個体群
編集ある地域に住む同種の個体(indvidual)の群れを個体群(こたいぐん、population)という。ゾウの群れでもウマの群れでも、ハエの群れでも、同種の個体の群れでさえあれば、個体群という。
ショウジョウバエの雄と雌とのつがいを、エサの足りた飼育ビンなどの中で飼育すると、初めは個体数が急激に増加する。
もし、エサが限りなく豊富にあり、居住空間も広ければ、どんどん増えていくことになる。しかし、実際には、エサには限りがある。
ある環境において、個体数の密度が高まると、食べ物の不足や、居住空間の減少、排出物の増加などによって、生活空間が悪化する。その結果、生まれてくる子が減ったり、あるいは生存競争が激しくなって死亡率が増えるなどして、個体数の増加が抑えられる。そのため、個体数の時間についてのグラフを書くと、図のようにS字型になる。このグラフのように、個体群における個体数の推移を描いたグラフを個体群の成長曲線(せいちょうきょくせん、growth curve)という。
動物でも植物でも、このような現象が見られる。
ある環境においての、個体数の最大数を環境収容力(かんきょう しゅうようりょく、carrying capacity)という。
また、密度によって、個体の成長や発育などが変化することを密度効果(みつど こうか、density effect)という。
- 植物の密度効果
植物でも密度効果はある。 ダイズでは、種をまいたときの密度に関わらず最終的な単位面積あたりの総重量が、ほぼ同じ値になる。 これを最終収量一定の法則(さいしゅうしゅうりょう いってい の ほうそく、law of constant final yield)という。
相変異
編集トノサマバッタでは、幼虫時の密度で、成虫になったときの様子が変わる。 幼虫時に密度が低いと、成虫は孤独相(こどくそう、solitarious phase)になる。子には遺伝しない。
孤独相
- ・体が緑色。
- ・前脚が長い。
- ・はねが短い。
いっぽう、幼虫時に密度が高いと、成虫は群生相(ぐんせいそう)になる。子には遺伝しない。
群生相
- ・体が黒ずんでいる。
- ・前脚が短い。
- ・はねが長い。
- ・移動能力が高い。
移動能力の高さは、新しい環境を探すためのものである。
このように、個体群密度によって、同じ種の形態や行動に違いが出ることを相変異(そうへんい)という。アブラムシやヨトウガでも相変異が見られる。
生存曲線
編集動物の、ある個体群で、個体の生存数を数表にしたものを生命表(せいめいひょう、life table)といい、生命表の内容をグラフにしたものを生存曲線(survival curve)という。
種によって生存曲線は違い、主に3つの型に分かれる。
晩死型と早死型と平均型という3つである。 晩死型は、死期が寿命の近くである。早死型は、生まれてから、すぐに死ぬ個体が多い。平均型は、時期によらず死亡率が、ほぼ一定である。
魚類など、産卵数の多い生物は、子育てをせず、そのため早死型が多い。 いっぽう、大型の哺乳類は、晩死型である。
鳥類・爬虫類などは平均型である。
- 年齢ピラミッド
中規模攪乱説
編集台風や山火事、土砂崩れや噴火など、環境に変化を与える現象を 攪乱(かくらん、かく乱) という。 たとえば、台風で、熱帯のサンゴ礁が傷付くのも攪乱である。
種の多様性について、いちばん多様性を多くする攪乱の規模は、攪乱が中程度の場合であり、この理論を 中規模攪乱説(ちゅうきぼ かくらんせつ) という。
たとえば熱帯のサンゴ礁では、中規模の台風が起きた方が、サンゴの種の多様性が高まることが知られている。オーストラリアのヘロン島でのサンゴ礁の調査で、このような中規模攪乱説どおりの事例が知られている。
たとえば右の図のような地域の場合、30%くらいの被度で、もっとも種数が多くなる。
攪乱が強すぎると、攪乱に強い種しか生き残れない。 攪乱が弱すぎると、通常時の競争に強い種しか、生き残れない。
人間が森林を伐採したりするなどの、人為的なことも攪乱である。
森林の場合、攪乱がないと、陰樹ばかりになる。攪乱が起きて、噴火などで、いったん樹木が焼き払われると、そのあとの地には、まず陽樹が生えてくるようになる。
里山(さとやま)など、人里ちかくの森林では、かつては人々が林業などで木材として森林資源を利用してたので、かく乱が適度に行われていた。だが、最近では林業の後継者不足や経営難などで放置される森林も増えており、そのため木材として伐採されなくなり、攪乱されなくなったので、種の多様性が低下していると主張する者もいる。種の多様性確保のため、適度に木材などの森林資源を理容すべきだと主張する者もおり、日本国での小中高の公教育での検定教科書なども、そのような立場に立っている。
持続可能な社会のためには、持続可能な生態系が必要である。人間が食べる動植物は、生態系があるからこそ生存できるのである。もし、動植物がいなくなれば、人間にとっても食べ物が無くなり、人間も滅ぶ。生態系の維持のためには、根本的な対策は、人間が、資源の消費や森林伐採された土地の利用などに基づいた現代の文明を見直して、消費を控え、持続可能な文明へと変えていく必要があるのかもしれない。そのためには我慢をする事が今後の人類には必要であり、今後はおそらく現代のような放漫な消費ができなくなり、かつて住宅地や工業用地などとして開発された土地のいくつかを農地や雑木林などにも戻す必要もあるかもしれない。現時点で存在している里山を維持するだけでは、すでに宅地化などの開発によって消失した里山は、復活しないのである。 また国によっては人口も減らす必要もあり、おそらく今後は人間が不便も感じることもあるだろう。
学校教科書は、政治的に中立でなければならないので、具体的な環境対策には踏み込めない。しかし、自然環境は、そのような人間の都合になどには、合わせてくれないのである。たとえば日本ではニホンオオカミや野生トキなど日本の固有種の動物のいくつかが絶滅したが、けっして自然環境は、日本人に合わせて、ニホンオオカミなどの生物の絶滅のスピードを緩めてなんて、くれなかったのである。日本の政治家や学校などが、「日本は素晴らしい国」だと言っても、日本での動植物の生態の歴史の観点から見れば、日本国および日本人は、ニホンオオカミや野生トキなどを絶滅させた環境破壊を行ったという、不名誉な実績のある国および国民なのである。人間の学生が「環境問題や環境の生物学について、勉強しよう」などと考えている間にも、人類が生態系に負荷を与える活動を続けていくかぎり、生物種は絶滅に近づいていくのである。
商人や、一部の政治家や有権者にとっては、人間が資源を消費をするほうが商人が売買をしやすく、そのため税収も増えるので、彼らには都合が良い。しかし、そのような人間中心の都合に、生態系は合わせてくれない。
乱獲や農薬の乱用によって、絶滅したり激減した生物種も、世界の自然界には、事例が多い。
自然界だけが日本人の都合になんて合わせてくれないどころか、人間社会の内部ですら、日本以外の外国は、日本国の都合になんて合わせてくれない。たとえば、魚などの海洋資源の漁獲の規制のありかたについての問題は、魚は各国の領海や沿岸を移動するため、漁獲資源は世界的な感心後とであり、諸国が自国の立場を主張するので、たとえ他国の立場も尊重することはあっても、けっして他国の立場には従わない。だから世界各国の主権国家は、日本国の命令には従わないので、仮に日本が自国の漁獲を伝統文化などと主張しても、外国からすれば、「日本の文化」などと主張するだけでは根拠不十分として、それだけでは日本国の主張には従ってくれない。また、ヨーロッパの国では、環境問題が国を越えて影響を与えることもあり、環境問題は国際問題として取り組むべきだと、考えられている。
さらに、じつは農地などの里山ですら人間が利用しやすいように環境を改変した人工的な環境であり、けっして本来の自然環境ではなく、農地などは人間にとって不要な森林を「開墾」(かいこん)などといって森林伐採するなどして環境破壊されたあとの状況なのである。(農業が森林伐採を伴うことは、検定教科書でも説明されている。[1])よく書籍などでは、途上国での焼畑(やきはた)農法が環境破壊として問題視されるが、何も農業による環境破壊は、焼畑に限った話ではないのである。水田も、森林伐採をした結果の場所名のである。ただし、アスファルトやコンクリートなどで舗装したりするのと比べれば、農地などの里山のほうが生態系への負荷が少なく、里山のほうがアスファルト舗装よりかは種の多様性が大きくてマシである、ということである。
また、ひとまとめに「農地」と言っても、現代の農法は、江戸時代などの古くからの農法とは異なり、現代では農業に化学肥料や農薬などを用いる場合が多く、暖房や照明なども用いる場合があり、現代の農法の多くは石油資源などの消費に頼った農法である。現代の食生活は、現代の農法を前提としており、その農法は、資源の消費を前提としている。いつの日か、人類は、食生活を見直す必要があるのかもしれない。
個体数の測りかた
編集- 標識再捕法(ひょうしき さいほほう)
- 自然環境の中で、ある種の動物の数を数えるとき、その動物が動き回る種であれば、その個体に印をつけてから放します。そして、その種を捕獲します。
- 捕獲された個体のうち、放流前に標識された個体数と、再捕獲されて標識された個体数の割合から、その種の総個体数を決定します。
- 全体の個数 = 最初の標識個体数 × 2度目の捕獲個体数 ÷ 2度目の捕獲での標識個体数
- 例えば、100個体を標識して200個体を捕獲し、そのうち15個体を標識した場合、その地域のその種の個体数は、100×200÷15=1333、と計算されます。
- 魚類では、胸ビレや尻ビレなど、ヒレの一部を切り取って標識にします。また中央型魚種では、樹脂小片(タグ)を束縛して標識にします。
- 昆虫では、落ちにくい絵の具を使って体の一部に色をつけます。
- 区画法(くかくほう)
- 生息地を一定面積のいくつかの区画に分け、各区画の個体数をカウントします。植物や動きの遅い動物のカウントに適しています。
個体群内の関係
編集社会性昆虫
編集ハチ、アリ、シロアリなどでは、同種の個体が密集して生活し、コロニーとよばれる群れを形成している。これらの昆虫(ハチ、アリ、シロアリ)は、社会性昆虫と呼ばれる。
シロアリの場合、産卵を行う個体は、ふつうは1匹に限られる。その産卵を行うアリが、女王アリである。
女王アリ以外のメスは不妊である。
女王以外のアリには、ワーカーや兵アリがいる。
ワーカーとは、いわゆる「はたらきアリ」のことで、食物の運搬や幼虫の世話などの仕事をする個体のことである。 シロアリのワーカーや兵アリには生殖能力が無い。
ハチも同様に、女王バチやワーカーがいる。ハチでも、産卵を行うのは女王ハチのみであり、ワーカーや兵ハチには生殖能力が無い。
包括適応度
編集(ほうかつ てきおうど)
順位制
編集ニワトリやニホンザルやオオカミなどで、よく見られる。
ニワトリの場合、何羽かを檻(おり)の中で買うと、つつきあいをして順位が決まる。順位の高いほうが、つつく。順位のひくいほうが、つつかれる。
ニホンザルの場合、順位の高い個体のほうが、順位の低い個体の尻の上に乗っかり、これをマウンティングという。
異種個体群間の関係
編集生態的地位
編集ある種の個体群について、必要とする資源の特徴や、活動時間などのように、生態系の中で占めている地位を生態的地位(ニッチ、niche)という。
異種の個体群のニッチが似ている場合、ニッチを奪い合って競争が起きる場合が多いので、そのようなニッチの似ている異種個体群が共存するのは難しい。
たとえばゾウリムシ(P.caudatum)とヒメゾウリムシ(P.aurelia)は、ともに細菌を食物とするためニッチが似ており、よって共存は難しい。
いっぽう、タカとフクロウは、食べ物が似ているが、活動時間が違うため、自然界なら共存は可能である。
ゾウリムシとヒメゾウリムシのように、異種がニッチを奪い合って競争することを種間競走(しゅかん きょうそう、interspecific competition)という。
ヒメゾウリムシのほうが体が小さく、そのため、少ない食料でもヒメゾウリムシは有利である。なので、ヒメゾウリムシとゾウリムシを、たとえば狭い容器などに入れて競走させると、ゾウリムシが競争にやぶれて減少し、やがてゾウリムシは絶滅するという場合が多い。
このように、異種が競争して、どちらかが絶滅することを競走的排除(きょうそうてき はいじょ、competitive exclusion)という。
ニッチが異なっていれば、同じ場所であっても、異種の個体群が共存できる場合がある。 たとえばミドリゾウリムシとゾウリムシは、ニッチが微妙に異なっており、そのため共存しやすい。ミドリゾウリムシは光合成でエネルギーを生産できる。
執筆予定
編集- 行動圏
縄張り(テリトリー)
- つがい
シジュウカラは一夫一妻制。
- 捕食者 、被食者、被食者-捕食者相互関係
- 相利共生
アリとアブラムシ
- 片利共生
サメとコバンザメ
- 寄生
寄生者、宿主(しゅくしゅ)
ベルクマンの法則、アレンの法則
編集- ベルクマンの法則
寒冷地ほど、体が大型化。 ホッキョクグマ(大きい)と、ツキノワグマ(小さい )との関係など。
- アレンの法則
寒冷地の動物は、耳などの突起物が小型である。寒冷地であるほど、突起物が小型化している。
脚注
編集- ^ 本川達雄ほか、『生物基礎』、啓林館、平成26年用、平成23年検定、平成25年発行、