デザイン画、および集団作業

編集
 
正面図と側面図

ウルトラマンに出てくる怪獣など、空想上の生き物の着ぐるみを、もし新しく怪獣を考えて作るときは、考えた形を絵でデザインしてスタッフに説明する必要があります。

目的は、着ぐるみなどの実物をつくることですので、正面図だけでなく、側面図など別方向から見た図も必要になります。正面図だけでは、正面からは見えない部分の形が分からないからです。

側面図のかわりに背面図を書く場合もあります。また、正面図と側面図と背面図の3つを描く場合もあります。

いっぽう、上面図は、描かない場合も多いです。映像作品の着ぐるみなどの場合、正面図と側面図があれば、そこから形が分かる場合が多いのです。

また、こういった集団作業用デザイン画では、デザインの第一段階では色は塗らない(ぬらない)のが普通です。当面の目的は、形のデザインですので、輪郭線などの線を目立ちやすくする必要があります。影も、つけないのが普通です。

このように、集団作業のデザインでは、特に空想の生き物をデザインする場合、普通のイラストとは描き方がちがいます。集団作業用のデザイン画では、少なくとも2方向(たとえば正面図と側面図)が必要になる場合が多くあります。

 
アニメ風に描かれたキャラクター設定画の例(色つき)
作者 Danny Choo
このデザイン画では、全身像として正面図と背面図を描いている。※「色トレス」とは,線画の線に色がついている物ですね。
※ 絵だけでは分かりづらい場合、デザインに重ならない位置に、文章で短く、たとえば「手の形は○○にする」などのコメントを追加したりして、明確に指定する場合もあります。目的は、絵だけで表現することではないのです。目的は、制作スタッフどうしで共通認識を作ることですので、もし目的のために必要ならコメントも追加します。
※ なお、アニメと製造業では「三面図」の意味が違います。アニメでいう「三面図」はキャラ絵の場合、正面 ・ 後ろ姿 ・ 側面 の合計3面です。しかし製造業でいう「三面図」は、正面・側面・上面です。
正面図と側面図
※ 集団作業とは別に、彫刻を木彫り(きぼり)や石彫り(いしぼり)でつくるときも、彫られる(直方体の)木や石に、実物大で正面図と側面図を描きます。その図を参考に、彫っていきます。
CGを制作する時も、多くの場合正面図と側面図を描いて、その画像を参考に各部分を入力していきます。

デザインとアートの違い

編集

デザインとアートは違います。本来、「デザイン」は自己表現ではありません。教科書会社のサイトにある動画でも、そう言っています[1]

絵画でいう「デザイン」は、とりあえず理論的には、問題解決のために、観客に分かりやすく、観客が楽しめるように絵を交えて説明する絵画作品のことです[2]

なお、美術科目だけでなく、情報科目の情報1の単元『情報デザイン』でも、似たようなことを習います

「情報デザイン」は美大と一般大学とで意味が異なる

なお、『情報デザイン』という言葉は、大学では多義語です。たとえば東京大学の「情報デザイン」[3]の授業と、一方で美大にある「情報デザイン学科」は、まったく別の教育内容です。

芸術系ではない一般の大学にある「デザイン」は、「設計」という意味です。たとえば理系の大学での「情報デザイン」なら、コンピュータそのもののソフトウェアの「設計」という意味であり、プログラミングをして何かを作ったり開発したり、的な意味です。

理系だけでなく、文系の経済学部とか社会学部とか社学部とかの「デザイン」も、似たようなもので、なにか「制度設計」のありかたを考えよう的な意味の「デザイン」です。

これらの多くの文系学部や理系学部では、美術系のデザインは、扱いません。仮に扱っても、おそらく実技などの授業が存在せず、せいぜい美術史・音楽史など歴史科目として文化史のさわりを少し紹介するくらいです(高校の歴史科目の文化史の内容に、毛の生えた程度です)。

美大にある情報デザイン学科は、大学にもよりますが、グラフィックデザイン系の学科です[4]

一般の大学や、工業大学などにある〇〇デザイン学科や、校舎でよくある『デザイン棟』では、おそらく、美術などはロクにやらないと思いますので、よってグラフィックデザインの実技も一般大学ではやりません。基本的に、ほとんどの大学では(おそらく95%以上の大学では)、美術の実技などの授業は存在しないです。そもそも美術室が存在しない大学が、日本のおそらく95%以上です。

ともかく、『情報I』で習うような「情報デザイン」を想像すると、美大ではまったく違う内容ですので、気になる人は受験前に公式サイトやオープンキャンパスなどで教育内容を確認しましょう。

なお、デザインする仕事の人のことを「デザイナー」と言います。


ともかく、デザイナーは作品で情報が分かりやすく伝わらないと意味ないので、なので普通の人の気持ちもある程度は分からないといけません[5]


デザインでは普通、一発勝負はありません。

デザインでは、取引先や制作チームなどと協力して、試作品(プロトタイプ)を作って、それをつかってユーザーにテストしていくなどして改善していくプロセスによって、作品を作り上げていきます[6]。デザインでいう「試行錯誤」とはそういう意味です。


なお、CGと数学について、2020年以降の現在、3D-CGなどを作成するのに、基本的には中学卒業以上の数学の知識は不要です。それよりもソフトウェアの使い方のほうが必要だったり、あるいは、作品制作の実務的な経験にもとづく理解・知識のほうが必要です。仮に数学知識が必要だとしても、高校生レベルの数学知識に毛の生えた程度で十分でしょう。

美大のデザイン学科と再受験

絵描きの仕事の志望者にとって、『デザイン』という言葉の意味を知ることが重要な理由のひとつとして、仮に美大を志望する際の学科選びに関わってきます。美大の「デザイン学科」とか学科内コースなどの「グラフィックデザイン専攻」とかはそういう意味ですので。

世間には「デザイン」という言葉の意味を誤解して、「なんだか20世紀後半以降のポップアートのような画風・作風だろう」と勘違いする人がいます。たとえばラッセン(クリスチャン・ラッセン)の絵みたいなのと勘違いする人がいるのです。あるいは、「わたせ せいぞう」みたいな、なんかマンガ絵っぽいオシャレ感のある絵とか。

しかし、「デザイン」とは、断じてそういう意味ではありません。

もしラッセンや「わたせ せいぞう」みたいなのと勘違いして美大の「デザイン学科」に進学してしまうと、目的のジャンルの絵の練習・勉強をするために転学科する羽目になって学費が余計に(私大なら少なくとも1年あたり100万円以上も)掛かったり、最悪、自主退学して再受験する羽目になってしまいます。

美大とかをロクに調べたことないイラストレーターさんとかが「デザインの定義なんて知らなくていい。それより絵を練習しろ。」とか言う人もいるかもしれませんが、しかし上述のような美大生の転学科などの手間の実例を知らない人のいう知ったかぶりなので、相手しないほうがイイです。そういう人が出世しているジャンルの業界は、もうその業界そのものの知的水準に欠陥があるので、そっと界隈から離れましょう。

だいたい、書道だと、単に字をうまく書く練習だけでなく、古典文学を勉強したりする事もあります。あるイラスト業界のイラスト会社が座学的なことを勉強しなくていいからと言って(そういう業界もあるのでしょう)、別の会社、別の業界までそうだとか、決めつける人はちょっと困りものです。


ともかく、美大ごとに、どういう意味で「デザイン」と言う言葉を使っていか異なる可能性もあるので、詳しくはそれぞれの美大についてパンフレットやらオープンキャンパスなどで調べてください。

あるいは、もしアナタが今が経済的に貧しくてオープンキャンパスに行けないなら、そもそも芸術家を将来の収入を得る職業として志望する進路そのものを考え直したほうが良いと思います。

美大・音大とか目指して3浪とか多浪する計画を立てたりして「浪人の困難にくじけず努力なワタシ! 自分かっこいい!!」とか自己陶酔できるカネと時間があるなら、私大あたりのオープンキャンパスに行く交通費のカネくらい捻出(ねんしゅつ)できるでしょう。もし捻出できないなら、足りないのはカネではなく、アナタの知能とかメタ認知とかの不足だと思いますので、まずは自身の情操を何とか生きていけるレベルにまで認知を発達させるのが優先でしょう。


日本では昭和の頃、服飾業界での『ファッション・デザイン』などの語とともに「デザイン」という単語が普及した経緯もあるので、どうも『デザイン』と言う言葉を、なんか昭和の戦後の頃に勃興した画風の総称だろうと誤解する人がいるのですが、まったく意味が違います。

そう勘違いしたまま美大受験浪人とかを3年やそれ以上も繰り返してしまうと、ちょっと人生で時間と金をかなり年単位で遠回りしてしまい、百万円単位でお金が飛びかねないので、昭和の時代なら勘違いするのはともかく、令和になってまで勘違いし続けるのは、さすがに直しましょう。


ただ、「デザイン」と言う言葉がまったくポップアートみたいな文化とも言えなくもない業界もあります。生け花とか華道とか知ってる人だと「フラワーデザイン」とか言う単語を知っているかもしれません。

このフラワーデザインとは、なんか西洋の花を、なんか明るく飾り立てたりするジャンルの芸通です。

なので、一般的な華道とかと違って、「わびさび」とか、フラワーデザインは基本、目指していません。

なお、海外ではフローラルデザイン(floral design)と言う。フラワーデザインは和製英語。


このように、カタカナの「デザイン」という単語が外来語である以上、英単語 design の本来の辞書的な和訳の「設計」「意匠」「構想」などの意味とは別に、海外文化の文脈も日本の外来語「デザイン」という単語には含まれることになります。

このように外来語としての「デザイン」という単語は、多義語です。

あまり和服とかの造形をファッションデザインとは言いません。同様、日本のボタン(牡丹)とかシャクナゲ(石楠花)とかの草花を和室っぽい場所にわびさびを感じさせるように飾ることをフラワーデザインとも言いません。

ともかく、芸術系の学校に進学する場合は、カリキュラム(教育課程)などをきちんと調べてください。「デザイン」のように同じ言葉でも学校や学科ごとに別々の意味で使っている可能性もあるので、進学志望校のカリキュラムの具体的な内容を調べておく必要があります。何らかの方法でカリキュラムを具体的に調べて下さい。


ほか、美術系ではないですが、「デザイン思考」「デザインシンキング」などを学ぶ学科として「○○デザイン学科」みたいなのが、いくつかの一般の大学にあります[7]。デザイン design とは「設計」という意味ですので、その大学の「デザイン思考」教育の中身は経営学とかかもしれません(経営組織の設計論みたいな)。美術とかその大学で学ばない可能性が大ですし、卒業しても美術家としての肩書とは認められない可能性が大ですので、ちゃんと募集パンフレットとかで確認しましょう。

上記、「デザイン思考」の学科の参考文献は理科系の大学についての情報ですが、べつに理科系の大学だけでなく、文科系の大学にも「〇〇デザイン学科」というのがありますので、勘違いしないようにしましょう。

デザイン画は基本的に先に形状を決める

編集

漫画『天才バカボン』の作者の赤塚不二夫(あかつか ふじお)が1982年に書いた学習マンガ『ニャロメの面白コンピュータ探検』で、ファッションデザインについて言及されています。

ファッションデザインでは、作家にも寄るでしょうが、基本的には、形を決めてから後から色を決めるのが暗黙の前提のようです。

なぜなら、この方法とコンピュータを組み合わせると、何度もパソコン上で、さまざまな色でシミュレーションできます。(学習マンガでも、未来はそうなるだろうと言及している)とても安上がりです。


業界や会社によって様々なので決めつけはできませんが、おそらく基本的には上記のように、多くのデザイン業務では、形状を先に決め、あとから色を決めることになると思います。

仮に、発注主からの注文で、色もつけてデザイン画を描いたものの納品を求められたとしても、そのときの色は、あくまで仮の色になるでしょう。

発注をしてきた会社などの多くは基本、形を先に決めたがると思います。


どの業界のデザインでも、「形が先か、色が先か」は、場合によって違いはあると思いますが、少なくとも、形の決定と色の決定とが、別々の決定になる可能性を想定しておくのが良いでしょう。


例として、アニメや漫画などでも、基本的には、形を先に決める傾向です。ただし、例外として登場人物のイメージカラーなどが既に色が決まっている場合は別かもしれません。

日本の漫画はそもそも白黒です。

アニメの場合、マンガ原作ではないオリジナル作品などでも、アニメ雑誌などを見れば先に線画で形状を決めている事が、紹介される画像から見て取れます。

平成初期の1990年代~2010年ごろのアニメ雑誌などで、新企画のアニメを見ると、そもそも色なしで線画で形だけキャラクターが紹介されている場合もよくあります(令和の最近のアニメはどうか知りません)。

または、推測ですが、もし仮に設定画などで色がついていても、アニメ放映時に色が微妙に変わる場合もあるかもしれません。それに近い事は実際に過去のアニメ作品にありました。


とはいえ、さすがに喪服(もふく)のデザインの色が、黒からの変更で、明るい赤や黄色などに変更されることは無いと思います。社会通念の公序良俗の事情で、喪服が明るい黄色にはならないと思います。しかし、そういう公序良俗などの特別な事情が無いかぎり、多少の色変更の可能性は、想定したほうが良いでしょう。

このため、何かをデザインする際は、色または形状が少しくらい変更される事も想定して、デザインをするほうが安全でしょう。


裏を返すと、デザインは画風がある程度、限定されます。上記のような注文主などの工程の都合のため、画風が限定されます。

たとえば、いっさいペンも筆も使わずに、スパッタリング(目の細かい金網を、絵具をつけた歯ブラシでこすることで、しぶきを多数 飛ばして描く方法)の画風を駆使して何かの絵を輪郭線なしで描けても(説明を簡単にするため、マスクテープは使わないとします)、もしそれで何か作品を描ける能力があっても、それを何かの形状のデザイン系の仕事に定常的にむすびつけるのはコスト的には難しいでしょう。(コストを度外視すれば1回くらいは可能かもしれませんが、長続きをできないでしょうから、その可能性は省略します。)

ファッションなどの形状ではなく、そのファッション内の模様などのデザインなら、もしかしたらスパッタリングなどの方法でも描けるのかもしれません。しかし、形状そのものをスパッタリングでデザインするというのは、少し無理があると思います。

念のため、ネット検索で「スパッタリング ファッションデザイン」で調べてみましたが、100個くらい画像を見ても、さすがにスパッタリングでファッション形状そのものをデザインしたものは見当たりません。(ファッションの模様がスパッタリング風のものならあります。)

ほか、白い用紙に、白っぽい線や絵の具で線画を描いても(つまり、背景色と同じ線色で線画のデザインをしても)、注文主から「ふざけんな」と注文を切られるだけだと思います。


印刷ミスと輪郭線

マンガの画風の場合、ほとんどの作家の画風では、キャラクターの輪郭線はハッキリと描きます。マンガ業界以外の水彩画などでは、輪郭線を描かない画風もありプロの画風でも認められていますが、しかしマンガの場合、そのような輪郭線を描かない画風は、マンガ出版社からは制作工程上のさまざまな理由により、敬遠されます。

マンガの場合、これは印刷上のミス防止という理由があります。もし輪郭線を描かない画風だと、読者に誤解で「もしかして印刷ミスかな? 印刷機にゴミが挟まって、部分的に印刷が飛んだのか?」というような印刷ミスなどの不具合と、誤解されかねないのです。

すでに1980年代に、『鳥山明のヘタッピ漫画研究所』という漫画家志望者むけのノウハウ本マンガで、すでにこのような印刷工程上のキャラクターデザインの話がされています。

その本では、新人漫画家の原稿の冒頭シーンで、真夏の強い日差しで、まぶしくて輪郭も見えないシーンを描いた原稿に、プロ漫画家が、上記のような印刷上の理由をもとに、ダメ出しをしています。マンガではこう輪郭線を部分的に除去して書くと、読者に印刷ミスだろうと誤解されやすいのだと。

ノウハウ本では言及されてないですが、たとえばもし全国の読者のうち、ほんの十数人でも誤解する人がいたら、出版社はそのために対応の時間を割かれかねません。それは週刊ペースの漫画の忙しい現場では、避けたい事態です。

もちろん、そういう輪郭線をあえて飛ばす手法でも、読者に誤解させずに描けるマンガ家はいます(たとえばスクリーントーンなどを多用して描いたりする作家もいます)。ただし、高めの画力と、背景などの描きこみのために時間を要します。マンガの場合、月刊マンガなどになるででしょう。

週刊ペースのような限られた時間内で、制作できる画風には、限りがあるのです。

雑誌連載時の紙の品質だと、細かすぎる線やトーン処理は、うまく紙に印刷されない場合もあるのです。そのため画風では、少しくらい印刷がミスっても作品の内容が伝わるように。なるべく輪郭線のくっきりした画風が好まれるのです。

アニメと比べるとマンガは少人数で描けるために自由度が比較的に高いですが、それでも上記のような印刷の都合による制約は存在します。

上記のような制約のほかにも、紙の雑誌に掲載されるマンガなら、たとえば白黒で表現できない画風はダメなわけです(日本の漫画雑誌は白黒の印刷なので)。

「解決すべき課題に特に対応しない実演」は「単なる模倣」

編集

神戸大学付属の中等教育学校(いわゆる中高一貫校)の、探究論文のためのガイドライン中で「課題研究の成果として論文以外の制作を伴う研究のガイドライン」として、次のように言われています[8]

何らかの課題を解決するための制作方針が明記されていることは、制作が研究として認められるた めの必須要素であり、これがない制作は本校の課題研究としては認められない。何らかの創作を伴 う制作であればその創作方針が明示されるべきである。既存作品(楽曲等)の実演を制作物として 課題研究とする場合は、それに対する自身の解釈や、身体操作の独自の工夫などを実演方針として 明示することが求められるのであって、解決すべき課題に特に対応しない実演や単なる模倣は本校 の課題研究としては認められるものでない。

なお、神戸大学には文学部がある、と芸術かぶれの人には言っておきます。

引用の最後を、さらに抜粋。

解決すべき課題に特に対応しない実演や単なる模倣

いやあ、手厳しいですねえ。「解決すべき課題に特に対応しない実演」は「単なる模倣」と同列らしいです。助詞「や」は、並列の助詞ですので。同列・同等・同格のものを並べる際に「や」を使うワケですし。

課題解決系のデザイナ-にを目指す場合は、肝に銘じておきましょう。


伝統工芸とかそういうのは、模倣をある程度はするのも、仕方ないかもしれません。


上記はあくまで、論文の書き方で合って、べつに創作の仕方ではありません。

しかし、論文を書く以上は、たとえ文学史や美術史などの内容の論文であって、上記のように、言語化などによって根拠が明示されないかぎり、なんの証明にもなりません。そして、文学史や美術史などの論文と言うのも存在することを忘れてはいけません。


神戸大は言ってないですが、世の中には、なんか難しいことを実演しただけで、理論を証明したつもりになった気になる、頭のヘンなアマチュア作家がいます。しかし、難しい事の実演は、どんなに難しかろうが、単に難しいだけでは、証明にはなりません。

統計的な内容をふくむ理論の証明をしたいなら、検証には、統計的な数字を見るしかありません。あるいは、歴史の証明なら、たとえるなら織田信長の歴史を証明したいなら、織田信長の人生についての歴史書を読んで、論文や検証レポートなどを発表するしかないのに、どんなに剣道とか流鏑馬(やぶさめ)とか練習しても、どんなに剣道が上手でも、なんの証明にもなりません。美術史の証明も同様です。


たとえば、自分の好きなジャンルが今では世間で流行してない時(その年の商店とか見れば分かります)、単に「このジャンルは流行してない」という統計的な事実(業界での作品数とか見れば分かります)を認めれば済むのですが、なんかひたすらそのジャンルの作品を発表して、それをもって証明とする、頭のヘンな人です。

たとえば、昭和の漫画家の藤子不二雄の作品『パーマン』は現代に流行ってないですが(少なくとも2023年はそう)、それを認めたくなくて、なんかパーマンの漫画の模写をひたすら練習して発表したり、またはパロディ漫画を書いたりするような、頭のヘンな人です。たとえそのパロディ漫画がどんなに面白くてヒットしようが、それはそのパロディ作の流行であり、それは元ネタのパーマンそのものが2023年に世間で流行している事の証明にはなりません。べつに手塚治虫の鉄腕アトムでも、ほかの作家の他の作品でも、何でも構いません。

誰も「パーマンのパロディ同人誌を書くな」とか言ってないのに、パロディ同人を書いても証明にならないよと指摘しただけで、「じゃあ、お前がマンガを描いてみろ!」みたいな論理の飛躍を言う同人作家みたいな人は多いのです。パロディ同人作家でもマンガ出版社のなかには採用したい人もいるかもしれませんが、その事と、そのパロディ元の作品が流行してるかどうかは何の関係もありません。

どこぞの出版社に作家として採用されようが、世間のサラリーマン(彼もどこかの企業に社員として採用されています)の言ってる事と同じように、何の学問的事実の証明とは関係もありません。関係あるという人は、じゃあ、どこかの企業に採用されている世間のサラリーマンが言ってる事を何でも信用するのか。あるいは、サラリーマンのほうは信用しないというのは、職業差別です。

世の中には、なんか手間のかかることとか、難しいことをしただけで、それをもって、社会のなにかを証明したつもりになるアマチュア作家がいるのです。

個人的な創作意欲の証明にはなるかもしれませんし、そのおかげで採用してくれる会社も少しはあるのかもしれませんが、しかし一切、社会の統計的な証明にはなりません。


「マンガが上手くなりたいなら、漫画を描くしかないだろ!」とかアマチュア作家は反論してくるかもしれませんが、同様、漫画の流行の歴史なり統計なり何なりを証明したいなら、世間の消費者のマンガ消費を観察するしかないのです。彼風に言うなら、「統計を証明したいなら、統計を見るしかないだろ!」でしょうか。なのに、本人が漫画を描くのを練習することをもって「証明」としようとするのは、それは決して対象に実直に取り組んでいるのではなく、単に自分の趣味以外(マンガ趣味以外)を馬鹿にしている、しょうもない自己顕示欲です。

マンガを作成する途中に発見した統計なり多くの消費者からの意見なりをもって「証明」とするならまだしも、単に上手なマンガが描けただけでは、何の証明にもなりませんが、そういう事が分からない人は多いのです。

もしかしたらマンガ業界とかアニメ業界とかの業界内部では、作家さんにも意見を聞くのかもしれませんが、そのような特定業界の内部の慣習は、業界外には関係ありません。業界外の人は、べつにマンガ業界とかの従業員ではありません。歴史や統計は、創作物ではなく現実ですので、作家の意見は関係ありません。司馬遼太郎の歴史小説がどんなに人気でも、それをもって小説の内容を史実とは出来ないのと同じことです。


「学ぶ」は「真似る」が語源とも言いますし、別に先人のまねをすることが悪いとも言っていません。ですが、どんなに学んでいようが、それは研究としての価値とは別です。研究は、その知見の成果をもって社会を改善するなりしないかぎり、どんなに正確なことが書いてあっても価値は無いですし、難しいだけでは価値が無いのです。

別に創作にかぎらず、たとえば掛け算「12675 × 3354 = 42511950」という計算は暗算では難しいですが、それが暗算で出来たとして、なんか社会の役に立つんですか? 理系の大学に、「暗算学部」とか「暗算学科」とかありません。論文を書くのに暗算アピールする馬鹿はいません。


よく、アートの世界とかで、「作家が自信の作品を魅力や意図などを言語化などする必要ない」とか言う評論家もいます。

しかし、業界にもよりますが、現実としてアニメ業界やげゲーム業界などいくつかの業界では、作品の意図などが企画書などで明示されます。アニメの場合、そもそも、そういうのが番組宣伝などの元ネタだったり、次回予告の元ネタだったりもします。

市販の有名アニメ映画などの設定資料集などを見れば、普通に確認できることです。アニメ業界・ゲーム業界以外がどうかは知りません。

そもそもそういう商業アニメやゲームなどから隔絶した表現を追求したいなら、その人個人はそうすれば良いでしょう。そういう隔絶した業界があるのも、表現の多様性かもしれません。

しかし少なくとも「クールジャパン」などと日本政府が喧伝していたり、海外のアニメファン・ゲームファンなどが熱狂しているアニメ作品、ゲーム作品などの商業作品(一般のデパートなどでソフトやコンテンツが購入できるような有名作品)の多くは、企画書などで制作意図が明言されています。そもそも、そういうアニメ業界やゲーム業界の技法書・教本などを読むと、芸術評論化の言うような「芸術」とは違う業界だと明言している書籍もあるくらいです。

たとえ、いちいち消費者の個々人に制作意図を伝える必要は無くても、しかしスポンサー企業に制作意図を伝える能力は、その制作会社の会社全体としては要求されます。


音楽の場合でも、べつにプロの歌手・演奏家のライブでなくても、例えばそこらへんの公民館での地元の音楽家の合唱や演奏ですら、簡潔な説明ですが、これから歌唱・演奏などをする曲について、その曲を詳しく知らない人のための説明が口頭でされます。

せめて、公民館の音楽の程度でもいいので説明が無いと、これはかなりターゲット層が狭くなってしまうと思います。意図的にそういう分かりづらい表現をしたいなら、それも一つの表現ですが。

公民館での孫の晴れ舞台を見に来たお爺ちゃん、お婆ちゃんとかは、そんな最近の曲の細かい背景事情なんて知らんのですよ。


耐久性の低い注文をする注文主と、それにこたえる芸術家

編集

よくある事例ですが、耐久性を無視する屋外美術品が、ときどきよくあります。木材の建築「美術」(笑)とか。

FNN『隈研吾氏設計の美術館が劣化でボロボロに…改修費3億円に住民衝撃 ふるさと納税で修繕計画も賛否』, 2024/09/04

各地の寺社とかああいう木造建築は、定期的に何年かごとに修繕工事をしており、予算が大きく掛かっています。そういう維持費用が払えない経済力の人たちは、そういう屋外の木材美術の注文をしてはいけません。

また、保護塗料をケチるというのも、非常によくあります。場合によっては注文主がそもそも、保護塗料の存在意義を理解していない場合もあります。単に「見た目がピカピカになる」という光沢のためだけの塗料だと勘違いしている、カラスみたいに光沢の好き嫌いだけの本能の(なお、水辺に反応する本能だと考えられている)、とても頭の悪い鳥類みたいな哺乳類ヒト科の片隅(かたすみ)の人もいたりします。自治体だと、さすがにそこまでのヒト科はいませんが、中小企業とか成金とか私立文系だとそういう人もいます。

保護塗料の必要性が分かってない馬鹿のくせに、自分を「見た目のツヤツヤにこだわらない、実直な人間である」とか、ひどい思い上がりをしています。

むしろ、保護塗料のほうこそが本質であり、黄色やら茶色などの見た目で分かる色をつけるのは、単に「塗料が塗られているか」を確認するための手段に過ぎません(建築だけでなく、航空機や船舶などの塗料もそうです)。そういうのが分からない、本末転倒な人も多いのです。そういう人でも、年功序列でカネが稼げたのが昭和の時代。米ソの東西冷戦のおかげ。


不動産の界隈でも、1970年代の原野商法で、木造建築の別荘ビジネスで「郊外の北関東に、500万円で別荘が買えます!」みたいな宣伝をする原野商法とか、よくあったり。木造の建築なので、今や家屋がくさってボロボロ(その原野の別荘群の宣伝イラストを描くイラストレーターたちの話は、また今度。こういう、自慢できない仕事もするのが底辺イラストレーターの史実)。

しかも大抵は傾斜地にそういう別荘が立てられており、土砂崩れとかの恐怖もあったりして、まあ、買ったヤツの自業自得です。

脚注・参考文献

編集
  1. ^ 『インタビュー映像 美術のはなし | 高等学校 美術 | 光村図書出版』 情報をデザインするということ 、語り手:グラフィックデザイナー 中川憲造 教科書関連ページ:平成30年度版『美術2』P.32-33「情報を視覚化するデザイン」
  2. ^ 『インタビュー映像 美術のはなし | 高等学校 美術 | 光村図書出版』 情報をデザインするということ 、語り手:グラフィックデザイナー 中川憲造 教科書関連ページ:平成30年度版『美術2』P.32-33「情報を視覚化するデザイン」
  3. ^ 『Xユーザーの渡邉英徳 wtnvさん』午前9:53 · 2024年6月2日
  4. ^ 『【求人情報】京都芸術大学が、情報デザイン学科の教授・准教授または講師を募集』
  5. ^ 『インタビュー映像 美術のはなし | 高等学校 美術 | 光村図書出版』 情報をデザインするということ 、語り手:グラフィックデザイナー 中川憲造 教科書関連ページ:平成30年度版『美術2』P.32-33「情報を視覚化するデザイン」
  6. ^ 山崎正明『中学校美術 指導スキル大全』、明治図書、2022年5月初版第1刷刊、P50
  7. ^ 『東京理科大に33年ぶりの新学部が誕生』2024/04/19
  8. ^ 『2023 年度 Kobe ポート・インテリジェンス・プロジェクト 課題研究・卒業研究ハンドブック』P.17