トーク:制御と振動の数学
疑義
編集以前トーク:圏論でも同様の疑義を呈したのですが、この「制御と振動の数学」は投稿者がオリジナルな執筆者なのでしょうか?先ほど加筆された制御と振動の数学/Laplace 変換/有理関数の原像/有理関数の原像の求め方に「この結果は は明らか<ref>個人的にはそうは思わない.</ref>であるから,対応 からも直ちに出る.」という記述があります。本文中の「明らか」という説明に対し「個人的にはそうは思わない」という脚注をつけるというのは、本文と脚注が同じ執筆者の手になるものであれば、ありえないことだと思います。私には、何かの原典をそのまま書き写しながら、書き写している投稿者個人の見解を加えている、という状況しか想像できません。もうそうであれば、それが放置されているのはかなりまずい。早急に対応すべきことではないかと思います。
なお、以前トーク:圏論で同様の指摘をした際には、脚注を修正されたうえで「本文同様に数学的に正しい記述にあらためました」と胸を張られてしまいましたが、そういう問題ではないです。数学的に誤っていること自体を問題視したのではなく、原執筆者が投稿していない可能性を指摘したのであり、数学的に誤った脚注が当初ついていたことはあくまでその傍証として挙げたにすぎません。後から修正されたとしても、当初そのような脚注がついていたということはなお傍証として残ります。今回の指摘も同様で、「そうは思わない」という脚注が除去されれば問題が解決されるというものではありません。問題視しているのは原執筆者が投稿していない可能性のほうであり、当初そのような脚注がついていたという事実はたとえ修正されたとしても傍証としてなお残ります。くどいですが念のため事前にはっきり言っておきます。--115.37.79.69 2019年6月29日 (土) 07:34 (UTC)
オリジナルな執筆者が分裂症的傾向を有し反復して自問自答を繰り返しながら個々の微細な論点に対し瞬時瞬時にメモとしての参照記述をつけることは考えられませんか? むしろ、一度に全体を一気に書いたとしたら、そちらのほうが原典の書き写しの可能性が高くなります。数学的な記述ならばなおのこと計算間違いや証明の不備があってもいたしかたないし、場合によっては認識していても執筆者自身が自身の能力の限界を感じて、誠実にも敢えてそう記述することすらあり得るでしょう。131.129.114.156 2019年7月1日 (月) 12:37 (UTC)
- 執筆の当事者たるあなたが「考えられませんか?」だの「可能性が高くなります」だの「あり得るでしょう」だのといった推測するような表現を使われるのはまったく意味が分かりませんし、極めて不誠実な対応です。あなたなら、はっきりしたことがわかるはずです。この記事は剽窃ですか?剽窃ではないのですか?私の疑念は正しいですか?誤っていますか?あなただけにはそれがすべてはっきりとわかるのですから、真実をはっきりおっしゃってくださればそれで済む話です。--115.38.28.52 2019年7月1日 (月) 13:07 (UTC)
- まず剽窃とは「人のものを自分のもの」にすることですが、仮にこの投稿内容が原典の書き写しであったとしてこの投稿者は IP ユーザーを貫き自分の署名をつけず IP アドレス自体も転々と変わってきているようですから自己顕示の意思は存在せず剽窃とは呼べないでしょう。思うにある書籍を世に広めたいという純粋な感情でのみ駆動されているように見えますので著作権法等は彼には意味を持たず、いや、ユダヤ教的法の奴隷・言葉の自動機械に過ぎない損得勘定に長けた輩がその損得勘定的思考ゆえに遵守しているにすぎない法という束縛を打破してはじめて表現できる真心があるのだとギリシャ的に思考しているのかもしれません。剽窃を指摘するには、それがどの書籍を剽窃しているかを具体的に指摘する必要があり、投稿内容から可能性として推測できるにすぎない傍証では該当記事の削除や投稿ブロックを実施するには根拠に乏しいと考えます。193.148.16.219 2019年7月2日 (火) 11:00 (UTC)
- 煙に巻くような言い方はいい加減にしてください。私はただちに「記事の削除や投稿ブロックを実施する」ことを求めてはいません。そのためには情報が足りないのはおっしゃるとおりであり、であるがゆえに真実を知っている方からの情報を求めています。それに対する対応として、あなたの対応は極めて不誠実です。「ある書籍を世に広めたいという純粋な感情」であっても書き写しは違法行為なのでしかるべき対応の対象となるのですが、今回のレスはそのような行為をしていることをお認めになったと解釈してよろしいですか?--2402:6B00:464A:8200:C05B:4168:1DF2:F228 2019年7月2日 (火) 11:27 (UTC)
不誠実といいますがその不誠実とは誰に、または何に対する不誠実を指しているのでしょうか。仮にこの投稿者が書籍の転載を行なっているとして彼の足跡を辿ると原文を尊重しながら誤植を修正し術語を補足しギャップを埋め証明を補充し数学的帰納法による記述を基本避けつつ必要な場合には数学的帰納法で厳密に処理する手間も厭わない、指摘の原文の「明らか」に対して「個人的にそうは思わない」と注を付けて補記しているところなどは仮にそういうものがあるのならば数学書の読み方①②というものを厳格に踏襲しつつ著者とその著作に真心を以て誠実に対応しているといえます。その数学書に対する真摯な態度を一番に表明している部分をよりにもよって法的不備とし指摘するところに、貴殿の科学に対する基本的な思想の欠如を明瞭に示す証拠を見出せるでしょう。—以上の署名の無いコメントは、119.104.37.90(会話/whois)さんが[ 2019年7月3日 (水) 04:22 (UTC)]に投稿したものです。
- 共同作業により教科書を作成することを目的とするWikibooksにおける、共同作業者に対する不誠実さを問題にしています。もしこの記事が著作権上の問題を抱えていることが判明した場合、削除しなければなりません。そうなると、今後この記事の編集に協力する他者が現れた際に、その努力が無に帰すことになりかねません。そのような事態を招くリスクがあるのかないのかを開示しないことは、共同作業者に対して極めて不誠実です。数学に対して誠実であることが必要なのは当然のことですが、共同作業の場であるWikibooksではそれだけではいけないのです。他者と共同作業をする気がないのであればあなたはWikibooksへ参加すべきではありません。そして、御託はどうでもいいので質問に答えてください。あとご自分のことを「彼」と呼ぶのもそろそろやめてください。--2402:6B00:464A:8200:295E:9439:58B3:535B 2019年7月3日 (水) 12:32 (UTC)
- なにをカンカンになって議論しとるのやと思うてみたら、線形微分方程式の話やないか、線形微分方程式ちゅうたらロンスキアンでカタがついた19世紀の数学や、21世紀には理系大学の1年生で習うやつなんやで、こんなもん誰が書いても一緒になる、っちゅうか、 の積分で になって の肩に乗って指数関数三角関数の一本道やで、18世紀に が発見されてから自明なんや、そもそもラプラスはラプラスにしたために表現できる範囲が狭まったんや はラプラス変換が存在しないやろ、だからラプラスの方法では方程式が解かれへん、普通に変数分離法・常数変化法で解ける関数がラプラスでは解かれへんちゅうのは自分で自分の首をしめるっちゅうやつやねん、せやからラプラスもヘビサイドも写経屋もみんなまとめて周回遅れなんや、数学に忠実とかほざいているが、君らのやっているのは数学やあらへん、周回遅れの算数や、「さんすーに忠実」っちゅうレベルやねん、それにしても写経屋のキャップだかげっぷだかしらんが細かいやおまへんか?好きでやってるんやったら好きにしたらええけど、おまえ自明の式にいちいちげっぷやいうて突っ込みいれてたら、写経が終わりまへんで、お前、圏論にいきたいんやろ?このペースじゃ圏論は百年後やな。そうや、お前のためにげっぷを見つけといたからな、俺って親切やろ、それは「実数の範囲で必ず既約な 1 次式と 2 次式との積に因数分解できる」ちゅう部分や、これは特大のげっぷや、お前このげっぷを埋めてみい、せやけどなんやな、こんな周回遅れの算数に著作権がどうたらこうたらと突っ込みを入れる方も大概やな、ああ、カンガルーのアスキーアートで「争いは同レベル間でしか起こらない」っちゅうやつやな、写経屋が周回遅れの算数なら告発人も同レベルの周回おくれや、あれや、小学生が九九を貼ってドヤッとるのに対して、「その九九は著作権違反ですぅ」とか突っ込みをいれているレベルや、線形微分方程式も理系のじょーしきでいまさら著作権とか関係あらへん、周回遅れのラプラスなんか放っておいたらええんや、こうやってべたな関西弁で書いたらケツの穴の小っせー告発人がいちいち消しよるかもしれんがな、ワシはいいたいことを言うて自分で消えるわけや、うまい方法やろ?185.16.85.149 2019年7月6日 (土) 03:10 (UTC)
- 指摘者の7月1日の投稿では「執筆の当事者たるあなたが『考えられませんか?』だの『可能性が高くなります』だの『あり得るでしょう』だのといった推測するような表現を使われるのは(略)極めて不誠実な対応です。」という記述からすると、あいまいな投稿者の回答が指摘者に対して「不誠実だ」と理解できるのですが、それが 7 月 3 日の投稿では「共同作業者に対する不誠実さ」に微妙に変化しているのですね。確かにこの変わり身は、一連の内容から頭の幾分鈍いと推察される投稿者にはまねのできない芸当ですが、鈍い投稿者は、鈍いだけにこの変わり身に納得できないどころか憤懣やるかたない状況でしょう。伊藤貫氏の最近のエリートに対するコメントを思い出します、曰く、「人が自分のことをエリートだと思ってくれるか、人が自分のことを successful だとおもってくれるか、と、そういう連中ばかりが『エリート』になっているから、ろくでもない奴ばっかりで、今度フランスの大統領になったマクロンみたいなやつ、もう口先ではペラペラペラペラもっともらしいことをいうんだけれども、結局ね、ほいほいほいほい自分の立場を変えるわけ、ほいほい自分の立場を変えても、自分は『うまく立ち回っている』つもりなのね。」そもそも「今後この記事の編集に協力する他者が現れた際に、その努力が無に帰すことになりかねません。」という事態は、この記事「トーク:制御と振動の数学」それ自体を立ち上げることで事実上回避されているわけであり、ご自分でリスク回避を実施しているのに、すでに回避されたリスクを問題にするとは、二重三重にも矛盾しているとしかいいようのない、まさしく「不誠実」の見本ともいえる態度でしょう。過去の数学書に対して注釈をつけて公開するという行為は偉大なる先例をリスペクトしているともとれますが、指摘者はそんな話もご存じないようですね。141.98.252.162 2019年8月4日 (日) 08:18 (UTC)
(インデント戻します)以下の書籍と名称が一致しています。
- 『制御と振動の数学』布川昊著(機械工学大系, 3)コロナ社, 1974.8 CiNiiのページ
布川昊氏は京都大学名誉教授、ネットだけではプロフィールが追えませんが、京都大学の退官は1996年ですので、もしもご存命でなくても、この書籍に関する著作権は十分に存続しています。
また、布川氏の著作に『ラプラス変換と常微分方程式』というものがあり、その目次がここで確認できるのですが、これが、制御と振動の数学/第一類と一致しています。
機会を見つけて、図書館ででも確認したいと思います。
- >「過去の数学書に対して注釈をつけて公開するという行為は偉大なる先例をリスペクトしているともとれますが、指摘者はそんな話もご存じないようですね。」
少なくとも、著作権の存続する書籍は『過去の』書籍ではなく、引用を超えた無許可の転載(出典不記載の時点で「引用」ではない)は単なる権利侵害ですし、著作権の有無に拘らず、誰が書いたかもきちんと書かずに、あたかも自分で考えたかのように書籍を引き写すだけの行為は、リスペクトでもなんでもありません。--Tomzo (トーク) 2020年12月28日 (月) 02:24 (UTC)
- 上記にみられる21世紀の写経者自身またはその擁護者の弁明中に「仮にこの投稿者が書籍の転載を行なっているとして彼の足跡を辿ると原文を尊重しながら誤植を修正し術語を補足しギャップを埋め証明を補充し数学的帰納法による記述を基本避けつつ必要な場合には数学的帰納法で厳密に処理する手間も厭わない」とあります。21世紀の写経者による当該の数学的証明には21世紀の写経者自身の強固な意志が含まれており、結果、証明を補充する行為は単に「書籍を引き写すだけの行為」ではないでしょう。また、「著作権の有無に拘らず、誰が書いたかもきちんと書かずに、あたかも自分で考えたかのように書籍を引き写すだけの行為」に対しては、21世紀の写経者は署名を意識的意図的に付与せしめず、従って「自分で考えたかのように」という批判は的外れでしょう。「著作権の存続する書籍は『過去の』書籍ではなく」とのことであり、これは著作権上の観点からの視点と理解しますが、21世紀の写経者の意図はそこにはなく、問題の記事は19世紀に確立された理論であることから、その点により「過去の書籍」と呼称したものと思われます。そもそも20世紀の原著者は19世紀の数学理論を再構成したにすぎずゼロからの理論構築者ではないでしょう。その意味では20世紀の原著者は数学的には21世紀の写経者と大きく立場は変わらないと考えられます。しかし21世紀の写経者も本著述における20世紀の原著者の数学的貢献が皆無であるとはいっておらず、むしろ、20世紀の原著者の特に導入章に顕著に見られる教育的貢献に感動した21世紀の写経者は、21世紀の写経者なりに上記のとおり証明の補充やギャップの補足という形で数学的付加価値を追加して、19世紀の理論構築者と20世紀の原著者の両方に敬意を示していると考えられるでしょう。「出典不記載の時点で「引用」ではない」とのことですが、出典の不記載はこの場合出典の記載をもって即時削除対象となることからの技術的回避にすぎないと推測し、その20世紀の著作者に対する著作人格権上の瑕疵に対する補償としての 20世紀の原著者の仕事の再検討と理論的補充の形での努力の痕跡は認めるべきでしょう。上記にみられるとおり21世紀の写経者が20世紀の原著者に対してどの程度のリスペクトの念を抱いていたか、あるいは現在もリスペクトの念を抱いているかを想定せずに、法令上の字句を字句どおりに解釈する行為に対して、21世紀の写経者またはその擁護者は「ユダヤ教的な法の奴隷・言葉の自動機械に過ぎない損得勘定に長けた輩がその損得勘定的思考ゆえに遵守しているにすぎない」とあらかじめ痛烈に批判していることは心に留めておくべきでしょう。21世紀写経者またはその擁護者のいう偉大なる先例とは、上記に示したような数学的理論の永年に渡る理論構築の歴史を指しており、かつ、21世紀の写経者もその一部としてささやかながら貢献する意図を表出し、それによって千年以上にもわたる数学的伝統よりは、はるかに歴史の浅い著作権上の事由により裁断することは大局的には錯誤であることを主張しているといえます。すくなくとも削除に値するかどうかは数学的考察と数学的判断に第一に基づくべきであり、数学的判断を欠いたまま法令上の解釈のみで実施することは「科学に対する基本的な思想の欠如を明瞭に示」し、これは wiki プロジェクト全体の価値を損なうものと主張しているでしょう。以上、21世紀の写経者またはその擁護者の主張する論点は現行法にも反映されています。すなわち①現行国内法における著作権侵害の原則親告罪としての扱い、および、②現行米国法におけるフェアユースの概念、特に非営利的活動における全面的なフェアユースの適用、に相当します。実際、著作権を有する書籍をネット上に盛大にデッドコピーしている google のある種の活動ですらフェアユースに認定されているのであれば、19世紀の理論構築者と20世紀の原著者の両方に対する敬意の意志を込めた21世紀の写経者の米国内サーバーに保存されている活動は当然認められるべきでしょう。21世紀の写経者の行為に違法性を見出すのであれば、すでに公認されているこれらの事由、特に米国法上のフェアユースに対する見解をお伺いいたしたいところです。183.76.204.207 2021年1月4日 (月) 17:20 (UTC)