戦後農業の歩み
編集第二次世界大戦前の日本の農業は、地主が小作人に土地を貸し耕作させるのが一般的だった。
しかし、戦後に行われた農地改革により、地主制が廃止され、多くの耕作者が自ら農地を所有する自作農となった。また、1952年には、地主制の復活を防ぐために農地法が制定された。
しかし、日本の農業は零細で小規模な農家が多く、農産物の価格はアメリカや中国などの国々と比べて高く、国際競争力が低い状態が続いている。また、農家の所得は全体的に低く、工業と農業の間で所得格差が存在していた。
高度経済成長期以降、工業と農業の所得格差はさらに深刻化し、多くの農業従事者が工業やサービス業に転職するか、若者が都市部へ流出するようになった。これにより、農業従事者の数は年々減少していった。
一方で、農家の中には、農業の機械化により作業時間に余裕が生まれたことから、兼業農家が増加していった。
戦時中に導入された食糧管理制度により、政府は米の生産費を補償し、農家から米を買い上げることで、農家は主に米の生産に集中するようになった。しかし、消費者の食生活の変化により米の需要が減少し、米の供給過剰が問題となった。これを受け、1970年から米の作付け面積を制限する減反政策が開始された。
現在では、米以外の多くの農産物が輸入に依存している。小麦、大豆、トウモロコシ(飼料用としてのトウモロコシも含む)などが主な輸入品だ。
日本の食料自給率は、1960年代にはカロリーベースで60%以上あったが、近年ではカロリーベースで約40%という低い水準にまで落ち込んでいる。先進工業国の中では、日本(食料自給率約40%)と韓国(約50%)が低い水準にあり、イギリスは約65%、ドイツは約80%、フランスは約120%、アメリカは約130%の食料自給率を維持している。
また、農村の過疎化と農家の高齢化が進行しており、すでに高度経済成長期から「じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃん」による農業、通称「三ちゃん農業」と呼ばれる状況が見られ、担い手不足から耕作放棄地の増加が問題になっている。
農産物の輸入自由化
編集- 1991年に牛肉およびオレンジの輸入自由化が実施された。
- 1993年、GATT(General Agreement on Tariffs and Trade; 関税および貿易に関する一般協定)のウルグアイ・ラウンドにより、米以外の農産物における輸入数量の制限が撤廃され、関税化が進められた。
- 1995年からは、コメの部分開放として、国内消費の一定割合を輸入するミニマム・アクセスが導入された。
- 1999年からは、米が関税化され輸入が自由化されたが、日本は外国産米に高い関税を課している。
これらの制度変更に伴い、戦前から続いていた食糧管理制度は1995年に廃止され、新たに新食糧法が施行された。
近年の日本の農業
編集新食糧法の施行により、それまで原則的に規制されていた市場価格による米の流通が、「計画外流通米」として大幅に規制緩和され、流通が認められるようになった。 また、1999年には食料・農業・農村基本法が制定され、従来の農業基本法に代わる新しい枠組みが構築された。 さらに、2005年には農地法が改正され、株式会社の農業参入が認められるようになった。 2010年には、農業者戸別所得補償制度(現在の経営所得安定対策制度)が導入された。
2015年以降の主な動向:
- 2015年: 農協改革関連法が成立し、農協の経営の自由度を高める改革が進められた。
- 2018年: 改正農業競争力強化支援法が施行され、農業資材の価格引き下げや生産資材の調達の合理化が図られた。
- 2019年: 新たな食料・農業・農村基本計画が策定され、農業の持続可能性や多様な担い手の確保などが重点課題として掲げられた。
- 2020年: 新型コロナウイルス感染症の影響により、農産物の需要が変化。外食産業向けの需要が激減する一方、家庭内消費向けの需要が増加した。
- 2022年: みどりの食料システム戦略が本格的に始動。2050年までに農林水産業のCO2ゼロエミッション化を目指す取り組みが開始された。
これらの動向は、日本の農業が直面する課題(担い手の高齢化、耕作放棄地の増加、国際競争力の強化など)に対応するための政策的取り組みや、持続可能な農業の実現に向けた新たな方向性を示している。