ドイツ帝国
ドイツ帝国は1871年1月18日から1918年11月9日まで中央ヨーロッパに存在した国家。
ビスマルクによるドイツ統一
編集プロイセン王国の政治家オットー・フォン・ビスマルクは1866年の普墺戦争でオーストリア帝国を破り、1870年の普仏戦争でフランス帝国の皇帝ナポレオン三世を捕虜にしたうえでパリを占領し、そこのベルサイユ宮殿で戴冠式を行った。
ビスマルク体制とその終焉
編集ドイツ帝国が完成すると、ビスマルクは復讐に燃えるフランスを孤立させるべく、同盟網を整備する。具体的には、
- 1873年、ロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国との三帝同盟を締結。5年後のベルリン条約後、ロシアが脱退。
- 1882年、イタリア王国、オーストリア=ハンガリー帝国との間で三国同盟を締結。
- 1887年、ロシア帝国と独露再保障条約を締結。
しかし、1888年に即位した新皇帝ヴィルヘルム2世によって、1890年、ビスマルクは更迭され、独露再保障条約を一方的に破棄し、新航路政策と銘打って新たな方針を示した。 また、太平洋地域に積極的に進出を行った。
第一次世界大戦と帝国の崩壊
編集皇帝ヴィルヘルム2世の考えのもと、サラエボ事件が発生すると、ドイツ帝国はオーストリア=ハンガリー帝国との同盟に基づき第一次世界大戦に参戦した。 当初、シュリーフェン・プランのもと、快進撃を続けたが、参謀総長小モルトケのシュリーフェン・プラン改定の失敗や、フランドル進駐によるイギリスの本格参戦などにより、ドイツ帝国は瓦解。ドイツ革命による共和政の成立とともに帝政は崩壊。ヴィルヘルム2世はオランダに亡命し、帝政は終焉した。