産業の発達

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※ 中学の範囲

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鎌倉時代、商業や工業も発展していった。

手工業では、鉄製の農具や武具などを作る鍛冶(かじ)職人や、大工、ほかにも染め物をする職人など、いろいろな手工業の職人があらわれるようになった。衣料品などの手工業者もあらわれた。

農工業の発達もあって商業も発達した。定期的に市場(いちば)をひらく定期市(ていきいち)が、寺社などの近くで、毎月3回ほど決まった日に市が開かれはじめるようになった。この毎月3回の定期市を 三斎市(さんさいいち) という。

商業には貨幣が必要なので、中国大陸から宋銭(そうせん)が多く、日本に輸入された。また、貨幣の流通とともに、銭を貸す高利貸し(こうりがし)もあらわれた。

※高校の範囲

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経緯

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上述のように、鎌倉時代のころ、宋銭が日本全国的に貨幣として普及したと考えられている。つまり、貨幣経済が鎌倉時代ごろに日本全国的に普及したという事。つまり、鎌倉時代以前の地方の経済は、いまでいう「物々交換」や「現物交換」の経済が主体だった事である。

裏を返すと、鎌倉時代以前の古代の貨幣である和同開珎(わどうかいちん)や富本銭(ふほんせん)は、京都および京都の周辺など一部の地域でしか普及しなかった事[1][2]が、歴史学的には分かっている。貨幣の流通しなかった地方では、麻や布、稲などが貨幣の代わりとして役割をはたした[3][4]

平安時代のころ、地方でためしに和同開珎などが使われていた時期もあったが、しかし地方経済に混乱が見られたようで、そのせいもあってか中央政府(京都の朝廷)の命令により、和同開珎などを京都・奈良など畿内に回収する命令が地方に出されている[5]。 高校教科書で習うが、708年ごろの和同開珎の鋳造のあとに、さらに 蓄銭叙位令(ちくせん じょいれい)を出して貨幣の流通を目指した。しかし上述するように、蓄銭叙位令にかかわらず、最終的に古代(平安時代の終わりまでが「古代」)日本では貨幣は、京都・奈良といった畿内とその周辺でしか普及しなかった。

なお、日本で発行された通貨は、10世紀なかばまでに合計12~13種類の通過が発行されている。(けっして、和同開珎と富本銭だけが古代の通貨だったわけではない。和同開珎や富本銭は、初期に発行された貨幣だから中学教科書では紹介されているだけである。つまり、和同開珎のあとも、日本産の貨幣は数種類も発行されている[6])。

平安時代には貨幣の鋳造が行われたが、しかし鎌倉時代になって、貨幣の鋳造が行われなくなった[7]

※ 一説だが、貨幣を鋳造するには中央集権的な強い政府が必要であるが、しかし鎌倉時代になり武士の時代になったことにより、地方分権的な傾向が強くなり、そのため、貨幣の鋳造ができなかったのだろう・・・、のような学説もある[8]


鎌倉時代のその他の経済

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さて、鎌倉時代、通貨が普及してきたので、地方でも、年貢も銭で納税されることが増えてきた(「代銭納」[9]という)。地方の荘園などで、宋銭による年貢の代納が行われた事例[10]のある事も分かっている。

また、鎌倉時代、定期市の他にも、都市に限定だが、常設の小売店である見世棚(みせだな)という商売も登場してきた。

さて、のちにモンゴル襲来などによって経済難になった武士が金融業者からカネを借りて借金苦になるわけだが、前提として金融業者が日本各地に普及しているわけであり、つまり、鎌倉時代には金融業者が登場しており、その鎌倉時代の金融業者は借上(かしあげ)といわれた。

※ 現代語では「借」は「かし」とは読みませんが、歴史用語で「借上」を「かしあげ」と言います。


なお、鎌倉時代の後半ごろですが、武家における相続の風習が変わり、武士の世界では、

過去の平安時代~鎌倉時代初期は子の皆で相続分をわけあたう分割相続(ぶんかつそうぞく)が慣例だったのが、
しかし鎌倉時代後半には家督をついだ子だけが相続する単独相続の方式が主流になりました。

上記の説明の前提ですが、鎌倉時代の前半は、まだ、分割相続の方式が主流です[11][12]

※ (分析的なこと) 分割相続だと、代を重ねるごとに領主1人あたりの所領が細分化されていく事になる[13]ので、色々と経済的に非効率だったのだろうと考えられている。
ですが、相続をもらえない次男以下にとっては、家のために戦う利点がありません[14]。こういう事情もあり、「ご恩と奉公」のような信頼関係は崩れていき、鎌倉幕府や既存の武家社会の権威は、次第に失墜していったのでしょう。
また、鎌倉時代の後半からは、(次男以下にとっては兄に孝行しても見返りがない理由からか)武士たちのあいだでは血縁よりも地縁が重視されるようになりました[15]

参考文献

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  1. ^ 相澤理『歴史が面白くなる 東大のディープな日本史【古代・中世編】』、株式会社KADOKAWA (中経文庫)、2016年7月15日 第1刷発行、P112
  2. ^ (※ 高校教科書)東京書籍『新選日本史B』、平成29年検定済み、平成30年2月10日発行、P32
  3. ^ 実教出版、『日本史B』、平成25年3月26日 検定済み、平成26年1月25日 発行、48ページ
  4. ^ 山川出版社『詳説日本史B』、2012年3月27日 文部科学省検定済み、2013年3月5日 発行、P.47
  5. ^ 相澤理『歴史が面白くなる 東大のディープな日本史【古代・中世編】』、株式会社KADOKAWA (中経文庫)、2016年7月15日 第1刷発行、P112
  6. ^ 山川出版社『詳説日本史B』、2012年3月27日 文部科学省検定済み、2013年3月5日 発行、P.47
  7. ^ 実教出版、『日本史B』、平成25年3月26日 検定済み、平成26年1月25日 発行、48ページ
  8. ^ 相澤理『歴史が面白くなる 東大のディープな日本史【古代・中世編】』、株式会社KADOKAWA (中経文庫)、2016年7月15日 第1刷発行、P112あたり
  9. ^ 実教出版、『日本史B』、平成25年3月26日 検定済み、平成26年1月25日 発行、48ページ
  10. ^ 実教出版、『日本史B』、平成25年3月26日 検定済み、平成26年1月25日 発行、48ページ
  11. ^ 東京書籍『新選日本史B』、平成29年検定済み、平成30年2月10日発行、P77
  12. ^ 実教出版、『日本史B』、平成25年3月26日 検定済み、平成26年1月25日 発行、92ページ
  13. ^ 山川出版社『詳説日本史B』、2012年3月27日 文部科学省検定済み、2013年3月5日 発行、P.112
  14. ^ 相澤理『歴史が面白くなる 東大のディープな日本史【古代・中世編】』、株式会社KADOKAWA (中経文庫)、2016年7月15日 第1刷発行、P112あたり
  15. ^ 東京書籍『新選日本史B』、平成29年検定済み、平成30年2月10日発行、P77