した一人称。特に喪中(死者を弔う間)に使う。
  3. 涓人(けんじん) -  「涓」は「潔」の意味。王の左右にいて清掃をつかさどる者。
  4. 千里の馬 -  古来より中国では、最高の名馬は一日に千里走るとされた。なお、当時の中国の1里は540m。
  5. 期年(きねん) -  一年。
  6. 士(し) -  賢士・賢者。
  • 今(いま) - もともとは現在を表す意味だが、仮定を表す意味で、よく用いられる。
  • 使涓人求千里馬 - 「使」で使役を表す。「涓人に千里馬を買いに行かせた。」のような意味。

語釈 編集

燕 - 国名。
昭王(しょうおう) - 燕の国の王のこと。
郭隗(かくかい) - 昭王の重臣。人物名。